紙の本
派手さはないがとてもいい小説
2010/11/05 10:08
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
派手さはないが、いい小説だと思う。
独立紛争が理由で封鎖された島が舞台で、島にいる一人の白人ミスター・ワッツが子どもたちにディケンズの『大いなる遺産』を読み進める。
島が封鎖されていることで、学校というものもなくなってしまっていて、子どもたちはミスター・ワッツの学校に登校し、だんだんと『大いなる遺産』にひきこまれていく。
語りは一人の女性が少女だったころを語っているという設定だ。
聖書以外の「本」というものを知らなかった少女が『大いなる遺産』にひきこまれていく過程が、母親との齟齬なども含めて丁寧に描かれている。
そして、ある理由で『大いなる遺産』の本は紛失してしまうのだが、そのために、生徒やミスター・ワッツが協力して、物語の「切れ端」をノートに書きつけていくところは感動的だ。
これは、ある意味では、物語を紡ぐ、という小説を書くという行為に対してもとても示唆的な部分である。
物語の後半は急に展開が早くなり、残虐な事態になる。
物語の最後の方で、この物語を単純化しないための「仕掛け」のようなものが書かれているのですが、それについては評価が分かれるところかもしれません。でも訳者がいうように、これも必要な書き方なのかもしれません。
とにかく読んでよかった本でした。
ちなみに、この本も白水社のエクス・リブリスシリーズの1冊です。
紙の本
印象深い良作。ディケンズが読みたくなる
2014/08/05 21:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アトレーユ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ディケンズが読みたくなる。
作中作ではないが、構成の土台になっている部分もある。
差別の図式、成長物語をつかうことによるシンクロ、視点の交差など。
ストーリーだけ追えば、単なる(というと軽々しいが)白人による、黒人地区へ侵略とその悲劇、ということになるが、主人公である子供の目線で語られることが、生々しさを消しつつ、語られない(子供には少し意味不明な大人の言動や社会情勢の)緊迫感が、逆に行間から浮き出てくる。
それにしても、特に直接的表現はないのに、なぜこんなに色彩感豊かだと感じるんだろう?
それもまた魅力の一つだと思う。
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1990年初頭のブーゲンヴィル島が舞台。
初めはただ純粋に初めて本の素晴らしさに触れた少女と一緒に
島での毎日を楽しみながら読んでいた。
家を焼かれても、持ち物すべてを焼かれても、
海には魚がいて森には果物がある。だから飢えない。
飢えないから穏やかな島の時間をむしろ楽しんでよめた。
後半、少女の運命が大きく変わる出来事がある。
私ならば耐えられないと、泣きながらよむ。
少女と本の出会いもさることながら、少女と母のかかわりも注目。
たまたま手に取った本だったけれど面白かった。
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表紙の絵と、帯の「英連邦作家賞」という言葉に惹かれて手に取った本。
革命戦争が始まって閉鎖されてしまった学校で、島の唯一の白人ミスター・ワッツが、ディケンズの小説『大いなる遺産』を子どもたちに一章ずつ朗読するところから物語が始まっていく。
学校で子どもたちはミスター・ワッツにより遠い異国の物語に触れ、そしてまた、島の住人(大人たち)からも少しづつ、色んなことを教わっていきます。
ミスター・ワッツとミセス・ワッツの話、レッド・スキンと革命軍、母と娘、色んな立場や思いが交錯して、力強く生きようとしている人々の姿が胸を打つお話でした。
ディケンズと言えば、昔頃映画で見た「ニコラス・ニクルビー」しか知らなくて、オリバー・ツイストもクリスマス・キャロルもきちんと読んだことはありませんでしたが、この本を読んで「大いなる遺産」を読んでみたくなりました。
舞台となっているのは、1990年初頭のブーゲンヴィル島。ソロモン諸島の北にある、パプアニューギニアの島です。
