紙の本
読んで良かった。
2018/06/30 15:13
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
一度は読んでみたいと思っていました。
名作社会派古典、というイメージが強かった為もっと読みにくいのかと思っていましたが
読む人を引き込む見事な描写でとても読みやすかったです。
同じ理由で敬遠している人がいたら是非とも実際に手に取ってみてほしいです。
最初の数ページだけで十分魅力(と言うと語弊があるが)が分かるはずです。
紙の本
キミラハムダジニシテハナラナイ。ボクラハキミタチヲタスケルダロウ。
2011/02/23 21:18
10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」を収録した池澤夏樹編の河出書房新社版で読みました。
水俣湾はたった一度だけ鉄道で通過したことがありますが、それはまことにのどかな美しい海で、ここにチッソが有機水銀を垂れ流し、老人から胎児まで数多くの人々を毒殺し半死半生の目に遭わせた悲劇の海域とは思えないほどでした。
高度成長に必要なアセトアルデヒドを大量生産するために豊饒の海を徹底的に汚染し、己の排せつ物が魚類の摂取を通じて猫や人を狂わせつつあることを知りながらも、環境汚染をやめず、利潤の追求のために狂奔したこの企業を国家と国民は長期にわたって手厚く保護したのでした。
いつでも病者は弱く、健常者は権力に満ちあふれて強力無比な存在です。ダカラキミラハムダジニシテハナラナイ。シヌマデタタカワネバナラナイ。ボクラハキミタチヲイッシンニタスケルダロウ。
なにも悪いことをした訳でもないのに、魚を食べただけで狂い死ぬ人々を、当時厚生省の役人だった橋本という首相になった男は口をきわめて罵倒し、チッソの社員は「補償金で倒産させられる」なぞとほざき、善良なる水俣市民の多くも「一握りの患者のために市のイメージが悪くなって観光客が来なくなる」と総スカンだった。一方補償金をもらって人生を狂わせていく患者も現れるという具合に、悲劇が悲劇と笑えぬ喜劇も生みだしていくのです。
しかし完全な人災のゆえに身を滅ぼしていく悲運に甘んじる人たちの、なんと心優しいことよ。彼らに寄りそう著者の心のなんと驚くべき優しさでありましょう。社長との直談判で血書を書かせようと代表団は指を切ってちまみれになりなから、ついに社長の指は無傷である。社長に水俣の毒水を呑ませるといいながら、ついに一滴も飲ませられない。
そのうえ彼らは人世を達観し切った治者のように、黙々と死んでいきます。自らはチッソに毒殺されたことを重々知りつつ、彼らは「もう金もいらん。家もいらん。命もいらん」と言って果てていくのです。無垢の者の自己犠牲が、いつか殺人鬼を慙愧させる日が来ると信じているかのように……。
懺起懺起する患者も著者ももっと怒れ! 怒りを持続させよ! もっともっと憎悪をたぎらせよ! テンノウヘイカバンザイだと?これではまるで水俣病が彼らの天命といわんばかりではないか! 御詠歌なんかへらへら歌って事の本質を誤魔化すな!
そう怒鳴って、私はこの緑色のヒューマニズム120%の部厚い本を、無明の闇に向かって擲ったことでした。
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たくさん時間をかけて読みました。水俣病患者をかかえた家族の土着の言葉で語られる暮らしの中からの訴え。それを丁寧に丁寧に書き上げた長きに渡る取材に頭が下がります。福島第一原発事故発生前から読み出しましたが、だんだん重なるイメージ。その土地で漁をし魚介類をたらふく食べて暮らす。決してお金持ちではないが、豊かな不知火の海の恵みでつつましくも幸せな生活をしてきた漁民たちから普段の安全を奪った工場排水の問題。チッソの工場が来たことで特急とまる街になった水俣。工場の操業が悪にならない方法はなかったのか…問題が顕在化するころにはどうしようもなく広がっている生活する者の苦しみに、今の東電と福島を比較せずにはいられない。
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石牟礼さんの語りがとにかく壮絶で、こういう言い方しかできないけど、本当に、この人は生来の語り部で、それがこのような事件に関わったことで、ありえないほどの目覚め方をしてしまったんだなと、そういうことを思った。それで、今日本では震災とそれに伴った原発事故が起こり、そのどちらに対しても絶句を強いられる、言葉を失った上にそもそもその言葉を持っていたのかすらも危うく思わざるを得ないような状況にあるのだけど、もしそこに言葉を繋いでいこうとするなら、もはやこの手法以外にありえなんじゃないかと、そういうことも、少し思った。魂が乗り移ったかのような彼女の語りは、どこまでも個人から立ち上がってくる言葉でしかないはずなのに、しかしその個人を超越したところにやってくる。個人の言葉が語り部の言葉となったとき、その個人を成立させている汲み尽くせない背景を、すべて背負って語り始める。無限にも等しい歴史を限定して連なった形でしかわれわれは認識できないし、そこに築かれた共通意識から考え始めることに慣らされているけれども、喪失というのは、無限を捨象して築かれた有限の何かが喪失するわけではなく、その背景にある無限そのものがすっぽり失われてしまうことなのだ。だから、その無限に立ち返るしかない(本当はここで無限という言葉を使うのはまずいのだけれども)。とはいってもこの語りはそれこそ一つの奇跡であって、今可能なものかどうかというとまったくそうと言えないとは思うのだけど、言葉が力を持つというのはどういうことか、それを追体験するだけでも、読む価値は、今読む価値は十分にあると思います。
