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商品説明
国民が平等の立場で、最善と思われる政治の選択を行うことを保障しなくなっている日本の選挙制度。「内からの改革」を可能にする民主主義の利点が存在しないシステムに変容しているこの選挙制度と世襲問題について考える。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
福田 博
- 略歴
- 〈福田博〉1935年生まれ。カールトン大学(米国)名誉法学博士。外務省入省、中曽根内閣総理大臣秘書官、外務省外務審議官、最高裁判所判事等を歴任。西村あさひ法律事務所顧問弁護士。
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紙の本
民主主義の憂鬱
2009/09/14 03:11
12人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書には、福田判事がアメリカで見聞きした情報によると、日本は2流の民主主義国家に分類されているという。それどころか、同盟国だから二流で勘弁しているが、実際には三流なんだとか。
その大きな原因が一票の格差。しかし、まず筋違いの批判書評にひとこと申せば、最高裁の判決を実質的に考えているのは、最高裁調査官という真のリーガルエリートたちである。学者出身の判事は実際に考えて書いている者が多いが、実質的には調査官こそが作成者である。現実には、判決をすべて調査官に任せている者も多い。
なにしろ裁判官の数が足りないのである。日本全国の上告事件を15名の判事が扱うことは絶対に不可能である。必然的に、それは形式となり、実質的な作成者は実力者である調査官ということになる。とすれば、大企業擁護だなんだと判事を批判しても、的を完全には射ていないということになる。
さて、一票の格差については、参院選挙では1対6、衆院総選挙では1対3までが合憲とされている。それどころか、仮に違憲状態でも合理的期間の経過があるまで合憲のままだと判事され、もはや完全に定着している。
法律論としては、1対2が限界だというのが常識であり、1対6まで許容というに至っては詭弁以外のなにものでもない。だが、なぜこういう判決をだすのか。それは、判決をだした場合の効果があまりにも大きいからである。選挙をすべて無効にすればどうなるか。作った法案、執行した予算、調印条約の可決、すべて遡及して無効になる。だから、日本において選挙後、数年たって選挙無効には現実的には出来ない。日本は三審制であり、選挙後ただちに無効にすることは無理なのである。憲法裁判所がないのである。
それでも最高裁は、決して完全合憲ということではなく、事情判決の法理というのを用いて、違法であることを宣言したりしている。ただ、その効果としてはあまりにもでかいので、有効としている。最高裁ができるのは現実にはここまでであろう。結論として、最高裁を批判しても始まらないということになろう。
この場合悪いのは、違法とされても無視している国会である。格差問題は本当に民主主義に禍根を残すことになるので、直ちに是正すべきである。そのうえで、さらにインチキなのが比例代表制度である。たとえば、一流民主主義と評されるイギリスは単純小選挙区制である。ましてや上院は貴族出身者である。直接選挙などそもそもない。
比例制度は多くの国で採用されてはいるが、小選挙区で落ちた者の救済としての色彩が強く、またごちゃごちゃと泡沫小政党を生み出す温床となる。たとえば日本では社民、共産、公明である。特に社民などは、いつも福島などが名簿に居座り、社民という党に票を入れる限り、永遠に国会に出続ける。小選挙区で受かりそうもないものが党に認められたという理由で名簿に居座り続けるこの制度こそ、もはや再考のときがきている。
おまけに、民主党は社民と連立などよせばいいのにしてしまったことで、命脈を自ら大幅に縮めた。今後、310議席は7議席と3議席に振り回される。たった10議席が国のありかたを決めてしまうのである。これが、民主主義といえるだろうか。
