紙の本
いま何かを求めて
2011/03/01 05:07
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投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
すでに40年以上も前の出来事となった学生運動・反戦運動を語る書の出版があいかわらず続く。
その極みとも言うべきが本書である。上下巻あわせると2千ページを超えるという大著であるが、これが“意外と”売れているらしい。近年の出版不況の中で、この種の本としては上々の2万部近い売り上げだそうだ。
その他、「1968」「全学連」「全共闘」「ブント」などの言葉で書籍を検索すると、予想以上の新刊本に出くわすことに気付く。
いま、いったい誰が何のためにこれらの書を記しているのか。そしてそれが出版されるということは、きっとそんな書を求めるニーズが、現代の日本の社会の中にも存在するということなのであろう。いったい、誰が何を考えてこれらの書を求めているのか。
書く者も、読む者も、どうやら単なるノスタルジーからではなく、何かを“あの時代”に求めているようである。それが何であるかを考えることは、きっと、現代において満たされぬ、あの時代に確かに存在し多くの者が追い求めた何かを見つけることができるのではないか。
あの時代の学生達がすべて政治的に早熟で活動的であったわけでは決してない。1968年を頂点とする学生運動の季節も決して長くはなかった。1967年の羽田での佐藤首相訪ベ阻止闘争から拡大した運動も、1969年の東大安田講堂攻防線で一応の終局を迎えた。行き場を失った者たちが逃げ込んだ運動も、1970年のよど号ハイジャック事件、1972年のあさま山荘事件などで完全に終結した。完全に一般国民の希望や迎合と分離してしまった。
そんな「一瞬で拡散し発散した運動」であるが、あの時代に有し、そして現代では失われた大切なものを再発見する旅をしたいと思う。
歴史に範を求めることが、進歩・発展にとって需要な要素となることは自明のことであり、そうであれば、あの時代を検証することは必要なことである。
本書のような本が、かつての時代を直接経験していない若い世代にも読まれていることは、非常に喜ばしい。現代の混沌とした政治情勢をこれから引き継ぐことになる世代に多く知って欲しい。
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投稿者:ビーケーワン - この投稿者のレビュー一覧を見る
序 章
第1部
第1章 時代的・世代的背景(上)―政治と教育における背景と「文化革命」の神話
高度成長と議会制民主主義への不信/都市の変化と人口状況/教育界の変貌/生徒たちのメンタリティ/ベトナム戦争の影響/「加害者意識」と貧しさ/「政治と文化の革命」という神話/「神話」誕生の背景
第2章 時代的・世代的背景(下)―高度成長への戸惑いと「現代的不幸」
幼少期との文化ギャップと「量の力」/少年期文化の影響/性にたいする感覚/大学での経験/教授からみた学生像/空虚感と「現代的不幸」/「空虚さ」から「政治運動」へ/言葉にならない「現代的不幸」へのもがき
第3章 セクト(上)―その源流から六〇年安保闘争後の分裂まで
敗戦と「全学連」の誕生/共産党の穏健化とブントの結成/ブントと六〇年安保闘争/安保闘争の盛りあがりと「敗北」/ブントの分裂/学生運動の低迷と内ゲバの開始/「中核派」と「革マル派」の誕生
第4章 セクト(下)―活動家の心理と各派の「スタイル」
ベストセラーになった活動家の日記/活動家たちの日常生活/活動家の出身階層と家庭環境/社会的開眼とマルクス主義理解/活動参加の契機と運動への見解/運動への迷いと内ゲバへの見解/無関心派の学生たち/セクトの「スタイル」/セクト加入へのパターン/「カッコよさ」と「ファッション」/セクトの自治会支配と権益/セクトと叛乱の関係/反戦青年委員会
第2部
第5章 慶大闘争
闘争の自然発生と高度成長のひずみ/バリケード内の「直接民主主義」と「日吉コンミューン」/闘争の実情と終焉
第6章 早大闘争
理科系拡充のための学費値上げ/「学園祭前夜」の雰囲気と「産学協同反対」/「教育工場」にたいする「人間性回復の闘い」/闘争長期化と一般学生の乖離/闘争の泥沼化と内部分裂/共闘会議の孤立と闘争の終焉
第7章 横浜国大闘争・中大闘争
「大学自主管理」としての横浜国大闘争/「生き甲斐」を求めての運動/自主管理の現実と限界/六五年末の「中大コミューン」/セクトの独走に終わった明大闘争/勝利におわった中大闘争/大学闘争の「一般法則」
第3部
第8章 「激動の七ヵ月」――羽田・佐世保・三里塚・王子
第一次羽田闘争/批判一色だったマスコミ/「10・8ショック」/少数派だった「10・8ショック」組/「完敗」だった第二次羽田闘争/転機となった佐世保闘争/戦争の記憶との共鳴/学生と市民の対話/三里塚闘争の開始/暴動と化した王子野戦病院反対闘争/触発とすれちがいと
第9章 日大闘争
恐怖政治下のマンモス営利大学/日大闘争の爆発/日大全共闘の結成と「主体性」/全学ストと世論の支持/バリケード「解放区」の実情/九月の闘争高揚/支持の減少とセクトの侵食/「大衆団交」の実現/苦境におちいった日大全共闘/東大全共闘との共闘の内実/日大を追われた全共闘/闘争終焉と変わらなかった日大
第10章 東大闘争(上)
