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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2009/01/12
  • 出版社: 文藝春秋
  • サイズ:20cm/359p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-16-327750-9

紙の本

猫を抱いて象と泳ぐ

著者 小川 洋子 (著)

伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密やかな奇跡。触れ合うことも、語り合うことさえできないのに…大切な人にそっと囁きかけたくなる物語です。【「BOOK」データベ...

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猫を抱いて象と泳ぐ

税込 1,865 16pt

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商品説明

伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密やかな奇跡。触れ合うことも、語り合うことさえできないのに…大切な人にそっと囁きかけたくなる物語です。【「BOOK」データベースの商品解説】

廃バスに住む巨漢のマスターに手ほどきを受け、チェスの大海原に乗り出した孤独な少年。彼の棋譜は詩のように美しいが、その姿を見た者はいない。なぜなら…。天才チェスプレーヤーの奇跡の物語。『文學界』連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

小川 洋子

略歴
〈小川洋子〉1962年岡山県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業。「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞、「博士の愛した数式」で第55回読売文学賞、第1回本屋大賞を受賞。

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 親と縁の薄い小さな...

ジュンク堂

 親と縁の薄い小さな少年が、ある事件をきっかけにチェスを習う。師匠は廃バスに猫と棲む巨漢。めきめきと上達する少年だったが、指し手と対面できない。チェス盤の下で猫を抱き、現れては指す。少年の描く棋詣は象のように深遠であった、と著者は表現する。
 少年は大きくならないまま年を重ねる。そして秘密チェスクラブの覆面プレイヤーとして才能を開花させる。盤下の人形に潜む主人公は生ける伝説となり、チェスマニアに流布していった。
 そして――。
 ベストセラー『博士の愛した数式』で「永遠の少年」像を造型した著者が、より純粋な形で再度の挑戦をした。

みんなのレビュー500件

みんなの評価4.1

評価内訳

紙の本

チェス盤の下の匿名の美しさ

2009/05/11 23:07

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 美しいものを見出すのが本当に巧い作家だと思う──数式、ブラフマンなる小動物、カバに乗った少女、そして今回はチェス。──そういうものを見つける作業も文学が求められる使命のひとつなんだなあとつくづく思う。
 今回の特徴はいつもに増して無国籍だということ。読んでいて、あれ、これはどこの国なんだろうか、と惑わされる。デパートの屋上に遊園地があったり食堂にお子様ランチがあったりするのは日本に決まっていると思うのだが、しかしどこか日本っぽくない。
 『ミーナの行進』における「芦屋」のような地名も出てこないし、登場人物の名前が一切語られない(主人公のリトル・アリョーヒンを始めとして全員があだ名か役職名で呼ばれている)ので、なおさら場所を特定するヒントが得られない。登場人物の眼や髪の色についての描写もないからやっぱりどこの国の人間だか分からない。
 だいいち、いつの時代であれ日本だったらこんなにチェスが盛んで、ここまで深くチェスが理解されているわけがないという気がしてくる。じゃあ、どこなのか?
 そもそも小川洋子の作品は無国籍と言うよりも多国籍、いや、むしろ重国籍とでも言うべきいくつかの国籍が溶け合ったような舞台になっていることが多いのだが、今回の場合は言うならば「国籍の匿名性」みたいなものを強く感じさせられた。つまり、作者が意図的に国籍を秘匿して、どこの国だか判らないように書いているような作為を感じるのである。
 そして、そのことに思い当たった時に、それがそのままこの主人公リトル・アリョーヒンの匿名性に繋がっているのだということに気づいた。いやはや、この作家はいつも見えない糸で作品を織りなしているのだ。改めて感心した。
 リトル・アリョーヒンは伝説のチェス・プレーヤーのアリョーヒンになぞらえて作られた人形“リトル・アリョーヒン”の中に入り、レバーを操作してチェスを差す。その時のリトル・アリョーヒンは完全に匿名の存在になる。それはチェスという競技がプレーヤーの名前など必要としていないからである。そして、そういう設定を使って、著者はチェスが何と美しいゲームであるかを見事に書き尽くして見せる。しかし、ひとえにチェスの美しさだけを描きだそうとして作られた小説に見せかけて、実は人間の美しさについてひっそりと静かに書き遺しているのである。とても良い話である。
 ちょっと敵わないなあ、という気がする。
 そして「猫を抱いて象と泳ぐ」というタイトルも秀逸。
 これからの読む方に対して、書評であまり予備知識を与えたくない。予備知識も先入観もゼロの状態で、想像力をフル回転させながら、あなたもチェス盤の下で猫を抱いて象と泳いでみてほしい。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

