紙の本
加害と被害
2009/12/05 19:44
14人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二次世界大戦で日本は敗戦した。その時点で、日清戦争から数えても50年以上にわたった旧日本帝国の戦争は終結し、朝鮮・中国への侵略を意図した軍隊派遣も終わった。
戦争を指導した人々の思いに違え、本人の意に反し、いやいや従軍した多くの兵士(元をただせば、故郷に妻や子を残したまま仕事を奪われ徴兵された一般市民たち)は、やっとその任を解かれた。
これで、日本軍に侵略されていた国の人々に平穏が訪れるとともに、日本国内でも、軍国主義のくびきから開放された多くの一般市民に待ちに待った平安が訪れるはず、であった。
敗戦国となった日本の今後がどうなるか、まったく不安が無い状態ではもちろんなかったが、それはまた、国民が力をあわせ、一から出直すことで再起を図る。むしろ希望へ転換する不安であったと言える。
しかし、その新しい希望が持てなかった一部の人たちがいる。日本の再起に参加すらさせてもらえなかった人たちがいる。
シベリア抑留者達である。
敗戦時のシベリア抑留は、まったくの違法であった。旧ソ連は厳しくその責任を問われるべきである。
そしてその中でも多くの人たちが、二度と祖国の土を踏むことはできなかった。
極寒の地で、過酷な労働をさせられ、死んでいった。
戦争は終わっているのに、である。戦犯としての裁判が為されたわけでもなく、捕虜としての扱いを受けたわけでもない。
まったく理不尽に、殺されたのである。
一家の大黒柱を待ちわびる日本国内の家族にも、大きな不幸を与えた。
シベリア抑留は、しっかりと記録されるべきである。戦争以外の場で、これだけの規模で、まったく違法に、他国の人民を殺害する例は他には無い。
その責任追及のためにも、しっかりと記録されるべきである。
しかし、日本人として、絶対に忘れてはならないことがある。
なぜ、敗戦時、あれだけの数の日本人、特に軍隊が他国に存在したのか。
朝鮮や中国にあれだけの数の兵隊を派遣したのは、日本軍国主義首脳達の意志に基づく決定だったのだ。
決して他国から請われて出て行ったわけではない。
加害と被害は得てして隣り合わせに存在する。どちらも忘れてはならないし、どちらの側面も隠してはならない。
加害の反省と被害の追及、それぞれを進めていく必要がある。
投稿元:
レビューを見る
シベリア抑留についてはこれまで何冊か読んできたが、本書の特徴は、日本人内部での確執、帰国後の生活を帰国者の証言と資料にもとづき描いたこと、戦後補償とドイツとの比較で書いたことであろう。とりわけ収容所での思想教育で出てきた「アクティブ」と呼ばれる積極分子の存在、つるしあげ等々、が帰国船の中まで持ち込まれたし、「日本海名簿」と呼ばれるように、日本海にほおりこまれた人たちもいたそうである。さらに、帰国者は帰国時に共産党と家族でとりあいが行われたり、ソ連帰りはアカだということで就職も難しかったことが帰国者の証言をもとに述べられる。戦争で被った犠牲は国民すべて同じだということで、未だに戦後補償が行われていないことなど、シベリア抑留は現代的な問題であることを考えさせられた。また、ドイツへも捕虜としてシベリアに連れて行かれたことは知っていたが、それが日本の60万の4倍の240万もいたことも驚きだった。しかも彼らは日本と違い、政府の働きかけによって引き上げも早かったし、戦後の保証も受けているのである。
投稿元:
レビューを見る
シベリア抑留といってもぴんとこない人がほとんどではないかと思います。私も父親がシベリア抑留者でなければこの本は読まなかったと思います。この本を読んで感じたのが抑留者たちの置かれた劣悪な環境です。乏しい食糧を奪い合う。体力がどんどん落ちていく。夜の間に亡くなる戦友たち。
数十万人に上る抑留者のうち数万人がシベリアで命を落としています。
ロシア(当時ソ連)のした抑留政策は国際法上根拠がなく違法行為でした。今回初めて知ったのがドイツ兵も抑留されていた、という事実でした。ただし共産主義を押し付けても毅然と拒絶していた、といいます。ここで私が感じたのが、「抑留においても白人と黄色人種は差別があったのではないか」ということです。原爆はドイツでは使われず日本で使われた、というのと同じ論法です。