東大闘争の特徴/医学部闘争の性格/医学部不当処分事件の発生/安田講堂占拠と機動隊導入/「大学の自治」観の世代間相違/全学的に火がついた東大闘争/噴火した大学院生の不満とミニメディアの氾濫/安田講堂再占拠と闘争の質的転換/東大全共闘の結成/全共闘と一般学生の乖離/「民主化闘争」「学内闘争」としての初期東大闘争/東大全共闘の特徴/「八・一〇告示」と全学封鎖闘争の開始/研究室封鎖と「自己否定」/学部学生に波及した「自己否定」/全学ストの成立と大河内の辞任/「進歩的文化人」への反感/「闘争の高揚」の実態/「言葉がみつからない」/民青の「行動隊」導入/共産党の方針転換と全学封鎖の挫折
第11章 東大闘争(下)
文部省の対策と加藤新執行部の登場/「七項目」の限界と全共闘の「政治」嫌悪/「民主主義」批判の台頭/学内世論の動向とゲバルトの横行/共鳴と反発の双方をひきおこした「自己否定」/第三勢力の台頭/「東大・日大闘争勝利全国総決起集会」の内幕/ノンセクトの台頭とリゴリズムへの傾斜/闘争の荒廃と内ゲバの激化/逃された「勝利」の最後の機会/セクトの思惑と大学院生のメンタリティ/代表団交渉と最後の内ゲバ合戦/安田講堂攻防戦前夜の舞台裏/攻防戦の開始と終焉/運動の後退と丸山眞男批判/闘争のあと
註
紙の本
「あの時代」から現代の原点をさぐる――著者のことば
2009/06/30 11:39
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投稿者:ビーケーワン** - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「1968年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的にあつかった、初の研究書である。
これまで、「あの時代」を語った回想記などは大量に存在したが、あの叛乱が何であったのか、なぜ起こったのか、何をその後に遺したのかを、解明した研究はなかった。その一因は、あの叛乱が当事者たちの真摯さとはアンバランスなほどに、政治運動としては未熟だったためだと思われる。そのためあの叛乱は、当事者の回想記などではやや感傷的に語られる一方、非当事者からは一過性の風俗現象のように描かれがちだった。
そこで著者はあの叛乱を、政治運動ではなく、一種の表現行為だったとする視点から分析を試みた。すると、さまざまなことが明らかになってきた。
「あの時代」は、それまで発展途上国であった日本が、高度成長によって先進国に変貌する転換点だった。それまでの政治や教育、思想の枠組みが、まるごと通用しなくなりつつあった時代だった。そしてあの叛乱をになった世代は、幼少期には坊主刈りとオカッパ頭で育ちながら、青年期にはジーンズと長髪姿になっていた。都市や農村の風景も、急速に変貌していた。こうした激しいギャップが、若者たちにいわば強烈なアレルギー反応をひきおこし、それが何らかの表現行為を必要としたのである。
また当時は、貧困・戦争・飢餓といった途上国型の「近代的不幸」が解決されつつあった一方で、アイデンティティの不安・リアリティの稀薄化・生の実感の喪失といった先進国型の「現代的不幸」が若者を蝕みはじめた日本初の時代だった。摂食障害・自傷行為・不登校といった、80年代以降に注目された問題は、すでに60年代後期には端緒的に発生しつつあったことが、今回の調査でみえてきた。
そのなかで若者たちは、政治的効果など二の次で、機動隊の楯の前で自分たちの「実存」を確かめるべくゲバ棒をふるい、生の実感を味わう解放区をもとめてバリケードを作った。いわばあの叛乱は、「近代」から「現代」への転換点で、「現代的不幸」に初めて集団的に直面した若者たちが、どう反応し、どう失敗したかの先例となったのである。
本書が2000年代のいま、「あの時代」をとりあげる意義はここにある。「あの時代」の叛乱を、懐古的英雄譚として描くなら現代的意義はない。現代の私たちが直面している不幸に最初に直面した若者たちの叛乱とその失敗から学ぶべきことを学び、彼らの叛乱が現代にまで遺した影響を把握し、現代の私たちの位置を照射すること。本書の目的はそこに尽きる。そこから読者が何らかのものをつかみとってくれるなら、著者にとってこれ以上の幸いはない。
著者紹介
小熊英二(おぐま えいじ)
1962年東京生まれ。1987年東京大学農学部卒業。1998年東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教員。
*新曜社HPより転載
紙の本
アーカイブ記事でこさえたジオラマ
2009/10/23 14:06
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前住んでいた町に長谷川町子美術館があった。そこで磯野家のミニチュアが展示してあった。2Dアニメーションが3Dになったって感じで、やけにリアリティを持っていた。この本もなんかそんな心持ちにさせてくれる。
なんでその当時の若者は、学園紛争に走ったのか。を、例によって膨大な二次資料(新聞、雑誌などの引用)をバリケードジオラマ化して、読む者を1968年当時にタイムスリップさせる。
かつての全共闘闘士にインタビューなどという方法もあるが、いかんせんタイムラグがあり過ぎ。記憶の欠落や改ざんなどもあるかもしれない。それよかは、当時の記事を当たった方が、まだその時代の空気を伝え、リアルだろう。ニュースのアーカイブフィルムのように。
