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紙の本
魯山人でもてなす。 (コロナ・ブックス)
著者 八勝館 (器・料理),伊藤 千晴 (写真),コロナ・ブックス編集部 (編)
「器は料理のきもの」と語った北大路魯山人。魯山人の器に、四季折々の料理を盛り付け、器本来の美しさを味わう。美と食の天才の世界を、ゆかりの料亭八勝館が再現する。魯山人のやき...
魯山人でもてなす。 (コロナ・ブックス)
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商品説明
「器は料理のきもの」と語った北大路魯山人。魯山人の器に、四季折々の料理を盛り付け、器本来の美しさを味わう。美と食の天才の世界を、ゆかりの料亭八勝館が再現する。魯山人のやきものも紹介。【「TRC MARC」の商品解説】
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“もてなす”ことは、簡単なようで難しい。だからこそ、魯山人のように、本質を見極め精進していきたい。
2009/06/16 15:10
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:蜜香 - この投稿者のレビュー一覧を見る
北大路魯山人(1883-1959)は、書の世界から、器(陶芸)と料理の世界へ方向転換し、器の“デザイナー”にして美食を追及した人物である。私は魯山人の器に興味を持ったのは、15年ほど前のこと。世田谷美術館かどこかで、魯山人の展示会を催していた。そこで目にしたものは、野山を思わせ、雄大な自然すら感じる素晴らしい器の数々で、心惹かれるものだった。
魯山人の言葉には、【料理をつくる者は、つとめて価値ある食器に関心を有すべし】、【天然の味に優る美味なし】、【味に自信なき者は料理に無駄な手数をかける】などの名言がある。私が好きな言葉は、「魚というやつは、おもしろいものだ。じっと目を放さずに、見つめていると、なかなか焼けない。それなのに、ちょっとよそ見をすると、急いで焦げたがる」。魯山人も、魚を焼くたびにハラハラと神経を使っていたようで、身近な存在に感じることができる。
本書では、カラー写真(一部モノクロ)によって、魯山人の器と、名古屋の八事にある「八勝館(魯山人が器と料理を託した料亭といわれている)」の料理と中庭の美しさを、魯山人の名言の数々を織り込ませてた解説で、余すことなく伝えてくれる。魯山人好きには、楽しくてたまらない内容のはずだ。「八勝館」での、いまも二百五十種類を超えるという魯山人の器で出される料理は、「お客様の驚きを考えながら器を選び、料理を盛り付けています。その演出の仕方にこそ、日常を離れた料理の味わいがあると考えられているからです」と料理長は語る。
【懐石料理でもてなす:春、夏、秋、冬】、【中庭、田舎家、御幸の間を愛でる】、【茶懐石でもてなす:春、夏、秋、冬】、【魯山人のやきもの:備前など約100点以上】、【魯山人と八勝館】、【北大路魯山人】、どこを見開いても魯山人の世界を感じることができる。懐石料理とは、四季折々の食材を用いた、美しい日本料理のことを言う。【春】の懐石料理の献立≪先付≫は、「油女焼霜平造り、墨烏賊、もろきゅう、春蘭、加茂川苔、紅蓼、大葉、山葵」、続いて、≪口取・煮物・造り・木の芽田楽・焼物≫と献立を眺めていると、器と料理の美しさにため息がこぼれる、まさに、魯山人が残した有名な言葉「衣装が婦人の生命でありますならば、食器はお料理の生命であるといえましょう。(中略)食器は食物の容れものであると同時に、趣味のきものであるから」。
魯山人の時代は、日本に初めての給食(1889年)が始まったり、ポテトサラダ、シチューなどの「西洋料理」が登場し始めた、近代化の時代であったはずだ。飽食の時代の今、食材を生かし、≪おもてなし≫の心をもちながら、魯山人の器のように味わいのある深い日本の食文化を、次世代へと繋げていきたいものである。