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あまりに分厚い本。
しかも上下二段にわかれている。
ともすれば気構えそうな本を、なぜ手にとってみたかといえば、池澤夏樹の世界文学全集の一冊だったから。しかも日本人からは彼女一人の作品です。
石牟礼さんのことを知らず、内容も帯を読んでから知る始末で、「水俣病」を読むという意識はほとんどないまま読みはじめました。
長い時間をかけた読後。
人間とは何だろう。
近代とは何だろう。
美しい前近代社会と対照的に描き出される石牟礼さんの鬼気迫る文体は私達にそう問いかけているように感じます。
そして今もまたそれとそっくりの状況があります。
地域社会を一手に支える一企業。その企業が起こした事件。
被害者を救済すべき国の対応。
原発、福島、東電・・・
これらを想起させるのは何モノなのでしょう。
この本を今このとき偶然にも読んだこと。
そこに大きな意味はあるのでしょうか。
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水俣での一連の公害は石牟礼道子さんという書き手でこの作品になったのですね。その場所、その時代にこういう書き手がいたことに感動する。
作品が書き手を選んだみたい。
被害者と加害者が単純に分けられないところが公害というものなのですね。
生まれてくるとは、だれかを育てるとは、豊かな生とは、産業の発展とは。しみじみ考える。文章が美しい。
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石牟礼道子渾身のルポルタージュである。
著者、そして水俣病患者と社会との戦いを描く。
罪に対して真っ正面に立って「お前は悪だ」と言えないのは、我々が何らかの形で自らがその罪に加担しているからだ。水俣病の場合、患者たちはその罪に「全く」関与していないから正々堂々悪と対峙できる。
ルポルタージュの形をとるものの、この本は間違いなく文学である。
患者たちの声はポリフォニーであり、読者たちの脳裡に、この本を目から離してもなお響き続ける。
また、フクシマのことを考えずにこの書を読むことはできない。今回の事故と水俣病との明白な相違は罪への加担が全くないと言える人間が限りなくゼロに近いという点である。さらに原因の所在を簡単にフクシマのせいだと特定できない点では放射能汚染は有機水銀汚染より厄介だ。水俣訴訟さえ、発生後半世紀近く経過しても完全な終焉を迎えていない。
フクシマの場合、半世紀どころではないだろう。さらに言えば、原子力との完全なる訣別を僕が生きているうちに見届けることは不可能だ。しかし、目を背けるな、あらゆる声に耳を傾けろとこの書は言っている(ような気がする)。石牟礼さんになることはできないかもしれない。けれども、何かの形で関っていかなければいけないように思う。
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決して可哀想な患者たちで終わることのない「物語」、どろっとした悲惨さの中に見出すことができる生きていくことの尊厳。何年かけてでも読みたい作品。
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昭和30年代に引き起こされた水俣病は、発覚当初に原因は工場の廃液だと判明しながら国とチッソがこれを認めず、多くの犠牲者を出した。著者は水俣病患者と社会との闘争を40年にわたり追い続けた作家で、「故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の言語と心得ているわたくしは、わたくしのアニミズムとプレアニミズム調合して、近代への呪術師とならなければならぬ」と本書で決意のありかを示す。
著者の筆には、真実を追求・糾弾する社会的側面と、被害者たちの姿を土地の方言を活かした詩的なリズムで刻む文学的側面があるのだが、その類まれな両立は、著者の特性に負うところが大きい。著者は1927年に天草で生まれて水俣で育ち、そして30歳を過ぎたころに作家として水俣病に出会っている。この偶然を、池澤夏樹は解説で、「まるで病気の方が彼女をスポークスマンとして用意したかのごとくだ」と驚嘆する。
本書は、池澤が個人編集をした世界文学全集に収められている。優れた古典作品ではなく、本書がその一冊に選ばれた意味が、1ページごとに胸に迫る。