で、いつものように作者の<私性>は、見事に消されている。引用の選択に作為があると言えなくもないが、作者の言いたいことは、こっそりと行間に埋め込まれているのだろう。
ああそうだったのかと思いつつ厚い本のページをめくる。だって東大の安田講堂の事件は、ぼくが中二のときだもの。
「一九五〇年代には、「学校の雰囲気は明るく、生徒たちは伸び伸びし、教職員も生き生きしていた」」
「決定的な変化は、六〇年代に高度成長に必要な人材育成政策が教育に導入されたことと、
進学率の急上昇と受験競争が出現したことから起きた」
「職業課程を切りすてた普通学校のほうは、大学受験の予備校と化していったのである」
「こうした教育と学校の状況変化は、児童たちを確実に追いつめていった。そして彼らは、大学入学後、その不満を全共闘運動というかたちで爆発させることになるのである」
ベビーブーマーとして生まれた団塊の世代は、競争の世代でようやく受験戦争を勝ち抜いて大学に入学する。ところが、マンモス授業で、教授は10年1日が如き退屈な授業。こんなはずでは…。挙句の果てに、入学金や授業料を設備充実のためなどという名目で値上げする。
作者が大学経営のいい加減さを取り上げている。財テク失敗で赤字などいまも騒がれているが、昔からのようだ。ツケは学生、いやその親に回る。で、経済学部や経営学部があるというのも、なんだか皮肉というべきか。
「「戦後民主主義の申し子」たる彼らが、ベトナム戦争を契機に「戦後民主主義」を「欺瞞」とみなしだすと同時に、戦後教育で教えられてきた「明るく、元気に、すこやかに」という原理の延長で全共闘運動をおこした両義性がうかがえる」
近親憎悪とでもいうべきか。へぇと思ったのが、ここ。
「橋幸夫と舟木一夫で育った世代が、いま自分を根っからの「ビートルズ世代」と思い込んでいるのと、それは似ている」(亀和田武の「偽の60年代モードが主流だなんて」より引用の一部引用)
渋谷陽一の同趣旨の発言も引かれていたが、割愛。
実はビートルズは、デビューの頃はごく一部にしか受けていなかったそうだ。小学校の担任が来日したビートルズのことを「男のクセに髪が長くて」とか言っていたな。
「「全共闘世代」は実態とかけはなれている。まず六五年の大学進学率は一七.〇%、七〇年は二三.七%で、この世代の約八割は大学に進学しておらず、全共闘運動とも無縁だった」
「ビートルズ世代」と「全共闘世代」がほんとうはマイナーだったことは面白い。なんだか追体験、もしくは妄想あるいは、オフィスや酒場で部下に自分をよく見せたいがために、
自称、詐称しているのではなかろうか。作者は、「全共闘世代」がマスコミで活躍しているから、そういう印象が強いのではと述べている。
「当時は学生活動家が「カッコイイ」存在であり、「女の子にもてた」こと、こうしたノンポリ学生であってもマルクスを読みデモに参加するという時代だったことは、一定の事実といえよう」
意外とそんなことだったのかもしれない。「全共闘運動とも無縁だった」非大学生とて、全共闘運動にはシンパシーを感じていただろう。
「女の子にもてたい」は、男子にとって永遠不滅のモチベーションかと思ったら、最近は違うらしいが。
『二十歳の原点』高野悦子著を友人から借りて読んだが、清楚な顔立ちにモエてしまった。
『青春の墓標』奥浩平著を読んで、彼が中核派、ガールフレンドが革マル派で「ケルンパーはパーね」とかいう会話には、よく理解できなかったが、カッコイイと思った。
「当時の学生運動では、東大や京大出身の活動家が理論的リーダーとなり、法政・明治・中央などのマンモス私大の学生がゲバルト要員とされることも少なくなった」
はは、日本企業のヒエラルキーのまんまじゃん。その時代は、終身雇用制&年功序列もがっちりあったわけで、一流じゃない大学に入った者は、一流じゃない会社にしか就職できず、一流じゃない人生を歩んでいくという未来図が厳然と示されていた。
ナーンセンッス!か。
日大全共闘議長秋田明大と東大全共闘議長山本義隆、二人のエピソードが特に興味を引かれた。少しは知ってはいたが、通して読むと発見があった。共に弁が立つタイプではなかったようだ。どちらかといえば不器用でフェア。信望が厚い。そのあたりが、大学闘争のリーダーに担ぎ出されたようだ。闘争後、二人は学園闘争から身を引く。将来の東大教授を嘱望されていた山本は、予備校の講師となっていわば在野で素晴らしい物理学史関連の著作をものしている。
バリケードの中の自由な解放区。「明るく、元気に、すこやか」な空間。しかし、束の間だった。
祭りのあと、あとの祭り。1968年と2009年。大学生は変わっただろうか。大学は、実は、本質のところは何も変わっていないような気がする。
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1960年代、1970年代における様々な学生闘争について、記述した大著。
結局、第1,2章で言っていることに尽きると言えるし、語り口にはやや恣意性が見られるように思う。
しかし、学生闘争に関して充実した研究がないこともあり、資料的な価値は非常に大きい。
そもそもなぜ学生たちは闘ったのか、考えだすと終わらないが,それに対する回答を少なくとも一面的には与えてくれる、非常に意義のある本である。
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全部を通読することは難しかったので、著者の用意したガイドラインに沿って読んでみた。
