紙の本
考えさせられました
2016/03/30 17:52
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投稿者:ビリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
障害を持つ人が、これほど再犯率が高いのかと知ったのと健常者よりも伝える、訴える能力が劣っているので本人の意思が当局や司法に曖昧な形で受け取られるのが分かりました。
著者のような方が増えて障害を持つ人が平等に人生を送れる社会が出来るよう願います
紙の本
社会啓発
2023/06/28 05:13
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自身の入獄経験から貴重な現状把握が出来たようだ。障碍者や軽無償に関する問題点を指摘し、その解決方法まで提示してくれている。一番大事なのは社会の人々が認識を持つことであることを訴えている。
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作者のインタビューにより描かれる軽犯罪を重ねてしまう障害者の姿。累犯犯罪者の4分の1は軽度の知的障害者らしいです。なかなかメディアには出てこない日本の姿であると思うので読む価値はあると思います。知的に劣るからと言って何にも考えていないわけではなくて、むしろ一生懸命考えて自分の幸せを追求しようとした結果犯罪や売春を重ねてしまう人もいたりして切なかった。
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久々にいいノンフィクション読んだ。すっげえ面白かった。ジャーナリズムの枠を超えて政策にまで関わって実際に制度を変えつつある筆者に脱帽した。もちろんこれまでメディアで触れられることの少なかった刑務所内の障害者達について明らかにした点も有意義だし、知ることが出来たのは良かった。福祉の網からこぼれた時の最後のセーフティ・ネットが刑務所だというのは皮肉にしてもひどい。
それにしても聾唖者(手話者)の精神世界についての記述は俄然興味を持った。文化は言語によって作られるわけで(その逆もそうだと思う)、手話者達・デフコミュニティの文化は我々聴者の文化とは異なって不思議はない。夢まで手話で見るという人達が聴者と同様の思考方法を持たずとも不思議はないと思う。これは優劣の話ではないんだけども、聴者のやり方に合わせていれば途中あった聾学校校長の言うように聾唖者は知識を得る力がないと言ったような結果になっても当然に思える。この仕組についても考えさせられた。もうちょっと掘り下げてみたい。
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『獄窓記』より衝撃的かも。文章も読みやすくなってる。特に聾唖者の問題は,経験も知識もなかったのでとても勉強になった。裁判員裁判の時代なので,弁護人のみならず,一般の人にも是非是非読んで欲しい。タイトルはちょっと間違ってしまった感じだけどもw
この本の提起する問題に関連して,自分の中で凄く記憶に残っている公判がある。と言っても,いつどこでどいういう立場で立ち会ったのかも含めディティールはほとんど記憶がないのだが。。。その公判がなければ,本書にリアリティを感じられなかったかもしれない。知的障害は,ある意味では,責任能力に結びつきやすい精神障害以上に,日本の刑事司法がうまく機能しない局面なのだ。
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いささか思い入れは強いが、隠されてきた現実を直視しているので衝撃。
新聞テレビからは全く見えないことが大きな問題。
17冊。
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この方の「獄中記」「続獄中記」を読んでから購入しました。
主に、ろうあ者と軽い知的障害者にスポットを当てています。
全然知らなかった世界。
鬼平犯科帳にも、知的障害者に罪をかぶせる話がありました。
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「獄窓記」に続き読んでみる。
これまで障害をお持ちの方々の身の上に実際に起こっていた問題点を浮き彫りにした作品。
なにやら考えさせられる内容だった。
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抗弁できないゆえに実際犯した罪より刑が重くなりがちといったことや、犯罪に至る経緯、出所後に行き場がなく刑務所に戻るケースが多い等。日本の福祉のいたらなさ。
刑務所の方が居心地がよく安心するというのはとても悲しい気持ちになるけれど、電車で大声を上げていたり歩き回ったりしてる人をなにしてんだろ…とつい見てしまう罪悪感。
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くろちゃんからコリョで借りてもらった本。
ショックだったけど、やっぱり、と思う面も多かった。
行政は、いつでも受身の体制。
来れば対応するけど、行政から関わることはまれなような気がする。
私の中で、保健師の仕事に疑問が多いのは、そういう点なんだろうな。
こういう世界もあって、福祉の不十分さを知るにはいい本だった。
でも著者が自分自身を語る部分が、ねらっている感じでちょっといやだった。
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ろうあ者による「デフ・コミュニティ」は健聴者とは異なる文化を有する、という記述が興味深い。
著者が日本の受刑者処遇問題を世に問うている意義は大きい実感。
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累犯とは簡単に言えば再犯の事です。この本で扱われているのは「障害者は犯罪を繰り返す」という衝撃的な内容です。服役経験があり、獄中で障害者を見てきた著者だからこそ書けた本だと思います。マスコミさえも避けるタブーな問題だけに、非常に価値のある「声」だと思います。著者はこれらの問題提起だけでなく、自ら福祉などの面で精力的な活動をこなし、改善を試みています。それにしても、この本で扱われている事件はどれも悲しく、やりきれない気持ちになります。本の中で著者が獄中、手話で会話する二人の話がまったく理解できない疎外感から、健常者である自分が「手話が理解できない障害」を持っていると感じた、とありました。彼ら障害者は、社会の中で常にその疎外感を抱いていたのではないか、と思う。
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障害をもつ人々について、日常的に報道されたり取り上げられたりすることは少ない。
だけど、もっと気づかなきゃいけないところ、社会が守らなければならないところがあるのかもしれないな、って
考えさせられる本だった。
"あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。"(マタイの福音書25章40節)
こんな聖句を思い出した。
私は見てみないふりをしていないだろうか?
まず自分ができることはなんだろうか?
彼らに必要なのは「ひとりの人間として認められること」「認められて、日常的にそのように扱われること」じゃないのかな。つまり、愛されて生きること。自分が愛されていることを実感すること。
"わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。"(イザヤ書43章4節)
彼らも神に愛されている存在、っていうのは真実だ。
私は何もできないかもしれないけど、
せめて彼らに神様のなぐさめと助けがあるように祈ろう。
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経済だけならず社会にまでも「効率的」というフレームが当てはめられてしまうと、効率的になれない、与えられることでしか生きていけない人たちの生活が「効率的」の枠外で捉えられてしまい、福祉とのつながりが切れやすくなる。
効率的な経済はあっても効率的な社会はあってはならない。
障害者は、もたれあい助け合う中で同じような境遇の者同士でコミュニティを作るけれど、そのコミュニティは私たちがごく普通に食って寝てしていては知ることがないコミュニティ。
例え生活の中で障害者との関わりがなかったとしても、常に頭の片隅でマイノリティの暮らしを意識することが出来れば、私たちは、きっと、もっと幸せになれる。
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累犯を重ねる障害者をどうサポートしていくか。
この世に方法はあるのだろうか?
巷によく見られる、
「金出さない、支援しない、でも口は出す」ようなことだけはしたくない。
とすれば、事実を受け止め、口を閉ざすしかないのか。