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したくないことはしない 植草甚一の青春
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.5 7件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2009.10
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/318p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-318531-4
  • 国内送料無料

紙の本

したくないことはしない 植草甚一の青春

著者 津野 海太郎 (著)

100年前に生まれたPOPな男、植草甚一はいかにして「JJ氏」となったか。ジャズ、ミステリ、映画…。サブカルチャーの輝ける旗手の知られざる前半生をたどる。綴じ込み図録付き...

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したくないことはしない 植草甚一の青春

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商品説明

100年前に生まれたPOPな男、植草甚一はいかにして「JJ氏」となったか。ジャズ、ミステリ、映画…。サブカルチャーの輝ける旗手の知られざる前半生をたどる。綴じ込み図録付き。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

津野 海太郎

略歴
〈津野海太郎〉1938年福岡生まれ。早稲田大学文学部卒業。評論家。編集・演劇に携わる。晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長等を歴任。「滑稽な巨人」で新田次郎文学賞受賞。

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みんなのレビュー7件

みんなの評価4.5

評価内訳

  • 星 5 (4件)
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  • 星 3 (1件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

J・Jが死んで三十年もたったらしいから、思い出話の一つでもしよう

2009/12/03 19:52

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る

僕が植草甚一を知ったのは、『平凡パンチ』だったように記憶している。本の中にも出てくる柳生弦一郎のイラストも見たような気がするからきっとそうだ。本で埋まったような家の中で、アンティークの木製冷蔵庫を改造したプレーヤーでジャズを聴いたり、外国のカタログ雑誌のイラストを切り抜いてコラージュを作ったりする洒脱な暮らしぶり。散歩と買い物の達人で、大胆なファッションに身を包み、LPのライナーノーツも書けば、ミステリーの書評もする。僕に限らず、当時の若者は、そのいかにも自由で洒落たライフスタイルに多大な憧れを感じていたものだ。

突然若者たちに教祖扱いをされるようになった植草甚一だが、はじめから「ふしぎな老人」だったわけではない。どんなふうにして僕らが知っている植草甚一がこの世に現れることになったのか。人気が出るまでの植草は何をしていたのか。彼が亡くなって、今年は没後三十年になるという。編集者として、植草甚一と様々な仕事をともにしてきた著者が、自身もよくは知らなかった少年時代から青年時代にかけての植草を、多くの資料や友人知人の証言をもとに構成した、これは「傑作」評伝である。

そういうと、なんだか偉人伝でも読まされるような気がするかもしれないが、それはちがう。読後の印象は、言葉は悪いが「贔屓の引きたおし」のような作業を見せられるのに近い。なにしろ、この本の眼目は、植草甚一の抱く「コンプレックス」の解明にあるからだ。あの好き放題に生きたエピキュリアンのどこにコンプレックスが、と思うのも当然だが、この言葉は自伝の冒頭に出てくる。

コンプレックスの第一は、没落した商家の跡取り息子としての「下町コンプレックス」である。谷崎の生家にも近い日本橋小網町生まれで、実家は「松甚」という太物問屋。父の代に関東大震災で焼尽し、その後落ち目になる。自身は家業を継ぐため府立第一商業に進み、学年で一番の成績を取る。特に英語はよくできたそうだ。植草少年は、勉強中毒だった。学校から帰ってくると机に張り付いていたという。習ったことはその日のうちに暗記しなくてはならず、寝る前に「神様一番をとらせてください」と呟いていたというから生なかではない。しかし、旧制一高の受験に失敗。それが生涯にわたるコンプレックスになっている。

一つのことにのめり込む性格は、ジャズの勉強のため一年で600時間はレコードを聴いたという後の植草の姿にそのままつながる。古本へののめり込みも同じで、タクシー二台を準備し、一台には自分が、もう一台には買った本を乗せて帰ったという伝説さえある。あれだけ売れていたのに、持ち家は最後の数年だけの年中借家暮らし。ほしいものがあれば、我慢できずに突っ走ってしまう、甘やかされたわがままな坊ちゃんが大きくなったような人だというのが夫人の亭主評。