当時の学生運動を、その時代に現れた現代的不幸に対する抵抗と捉えるのは、本当に今生きている私達が抱えている問題と変わっていないと感じた。
特に僕自身の問題に置き換えても、大学を真理の追究の場とする理想主義から脱却できない幼稚さ、というのが当時からあり続けた在り方であり、僕はもし40年前に大学にいたならば、必ず全共闘に入っていただろうなと想像した。
左だの右だの関係なくて、何となく感じる居心地の悪さを非言語的に訴えるだけではいけない。それがあの時代の教訓ならば、やはり我々は歴史を学び、今を学び、それを言葉にしていかなければならない。
しかしその言葉は、この多様化した世界において、多くの人々に伝わりきるだろうか。きっと伝わりきらないのだと思う。だから、分散的に用意されたメディアに強い言葉を運んでいくこと、またそのような強い言葉を不透明な情報の海から拾い上げることが重要だと感じた。
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本屋で最初に見たときに、またえらいゴッツイ本やなと思っていた小熊英二の『1968』の、とりあえず上巻を図書館で借りて読む。こんな厚くて高い本は近所の図書館で買わないことにしたようで、相互貸借でヨソからの借り物。
上巻だけで1000ページ以上あり(うち、註が100ページほど)、
とにかく重い。返す前にはかってみたら、1.4kgもあった。ええ加減にせえよという重さで厚さである。今までの本もかなり厚くて重い本だったが、それでも持ち歩いて読めた。
これはあまりに重くて、読みにくい。手に持っても重いし、好きな場所で好きなかっこで読むことも難しく、仕方がないので机に置いて読むようなことになる。どうせゴッツイ本やねんから、せめて上・中・下にでも分けて、もう少し軽くしてほしい。重すぎる。
布団の中でついついイッキ読みというわけにもいかず、またせっかくヨソから借りてもろたしという気持ちもあり、休みやすみ、やっと返却期限までに読む。
タイトルそのまま、これは「1968」年、心当たりのある人にとっては"あの時代"を研究した本である。
上巻は、「時代的・世代的背景」から始まり(1、2章)、「セクト」各派の思想やスタイルについてのお勉強(3、4章)、そして、著者が"あの時代"の始まりと位置づける1964年の慶大闘争(5章)から、1965年の早大闘争(6章)、1966年の横浜国大闘争・中大闘争(7章)が描かれ、羽田・佐世保・三里塚・王子という「激動の七ヶ月」の闘争(8章)をはさんで、日大闘争(9章)、そして1969年の1月の安田講堂攻防戦で終わる東大闘争(11、10 章)を資料によってひたすら語って、1000ページ近い本文が終わる。
つまり上巻は、羽田や佐世保、三里塚といった大学生が参加した闘争の話もあるが、主に大学という"コップの中の嵐"を書いたものである。(下巻は、目次によれば大学闘争が高校に飛び火した話や、ベ平連、連合赤軍やリブの話が出てくるらしい。)
さすがに疲れた。最初のほうの時代の話や初期の闘争の話はともかく、さいごの2章は内ゲバの話が続き、われこそは正義の暴力、正しい暴力といわんばかりのセクト各派の暴力的な主張と、たっぷりの資料で語られる暴力の言動にうんざりした。
全共闘"世代"と言ったりもするが、あの当時、大学進学率が上がりつつあったといっても、進学者はまだ少ないものだったし(団塊の世代ということで、ボリュームは増えていたとはいえ)、その中でも闘争に参加したのはせいぜい2割ほど。全共闘なり大学闘争の渦中にいた人たちは、同世代のうちのごくわずかな数であり、これを世代の経験として語るには無理がある。にもかかわらず、全共闘"世代"という言い方があるのは、大学まで進学した人たちが、そうでなかった人たちに比べて言語による表現力の点で相対的にまさっていたからだろう(回顧録の類は山のようにあるのだ)。
どこかの章で闘争に参加した活動家の話が引かれていたが、同世代の7割以上がすでに世の中に出て働いているというその認識どおりなのだろう。
私は、中2のときの担任の先生がなぜか卒業のときに高野悦子の『二十歳の原点』をくれて、���れを高校生の頃に読み、この高野の日記で名前の出てくる奥浩平の『青春の墓標』も読み、大学に入ってからだったと思うが60年安保で亡くなった樺美智子の『人しれず微笑まん』も読んでいた。
読んでいたが、それはほとんど"青春の煩悶モノ"として読んでいたようなもので、高校生の頃にこれを読んだころには、高野や奥の日記に出てくるセクト名や、代々木、反代々木というのが何のことだかわかっていなかった。
さすがに今は、代々木、反代々木くらいは知っているが、今回この上巻で「セクト」の話を読んで、革マルとか中核とかブント、その他いろんなセクトの"違い"がなんとなくわかった。
へーそうなのかと思ったのは、佐世保闘争の際に、報道のなかで、「群衆」を肯定的に評価したときに「市民」という表現が使われるようになった、という話。
それから、あの時代の、すべての既存の価値や権威を疑ってかかったような闘争に参加した活動家たち、とりわけ男性が、なぜ、女性が食べる世話をすることや補助的な役割を担うことについては、何ら疑いもせずに受け入れていたのか、という問いが、女性活動家の手記などから引かれていて、そこはやはり印象深かった。バリケードの中で、ずっとおにぎりを握りながら、明日からはやらへんデ、と思うような話がとくに。