かつてこれほどもの哀しくて美しい物語があっただろうか、追憶の一冊。

2009/04/04 22:35

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

まず最初に本作の感想を書くにあたって、物語と作者の文章があまりにも素晴らし過ぎて感想が上手く紡げないというジレンマに陥ったことを書き留めておいて駄文ながら綴りたいと思う。

約3年ぶりに小川さんの作品を手に取った。
彼女の作品は有名どころの3作品(『博士の愛した数式』『ブラフマンの埋葬』『ミーナの行進』)しか読んでいないが、どれもが素晴らしく心に残る作品であった。
そして上記3作品に勝る勢いの本作の素晴らしさ。
作者の類まれな筆力はどう表現したらいいのだろう。
本当に安心して身を委ねられる作家ですよね。

小川さんが描くと、たとえどんなに荒唐無稽で非現実的な物語でも素晴らしい光沢を持った作品として読者を感動の渦に巻き込む。
本作は寓話というジャンルになるのであろう。
なぜなら私達読者も論理的な説明を作者に求めていないからだ。

そういったものを超越した世界、すなわち小川ワールドに読者は浸りたいのである。
どっぷりとどっぷりと・・・
本作では小川洋子という天才作家がチェスの物語を描いている。
後にリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになる天才少年騎士の物語。

リトル・アリョーヒンが生きる世界は8×8狭い世界であるが、そこはかとなく愛に満ち溢れている。
彼の優しさが読者に伝わるのはなぜだろう。
それは彼が純真無垢な人物であるからだ。

とりわけミイラとの手紙のやりとりが本当に切なく心に残る。
不覚にも最後のゴンドラでのすれ違いのシーンには落涙してしまった。
小川ワールドの真髄をみた感が強かった。

特に私が強く感じたのは主人公の寡黙さ。
寡黙でかつ孤独だからこそ棋譜に自分の生きざまを刻み込んだのだろう。

一見すごく何かに翻弄されて生きているようにも見受けられるが、決して不幸ではない。
彼がここまで人々に愛されたのはその素直な人柄が受け入れられているからである。

本作のテーマでもある死についても語ろう。
本作においては象、マスター、祖母、老婆令嬢など次々に死を迎える。
彼らが死を迎えることにより、彼の人生は変わるのである。
とりわけマスターが亡くなった時、主人公はこれ以上自分も大きくならないことを決断する。
くしくもマスターと知り合った時と同様、マスターの死によっても自分の人生の転機を迎えるのである。
そこに後悔の念は微塵もない。

そして彼らを追悼するように盤下でチェスを打つのである。

とりようによったら、彼ほどの能力があればもっと表舞台に出て活躍できたのではないかという考えも成り立つであろう。
でもその質問は本作においては愚問である。
“自分の身の丈にあった人生を過ごすこと”が自分の幸せである。
そう、彼の身の丈とはチェスの盤上そのものであるのだ。

それを選択した主人公に胸を打たれない読者はいない。
読者には彼の“優しさ”がいつまでも追憶として残っている。

“最強の手が最善とは限らない。”(本文より引用)

本作で発見した名言でありいつまでも胸の内にしまっておきたい言葉である。

最後に作者は人に愛されることの尊さを本作で語った。
読者に愛される作品を書く小川さんの本領発揮の作品ですね。

私にとって本作は読んで良かったと思える一冊となった。
本好きであなたが未読なら是非手に取って欲しい。

そして読後はきっと周囲の大切な人に対して、明日からはもっと気を配れることができるでしょう。
本作は読者にとって非常に有益な一冊なのである。

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紙の本

装丁で出版社を見分けることができなくなってしまいました。それにオブジェの制作者も。水準があがったことは嬉しいですが、横並びっていうのはなんだかねえ。でも、小説の中身のほうは個性あふれる世界水準です、ご安心を。

2009/06/05 19:30

8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

いやあ、もうてっきり新潮社の本だとばかり思っていました。オブジェも三谷龍二だっていわれたら、「そーだよね、やっぱり」っていいたくなるもの。でも、カバー作品 前田昌良、デザイン 関口聖司、とあります。まずいんじゃないかなあ、ここまで似ちゃうと、そう思ったりして・・・