ずいぶん前に読んだので、誰が書いたどんな本だったかは忘れてしまっていたのだけれど、この本を読んで、その中に出てきた植草甚一自身の言葉を思いだした。たしか、「そのころの僕は、ヤなやつだったのですよ」というものだ。その本の著者は、その言葉を額面通りには受けとめていない書きぶりだったが、この評伝を読むかぎり、話はどうやら本当だったようだ。

津野は、編集者として植草甚一と十三年間つきあった。その当時は、すでに売れっ子になっていて、おだやかな老紳士然としていたようだが、同じ映画評論家で、長年の友人淀川長治の話によると、植草甚一を嫌う人は少なくなかったようだ。人の好き嫌いが激しく、嫌いな人とは話したくもない。相手がバカだからしゃべると腹が立つ。飲み会で一人はぐれ、尻にしいた座布団の綿を黙々と爪でちぎっている姿を淀川に目撃されている。突然怒り出したり、テーブルをひっくり返したり、今でいうキレることも多かったらしい。

当時、淀川や植草のような映画会社の宣伝マン出身というのは映画批評家としては一段落ちる存在と見られていた。それも鬱屈の原因の一つだが、その映画評にしても、「イメージのつながり」を重視する見方で見るから筋の面白さは二の次になる。趣味が前衛的で先走っているので、批評する映画が一般ウケしないのだ。本にしても誰よりも早く外国の小説を読み、その面白いところを書くのだが、周囲の誰もその面白さを分かってくれない。そんな中で、早いうちから「植草甚一の本質は何か?それは小説の読者だ」と、本人の素質を見抜いていたのが、あの丸谷才一(当時35歳)である。

二度目の病気入院で、太っていた体がすっかり痩せ、あの白い顎髭に今風のファッションで決め込んだ植草甚一スタイルが身についた。少年時代のコンプレックスから生まれた勉強中毒や、かつては銀座をしのぐ盛り場であった日本橋育ちらしい買い物道楽を武器に、大活躍する晩年のことは皆さんご承知のことだからあっさりと書いている。

生い立ちの似ていることもあり、仲のよかった淀川長治の植草評はいちいち胸に迫る。その他、水練(なつかしい!)に行った先で買った大福を売る和菓子屋が小林信彦の生家だったとか、書店で先に見つけたグレアム・グリーンの新着原書を請われて譲ったのが若き日の丸谷才一だったとか、植草をめぐる人々の作るネットワークが、大震災や東宝争議等当時の日本の状況を浮かび上がらせ、単なる評伝に終わらせていないところが、名編集者たる津野の腕の見せ所である。著者独特の話し言葉のまじった文体は実に読みやすい。植草甚一に影響を受けたかつての若者、それに最近植草を知った若者、どちらにもお薦めの一冊。

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紙の本

僕の知らなかったJJおじさん

2010/01/21 23:17

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:木の葉燃朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者津野氏は、本に関する著作などでも知られる編集者。津野氏が晶文社の編集者時代に、『植草甚一スクラップ・ブック』の刊行、植草氏責任編集の雑誌『ワンダーランド』(後に『宝島』となる)の創刊などに関わり、晩年の十数年付き合いがあった。そんな津野氏による植草氏の評伝。