1968年といえば、永山則夫による連続射殺事件があった。永山則夫は1949年生まれ。同世代で大学へ進んだ者は、この「1968」前後の闘争に参加していたりもするわけだが、永山は中卒で集団就職している。この世代は中卒、高卒で就職した者のほうが多かったのであり、数の上からいえば、全共闘"世代"というよりは金の卵"世代"といってもいいのだろうと思う。
少なくとも、生まれた場所や家庭環境や性別、出生順位などによって、"あの時代"は相当違ったものだったんやろうなあと思う。
たしか書評で橋爪大三郎が「テキストのゴミ屋敷」と書いていたが、さすがに、もうちょっとつまんでもええんちゃうんかなとは思った。まあこういうゴッツイ本にするのが、これまでどおり小熊スタイルなのかもしれない。それとこれも小熊スタイルなのかもしれないが、歴史的表現あるいは資料のママというだけではない「父兄」表現が頻出するのは、わざとなのか、無意識なのか、何だろうなあと思ったのであった。べつに保護者と言い換えろという意味ではないが。
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安田講堂の頃、まだ物心もついていなかった私にとっては、当時のことを理解する上で貴重な本。学生たちが何を考え、何の為に戦い、そしてどのように挫折したのかを理解する端緒となる。
また、それは同時に、自分自身が無意識のうちに影響を受けている、その後の時代の思考を理解することにつながる。
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1960年代から1970年代にかけて、若者、特に学生の社会運動が盛んだった時期がある。本書では、その若者の社会運動のことを、「若者たちの叛乱」と呼んでいる。本書は、その「若者たちの叛乱」をテーマにしたものである。
本書の描き出そうとしているものについて、また、それを描き出そうとする意図について、筆者は下記のように記している。
【引用】
■本書は全共闘運動をはじめとした「あの時代」の若者たちの叛乱、日本の「1968年」を検証する。その目的は、過去の英雄譚や活劇物語として「1968年」を回顧することではなく、あの現象が何であったかを社会科学的に検証し、現代において汲みとれる教訓を引きだそうとすることである。
■本書のメインテーマは、高度成長という社会的激変の時期に、若者たちがどのような状況に直面していたか、彼らの集合的メンタリティがどのようなものであったか、その表現としてどのような活動をしようとしていたか、それがいかに失敗したか、その結果として何が日本社会に遺されたか、といったことである。
■「あの時代」の叛乱を、それぞれの立場から回顧した回想記は、数多く出ている。しかし、それらは「あの時代」の叛乱の全体像を描いたものではない。またあの叛乱がなぜ起きたのか、それが日本社会や世界にどんな意味をもち、何を残したかなどを総合的に検証した研究は、いまのところ存在しない。わずかに、社会運動の先駆例として研究した論文がいくつか存在するていどである。
【引用終わり】
筆者は、社会学者である。上記で述べられているように、筆者は「あの時代」を研究の対象として取り上げている。従って、本書は、「研究書」という位置付けとなる。
本書で取り上げられている「あの時代」は、1965年の慶応大学での学費値上げ反対闘争から1972年2月の連合赤軍事件までと筆者は設定している。上巻では、慶応大学闘争から、早稲田大学、横浜国立大学、中央大学、日本大学、そして、1968年から1969年にかけての、東京大学での闘争までを扱っている。
本書は、大著だ。上下巻それぞれが1000ページを超えるボリュームを有している。この感想を書いているのは、上巻を(やっと)読み終わった後であるが、1000ページを超えるものを読むのは、かなり大変だった。
以上が、本書の概要の紹介。
私は1977年から1981年にかけて都内の大学に通っていた。本書の題名になっている「1968」、また、「あの時代」からは、おおよそ10年後のことになる。「あの時代」から10年後の大学には、大学紛争と呼ばれるものは存在していなかったが、その残滓はかすかに残っていた。セクトのメンバーが、いわゆるタテカン(立て看板)を背景に、マイクを持ちキャンパス内で演説をしビラを配っている光景はよく見かけた。キャンパス内で暴力的な衝突を見かけたことはなかったが、それでも、セクト間の内ゲバのニュースを新聞やテレビで見ることは多かったし、学内キャンパスで相手党派を批判する演説もよく聴いた。ウィキで調べてみると、私の大学2年生の年にあたる1978年には、内ゲバ事件が32件起こり、死者数7人、負傷者数45人を数えている。
演説の論旨はよく覚えていない。「日帝」「米帝」等の��葉はよく使われていたと記憶しているし、左翼運動なのだから、「この人たちは日本で革命を起こすことを目指しているのだろう」と漠然と思っていたことは記憶している。
私がこの小熊英二の「1968」を読もうと思ったのは、私が大学時代にキャンパスで見かけたものについて、「あれはいったい何だったのだろう?」という単純な疑問からだった。
下火になっていたとはいえ、私が大学で見かけた学生運動と、「あの時代」の学生運動は同じものを目指していたのだと思っていた。すなわち、「あの時代」の学生運動・大学紛争も、当時の時代を考えると、70年安保闘争だとか、ベトナム戦争反対だとか、成田空港闘争だとかといった具体的な案件はあるが、最終的には日本に革命を起こすための運動だと思っていた。要するに、「あの時代」に盛り上がった運動が下火になりながらも、何とか私の大学時代まで続いていたと考えていたのだ。