それにしても、不思議なタイトルです。絵は眼前に浮かぶものの、話が見えません。どんな物語なんだろう、って誰だって思います。さすが小川洋子だ、って思います。ちなみに、中身は伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの一生を描くものです。全18章で初出は「文学界」2008年7~9月号です。

リトル・アリョーヒンには外見上、二つの大きな特長があります。一つは容貌に直接関係します。彼が生れた時、上唇と下唇がついていたため、手術を受け、そのとき、治療で唇の傷に脛の皮膚を移植しました。時代が悪かったのか、医療技術の問題かはともかく、それは傍から見るとかなり奇妙な結果を生んだようです。で、少年はそれゆえに、からかわれ苛められます。

もう一つは背の高さ、というか低さです。先天的か後天的かは別にして、小柄です。ちょうど、机の下に隠れることができるくらいの大きさで、それは年をとっても変わることはありません。といっても、いつまでも子ども、というわけではありません。唇に移植された脛の皮膚からは見事な髭が生えたりはするわけです。

アリョーヒンの母親は少年を産んですぐ、亡くなり、彼は弟ととも祖父母の下で暮らしていました。ボックス・ベッドが少年の眠るところで、これが彼の競技スタイルに影響を与えているだろうことは間違いありません。彼の家と隣の家の間隔はとても小さく、隙間といってもいいくらいで、そこに入り込んでそのまま抜け出せなくなった少女がいる、という噂まであります。

その少女の名前はミイラ。他の人にはともかく、アリョーヒンには彼女の姿が見えて、一人でいるときによく彼女に話し掛けます。そして後に出会うことになる少女に、かれはミイラと呼ぶことを許されます。ちなみに、彼女が作る棋譜は、その美しさから人々に大切にされることになります。気がかりな駒はビショップ。

そして、学校のプールでバスの運転手の溺死体を見つけたことから、かれはその友人で元バスの運転手、バスを改造し、その中でお菓子を作って食べることが大好きな巨漢・マスターと知り合い、チェスを教わることになります。猫のポーンと暮らし大好きな駒はポーンという優しい男の口ぐせは「慌てるな、坊や」。そして、彼のチェス盤は少年に受け継がれます。

マスターの指導で腕をあげたアリョーヒンは、パシフィック・海底チェス倶楽部の事務局長からクラブに入会を認められ、倶楽部に有名なからくり人形、チェスを打つ人形“リトル・アリョーヒン”を寄付したチェスの名手の老婆令嬢と試合をすることになります。ちなみに、パシフィック・海底チェス倶楽部は、町で一番由緒正しいチェス愛好家の集まりパシフィック・チェス倶楽部のもうひとつ下の階、ホテルの地下二階のもと室内プールがあったところを倶楽部に改造した、ちょっと怪しげな組織です。

読みながら、思い浮かべたのは海外の小説です。無論、舞台がヨーロッパ、多分、ロシアなんでしょうが、それと登場人物の名前からの連想であることは間違いありませんが、ジョン・アーヴィングの小説のことを思うのです。主人公の背が小さいことでは『オウエンのために祈りを』ですが、全篇を通じて霧がかかったようなしっとりとした雰囲気や文章の粘り気というか湿り気が、似ている。そして悲劇性。勿論、ポール・オースターも感じます。

こういう物語を書ける作家て、いそうでいないんだよなあ、って思います。私は、話の前段よりも後半、アリョーヒンがチェスを打つ老人たちが暮らす施設に行ってからが好きです。特に総婦長が見せるプロとしてだけではなく、人間としての優しさが。だからラストに心打たれます。もしかすると、村上春樹より小川の小説のほうが世界で受け容れられるんじゃないか、そんなことまで思います。

参考までに、キーワードをいくつか。

インディラ:デパートの開業記念として印度から借り受けられた象だが、返却時期を逸し、屋上からおろす手段がなくなってしまい、そのまま屋上で一生を終える。

パシフィック・チェス倶楽部:町で一番由緒正しいチェス愛好家の集まり。会員になるには資格審査、つまり入会試合をする必要がある。

パシフィック・海底チェス倶楽部:パシフィック・チェス倶楽部のもうひとつ下の階、ホテルの地下二階のもと室内プールがあったところを倶楽部に改造した。

以上です。

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紙の本

チェスの小宇宙を旅した男の人生、その軌跡がはっとするほど美しい

2009/01/24 18:48

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:東の風 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 後年、リトル・アリョーヒンと呼ばれることになる少年が、運命の不思議な糸に導かれて、廃車になったバスの中で、巨体の男と出会う場面。唇に産毛の生えた寡黙な少年が、巨体のマスターの手ほどきでチェスを覚え、その広大で限りなく深い世界に魅せられていくところ。その辺から、ひそやかな静けさに満ちた物語の中に引っ張り込まれました。