日本は、一票の格差をなくし、なおかつ単純小選挙区制を採用することで大きく生まれ変わる。国会から社民や共産などはその現実的な支持者だけの人数しか送り込めず、早晩消えてなくなる。また、世襲批判はもっともだが、イギリスのすごいところは、イギリスは法律で禁止しているわけではないのに、同一区からの世襲は「できない」のである。なぜか。それは、法律より強力なもので禁止されているからである。それは「慣習」である。英国において慣習のちからは憲法をもしのぐ。なにしろ憲法は慣習であり、条文はないのである。これこそが、英国の権威と国力と洗練の象徴である。日本にこれがないのは悲しい。しかし、結局は人物本位で、たとえば安倍晋三のような稀有な政治家や、小泉純一郎のような天才もいるわけで、彼らは決して地盤だけの力で圧倒的当選を果たしているわけではない。その意味では、かえって日本国民の方が実質的に人物を見ており、英国は単に「世襲」という形式にとらわれ過ぎているともいえよう。これは、結局法律で禁止できる問題ではない。立候補の自由の観点からそれこそ最高裁は違憲を出す可能性もある(法令違憲はないだろうが)。
いずれにしても、民主主義なんて幻想である。だって、多数派を支配するには多数派の中の多数派を取ればいい。100のうち、26を取ったものが全体を制する。さらにいえば、その半分の14が全体を動かすことも多多ある。いまの社民国民新党はその変形としての一例である。英米式民主主義を目指すよりも、民主主義をさらにブラッシュアップした政体そのものを模索する時期に来ているのかもしれない。
紙の本
なぜ自民党が今回の選挙で大敗したのか、私はこの本に書かれている世襲政治家の問題や選挙制度、特に一票の重みについて国民の意思を無視し続けてきた結果がと思っています。と同時に、これは新しい政権にとっても果たさなければならない課題だとも
2009/09/02 19:51
11人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
総選挙を意識して選んだ本ではありません。私は最高裁判事、って聞いただけで苛ついてしまうほうですし、出版社の日経BPについても、結局、経済しか見ていない出版社じゃないか、っていう抜き難い偏見があります。しかも金子眞枝の装丁が、それに輪をかけたように面白くない。古臭くてセンスがなくて世の中を変えよう、なんていう気配がどこにもない。
はっきり言ってマイナス要素をあげ始めればきりがありません。一つの言葉を除いて。それが「世襲政治家」です。無論、「世襲賛成」なんて気配が漂っていれば、それだけで投げ飛ばしてしまうんですが、どうも違います。最高裁判事=保守・反動、天皇制支持、国体護持、靖国参拝許容、人権無視、大企業養護のはずなのに、この元最高裁判事はそういう流れに反対しているらしい。
私のように国会議員、地方議員をとわず議員という存在そのものが日本を住み難くし、若者の希望を打ち砕き、労働者から勤労意欲を喪失させ、若い女性たちから子供を産みたいという想いを奪った元凶と考えている人間にとって、その地位を恥ずかしくもなく継承しようとする世襲議員こそ国民の敵以外の何者でもありません。
果たして、東京大学法学部卒業。エール大学法科大学院修士課程卒(LLM)、カールトン大学(米国)名誉法学博士。外務省入省後、条約局、経済局、アメリカ局、米国(2回)、タイ、フランスの大使館に勤務。外務大臣官房人事課長、アジア局審議官、中曽根内閣総理大臣秘書官、外務省条約局長、在マレーシア大使、外務省外務審議官を歴任。1995年9月より2005年8月まで最高裁判所判事、といった輝かしい業績をもつ福田は、この諸悪の根源についてどんな意見をもっているのでしょうか。
早速、目次を見てみましょう。
はじめに
第一章 講演 一票の格差と日本の将来
はじめに
「投票価値の不平等」と「一票の格差」の相違
不平等な投票価値の制度とゲリマンダリングの相違
米国建国の際の妥協とその及ぼした影響
わが国において投票価値の不平等が当初から存在し、今日まで続いている理由
現在、我が国の国会において生じている状況
――国民を平等に代表しない機関への変貌、二世、三世議員の急増など――
具体的に生じている問題の例示
民主主義体制が的確に機能する条件とその体制の利点
民主主義国家が民主主義国家でなくなるとき
わが国の将来を待つもの
第二章 講演のあと、さらに考えたこと
民主主義の優位への疑問
不平等選挙に「免罪符」を与える最高裁
先祖返りする日本の政治
付属資料
平成八年九月一一日最高裁判所大法廷判決 【選挙無効請求事件(いわゆる定数訴訟)】
平成一〇年九月二日最高裁判所大法廷判決 【選挙無効請求事件(いわゆる定数訴訟)】
平成一一年十一月一〇日最高裁判所大法廷判決【選挙無効請求事件(いわゆる定数訴訟)】 ほか
あとがき