だいたいはそういうことであったが、経緯を見ると、事情は少し異なっていたことが、本書を読んで分かった。
小熊英二が「あの時代」の起点とした慶応大学の紛争は、学費値上げ反対闘争であった。その後の各大学の紛争も、きっかけは、学費値上げや授業環境の改善(学生数の増加に教授の数や質、または大学施設が追いついていなかった)、前近代的な大学運営の改善等をターゲットとした、「大学を良くしていこう」ということを目標とした運動として始まっていたのだ。それは、左翼運動とは直接的には関係のない、具体的な要求項目を持つ民主主義闘争・経済闘争からスタートしていた。ところが、途中から運動の性格が2つの理由で変わっていく。
1つ目は、参加している学生が、運動自体に生きがい、やりがいを感じ始めたことである。東大医学部の闘争を例にとって、筆者は以下のように記述している。
【引用】
こうして、研修医待遇改善という具体的な「経済闘争」として始まった東大闘争は、安田講堂再占拠を転換点として、高度成長下で「現在的不幸」に直面していた若者たちが「生きている」実感をつかむ表現行為に変化していった。
【引用終わり】
また、2つ目はセクトの参加である(セクトとは、左翼運動を進めるグループのことで、東大闘争の時には6つのセクトが参加していた。セクト間の仲は基本的に悪い)。セクトは革命を目指す活動家の集団である。彼らが大学紛争に参加し、ヘゲモニーを握った後の状況を小熊英二は、同じく東大闘争を描写して、下記のように書いている。
【引用】
■もともとセクトは、大学闘争を「学内改良闘争」にとどめず、資本主義打倒の足場にしようという意図があった。そのためには、東大闘争の目的は社会変革であるという認識を東大全共闘メンバーに浸透させ、70年安保闘争までバリケードを維持する必要があった。
■東大全共闘の支持が少数派になった以上、自治会を握って大学当局と妥協するメリットは望めない。だとすれば、あとは闘争をできるだけ長引かせ、自派の存在をアピールし、東大生の活動家を一人でも多く獲得するのが得策となる。これがセクトの論理であった。
【引用終わり】
セクトは一般学生の支持を失っていた。従って、東大闘争は、セクトが「闘争自体を目的に」「一般学生の支持を得ずに」行っていたものとなる。また、セクト間の仲が悪く、それは、いわゆる「内ゲバ」に発展していく。
整理して言えば、民主主義闘争・経済闘争からスタートした学生運動は、運動すること自体が目的となり、一般学生の支持を得ないセクト活動家が進める運動となり、また、セクト間では内ゲバが絶えないものとなっていった、ということになる。私が大学時代に出会った光景は、その延長線上の話であったのだ。
もう一つ、ぜんぜん別の話をしたい。
私は庄司薫の、「赤頭巾ちゃん気をつけて」から続く4部作が好きである。「赤頭巾ちゃん」の主人公である薫くんは、当時の東大への進学トップ高校である日比谷高校3年生であるが、東大入試が中止となってしまうという災難に見舞われる。そして、その年には東大以外の大学も受験しないことを決心する。要するに、「1968」で紙数を多く割いて書かれている東大闘争のとばっちりを受けているのだ。
「赤頭巾ちゃん」は1969年2月9日の日曜日を舞台としている。東大の安田講堂の攻防戦が行われたのが、1969年1月18・19日、その後に、その年の東大入試は中止と決定されているので、小説の舞台となっている2月9日は、それらの騒動の直後のことである。
東大闘争が始まった1968年に、主人公の薫くんは、大学受験を控えた日比谷高校の3年生であり、東大の法学部を受験することを予定していた。そういった状況の中での、東大闘争であり、高校3年生の薫くんは、自分の受験がどうなるのかという心配以外に、闘争に参加している学生の主張や大学側の対応について、色々と自分なりに考えていたはずであるし、ひいては、あるべき世の中像や、その中での自分自身の役割等について考えていたはずである。その上で、その年に大学を受験しない決断をしているのである。この部分は、小説の中では全く触れられていない。触れられていないが、薫くんのキャラクターや小説の中で薫くんが考え、語ることに重大な影響を持っているはずである。今回、小熊英二の「1968」を読んでみて、そういったことを、ある程度、リアリティを持って、感じることが出来た。小説を読む時には、こういった時代背景の理解も大事なのだということに、あらためて思い至った。
とまあ、本書の長さに影響されたのか、長い感想になってしまった。
1000ページを超えるものであったが、平易に、読みやすく書かれていることもあり、私自身は楽しく読んだ。これから、下巻の1000ページにトライする。
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発売当初は評判になり図書館も予約が多く借りるのは諦めていましたが、今はすんなりと借りる事が出来ました。
これだけの資料が載っているのは貴重ですが、でもこんなに大きく厚くする意味が有るのかどうか、殆どが資料の2次利用で著者が直接話を聞いたりとかは無いようです。
実際には拾い読みしながら興味のある所を読んだだけですが、その時代に生きてきた者にとっては特別に目新しい事もなく自分の過ごしてきた時代の再確認とはなりました。