 そして、転機を迎えたリトル・アリョーヒンは、自動チェス人形<リトル・アリョーヒン>の中に身を潜め、チェス盤の裏から眺めて、人形の手を操ってチェスを指すようになります。彼が作り出す棋譜はとても美しく、「盤上の詩人」と称えられた伝説の名プレーヤー、ロシアのグランドマスター、アレクサンドル・アリョーヒンを彷彿とさせるもの。

 リトル・アリョーヒンが、かけがえのない存在である象のインディラ、猫のポーン、手品師の娘だったミイラと彼女の白い鳩とチームを組んで、深い深いチェスの海に潜り、果てしのないその世界を旅していく展開、話のひそやかで透明な調べが美しかったなあ。清澄で思慮深い物語の中に入り込み、高雅な作品の調べを呼吸することができた数時間は、間違いなく、至福の読書体験でしたね。

 チェスの世界を題材にした作品では映画『ボビー・フィッシャーを探して』、あれもよかったなあと思い出したのですが(ふたつの作品が投げかけるメッセージは、違っています。でも、チェスに才能を発揮した七歳の少年からはじまる話ということでは、通じるものがありますね)、小川洋子のこの物語もとてもいい。リトル・アリョーヒンとともに、彼がたどった人生を旅してきた最後、エンディングの354頁、ここはもう胸がいっぱいになり、涙がこぼれました。

 物語が奏でる調べの美しさ。心に染みる余韻の深い味わい。素晴らしい作品です。

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紙の本

最強よりも最善の道を選ぶ

2011/11/15 19:44

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 最強よりも最善の道を選ぶ・・・この静かで、そして激しい物語は勝つことだけにこだわるむなしさ
を強く秘めています。
大切なのは、どういうチェスをしたか・・・目的地に着くよりも、どういう道を選んだのか、ということの
意味を重く見る世界。

 この物語で名前が出てくるのは、実在した象のインディラと猫のポーンだけです。
他は、後にリトル・アヒョーヒンと呼ばれるチェス人形の遣い手となる少年、祖父、祖母、弟、
マスター、老嬢という風に個人を定義づける名前という呪縛から登場人物たちを解き放っています。

 身体が弱く、小さな少年はチェスの世界を知る。
しかし、そのチェスは相手と向き合ってではなく、少年は机の下にもぐってチェス盤に置かれた
相手が何をどこに置いたかを音で聞き取るという特殊な才能を持っていました。
その為、顔を向き合わせることなく、チェスができるチェス人形、リトル・アヒョーヒンの操作をする
ということからチェスという世界に入っていきます。

 黒と白の8X8の升目に駒を並べて指す、チェスの棋譜は数にすると十の一二三乗あるので
一人の人間がすべての駒の動かし方を実践することなど不可能。だからこそ、自分などという
ものはなくしてチェスという宇宙を旅するのがチェスであり、頭脳の良しあし、運ではなく
チェスのさし方そのものに人格が出るということを、少年は学んでいきます。

 しかし、少年はどんなに天才的なチェス・プレイヤーであっても自分が、
自分が、と外に出ていくことをしません。ますます、チェス盤の下でいかに音楽を聞きとり、楽譜を読み、
虹の色を見つけ、星座を紡ぎ、深い海をもぐっていくか・・・そのことで少年は満足を覚え、
さらに腕を磨いていきます。
その満足が、美しい言葉の連なりが重なれば重なるほど、哀愁が漂い、ますます耽美、静謐になります。
少年のチェスが上達すればするほど、その世界は静かになっていき、チェスの駒が置かれる
瞬間のコトンという美しい音を聞くために息をひそめなければ、という心持になります。