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB04387195
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公害病を代表する水俣病をあつかった古典。患者さんが乗り移ったかのように、作家・石牟礼道子がもだえながら紡ぎ出す言葉の鋭さ、深さ、美しさ。読みやすいとは言えないが、世界的文学によって誘われる世界を体験してほしい。
(松村 教員)
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(2016.10.02読了)(2016.09.28借入)
『苦海浄土』は、いつか読もうと思っていたのですが、三部作になっていたとは知りませんでした。第一部『苦海浄土』、第三部『天の魚』は、講談社文庫で読んだのですが、第二部『神々の村』はまだ文庫になっていないし、単行本は図書館になかったので、三部作全部が収録されているこの本を借りてきました。第二部と解説を読みました。
『神々の村』は、最後に出版されたのに、どうして第二部なのかと思っていたのですが、書かれている内容が時系列から見ると第一部と第三部の間に入るからということのようです。第三部より第二部のほうを先にまとめて出版してくれたらよかったのに、出してくれる出版社の事情とかがあったのでしょうね。解説には何も書いてないですね。
この本で、第二部だけを読みましたが、全体で800頁ほどで二段組なので、全部をこの本で読むとしたらかなり気力がいると思います。
図書館の貸出期間は、二週間ですので一日50頁以上読まないと期限内に返せませんね。
第二部だけだと250頁ほどで、単行本だと400頁ほどになります。一週間あれば何とか読めそうです。
胎児性水俣病の患者さんの様子などが淡々と書いてあります。かなり悲惨な状況なのですが、石牟礼さんは余計な感情を交えずに書いています。
患者さんの話の間に、兎、狸、蜜蜂、唐芋、蜜柑などの話が入ってきます。のどかな村のありふれた生活であるかのような書き方です。
後半は、巡礼団を組んで大阪での株主総会に出かけてゆくさまが描かれています。水俣の工場には、頭の悪い人ばかりで道理のわかる人はいない。社長だったら道理がわかるだろうと自分たちの気持ちを伝えに行くのですが、・・・。
一つの企業の流した廃液にふくまれていた有機水銀による中毒で多くの人が亡くなり、体が不自由になり、差別にさらされました。原因に気づきながら手を打たなかった国や企業、その間に増え続ける被害者。水俣病事件の後でも、同じようなことが繰り返されてきました。個人が、意図的にやったことなら、死刑は免れないでしょう。国や企業なら許されるのでしょうか。被害者たちは、責任を取れと言ってるわけではないのですが。
自分たちがどのような目に遭ったのかわかって欲しいし、二度と同じような目に合う人がないようにしてほしいと言っているのだと思うのですが。
出来れば、健康な体に戻してほしいということもあるのですが。脳細胞が、壊されているようなので、現在の医療技術では、何ともならないのでしょう。
【目次】
第一部 苦海浄土
(講談社文庫・新装版)
第二部 神々の村
第一章 葦舟
第二章 神々の村
第三章 ひとのこの世はながくして
第四章 花ぐるま
第五章 人間の絆
第六章 実る子
第三部 天の魚
(講談社文庫)
生死の奥から 石牟礼道子
解説 不知火海の古代と近代 池澤夏樹
年譜/主要著作リスト
●科学文明(233頁)
進歩する科学文明とは、より手の込んだ合法的な野蛮世界へ逆行する暴力支配をいうにちがいなかった。
●すべて地獄(265頁)
坊さまが衆生たちにくり返しくり返し話したのはこの世は地獄という説話であったから、ものごころつきはじめにわたしは、現身のあるところすべてこれ地獄であるというリアルな認識に突き落とされた。たぶんその幼児体験は、水俣病事件に出遭うための、仏の啓示であったにちがいない。
●聴覚異常(277頁)
音はきこえるばってん、喋りよる内容はわからん、
●国(307頁)
東京にゆけば、国の在るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ。
(厚生省の対応について)
●ラス・カサス(348頁)
ラス・カサスの目にうつったインディアスは、水俣および不知火海沿岸の人びとになんと酷似していることか。被害民らが、見かねた少数の支援者らのすすめで裁判に踏み切ったのは、災厄発生以来十五年も二十年も、あるいは三十年も経っていた。
●文盲(367頁)
日本は文盲のない国と言われながら、部落の婦人の中には全く字の読めない人、読めても書けない人が多くおります。
●毛髪水銀量(376頁)
衛生研究所の名において松島氏の分析された、水銀量地区別成績書、昭和36年度の表によればその最高価は、水俣漁民60ppm、津奈木漁民66.5ppm、湯浦93.8ppm、などである。この時期、各市町村衛生担当者には、発病の恐れのある毛髪水銀量のボーダーラインを、50ppmとして通知していたというが、松島氏の希望していた具体的な予防措置は何ひとつ取られなかった。