同じ日本人がアクティブ(共産主義支持者)とそうでない物に分かれ収容所で醜い争いがあったことや戦後平然と「ソ連は抑留者を紳士的に扱った」とした評論家の下りなど読み終わってうつうつとした気持ちに襲われます。
…せめて父親が存命中にシベリアのどこに抑留されていたのか位はきちんと聞いておくべきでした。
投稿元:
レビューを見る
この一冊で全てを知ることは到底できないだろうが、戦後は、今も続いている。その他、職業倫理、ということばが印象に残った。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
敗戦直後,旧満州の日本人兵士ら約60万人がソ連軍に連行され、長期間の収容所生活を送った「シベリア抑留」。
極寒・飢餓・重労働の中で約6万人が死亡したこの悲劇は、今も完結していない。
衝撃的な史料の発見、日本政府への補償要求と責任追及……。
過酷な無賃労働を強いられた帰還者らは、「奴隷のままでは死ねない」と訴える。
[ 目次 ]
第1章 発端
第2章 移送
第3章 三重苦
第4章 民主化運動
第5章 帰国
第6章 裁判
第7章 闘争
第8章 遺族
第9章 慰霊
第10章 終わらない「シベリア抑留」
あとがき
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
ソ連軍に連行され、長期間の収容所生活を送った『シベリア抑留』。極寒、飢餓、重労働の中で約6万人が死亡したこの悲劇は、今も完結していないことを痛感。小生の父も5年間の強制労働の果てに、心身ともひどく衰弱して帰ってきた。
投稿元:
レビューを見る
本書を読んでその悲惨さと暗さ、歴史の持つ重みに押し潰されるような思いを持った。
太平洋戦争終戦直後に行われた旧日本兵のシベリア抑留、こんな悲惨なことが現実におこなわれたことに、改めて驚愕する。
本書によると、1945年の太平洋戦争敗戦時に、ソ連によって満州から旧日本兵60万人が、シベリアをはじめとする広大な土地に連れ去られ、およそ2000の収容所で厳寒の中過酷な労働に従事したという。その収容期間は最長11年。死者は5万5000人とも9万2000人ともいう。その詳細は悲惨としかいいようがない。本書を読んで怒りを覚えた。
本書によると、悲劇は厳寒の重労働だけではない。零下30度の極寒の中で森林伐採の重労働を兵士が課せられるなかで、将校たちは火にあたりながら作業の監督をするだけ。兵隊たちが火にあたりにいこうものなら、大声で怒声が飛んだという。大日本帝国の秩序があればこそ、下級兵士をこき使い、自分は楽をできるという将官が多くいたという。敗北してもなお特権を維持しようとする日本陸軍の姿は醜い。特権階級の佐官は収容所内でその地位を利用し、特別待遇を維持したものも数多くいたというのだ。
それに対しソ連はソ連式共産主義運動を兵士に植え付け、共産主義革命の戦士を育成しようとして、収容所内で政治学校を開き、兵士たちを洗脳したという。「アクチブ」と呼ばれる活動家を育成したのだ。「アクチブ」は収容所内で優遇され、「飢え」「寒さ」「労働」の三重苦から開放されたという。その悲惨な姿に同情しつつも、両者共、醜いとしかいいようがない。もっとも悪辣なのは、捕虜を強制労働させた国際法違反のソ連だ。
醜いのは、個人だけではない。敗戦を目前にした1945年4月、日本政府首脳は連合国との仲介役としてソ連に期待していたという。溺れつつある国の指導者達がわら1本にすがる思いで悪魔のような国家指導者を持つ国にすがろうとしたことは愚かとしかいいようがない。
1945年の「関東軍方面停戦状況に関する実視報告」という重要文書が後に発見されている。日本政府首脳と陸軍首脳は、満州の邦人をソ連にまかせる方針だったことの証拠文書だ。当時の日本政府首脳は日本人をソ連に売ることによって、自分たちの利益を測ろうとしたのだ。なんと愚かで醜い指導者達であろうか。