 少年は子どものころから狭いところに入るのを好みます。しかし、その見えない扉の向こうには
チェスという青い、深い、時に深すぎて下が見えない漆黒の海がある。
その海をひとり泳いでいく少年。周りがなんと言おうと少年はかたくななまでに狭いところを選ぶ。
名声も得られたでしょう、金も儲けられたでしょう、人々の注目をあびることもできたでしょう。
しかし、美しいチェスをするためだけに生きた少年。少年に目標や自己欲というものはありません。
そこにあるのは、いかに美しい軌跡を描いてチェスをするか、それだけです。

 しかし、少年をめぐる環境はうつろっていく。
身体が小さい少年は、大きくなること、大きいものへの恐怖心のようなものを常に持っています。
小川洋子さんの小説では、「箱の中に閉じ込められたような設定」というのが時にあるのですが、
この物語はまさに「箱」の物語であり、その中の暗闇に安息を見出す、そして目でなく耳で
チェスをするという天才でありながら外に出ることがなかった少年を憐れみではなく、
区切られた空間の中に広がる目に見えない大海、または宇宙といった大きな広がりをひとり行くという
自分で選んだ道を歩むことで喜びや哀しみを知る少年を明確に描いています。

 タイトルといい、表紙絵、装丁といい、さびしげという言葉がしっくりくる胸が痛くなる余韻を残す物語。

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紙の本

ティム・バートンがこの物語を知ったら、必ず映画にするだろう。

2011/05/31 16:03

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 小川洋子の「猫を抱いて象と泳ぐ」、この物語は外国映画の原作にな
ってもおかしくない。監督は、そう「ビッグ・フィッシュ」や「チャー
リーとチョコレート工場」のティム・バートン!彼の映画のテイストを
この小説に強く感じるのだ。読む者の想像力を喚起し、しかも、限りな
く美しいそのストーリー。エンドクレジットが出るまで僕らはけっして
目を離せない。

 主人公は11歳の身体のままで生き続けている、リトル・アリョーヒン。
「大きくなること、それは悲劇」、という警句を胸に彼は生きている。
それは、大きくなり過ぎたため屋上から降りられなくなった象のインデ
ィラの逸話や彼にチェスを教えてくれたマスターの太り過ぎの悲劇、壁
の間に挟まれたまま出られなくなったミイラと呼ばれる少女など、虚実
入り交じった話から得た教訓なのだ。

 チェスで非凡な才能を発揮したリトル・アリョーヒンは、そのうちチ
ェスを指す自動人形の中にその小さな身体を隠し、様々な客と戦うよう
になる。そこでの彼のこだわりは勝ち負けではなく、棋譜の美しさ。彼
にとっては美しさこそがすべてだった。淡い恋も織り交ぜながら描く伝
説のチェスプレーヤーの軌跡、彼の人生はまさにその棋譜のように美し
くはかない。これこそ小川洋子、といえる傑作だ。

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紙の本

読んで良かった。

2010/09/24 01:29

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abikko - この投稿者のレビュー一覧を見る

静かで透きとおった物語。
チェスを題材にして、しかもチェス盤の下でしかチェスを指せない主人公を介して、不自由さを肯定する生き方、そしてその美しさを描いているように思いました。
小さく見えるチェス盤に宇宙があるように、制約だらけに見える生活にも無限の道がある。主人公はチェスでも人生でも「最強ではなく最善の道を」目指した。そこに心動かされ、この本を読んで良かったと思うのです。

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紙の本

「猫を抱いて象と泳ぐ」静かで熱い唯一の物語を読む幸せ

2009/10/02 17:14

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:soramove - この投稿者のレビュー一覧を見る

「タイトルを考える、
猫を抱くことは出来るが
象と泳ぐことはできそうにない、
猫を抱いて泳ぐのも難しそうだ、
しかしこの本を読むと
その不思議な光景が目に浮かんでくる」


主人公は幼い頃、
動かないバスで暮らす友達から
チェスを教えてもらう、
その後、彼は「盤上の詩人」と謳われた
アレクサンドロ・アリョーヒンという
ロシアの伝説のチェスプレイヤーにちなんで
リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになる。


とても静かな小説だ。


目の前で起こっていることを目撃しながら、
それら全ては
主人公がチェス盤の下に潜り込んで
チェスをさすように、
妙に現実感から乖離して
思い描くイメージは一枚の絵のよう。

思いもよらぬことが起こり、
次はどうなるんだろうと
そんなドキドキ感はこの小説には無いが
誰にどう思われようと構わない、
自分らしい生き方をした主人公の
唯一無二の物語を
息をひそめるように読み進めた。