ブーゲンヴィル、と言う名前の響きからブーゲンビリアが咲いてるのかなあと思っていたらそうではなくて、ブーゲンビリアは南米が原産の花でした。どちらも、フランス人探検家ブーガンヴィル(1729-1811)にちなんだ名前だそうです。世界のあちこちに名前を残すブーガンヴィル。「世界周航記」という著作もあるようです。作中に主人公の先祖の話が出ていたのですが、もしかしたらこれにちなんだ内容だったのかも。
この物語は、そんな背景を知らなくても楽しめました。楽しかったから背景を知りたくなったというか。
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争うことの惨たらしさ、本を読むことの豊かさ、それぞれを知ることによって人は大人になっていくんだと痛切に実感できる良書だと思います
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真黒い肌の人たちの島に、ただひとり残った白人、ミスター・ワッツが朗読してきかせる『大いなる遺産』の物語は、今こことは異なる世界への扉を初めて開き、マティルダら子どもたちを魅了していく。やがて村のなかに、「ミスター・ディケンズ」「ミスター・ピップ」の実在が感じられるほどに・・・
まるでおとぎ話のような小説だが、その舞台となっているのは、内戦下で封鎖された1990年代のブーゲンヴィル島。星空の下、空想から生まれた人々が動きまわる夢のような美しい夜は、次の昼には、言語に尽くせない暴力へと転換するのである。
この島をヨーロッパ人が初めて訪れたのは18世紀後半。19世紀にドイツ領ギニアに併合され、第一次大戦でオーストラリアが占領、第2次世界大戦後にパプアニューギニアの一部となった。植民地の植民地、英連邦のまさに辺境ということになる。オーストラリア人が開発した鉱山による環境破壊の被害を受けながら、利益は本国に吸い上げられることに不満を強めたフランシス・オナは、1888年に鉱山閉鎖とパプアニューギニアからの独立を要求して闘争を開始。以来、1997年の和平協定までに、パプアニューギニア政府軍と革命軍の間で、多数の島民が犠牲になったという。
このポストコロニアルな紛争の渦中におかれた少女の視点から、ロイド・ジョーンズは、19世紀の大英帝国の中心ロンドンを舞台とするディケンズの小説を語りなおしていく。のちにマティルダが発見するように、ミスター・ワッツが語る『大いなる遺産』は(そして彼自身の物語も)、多くの省略や改変を含んだものだった。しかしジョーンズは、オリジナルのテクストに対する改変や誤読を、むしろ新しい可能性を開くものとして、積極的な意味をあたえているようだ。
たとえば、お金がなくても「ジェントルマン」になれるのかという生徒の問いに対し、ミスター・ワッツは憤然と、もちろんだと答える。「ジェントルマン」とは品位をそなえた人、つねに正しいことをする人なのだと。この答えは、ディケンズの小説に照らせば、正しいが、間違っているということになるだろう。ディケンズは、社会的地位に関わらない人間の品位を強調してはいるが、少年ピップがひたすら追い求めるのは、階級上昇にほかならない。ところがマティルダの母は、まさに、どんな状況においてもつねに正しいことを行うことで「ジェントルマン」であることを示すのである。
大英帝国の辺境において自在に読み変えられた少年ピップの物語を導きに、少女マティルダは、自分自身の移動を行っていく。初めは、母親から身をひきはがすために。そしてブーゲンヴィルからオーストラリアへ、イギリスへと、中心に向かってさかのぼる。それは、ポストコロニアル状況を生きる多くの移民たちがたどる道だが、成長したマティルダは、ピップのなしえなかったこと、すなわち<家>への帰り道をみつける地図としてディケンズのテクストを読み変える力を示すのである。文学の可能性を力強く提示する傑作だ。
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ディケンズが読みたくなる。
作中作ではないが、構成の土台になっている部分もある。
差別の図式、成長物語をつかうことによるシンクロ、視点の交差など。
ストーリーだけ追えば、単なる(というと軽々しいが)白人による、黒人地区へ侵略とその悲劇、ということになるが、主人公である子供の目線で語られることが、生々しさを消しつつ、語られない(子供には少し意味不明な大人の言動や社会情勢の)緊迫感が、逆に行間から浮き出てくる。
それにしても、特に直接的表現はないのに、なぜこんなに色彩感豊かだと感じるんだろう?