 タイトルにもあるとおり、植草氏の青春時代、幼少期まで遡って書かれている。私のように、生前の植草氏についてリアルタイムに知らない世代にとっては、新鮮な話題も多く、面白かった。そしてこの本を読んでいると、当時から植草氏の読者・ファンである人たちにとっても、若い頃の植草さんの話は新鮮らしい。
 どういうことかというと、植草さんが広く人気を集めるようになったのは初老といっていい五十代中盤、モダンジャズの評論がきっかけ。そこから遡って、映画評論、海外文学批評、街歩きエッセイといったそれまでの仕事も改めて注目され、この本で使われている表現を使うなら「ファンキーじいさん」として人気者になった。つまり「じいさん」になってから多くの人に知られるようになったのである。そのイメージは、今紹介されている植草さんのイメージとも一致する。植草さんの写真といえば、白髪でヒゲも真っ白で、派手な服を着こなすかっこいいおじいさんとしての写真。あとはせいぜい、ジャズを聴きはじめた50代の頃の、スーツを着た恰幅のいい姿(これも後の痩せている植草さんと比べると意外)。
 ではその前はというと、知る人ぞ知る人気のある評論家、随筆家だったらしい。この頃のエピソードは、あまり読んだり見聞きしたりしたことがなく、イメージと違う面も。
 例えば、青年期から中年の頃まで、植草さんは怒りっぽく、気難しい人間として有名だったらしい。著者は「私が知っている老年期の植草さんには、それとは正反対の『おだやかでやさしい人』という印象しかない」(p.273)と書いているように、私も気さくで温厚な人だと思っていたので、これは意外だった。
 それから、あれだけ本やレコードや色々なものを買い込んだ植草さんが、実は経済的に大変だったらしい。余裕があって買っていたのではなく、お金を工面しながら買い、それについて原稿を書いて少しでも費用を回収しようという面もあったようだ。それでも街に住み、「ぼくの散歩には自然の風景はどうでもいいし、そのかわりに何か買う物が目に付かなければならない」(p.10)という生活を続けたのは、日本橋の商家に生まれ、幼少期を過ごした経験からくるものなのだろうか。

 そんな、僕の知らなかったJJおじさんの姿を読むことが出来て、面白かった。

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紙の本

植草甚一の時代性あるいは反時代性

2010/02/02 03:14

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:明日のジョー - この投稿者のレビュー一覧を見る

J・J氏こと植草甚一について私は決して熱心な読者ではなかったが、70年代サブカルチャーのカリスマの一人だったことはよく覚えている。

ただ、個人的にいろんな意味で切羽詰まっていた学生時代のこと、「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」などという心とおカネの余裕はなく、彼の散文をちらちらと読むことはあったものの、植草ワールドに深く浸ったという経験がない。一昨年、世田谷文学館で回顧展が開かれていたことも知っていたが、見逃してしまった。それでも、あの爺さん、どういう人だったんだろう。なんであんな変な人があの時代に脚光を集めたのだろう、という関心は持続していた。

本書は70年代の若者からカリスマ的な人気を集めた植草甚一を世に送り出した一人である、晶文社の名編集者・津野海太郎による評伝だ。

津野は植草と時代を伴走した人なのだが、評伝を書くにあたっては個人的な回想は極力控え、絶妙の距離感を維持しながら、ときには自問自答を繰り返しつつ、ゆっくりとその人物像に迫っていく。津野の軽やかな文体には、もしかすると植草の影響があるのだろうか。その味わいも本書の特色の一つとなっている。惜しむらくは、この本が経営危機の最中にある晶文社から出ずに、新潮社から出ざるをえなかったことだ。

描かれるのは、日本橋の没落した木綿問屋の道楽息子だった植草が、大正期モダニズムや、左傾化と同義でもあったアバンギャルド芸術の風を浴びながら、大震災と戦争をくぐりぬけ、戦後の鬱屈した中年期を経て、そして70年代、突然のように脚光を浴びるまでの時代だ。

江戸川乱歩をも驚愕させた海外ミステリーに関する博覧強記、ミステリーにとどまらない膨大な海外小説や映画あるいはモダンジャズについての知識、しかもそれらを決して体系的にまとめることはなく、雑学のコラージュのように展開する手法はなぜ生まれたのか。

津野は、たんに植草個人や植草家に関する調査にとどまらず、彼がその周辺にいて、建築、演劇、映画、文学などの分野でさまざまな影響を受けた人物──たとえば村山知義、今和次郎、飯島正、徳永康元、淀川長治らとの知的交流の様子を、都市モダニズム文化の青春群像として描き出す。キーワードは、植草が抱えもっていたのではないかと推測される、山の手文化や帝大アカデミズムに対する、ある種のコンプレックスだ。