めくるページが少なくなると
なんだか胸が締め付けられた、
でもそんなこちらの気持ちに
リトル・アリョーヒンは
「あせらないで」と静かに語ってくれた。

こんな読書体験はなかなか無い、
何にも似ていない、
経験したことのない物語、
でもそこここに自分がこだわる「何か」が
ちゃんと存在しているような
不思議な物語だった。



★100点満点で100点★

http://yaplog.jp/sora2001/

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紙の本

静謐な音楽のような文章が織りなす、悲しくも美しい物語

2010/02/23 16:27

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:YO-SHI - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本の雑誌「ダ・ヴィンチ」編集部による2009年の「プラチナ本 OF THE YEAR」に選ばれた作品。著者の最高傑作との声もあり、さまざまなところで高い評価を得ている本だ。
 この悲しくも美しい物語と、静謐な音楽か詩のような文章は、他の本では感じることのない「特別な何か」を持っている。その意味では昨年の特筆すべき1冊であることは確かだ。

 主人公は「リトル・アリョーヒン」と呼ばれたチェスプレイヤー。アリョーヒンは実在のチェスのグランドマスター。主人公はそのグランドマスターになぞらえられて「リトル」を付けて呼ばれている。
 唇が癒着して生まれてきた彼に対し、祖母は「神様はきっと他のところに特別手を掛けて下さって、唇を切り離すのが間に合わなかったんじゃないだろうか」と言う。その神様が特別手を掛けて下さった部分が、類まれな記憶力と集中力。
 それを基にしたチェスの腕はまさに天才。何しろ彼はチェス盤の下にいて(つまり盤上を見ないで)、どこに相手が駒を指したかを感知し、刻々と変わる盤上の配置を正確に記憶し、どんな強いプレイヤーとも互角に戦ってしまうのだ。

 物語は彼が少年時代にチェスの手ほどきを受け、成長して「リトル・アリョーヒン」と呼ばれ、チェスを指す場所を変えて生きていく様を、時々の彼を取り巻く人々との関係を交えて静かに描写していく。
 本書の芯には「優れたチェスの対戦が残した「棋譜」は、詩や音楽のように美しい」という確信がある。このあたりは、数式を美しいと言った著者の代表作「博士の愛した数式」と相通じるものがあると思う。
 そして、著者はその確信を、駒の動かし方しか知らないチェスの素人の私にも共有させることに、その筆力によって成功させた。私も、チェスの棋譜から美しさを感じてみたい、と心から思った。

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紙の本

自由に生きるための枠組み

2009/12/30 00:32

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る

 自由は人間が求めるものだけれど、本当に完全な自由の下では意外に生きづらいかも知れない。例えば、重力という束縛から解き放たれたら、どこを地面として生活したら良いかも定まらなくなる。愛という概念は何ものからも自由な気がするけれど、人や動物や国という形からも自由になってしまえば愛することも出来ないかも知れない。
 だから、人間が自由を行使するには、自然法則やルールなど、世界を形作る枠組み・世界の輪郭が重要な要素となると思う。

 本作品の主人公はチェス・プレイヤーとなる少年だ。
 囲碁や将棋、チェスに代表されるゲームでは、盤上に表現される駒の動きを"宇宙"と対比させて表現する。この宇宙が人々を魅了するのは、プレイヤー全てが共通して理解できる世界だからであり、共通して理解できるのは、8×8という枠組み、そして6種類の駒が決まったルールに基づいて動くからでもある。
 これを象徴するかの様に、リトル・アリョーヒンが出会う人々は閉じられた世界の中で生きている。デパートの屋上で生涯を終えた象のインディラ。改造したバスの中で生活するマスター。地下世界にしか生活の場を求められないミイラ。小さなロープウェーでしか行くことの出来ない施設で生活する人々。だが彼らは不幸なわけではなく、その枠組みの中でそれぞれの宇宙を形成している。

 枠組みの中で人が生きるのであれば、人の生き様が枠組みをつくるとも言える。だから、チェスだけに生きるリトル・アリョーヒンの言葉は棋譜にある。しかし、棋譜だけでは伝えきれない想いも確かにある。それは、互いに駒を動かす二人が、矛盾するようではあるが、完全に同じ言葉を共有しているわけではないからだろう。
 そのずれを埋めるために、盤の外側にも世界がある。だが、リトル・アリョーヒンの世界は、チェス盤の外側を臨みながらも、棋譜の中だけで閉じた。けれども、残された棋譜から伝えられる想いは、届けるべき者に届いたに違いない。