重たいので下巻は読まなくとも好いかと感じています。
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分厚くて、絶望感漂うが読みやすい。この時代と現代の共通点を見出していて、非常に面白い。最後の方の狂気っぷりもいい
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私のご師匠様が書かれた、全共闘テーマの非常に浩瀚な書であります。400字原稿用紙6000枚らしい笑)従って、いろんな見方ができるが、私は「現代的不幸」についてのテーマが一番印象に残った。1968年から40年以上立つが、現代的不幸についての問題はあまり進展がないように思える。むしろ、過去と同じ過ちを繰り返し、失敗しているケースが多くある。
とりあえず既存の世界をぶっこわしたところでその先に何もない。誰も幸せになれない活動が横行している。
そんないろんな事件を狂気として片付けず、「現代的不幸」の視点をもって、詳しく見ていく。そこから現状を打破するプロセスや方法を考えていく。そのためには本書の主張するように自分たちを取り巻いている状況から手がかりを一つずつ探して行くしかない。
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ネットで図書館に予約したんだけど、本を取りに行ってみて、ビックリしてひっくり返った。
めちゃくちゃ分厚い本なんだよ。
デカすぎるだろ!って、ツッコみそうになった。
それが、上下、2巻もある・・・・・・。
内容は、直接本人に会ってインタヴューする、とかじゃなくて、ひたすら、文献を読み漁って、書き綴っていく、という・・・・・・・。
なんなんだよ、コレっ???????
でも、読んでると、知ってる名前、というか、親しんだ名前がいろいろ出てくる。
中核とか革マルとか、時代錯誤も甚だしい団体名がゾロゾロ出てくるので、アッケに取られて、イッキに読んでしまった・・・・・つーか、イッキに読み飛ばしていった。
具体的に、目についた名前は、
(上巻)
鶴見俊輔、小田実、渋谷陽一p.76、宮崎学p60、吉本隆明、寺田修司、赤瀬川源平p.81、レヴィ=ストロース、フーコー、ラカン、バルト、デリダp.84、宮崎学、四方田犬彦、小阪修平、藤原新也p.104、秋田明大p.161、蓮見重彦、青木昌彦、西部すすむ、黒田寛一p.182、唐牛健太郎、大河内一男、立花隆、丸山真男
(下巻)
船曳建夫、川本三郎、筑紫哲也、浅田彰p.839、ウォーラーステインp.851、金子勝、重信房子
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<本書の研究対象>
1968年と通称されることのある若者たちの叛乱の時期を規定すると
1958年にブント(共産主義者同盟)が日本で結成された
~
1974年に、東アジア反日武装戦線による三菱重工ビル爆破
あるいは、1978年の成田空港管制塔占拠事件まで
p15序章
だが、本書では、
1965年の慶応義塾大学の学費値上げ反対闘争
~
1972年2月の連合赤軍事件
を一つの時代区分とする。
p16
<本書の主なテーマ>
高度成長という社会的激変期に、若者たちがどのような状況に直面していたか?
彼らの集合的メンタリティはどのようものであったか?
どのような活動をしようとしたか?
それが、いかに失敗したか?
結果として、日本社会に何が遺されたか?
本書では「1960年代の文化的革命」については、主たる研究対象にはしない。
p16
研究方法は、主に、文献調査手法の調書を活かすやり方。
p21
これは、著者が『単一民族神話の起源』以来、15年間とってきた手法を貫こうとしたものである。
p22
本書の主題は、あの時代の若者たちの叛乱を、日本現代史の中に位置づけなおし、その意味と教訓を探ることである。
p22
第1部
高度成長と議会制民主主義への不信 p25
1960年代の中高生「団塊の世代」にとって受験戦争がひどく抑圧的であった。
p48
ベトナム戦争の影響 p60
日本でゲイやレズビアンの社会運動が起こるのは1990年代から。
p76
「1968年の文化革命」なるものは、後年に神話化された部分が大きい。
p76
本書で「文化革命」を重視しない理由は
当時の文学や演劇、芸術、映画などの改革者は、吉本隆明、寺山修司、三島由紀夫、赤瀬川原平など、「戦中派」の人々であって、当時の若者ではないから。
p81
フランス現代思想が1968年の思想と称されることがあるが、これは事実に反している。
レヴィ=ストロース『野生の思考』
フーコー『狂気の歴史』『言葉と物』
ラカン『エクリ』
バルト『零度のエクリチュール』
デリダ『グラマトロジーについて』
これらは、いずれも、1950年代から1967年までの著作であり、1968年のパリ五月革命の刺激で生まれたものではない。p84
東大全共闘などは、ヒッピーの「感性の解放」には関心が無かった。
p87
アメリカのニューレフトは、中上層出身が多く、豊かな文化的背景を持ち、新しい文化にも通じていたのに対し、
日本の学生活動家は中下層出身が多く、文化活動をする時間的経済的余裕が無かった。
p96
全共闘の学生たちはバリケード内でマンガを愛読していた。
1970年3月よど号ハイジャック事件で、赤軍派の犯人グループは「われわれは『あしたのジョーである』」という声明を出した。