抑留された旧日本兵たちの困苦は帰国後も続いたという。シベリアの不毛な地から帰国すると、「赤」のレッテルのもと地域社会から排除され、就職にも不自由したものが多数だったという。しかも今に至るまで日本政府は、満足な補償をしていない。未払い賃金請求訴訟は、1989年に原告の全面敗訴(東京地裁)となっている。政府は平和記念事業特別基金からの10万円の記名国債と銀杯という「涙金」で済ませようとしているという。
旧日本兵のシベリア抑留を書いた「不毛地帯」(山崎豊子)という小説がある。シベリアの収容所はまさに「不毛地帯」だったが、帰国後の日本も「不毛地帯」だったとの意味の題名だというが、本書を読むと、シベリア抑留された旧日本兵にとっての「不毛地帯」は現在まで続いていることを実感するものである。国家や軍隊が守るものは、国体や自己の利益���あって、国民や兵隊ではないことを確信させる書であると、本書を高く評価したい。
投稿元:
レビューを見る
敗戦と満洲国の崩壊とともに発生したシベリア抑留について、
その実態と抑留以後の取り組みが記したもの。
ページ数の割によくまとまっていて読みやすく、
インタビュー記事や挿し絵も多く雰囲気や気持ちがよく伝わる。
入門に適した一冊。
投稿元:
レビューを見る
シベリア抑留がどのような状況で行われたのか。
実際どのような生活を送っていたのか。
帰還者たちへの戦後補償など、
帰還者のインタビューや日本、ロシアが出した資料をもとに書かれた本です。
あまりにも知識が無さすぎて入門編として読んでみたのですが、時代背景もざっくりと書いてあり、わかりやすく、一気に読めました。
夜の霧じゃないけど、極限の状況で人間性が崩壊していく様はとても辛いですね。自分だったらと置き換えるととてもそんな自信はない。
また、捕虜としての教育など、日本政府や関東軍が日本人をモノとして扱っていた様子、
戦後の補償でも日本政府が人権を認めないような対応をしていることにひどくがっかりさせられました。
もっと勉強しようと思います。
投稿元:
レビューを見る
ソ連の満州侵攻からシベリア抑留,そして抑留された人の「その後」を描いた著作。シベリア抑留はソ連による戦争犯罪であり,日本国家による国民の「棄民」である。南方戦線でも多くの日本人が死亡し,打ち捨てられたままでいる。こうした政府の振る舞いは,今後も繰り返されるだろう。
投稿元:
レビューを見る
著者は、戦争体験者や遺族への取材に基づいた戦争関連の記事、著作を多く持つ毎日新聞記者。
本書は、2008年の毎日新聞(大阪)の連載をもとに、新たな構成で書き下ろされたものであるが、著者は本書執筆の目的を、戦争のような国家としての窮地に立たされたときに、日本国家は国民に対して何をし、何をしなかったのかを辿ることであるといい、そのために本書の半分近くが、抑留が終わった後の時代を追ったものとなっていると語る。
本書の内容を大きくまとめると以下である。
◆終戦後、ソ連によって強制抑留された日本人は、日本政府の推計によるとおよそ57万5千人。中には民間人3万9千人も含まれる。死者は5万5千人。但し、この数値はあくまでも推定で、日ロ両国の研究者・機関が示すものとして下限に近いという。抑留者の多くは、ソ連も参加したポツダム宣言の条項に反する、明白な国際法違反によって抑留された。
◆抑留者は飢え、極寒、重労働という三重苦を受け、多くの命が奪われた。
◆更に、理不尽な旧軍秩序への反発を引き金に始まり、ソ連側がソ連式共産主義・民主主義を植え付ける思想教育に利用した「民主化運動」は、日本人が日本人をリンチする吊し上げや、「アクチブ」と呼ばれた運動のメンバーと反対派が帰国後までいがみあう悲劇につながった。
◆1946年に始まった抑留者の引き揚げは、ソ連が貴重な労働力が減ることを拒んだこと、冷戦構造が明確になりつつある中で駆け引きの道具に使われたことから、協定通りには進まずに50年に中断。日本政府は「人質」を取り返すために、北方領土四島の不法占拠を許したままで国交回復を図らねばならなかったが、53年に大半の抑留者の帰還が実現した。
◆帰還者の中には「赤い帰還者」も一部にいたが、その影響で「シベリア帰りはアカ」とあからさまな差別を受ける帰還者は少なくなかった。
◆戦争に関する賠償請求権をお互いに放棄した日ソ共同宣言の締結により、補償をソ連に求められなくなった帰還者と遺族は、日本政府に補償を求めているが、政府は南方で米軍等の捕虜となった日本人に対して支払った強制労働の労賃を、シベリア抑留者には支払っていない。