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紙の本

小川洋子さんの紡ぎだす奇妙な世界

2012/02/05 10:43

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:お月見 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 小川洋子さんの作品がかもし出す、独特の静けさと、フリークスへのまなざしが大好きです。
 運命ともいうべき、チェスというゲームに選ばれた主人公。描かれる登場人物たちはどこかいびつで、突出した才能を持ちながら、同時に何かが欠落している。己の道を黙々と進みながら、先に悲しい終焉が待っていても、静かに歩み続けます。
 大事な出会いや絆が、わずかなすれ違いで交差して、悲劇ともいえる数々の別れを呼ぶのですが、不思議と、どの別れも「悲しいけれど不幸ではない」と思えてしまい、例えばひとつの美しい結晶のかけらを分けてもらったような、満ち足りた気持ちにもなるのでした。 
 あらすじを語るとネタバレになってしまうので、多くは語れませんが私にとっては大事な、愛おしい宝物のような物語です。
もしかして、現実の世界に少し薄紙を被せたような世界観が、苦手な人にはなじめないかも。好きな人を選ぶ作品かもしれませんが、はまる人には絶対はまる、とだけ言っておきますね。
 

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紙の本

チェスの海を泳ぐ。海は広い。

2023/10/29 16:04

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:びずん - この投稿者のレビュー一覧を見る

広い場所には思いもよらないものが存在したり、理解の範疇を超える出来事が起こったりする。それらと出会えることも、自分の海を泳ぐことにつながって、今度は誰かに影響を与える番になる。リトルアリョーヒンが幸福だったと思うかについて、10人うち何人が首を縦に振るだろうか。そんな風に考える必要は全くないのだけれど、私としては、彼が自分の海を見つけて自由に泳ぐことができて良かったと思う。

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紙の本

この物語の、どこまでが事実でどこからが作り話かは、作者しか知らない

2009/01/18 21:29

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 これは、好き嫌いが別れる作品だと思う。好きになる人は、主人公をはじめ作品世界の隅々までを、たまらなく愛おしく感じ、そうでない人は冷ややかに笑い飛ばす。そんな類の作品だ。
 書き手が、物語ることの至福をかみ締めた一作。陶酔感に似たその幸福をわかち合えるか、どうか。


 本書は、相当に突飛なストーリーだ。タイトルも奇抜だが、登場人物も個性的という言葉では言い足りぬ奇妙さで、モノクロの映画か銅版刷りコミックくらいの非現実感が、全編に漂っている。それでいて、読み終えた時に、「全て本当にあったことかもしれない」と思わせる何かがある。

 チェスに特別な興味を持っていない読者なら、主人公の少年リトル・アリョーヒンが憧れを抱く「アレクサンドル・アリョーヒン」なる伝説のプレーヤーからして、既に夢の世界の人物だ。そういう人物がいたのだと思うところから物語が始まれば、リトル・アリョーヒンも当然に存在し、彼の数奇な人生もまた本物としてそこにある。
 チェスに詳しい読者なら、本書を読み終えた時、自分のこれまでの知識をひっくり返して、伝説のかけらを確かめたくなるだろう。自分が知らなかっただけで、この密やかな奇跡は、まぎれもなく真実だったのかもしれない、と。

 猫を抱いてチェステーブルの下にうずくまる小さな青年、からくり仕掛けでチェスの駒を動かす人形、地下二階にある秘密のチェス倶楽部。水の抜かれた古いプールの底で行われる人間チェス。
 チェス盤の上で歌われる詩。対戦相手と交わされる駒と駒の会話。

 大きくなることを拒み生身の人間としてのコミュニケーションを拒む主人公の生き方は、ひんやりとしていて時に悲しい。だが同時に、彼はチェスの駒を通して相手の本質に迫り、心を通いあわせることができた。
 淋しいようなあたたかいような幕切れも印象深く、なんだかチェスをやってみたくなる。


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紙の本

今日も生きよう。私にしか残せないただ一つの棋譜のために。

2010/03/01 23:45

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:はりゅうみぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る

