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商品説明
吉敷毛利家臣の末裔に生まれた中原中也の詩に宿る、キリスト教と東洋的美意識(=もののあはれ)。その詩心の本質を幕末維新の精神史の裏側にまで探り、近代日本の矛盾を読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
堀 雅昭
- 略歴
- 〈堀雅昭〉1962年山口県生まれ。山口大学理学部卒業後、製薬会社研究員、中学校臨時教師を経て文筆家となる。著書に「戦争歌が映す近代」など。
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紙の本
長州人、あるいはクリスチャンの影を背負った中原中也を読み解く。
2009/07/04 10:38
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中原中也という詩人の作品に対しての好き嫌いは別にして、おおかたの人は「ああ、あの丸顔で黒い帽子に黒いマントの人」と思いだされるのでは。明治の人にしてはしゃれている。
その中原中也については特異な言葉使いの作品もさることながら、三十歳という若さで亡くなった薄命の人、幼子を亡くして悲しみにふける人というイメージが強い。しかしながら、本書には中也の先祖の事柄からが綴られていて、逃れるに逃れられない宿命のようなものを炙り出すことから中也を語り始めている。
中也の詩を読んでいて、どことなくキリスト教の匂いを感じていたが、彼の祖父母がクリスチャンであったことを知り、あの時代にしては珍しいことと驚く。が、もともと長州はザビエルが布教に務めた土地だった。徳川幕府の時代においてキリスト教は禁じられていたが、隠れキリシタンによって長州ではキリスト教が受け継がれていたということか。もしかして、長州が頑強に倒幕に傾いた陰には幕府から無理やりに押しつけられた仏教に対抗するためだったのか。
個人的には、中也の「月夜の浜辺」という詩が好きなのだが、
月夜の晩にボタンがひとつ、
波打ち際に、落ちていた。
(中略)
月夜の晩に拾ったボタンは、
どうしてそれが、捨てられようか。
広い宇宙を空想させる言葉のなかで、偶然に拾ったボタンという神の存在を示唆するような出来事に、祖父母から受け継いだ中也の世界を感じる。
本書は「中原中也と維新の影」とあるように、長州藩士の末裔である中也にとって明治維新とはなんぞやということを検証する作品だった。と思うが、むしろキリスト教、仏教、神道、新宗教の観点から問い直しても良かったのではと思う。
巻末には中也の年表、作品に関する主要文献、中也に関係した主要人名が付けられており、中也研究の資料として便利にできています。