- カテゴリ:小学生 中学生
- 発売日:2009/09/29
- 出版社: 長崎出版
- サイズ:18cm/406p
- 利用対象:小学生 中学生
- ISBN:978-4-86095-349-2
紙の本
ジュゼッペとマリア 上
著者 クルト・ヘルト (作),酒寄 進一 (訳),山田 博之 (挿画)
第2次世界大戦末期のイタリア。混乱の中をたくましく、明るく生き抜く子どもたちを描いた冒険物語。孤児となった少年ジュゼッペは長い放浪の旅に出た。【「BOOK」データベースの...
ジュゼッペとマリア 上
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今だからこそ伝えたい海外傑作物語コレクション2013 6巻セット
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商品説明
第2次世界大戦末期のイタリア。混乱の中をたくましく、明るく生き抜く子どもたちを描いた冒険物語。孤児となった少年ジュゼッペは長い放浪の旅に出た。【「BOOK」データベースの商品解説】
第2次世界大戦末期のイタリア。孤児となった少年ジュゼッペは、長い放浪の旅に出る。そこで見た戦争の惨状とは…。混乱の中をたくましく、明るく生き抜く子どもたちを描く冒険物語。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
クルト・ヘルト
- 略歴
- 〈クルト・ヘルト〉1897〜1959年。ドイツ東部イエーナ生まれ。児童文学作家、詩人。著書に「赤毛のゾラ」など。
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紙の本
第二次大戦イタリア戦線の犠牲者である戦争孤児たちが、力を合わせて生きるための旅。その途次で出会うさまざまな敵味方を書いた、1955年発表のドイツ語圏児童文学。
2009/12/17 15:17
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『黒い兄弟』はドイツ語圏の児童文学作品であるが、日本では「ロミオの青い空」という題でアニメ化された。『黒い兄弟』の著者リザ・テツナーの夫君が、本書の著者クルト・ヘルトだということである。両者とも、1960年前後にすでに亡き人となっている。
クルト・ヘルトの代表作は『赤毛のゾラ』で、その邦訳は長らく絶版となっていたが、酒井寄一氏による新訳で最近刊行された。『赤毛のゾラ』は『長くつ下のピッピ』のモデルになったとも言われているらしい。
『長くつ下のピッピ』好きの私であるが、『赤毛のゾラ』からではなく、こちらの方を先に読もうという気になったのは、装丁の雰囲気によるところが大きい。歴史的・文化的な趣きの濃い表紙装画に引き寄せられるものがあった。この上巻では、戦禍の道をロバの引く荷車が行く。ロバの背にはなぜかサルが乗っているのだ。「何で、サルが……」と思った。
また、上下巻がそろって棚に並べられていると、背の部分のデザインが愛らしい。これまで表面だけの素敵さにだまされた本も何冊かあるが、とりあえず誘ってくる本というのは、第一印象が良いものなのである。子どもの本ならましてや、見た目は大切な要素であろう。
『ジュゼッペとマリア』は、男の子が途中で女の子の道連れを得て、イタリア南部サレルノ近郊の土地から、300キロほど北にあるローマまで旅をする話だ。彼らが次から次へと体験する冒険に吸い込まれるようにして、上下巻で800ページをゆうに超える長篇ではあるものの、一気に読むことができる。つまり「楽しい」読書体験ができる。
ただ、「楽しい」と言ってしまうことには抵抗がある。それはこれが戦争孤児たちが生きるために旅をしていく物語であり、彼らが旅の途中で体験する苦労がすべて、元をただせば戦争によってもたらされるものであるためだ。
知識は求められないが、マリアとジュゼッペの旅する場所は、第二次世界大戦末期のイタリア戦線下にある。ムッソリーニが失脚し、イタリアが降伏した後、連合軍がシチリアを占領してサレルノから本土上陸をする。その一方で、ローマがドイツ軍に占領される。そのため、連合軍がローマを目指して北上しているという状況がある。さらに、1944年のベスビオ火山の、今のところの最終噴火も物語では背景となっている。
始まりは、広野で農業を営む一軒家の生活風景だ。ジュゼッペはそこで暮らしていたのだが、空襲で一日のうちに両親を失う。悲嘆に暮れる彼に励ましの声をかけたのは、陸を行軍中の連合軍の兵士たちである。
みなアメリカ兵だが、黒人もいれば日系人も、ネイティヴ・アメリカンも、そしてイタリア出身の者もいる。物語全体を通し、連合国軍内部にあった人種差別について、そう深追いはしていないものの、時折そういう事実に基づいたエピソードものぞく。小学校高学年ぐらいの子どもが読めば、ここまで書いてきたような戦況や連合国軍の兵の構成などは素通りしてしまうことと思うが、ナチスに弾圧されスイスに亡命した作家ならではの設定がされているのである。
ジュゼッペは母の遺言で、ナポリにいるという身寄りの家を目指す。孤児たちの強盗団と知り合って、まきぞいをくらって警察に疑われるが、サルを連れたウリッセという不思議な少年と知り合い、彼に助けられながら何とかおばを探し出す。
おばの家には、近所のホテルで被災して母親を失い、記憶をほとんど失ってしまったマリアという少女が保護されていた。ジュゼッペとウリッセ、マリア、そしてサルのアダムはすっかり意気投合し、行商や大道芸で稼ぎながら、しばらく落ち着いた日々を送る。しかし、それは長く続かず、マリアが警察の手で孤児院に入れられてしまう。ジュゼッペたちと暮らしたいマリアを何とか脱出させ、子どもたちはおじの弟が住む漁村に隠れるが、そこの漁師たちは密輸に手を染めているのであった。
大道芸で脚光を浴びることに喜びを感じるマリアに対し、大道芸よりもきちんとしたなりわいを好むウリッセは、村人たちの秘密の稼ぎに納得できない。どんなに貧しても誇り高く生きようとするウリッセの考えに、ジュゼッペは大きな影響を受けて行く。
やがて、密輸が警察の取り締まりにあったことを機会に、子どもたちは漁村を出て、マリアの父が住んでいるらしいローマを目指す旅に出る。しかし旅は苦難の連続で、ウリッセの荷車がアメリカの将校に奪われたり、大切な仲間に別れを告げなくてはならなかったりという事件が起こっていく。
戦時だからこそ触れ合えた人びと、戦時だからこそ人格が変わり悪をなす人など、実にさまざまな大人と出会いながら、ジュゼッペとマリアは旅から旅への日々を送る。最初に登場した多民族からなる連合軍の兵たちとは、あちこちでの再会が待っている。そのたびにジュゼッペたちを支えてくれるわけだが、軍のすべてが善き人として書かれているのではなく、荷車を奪っていった将校のような人もいる。各地で出会うイタリアの人たちも、やさしく手を差し伸べてくれる人たちもいれば、密輸や強盗、暴力などの悪事に我を忘れてしまっている人もいる。
困っていると、必ずいい人が登場して助けてくれるという流れがあり、ある意味、ご都合主義的と言えなくもない。だが、「渡る世間に鬼はなし」と思える希望が、戦争や死別、不条理といった苦境を乗り越える力を与えてきてくれたからこそ、人類はここまで来れたと言える。児童文学というのは、児童文学の世界ぐらいは、苦境に懊悩して考えるのを停止させるような淀みを避けるべきなのだ。
50年以上前に書かれた児童物ではあるが、「戦闘」の記録には出てこない、子どもたちや庶民の日々の「たたかい」が、このように読みやすい物語の形で今日提示される意味は、決して小さなものではない。