私はチェスを知らない。
コマやルールはなんとなくわかっても、実際にゲームをした事がないのである。

この作品がチェスを扱っているのは知っていた。
そしてチェスの醍醐味を知らない私がこの本の面白さを果たして理解できるのか、少々不安だった。
でも、読んでわかった。この本はそんな事(だけ)を伝えるために書かれたんじゃない。


この本には3つの棋譜がある。
1つは今作の主人公・リトル・アリョーヒンが師匠や好敵手と繰り広げるチェスの棋譜。
身体に不具を持つチェスの天才がハンデを超えて繰り広げる、芸術的ともいえる手に汗握る攻防の数々。チェスを知っていたらもっと楽しいだろうと思わせる。

もう1つは彼が友と共にその生のすべてを賭けて刻む、人生という名のただ一局を記した棋譜。
捕らわれ、囚われて「そこに在るだけ」になってしまった哀れな仲間たちに息吹を与え、共に闘い、最も強い「クイーン」がその棋譜を後の世まで守り続ける。

そして最後に最も美しい棋譜、作者がこの作品を通じて読者と交わす想いの一手である。
1つ目の棋譜が少々感覚的でも、2つ目の棋譜がやや感傷的でも、最後の棋譜に気づけばそれらの不満は霧散し、残るのは感動である。


例えば絵画や音楽ならその作品に心を奪われるのは「一瞬」、その「一瞬」の意味を考えるのが楽しい。
そして書物の喜びは流れる「時」だ。心を寄り添わせ奪われるために必要な、その時間が愛しいのである。
あらすじやレビューではなく、作品そのものに最後まで触れてその果てに生まれる「想い」。
考えられうる限りの可能性を考え、その中から自分がこれだと思うたったひとつをすくい上げる喜び。それを形にする時の高揚感。(と、捉えきれない口惜しさ)

こうして書評を綴るのは、作者と私が真剣に対峙した時と軌跡を記した棋譜と言える。
これはチェスを知ろうが知るまいが関係なく、本を読む事で誰にも生み出せる究極の一局なのである。

作者の真摯なチェスと創作と執筆への情熱は、物語を凌駕した読書の姿勢というものを私に再認識させた。これはもう見事というしかないだろう。
感動、などというベタな言葉でしか表現できない自分が悔しい。


三文だろうが文芸だろうが、マンガだろうが論説だろうが、これからもただ真摯に本と向き合う事を誓う。結果、生まれる形が疎でも歪でも、そこに至るまでの棋譜は美しいと胸をはれる自分でいることを誓う。
出来れば、人生も。

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紙の本

芸術の前に人間は過酷な運命を強いられるべきなのか

2009/08/01 10:28

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

 バスに暮らす巨漢の師にチェスの手ほどきを受けた少年は、やがてリトル・アリョーヒンとして伝説のチェス・プレイヤーとなる。しかし彼は決してその姿を対戦相手に見せることなく、ロボット“リトル・アリョーヒン”の姿を借りて駒を握った…。

 『博士の愛した数式』で数学に秘められた美しさを見事に描いた小川洋子が今回挑んだのはチェスを言語化すること。ここに描かれているのは、円舞し、滑走し、そして跳躍する駒たちの美しい姿です。私はチェスをやりませんが、頁を繰るごとに駒の躍動するさまを確かに眼前に思い描き、心躍る思いに間違いなくとらわれました。

 しかしながらそうしたよどみなく舞い踊るチェスの優美な姿と対比して描かれるのは、リトル・アリョーヒンのあまりに痛ましい人生です。ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』か、John Irvingの『A Prayer for Owen Meany』の主人公を想起させるアリョーヒンの姿は、チェスという美しき詩を描くことを宿命づけられた人間のこの上ない残酷なめぐり合わせを表しています。

 そしてまた、もうひとりの主要登場人物である少女ミイラが、人間チェスで強いられた試練の、言葉を失うほどの無残な末路。
 チェスが内に秘めたその美を体現するために、人間がかようなまでに過酷に生きなければならないのだとしたら、それはどこかに誤謬があると私は感じざるをえないのです。

 そう感じながら私は、チェスに打ち込む少年を描いた映画『ボビー・フィッシャーを探して』のことを思い返していました。あれはまさにチェスの美とそれを具象化しようとする人間の拮抗と均衡を描いた見事な映画でした。あの映画の結末に私は救済と希望を感じたのです。芸術と人はかくあるべしと思ったものです。
 本書を読み終えた人には、ぜひあの映画もあわせて見て比べてほしいと強く希望します。

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