p112
日大全共闘の議長だった秋田明大(あけひろ)は、1968年の対談で述べた。
「まず第一に、人間として生きたいのだと宣言した」
秋田は、運動の具体的な展望や、理想とする社会のプランをまったく述べず、ただ、人間として生きたいと語った。これは、当時、他の先進諸国でもおきた学生叛乱にも共通していた。
つまり、言葉にならない閉塞感を打破したいという、もがき。
p158
若者たちは、不満や拒否を述べることはできても、何を求めているかを言葉にできなかった。
ソ連軍の1956年ハンガリー侵攻、1968年チェコ侵攻などで、彼らは既存の社会主義国に失望していた。さりとて、社会主義に代わる理想社会像を描く能力は無かった。
p160
彼らは、本当にマルクスを信奉していたのではなく、マルクスの言葉を流用して、自分たちの不満を表現していた。
p162
1953年スターリン死去。フルシチョフが平和共存を唱えて冷戦を緩和。
朝鮮戦争が休戦。
1956年フルシチョフがスターリン独裁を批判。
トロツキー再評価が1950年代後半から台頭した。
黒田寛一などが「日本トロツキスト連盟」を結成。
p180
唐牛健太郎全学連委員長
戦前の共産党委員長から右翼に転向した田中清玄は保守政治家、治安関係者、山口組組長、福田恆存やハイエクともコネクションがあった。
早大は革マル派の、法政は中核派の拠点となった。
p226
1966年当時
早大の民青系活動家だった宮崎学。
p248
アメリカでは、ニューレフト学生活動家は上流階層出身で、社会的ボヘミアニズムと政治的ラディカリズムとの間の新生児だった。
ヒッピーカルチャーなどと親和性があった。
p253
セクトごとのヘルメットのデザインの違いが一目で分かるページが面白い。p.299
何の役にも立たない。
大河内一男東大総長は、卒業式を行うためには警察力の介入も辞さないと記者会見で発言した。
p656
マルク���主義経済学者だった大河内一男は論壇などでは左派的な発言で知られていたが、学内での秩序維持のためには保守的だった。
p699
丸山は進歩的文化人の象徴とされていただけに、全共闘系学生の軽蔑は丸山に集中した。
だが、丸山批判には、無知や誤解もあった。
p969
下巻の最後が、『カッコーの巣の上で』の話で終わる、というのにも、驚いた。
なんなの、コレ?
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膨大な文献資料を読み込み、その実証的研究手法は評価されるべきだろう。全共闘を取り上げた文献は、数々あるが、「現代的不幸」を視点としたところに、著者の斬新な立場が 現れている。ただ「マルクス主義」の用法は、ロシア的展開、つまり俗にいう「マルクス・レーニン主義」を継承した、日本版「マルクス主義」といえ、違和感を感じざるを得ない。あのころは、マルクスと関連する書籍は、「共産主義」という一面だけをとらえて、ローザ・ルクセンブルクや毛沢東など「政治」に関わる書籍がほとんどで、マルクス自身が「わたしはマルクス主義者」ではないと言っていることから、著者の今後の展開に不安感を抱いた。
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1000頁を超える(脚注抜きで967頁)、しかも、頁内の文字数も圧倒的に多い超大作であり、とにかくその情報量に圧倒されます。その時代に高校生として生きていた自分の歴史と重ね合わせて、非常に充実感のある読書時間でした。それにしてもノンセクトラディカルなどという情緒的にかっこよさそうな言葉に憧れ、心情的に応援していた自分の知らない領域の話の多さに驚きです。セクト内ゲバについては中核派と革マル派の争いはあまりにも有名でしたが、その対決の本質は知りませんでしたし、学生時代に奥浩平「青春の墓標」という本があることを知りながら、読んでいませんでした。中核の奥が革マルの彼女との恋に悩んで、最後は自殺していくというあまりにも悲劇的な純粋な彼らに今さらながら共感し、心が動きました。また中核派メンバーの結婚式での騒ぎ・・・彼らが次第に過激に暴力学生と呼ばれざるを得ないところへ追い込まれていくところはドラマのように臨場感がありました。革マル派は文学部に勢力を張り、都会出身者が多く、理論派でありながら、批評が多く、行動しなかったために各派に嫌われたというところは面白かったです。一方、中核派は律儀で国鉄に乗る場合には必ず乗車券を買っていたが、3派を構成した社学同ML派、社青同解放派は無銭乗車を強行していたというのは楽しい逸話です。また各セクトの争いが純粋なことばかりではなく、自治会を押さえることによる資金の確保という意味合いがあったことは考えてみれば当然のことですね。日大の場合には膨大な資金になったようです。旧自民党の派閥と同じようなものです。65年・慶応大の学費値上闘争、66年の早稲田の闘争、横浜国大・中大その他、そして日大の封建主義的な古田体制打倒から全共闘が生まれ、東大医学部の待遇改善からスタートした全共闘誕生など、政治闘争というべきではなく、むしろ大学改革闘争であったという事実に、あまりにも無知であった自分が恥しくなります。あの頃問われた「大学とは」「自己否定」などがどこかへ行ってしまったことが淋しく、何がこのような現状に至らせたのかと空しい思いさえ起こってきます。1960年生まれの著者がこのような詳細な資料を調べているのはとにかく想像を絶する驚きです。