それもまた魅力の一つだと思う。
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[ 内容 ]
ブーゲンヴィル島の13歳の少女マティルダは、白人の「先生」ワッツの教えで、孤児のピップが活躍するディケンズの小説『大いなる遺産』の世界に魅せられる。
しかし、独立抗争の影が島に忍び寄り、思いもかけない惨劇が…。
「物語の力」を謳いあげた、胸に響く傑作長編。
英連邦作家賞受賞作。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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黒人の女の子マティルダ。白人の教師ミスター・ワッツ。ワッツがクラスでディケンズの『大いなる遺産』を朗読するところから物語が始まる。それまで文学になど触れてこなかった子どもたちに何かが芽生え始める。
作中で起こる出来事は悲惨なことばかりだけど、子どもの目線で描かれているのでそこまで生々しくなくなんだかふわふわしてる。でもそこがリアル。この感じうまく言葉にできない。
マティルダとワッツ。マティルダと、信念を持った母。濃密な人間関係が描かれる。
描写がいい意味で日本的ではなくて、ピンとこないところも多々あるけど新鮮な読書体験だった。
西加奈子氏のエッセイで紹介されていたので読みました。
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200ページ以上を一気読みした。暴力に真に対抗し得るのは想像力であるというメッセージ。小学生の頃読んだ、ミヒャエル・エンデのモモをなぜか思い出した
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ソロモン諸島の西の端にある、ブーゲンビル島。世界的に見ても巨大な銅鉱山を持つこの島では、産業主義に走る政府(オーストラリア側)の搾取と、それに対する地元住民や鉱山労働者の不満が充満していた。反乱と経済制裁。そして血なまぐさい悲劇。地元住民、ましてや子どもたちは何をしたっていうの?(知れば知るほど悔しくなる…)そんな環境を生きる、一人の少女から見た世界を描いた物語が「ミスター・ピップ」である。
主人公・マティルダの学校にある日教師としてやってきた島で唯一の白人、ミスター・ワッツ。教材も何もない中、1冊の本を朗読し始める。次第に物語にのめり込むマティルダ。そんな娘の姿をおもしろく思わない、キリスト教を強く信じる母親が、事件を起こすきっかけになる。愛する母と、信頼するミスター・ワッツの間で揺れるマティルダの眼差しの尊さが、印象的です。
クライマックスのシーンでは、マティルダに感情移入してしまい身を切られるように苦しかった。理不尽に立ち向かう大人たちの姿を見ても、ただ自らの無力さに絶望するしかないマティルダ。また、辛い思い出が物語の源泉になることに気づく様子には、生きる強い意志を感じました。
南太平洋と聞けば、美しい海をはじめとした豊かな自然、明るくておおらかな人々といった平和な世界のイメージだった。そして驚くべきは、この悲劇が起こっていたのはわずか15年ほど前の話であり、現在もその不安定な状態が続いていること。私が安くていいファンデーションを探したり、ルーズソックスで足を細く見せようとしていたあのときにも、そして今だって、世界のどこかで起きていることがある。ちゃんと知っていこうと思う。
ブーゲンビルの悲劇については、このサイトがわかりやすかった!→http://shinrin-journalist.la.coocan.jp/sub4-16.html
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ピップとワッツ
昨夜から「ミスター・ピップ」を開始。ピップはディケンズの「大いなる遺産」の主人公の愛称。
場所は1990年代パプアニューギニアのブーゲンビリア島。島の独立を狙う革命軍と政府軍との戦いが始まる空白のとき、島に唯一残ったとされるミスター・ワッツが授業を再開し「大いなる遺産」を朗読し始める。という始まり。