なかなか期待がもてる内容のようです。読み始めて思うのは、世襲議員云々よりも、今の日本の政治から夢と希望を奪っているのが一票の格差であることがよく分かります。無論、格差のない国がない、という現実にも驚かされるのですが、日本の例は極端です。
都会で暮らす人間は、繁栄と自由を享受するかわりに、地方の人間の分まで税金を納め、しかもその発言権は地方の人の5分の一でしかない、そんな歪んだ制度によって辛うじて命脈を保っている自民党政権というのは一体なにものか、と言うことになります。そして、そういう制度であれば地方での議員の世襲化は都会に比べて遥かに簡単です。
なんでこんな非道が許されるのか。そう、最高裁がそれを適法とみなすからです。だから私は最高裁の判決というものを信用しないし、最高裁判事という輩を白目視する。それによって支えられる政権を疑う。そんな判決を下されることが常態化しているような国に未来を感じますか? 子供をドンドン産みたいと思いますか。
怒りでワナワナしてしまいそうです。そういう意味で、うなずけること、教わる点が多い本ですが、無能な二世、三世議員による政治を江戸時代の大名に喩えるのはいかがなものでしょうか、むしろ古代の天皇制、いや現在の天皇制や経営が不透明な一族経営の会社にでも喩えるほうが正しい気がします。
それと民主主義に翳りが見える原因をアメリカの行動、特にイラク戦争におけるそれに求めるのは大賛成。今の世界の混乱を招いているのは、彼らの独善的で押し付けがましい行動にあり、それは聖戦を掲げるイスラム原理主義者と全く変わることがありません。イラクに大量破壊兵器がなかったことに目を瞑り、イランの選挙の裏で暴動を煽る。
世界の若者から夢を奪い、世の中に不和の種をまく。かの国にも二世、三世議員があふれています。世襲が世界をだめにする、それは北朝鮮も、今の日本も、アメリカも変わるとことは少しもありません。そしてその根底にあるのが、一票の重みの格差であり、現状をただただ維持しようとする高圧的な老人たちであることは論をまちません。
世襲議員の問題は、選挙制度の問題とあわせて今すぐにでも解決されるべき問題である、私はそう思います。
紙の本
「トラの皮をかぶったヒョウ」ではいけません
2009/08/20 20:38
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内容紹介はこちら
目次はこちら
(補足をすると、「はじめに」が6~13ページ。第一章 「講演 一票の格差と日本の将来」が17~84ページ。第二章 「講演のあと、さらに考えたこと」が87~97ページ。
「付属資料」が101~285ページ。付属資料が本論のおよそ倍もある珍しいタイプだ。)
章題を見ればすぐわかるように、これは「一票の格差」問題についての書なのである。著者は格差というより「投票価値の不平等」の問題として論じたいというのが本意のようである(格差は相対的平等の概念。投票価値の平等は絶対的平等の概念)。
それには賛成だし、重要な問題だと認めるが、なんでこんなタイトルにするのかなあ(嘆息)。たぶん世襲の是非が話題になっているからということなのだろうが、このような読者を手玉にとろうとするかのようなやり方には、減点したくなってしまう。
もちろん、世襲問題ともリンクさせている。だけど、論証としてはすこしパンチが弱い気がする。二世、三世の議員が増加しているのは、選挙区割りがめったに変わることがない現行制度にあるという。たしかにそれも、世襲を容易にさせる要因の一つなのだろう。ただ、もっと早い段階で、区割りを国勢調査の結果に応じて機動的に変えられるように制度設計したとしても、二世、三世の議員抑制にどれだけ貢献したのかは疑問がある。なにも候補者が数百キロの彼方に飛ばされるわけではない。世襲議員側も後援会同士で調整しあうなど、それなりに対応してくるのではないかと思われるからだ。
だから、投票価値の不平等と世襲問題というのはいくらか関係はありそうだが、抜き差しならぬ深い縁になっているかどうかまでは本書を読んでも確信がもてない。その意味でも、ふつうは強く結びついているはずのタイトルと内容との関係に、齟齬をきたしていると感じてしまうのである。
あんまり、こういうことにこだわらないほうがいいのかもしれないが・・・どうしても・・・ねえ。
本書は、小選挙区で2.3倍もある「一票の格差」をなくすべきという問題提起の書としての価値はある。それと、複数回の定数訴訟における反対意見を集めた資料として使えるといったところになる。