植草の本業ともいえる、映画、ジャズ、海外小説批評とて、けっしてその専門集団のなかでは主流とはいえなかった。それは植草の独自性でもあるが、同時に彼の鬱屈の原因でもあったと、津野は分析する。

しかし、永遠の非主流派であった植草の教養が、時代と交差する一瞬が70年代に訪れる。最後の大爆発をする老星の光芒が、都市化と大衆消費文化の70年代に火の粉のように降りかかる。高度成長期の日本で、遊歩する都市の楽しみを見失いつつあった当時の若者によって、植草は「見いだされた」。たまたまその時代は、これまでメインカルチャーの影に隠れていた、映画、ジャズ、ミステリー、街歩き、ショッピングなどのサブカルチャーが、あらためて発見された時期でもあった。いわば、植草は変わらないけれど、時代が変わったのだ。津野によれば突然に当てられたスポットライトのなかで、植草は永年のコンプレックスから解き放たれ、悠々と一人「老年の祭り」を演じていたのではないかというのだ。

都市の「散歩者」としての永井荷風や、同じ日本橋の没落商家の息子としての谷崎潤一郎との文化史的な比較も面白い。そうすることで、本書は植草の時代性ないしは反時代性を浮き彫りにすることに成功している。

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紙の本

自由気ままなライフスタイルの老師、ファンキーじいさんの辿った道

2010/04/15 16:43

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

あるときは、自由気ままなライフスタイルの老師と呼ばれ、
またあるときは、ファンキーじいさんと呼ばれ…
映画に、ジャズに、古本に…、多方面で活躍し、熱狂的なファンを多く持つ植草甚一さん。生誕100年を超し、没後30年を経た今も、注目されている、すごい人だ。そう、実に魅力的で、彼を知ってしまうと、なぜだか目が離せない。時代をさかのぼってでも知りたくなる魅力があふれている。そんな彼の辿った道を、編集者として植草さんと関わりを持った津野海太郎さんが記した一冊。彼の素顔に触れた瞬間がいくつもある津野さんだけに、その描写がまた読み手をぞわぞわさせる。

それにしても植草さんがいきなりファンキーじいさんになったわけでなく、昔からふしぎな青年であった…とあり、そりゃあそうだよなぁ~と思う。そんな彼をいち早く注目したのが、丸谷才一さんだそうで、こんなことを書いている。

「植草甚一の本質は何か?小説の読者だ、とぼくはかねがね思っている。そう、もっとも洗練された趣味と最も貧婪な読書欲をあわせもつ、小説の読者。菅原孝標の女にはじまる系譜の輝かしい末裔は、東京中の本屋を毎日のように歩きまわる、この小柄な男なのである。海外の新しい小説を植草さんよりも多く読んでいる人を、ぼくは知らないのだ。」

これを読んだ植草さんはさぞかしうれしかっただろうと、著者の津野さんは想いをはせる。実はまだ本が貴重品で入手困難だった時代、植草さんと丸谷さんはある一冊の本(輸入書の新刊)を巡って出会っているのです。そのときには植草さんが丸谷さんに本を譲ったそうで。私はこのくだりを読んで、本好きの一人として、つくづく感動しました。本がつなぐ縁は深く、きっと一生忘れられないものだろうなぁ~と。

植草さんが、ふしぎな老人、ファンキーじいさんとして注目される前の話もたくさんありました。下町商人の息子時代、東宝で働いていた頃、そうそう映画評論をしていたときに親しく付き合っていた淀川長治さんの回想録は特に心に残る箇所でした。

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2010/06/09 18:34

投稿元:ブクログ

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2013/03/06 10:47

投稿元:ブクログ

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2011/06/23 15:46

投稿元:ブクログ

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