著者ロイド・ジョーンズはオーストラリアでもなくニュージーランドの作家。
(2016 12/27)
父兄先生日
「ミスター・ピップ」…「大いなる遺産」の朗読のほか、ワッツの授業には子供たちの親などを呼んで、彼らが教えたいことを自由に語ってもらう、というのがある。カニの穴の天気予報とかフウセンカズラとかほかにもいろいろ…
果たせぬ夢のいいところがひとつだけある。壊れた夢の欠片はまた拾い集めることができることだ。
(p69)
これはギルバートの叔父である漁師の授業から。釣り上げられた魚は果たせぬ海の夢を見ている、という。
ミスター・ピップとは誰か
「ミスター・ピップ」小さな区切りで細かく分かれているけど、大まかに言えば今日読み進めたところは、第1部から第2部へというところ。ゆっくり島の世界に入り込み不穏な背景とミスター・ワッツの小さな世界が語られるところから、レッドスキン兵(政府軍)が来て物語が急に動くところへ。マティルダが砂浜に書いた「ピップ」の文字からレッドスキン兵が、それを敵の革命軍だと誤解して始まる悲劇。そして教室にあったはずの「大いなる遺産」の本がなかった謎。
動き出す前、マティルダとミスター・ワッツとの対話が進み、そこからワッツとグレイスの過去が垣間見えてくる。
ピップは孤児だ。孤児は、言ってみれば他国へ移住した人と同じなんだ。ピップはある社会のレベルから、もうひとつの社会のレベルへと移住していく途中なんだよ。洋服を変えたみたいに名前も変えて、それがピップの移住の手助けになるというわけだ
(p79)
ピップも名前を変え、グレイス(ミセス・ワッツ)も名前を変えたという。移住…少し前なら亡命と言っていたか…の心性が見えてくる。
あと気になるところは、ワッツと相対するマティルダの母親の悪魔話の付け足しがあったからこそ、後にレッドスキン兵を単純に憎むだけのことはなかった…とマティルダの後の回想が触れていること。またミスター・ワッツの子供時代のロンドンの思い出話があるのだけど、そこで子供達がその話を理解するために想像するのが「大いなる遺産」のロンドンであるということ。
晦日に読み切るつもりが先走りしそう。あとはギルバートの叔父ではなく父親が漁師の話していた人らしい。
(2016 12/28)
大いなる布団
「ミスター・ピップ」について補足。移住・自由という問題系はオーストラリア・ニュージーランドというところに移り住んだ白人移民についても重ねているのではないか。それは作者ロイド・ジョーンズの出自でもある。
もう一つなんか補足あったような気が…
(2016 12/29)
切れ端を繋ぐと…
「ミスター・ピップ」の補足その2とその後。
補足の忘れてたのは、たぶん、マティルダはレッドスキン兵の士官をなんだか悲しげに描写しているということ。なぜこんなことを命令しているのか、自分ではわからないといった様子、なのだという。
その後、またミセス・ワッツが皆の思い出とともに埋葬され、ワッツの授業が再開された。「大いなる遺産」の本は燃えてしまったため、子供達の思い出した切れ端をワッツが繋ぎ止めて結んでいく、という作業。これは先のミセス・ワッツの思い出と同じ手法。
(2016 12/30)
鏡とアリと流木
半分弱残っていた「ミスター・ピップ」をなんとか年内に。というか止めることができなかった、というべきだろうか。
村にやって来たランボーこと革命軍と村の人々は、七夜続くミスター・ワッツのピップ物語を聞く。それはまるで千一夜物語のように死と隣り合わせでありながら、皆で物語を編み上げていく幻想的な夜となる。ミスター・ワッツの生い立ちの話に、「大いなる遺産」や前の授業で話された父母達の話が混ぜ合わされる。
それは、そこにいる私たちが貢献して作り上げたひとつの物語だった。彼は私たち村人が経験する世界を、私たちの眼前に繰り広げてくれているのである。私たちには鏡がない。私たちは自分たちが何者であるかを語る物語を聞き、あの焚き火で燃えてしまったと感じている何かをそこに聞くことができた。
(p208)
ただし第七夜は訪れず、来たのはランボー達を捕虜にしたレッドスキン兵と士官。そこでミスター・ワッツと彼を讃えたマティルダの母親が殺され、マティルダも士官にレイプされそうになる。その場面から。