◆敗戦直後の日本政府・陸軍首脳の間には、「国体が護持されるなら日本人を労働力として差し出してもいい」、「満州の日本人の処遇はソ連に任せる」との方針があったことが、複数の文書から明らかになっている。
そして最後に、ある帰還者の「生還した戦友に「シベリアでは何をしてた?」と聞くと、食料係とか医務室とか通訳などですよ。うまく立ち回って、重労働を逃れた。誰かが代りにその仕事をさせられたんです。・・・我々生き残った者はね、加害者なんですよ」という言葉を紹介しているが、これは、フランクルが自らのアウシュビッツでの体験を綴った『夜と霧』の「いい人は帰ってこなかった」という呟きと同じもので、収容所での体験を持つすべての人々に残る最も苦しいトラウマなのではあるまいか。
戦争の生んだ一つの悲劇として、語り継がれなければならないものである。
(2010年8月了)
投稿元:
レビューを見る
2009年刊。著者は毎日新聞記者。◆第二次大戦末、満州侵攻ソ連軍の捕虜となった日本兵と民間人。彼らの戦後の来し方を生々しく描く。◆まず、帰還者による国への責任追及・補償制度の制定は、現代も未解決問題である点を重く見たい。加え、ソ連の問題性はもとより、①そもそもかかる抑留を関東軍高官が許容し、それをソ連側に伝えた可能性がある点、②日本軍の階級が収容所でも維持され、結果、食事・労働等、下級兵士に多大な皺寄せとなった点、③所謂「民主化運動」、④帰還者を「アカ」と看做す根拠なき差別等多様な知見に彩られる。
投稿元:
レビューを見る
満州引き揚げあたりから丁寧に追ってくれると思いきや、抑留の話はあまり掘り下げてなかった印象?!山崎豊子の不毛地帯の方が何倍も壮絶さが伝わった。
投稿元:
レビューを見る
シビアな内容ながらすいすい読めるやさしい新書。
シベリア抑留関連書籍の入門編という印象。
うちの曾祖父もシベリア抑留経験者。
直接話を聞く機会を持てないままに曾祖父が亡くなってしまったので、こういうたぐいの本から知識を集めていくしかないわけで。
とはいえ、読もうと思った一番の動機は、“MGSのリキッドが好きで、元工作員や捕虜体験記をぽつぽつ読んでいるからその一環として”。
シベリア抑留者の家族としても、液蛇好きとしても、たいへん興味深くたいへん勉強になる本でした。
投稿元:
レビューを見る
1941年7月2日御前会議 情勢の推移に伴う帝国国策要綱 状況に応じてソ連と戦う
司馬遼太郎 学徒動員で関東軍に→本土防衛のために帰国
ジャリコーヴァ密約
マリノフスキーの脳裏には、日本によるかつてのシベリア出兵があったことは間違いないだろう。…ソ連にとってもっとも苦しい時期に干渉戦争を挑んだ日本への恨みは、深く残っていた。
日本側が兵士を労働力として差し出す?
捕虜→恥 行政文書でも抑留者
飢えが精神を破壊 馬糞の中の麦
第二シベリア鉄道と言われるバム鉄道の建設
スターリンへの感謝署名 署名しなければ帰国できないと信じ込まされていた抑留者
日本人同士の密告
帰国 前期1946年から1950年 後期1953年から56年
ソ連が連合国側であったため実態は伝わらず・プレスコード
引き上げ船内部の異様な雰囲気 アクチブ吊し上げ
赤い帰還者
1956年10月 日ソ共同宣言 人質外交
政治学者・岡本清一 帰国者はロシアの事情を知るはずもない。…平和がどうの、再軍備がどうのと言わせてみたところで何にもならないのである。
斎藤六郎 全国抑留者補償協議会 1981年提訴
池田幸一 蟷螂の斧(とうろう) カマキリの会
抑留者3団体の対立 与党側、野党と協力したもの
米英では捕虜は勇敢な戦士
ミズーリでの調印式に捕虜を招待 万年筆を与え、その労をねぎらった。
日本政府 補償、謝罪はしない。しかし慰めはする。
自然災害に遭った人への態度
モスクワに政治犯の犠牲者の墓苑 宇山禄郎
「もっと話を聞いておくべきだった」そう後悔する遺族は多い。
1991年 シベリアで遺骨収集開始
バム鉄道 枕木1本につき日本人1人
余りにも無関心、見捨てられた、薄情だ→日本政府に対する気持ち アンケート
窮地に立たされた時にどう振る舞うかによって、その人間の本質が現われる。国家も同じだろう。