●遺体を連れて帰る(380頁)
生きて寝とるときは、背中で手足のぶらぶらしとっても、気になりませんばってん、解剖して、ずてずてしとっとですけん、縫い合わせてあるとでしょうが、いつ、ひっ切れるか心配で。
仏さまの前に、ちゃんと連れて帰らんば。
●水俣病補償処理員会(385頁)
厚生省が任命した水俣病補償処理員会とは、じっさいはチッソが筋を書き、厚生省が加担したにすぎぬ機関であった。
●道理のわかる(427頁)
いくら会社でも上の方にゆけばものの道理や、もののあわれのわかる人物がいると思いたい。
☆関連図書(既読)
「新装版苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、2004.07.15
「天の魚 続・苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、1980.04.15
「水俣病」原田正純著、岩波新書、1972.11.22
「証言水俣病」栗原彬編、岩波新書、2000.02.18
「水俣病の科学 増補版」西村肇・岡本達明著、日本評論社、2006.07.15
「谷中村滅亡史」荒畑寒村著、新泉社、1970.11.20
「田中正造の生涯」林竹二著、講談社現代新書、1976.07.20
「沈黙の春」カーソン著・青樹簗一訳、新潮文庫、1974.02.20
「奪われし未来」T.コルボーン・D.ダマノスキ著、翔泳社、1997.09.30
(2016年10月4日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
「天のくれらす魚」あふれる海が、豊かに人々を育んでいた幸福の地。しかしその地は、海に排出された汚染物質によって破壊し尽くされた。水俣を故郷として育ち、惨状を目の当たりにした著者は、中毒患者たちの苦しみや怒りを自らのものと預かり、「誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの」として、傑出した文学作品に結晶させた。第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」の三部作すべてを一巻に収録。
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これは、すごい4.71平均、やばい、やばいぞーこれはすごい
高いかなと思ったけどまさかここまで高いとは
魂の声、すごく詩のような小説を感じた。
自分も詩を作るが、小説での詩の方法やり方を意識した。
そして、詩のような小説が超絶に好きなのだとゆうことを発見した。
ジャンジュネや、ガルシアマルケス、カフカ、音楽では、坂本龍一、
また再度今の今、気づいたことは、それは、我々の世界と対比されてるとゆうこと
深い洞察、広大な宇宙に個人の魂の声が対比されてるものこそ、大好きな小説なのだと思った。
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今までにも、聞き書きの文学をいくつか読んできた(UNDERGROUND、チェルノブイリの祈り、台湾海峡1949、などなど)が、これもすごい。というか、これはすごい。できるだけ多くの日本語話者に読まれるとよいなと思う。というのは、石牟礼道子の語り下ろす水俣方言、市民団体や労組などの組織言葉、あるいは会社や政府のお役所言葉が、それぞれの語る内容と分かちがたく結びついて、この世界のありよう、それぞれの魂のありようを描き出しており、それはおそらく翻訳不可能で、石牟礼の描き出したものを、最もきちんと受けとめることができるのは、世界の中で60分の1にも満たない日本語話者をおいて他にないからだ。2段組700頁以上の本書を前にするとややたじろぐが、最初の100頁も読めば、あとは読まずにいられない。しかしまた、最初の100頁ほどを読むだけでも、十分意味があるし、読んでよかったと思えるはずである。具体的に言えば、第1部の第4章までは是非とも読んでみてほしい。不知火海がまさに「苦海浄土」であることがわかります。
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ひとまず第1部は読み終えてます。
ものすごい重さ。これを読んでいるうちに、胸の奥におもりがぶらさがりました。この本はとにかくすごいので、いろんなことを言いたくなるんですが、その一方で、語るのは非常に難しくてなかなか語れません。あまり軽薄におもしろかっただの参考になっただのと言い募れば言い募るほど、本当のところが逃げ去ってしまうような気がするからです。
この本が世間的に何に分類されているのかわかりませんが、透徹したまなざしで人間を描いているという点からして、私は文学だと思っています。池澤夏樹が世界文学全集を編纂する際に、日本文学からはこれのみをエントリーさせたというのがすごいですよね。(2015年3月7日読了)