現実はどこか遠くにあって、そこにいる私と士官とには何の関係もないかのようだった。私たちが背を向けている間に起こった出来事は、どこか遠くの出来事のような気がした。足の親指の上を小さな黒アリたちが這っていた。アリは自分たちが何をしていて、どこへ行こうとしているかよく知っているようだった。自分たちがただのアリだとは知らずに。
(p225)
この事件後、マティルダは半ば無意識に洪水の川に流されて、流木に掴まる。その流木を「大いなる遺産」でピップを助けたミスター・ジャガーズと呼ぶ。村人のボートに救出されてから…
ミスター・ジャガーズは悲しげに、しかし理解しているように見える。自分がただの流木にすぎず、この困難な水の旅の間、背中にしがみついていたマティルダは、不忠ながら、幸運で選ばれた者なのだと。
(p235)
鏡が何か、アリが何か、流木が何か、物語の暗喩であり、詩的表現であり、苦いユーモアであるのだろう。でも、それ以上の何かを担っているように見えてきてしまう。
この残りは別枠で…
問題の?解放部分
では、「ミスター・ピップ」の、マティルダが島を出てからのトラウマから解き放たれていく部分。解説には、この部分が「興味がうすれた」としているレヴューもある、と書いてあった。
物語的には、ソロモン諸島に着いたマティルダは、父とオーストラリア・タウンズビルで再会し、大学を出てディケンズについて論文を書き、ニュージーランドにミスター・ワッツの元妻に会いに行き、英国���この語りを書き上げて島に戻る、といったところなのだが。レヴューの人はたぶんそんなにトラウマからはすぐに解放されないだろう、としているのだろう。その辺りは自分には想像するほかないのだが。
彼は必要に応じて私たちが望む人になったのだろう。そしておそらく、世の中にはそういう人がいるものなんだ。私たちが作る空間にすっぽり入り込んで、隙間を埋めてくれる人たち。
(p263)
ミスター・ワッツのことをニュージーランド訪問後に回想しているところから。島にいた時と比べかなり冷静に人間を見られるようになったマティルダ。先生が必要だったから先生となり、ピップをレッドスキン軍に差し出さなくてはならなかったからピップと名乗る、そういう存在。こうしたマティルダの人物の書き換え、これも物語を紡いで行くということなのかもしれない。同じテクストは存在しない、すぐに書きかえられる物語。
私が母さんの死を告げたとき、父は泣き崩れた。そしてそのとき、やはり尾ひれをつけた物語も必要なのだと知った。しかし、それは現実の人生にのみ言えることで、文学には装飾は要らない。
(p272)
こうしたなんか軽く?逆接で謎めいて読者を宙吊りにしていく文章はジョーンズの味みたいで愉しいのだが、ここも普通の考えだと現実と文学は逆なのではないか、と思ってしまうところ。内容ももとより、どちらがより大事かということに関しても。「要らない」と断言できるかはきついと思うけど、少なくともこの作品に関しては、装飾をかなり削り落としている感触は感じた。
さて、解放のされ方がどうか、というテーマだったのに物語論にそれているけど(笑)、自分的にはそこまで違和感は感じない。というか、やはりジョーンズの伝えようとしたかったのは、個人的な問題より、もっと大きな(といったらいけないかな)社会でどのように物語を紡いで行けるのかとかそっちにあると自分は思うから。
(2016 12/31)
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過酷な運命に翻弄される一人の小さな人間と再生。言葉、記憶、ストーリー、ルーツ。アンゲロプロスの映画に似たものを感じた。
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パプアニューギニア政府とブーゲンヴィル革命軍の内戦は割と最近なんですね。島民はどれだけ不安だったでしょうか。そんな中、白人のワッツ先生は村の学校で子供達に「大いなる遺産」を朗読し子供達は夢中になるものの内戦の影響はどんどん迫ってきます。不安定な社会情勢に翻弄される島民たちがされた残酷なことを読むとたまらない気持ちになりました。