紙の本
「古事記」を読む、その入り口として最適な書
2020/08/08 21:44
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
「古事記」の「神代篇」の世界を、神職の資格を持つ宗教学者の鎌田東ニ氏が、記憶のままに語りおろし、それを編集者が書き留めるというカタチで書かれたもの。
それは、まるで、古事記がまとめられた時代、稗田阿礼と太安万侶の組み合わせが現代によみがえったような面白い試みで興味深いし、そもそも古事記の世界の全容を把握するには最適な書だと思う。
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投稿者:まつま - この投稿者のレビュー一覧を見る
超訳なので厳密な訳ではないが、『古事記』を全く知らない人が上巻の流れを掴むのに最適。この本を読んでから古事記本文を読むと頭に入りやすい。古事記に興味はあるけど難しい…という人に本当にお勧めしたい。
ただし、やはり超訳なので読んだ後はぜひ本文も読んでほしい。
とにかく表現が美しい。絵画を見ているよう。
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詩のように紡がれる文体で、今の私達も神話の世界から繋がっている感じが染みてきた。しかし何より特筆すべきは鎌田東二がこれをヒエダノアレ(変換できず汗)よろしく口述したということ。すごく実験的だ。
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古事記って名前だけは知ってたけど、こんな内容だったんだー。
絵本読んでるみたいな感覚ですらすらと、アッという間。
こんなに短いんなら、学校でも歴史の時間とかに読ませればいいのに。
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【ジャケ評】
このジャケすごい。
画像だと日の丸みたいだけど、実際は虹色に反射する銀色の円。
書体がとても美しい。
装丁は寄藤文平。
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古事記は常々、読み直してみたいと思いつつも、なかなか読めていない。
で、超訳という、とてもキャッチーなタイトルに惹かれ、読んでみた。
5段階評価で、★6つくらいつけたい面白さ。
原文で読んだ時に、中身は面白い気がしたけれど、リズムよく読めなかった印象があるけれど、この本はリズム感がとてもよくて、というよりも、稗田阿礼が目の前で詠んでくれたらこんな感じじゃないかな?って思った。
なので、あとがきに口述筆記した、と書いてあり、興味深い。
これは、古事記とセットで、所有したい1冊。
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某先生が古事記についてよくお話をされるので、興味本位で読んでみた。
なかなか易しいことばで詩みたいに綴られてて読みやすかった。
日本の神様適当だなあ(笑)
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ものすごく読み易い。ちょっとずるしてる気分になるけど、入りとしてはいいよね。
神様が人間よりも人間臭いのは古今東西万国共通だな。
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日本誕生の神話は、こんなに面白かったのか!
生老、病死、愛憎、諍い、霊・・・ 全ての物語の要素が宿る『古事記』。
本邦最古の書が、1300年の時を超え、「今の言葉」になって蘇る!
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さらっと読めてしまった。
著者も書いているとおり、史実に忠実なものではない。かなり自由な訳のようである。
でも、リズムがよく、細かいことを省いたスタイルが、かえって、古事記というものを俯瞰して捉えることができて、よかった。
これを最初に読んで、全体の雰囲気を感じてから、改めて古事記に挑戦してみるのがいいかもしれない。
そして、日本書紀や風土記も読んでみたくなった。
2014.04.23 再読。
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読み物として純粋に面白い。八百万の神とはよく言ったもので、この国の神話には本当にさまざまな神が出てくるなというのがダイレクトに感じられた。そして、そうした神々の人間くささがまた意外で、神話って思ったより身近なものなんだなと感じた。断片的に知っている物語の出所が古事記だったんだ、ということがいくつもあり、こちらも自分にとっては新たな知識となった。
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「古事記」は、数年を置いて、たまに読むと楽しい。本書の前は、水木しげるの漫画だった。その前は井沢元彦、もっと前は高校時代か。
その中で、本書は、著者が二日間で口述したものを、ミシマ社の社長が筆記、編集したというちょっと異色の一冊(あとがきより)。まさに稗田阿礼と太安万侶による共同作業さながらに出来上がった作品。ゆえに逐語訳ではないけれど、かえってそれが、余計な解説を気にすることなく、口述のリズムに乗りながら、詩を愉しむかのようにすらすらと読めて非常に心地よかった。
情景が目に浮かぶなと感じたが、そこは多分に水木版『古代出雲』のお蔭か。本書を読みながらも、数々のシーンで水木しげるの描く神々の姿が蘇ってきた。『古代出雲』も良い本だったが断捨離で手放してしまったことが、ちょっと悔やまれる(いい本だから、高値が付くかと思ったら二束三文だったぞ、ブッ○オフ! 余談)。
とにかく、日本にとって大切な記紀神話が、西洋諸国における聖書や神話ほどに身近な存在になっていないのは非常に問題。それが天皇崇拝とか変な右寄りの思想に加担するとかの議論より前に、ベースとしてこうした話が創造されていたことは日本人として、よく知っておくべき。
古事記の神々の話を読めば、実に人間以上に人間臭く、光と闇、生と死、破壊と再生、男と女という普遍的なテーマが常に記されていて、しかもそれらのどちらが正しいとか間違ったとか、どちらが主従ということではなく、両者が表裏を織りなし、あらゆる事象や人間個人においてすら両面を備えているということを繰り返し教えてくれている気になる。前半、傍若無人ぶりをいかんなく発揮するスサノオ(本書では須佐之男)が、最後には詩を読むシーンなどは、壮大な長編スペクタクル映画のエンディングシーンのようで感動すら覚える。
「これをもって わが国は 歌ぶりの栄える 詩の国となった のである」
やまとしうるわし、だな~。
土着勢力を新勢力が平定していった物語を神の名を借りて正当化しているとか、この神話編の最後が初代天皇の神武天皇に繋がって終わることなんて、どうだっていい。人間の性として、時には善、時には悪、それが表になり裏になり歴史が紡がれてきた。それだけのこと。実に単純明快なことというのが、この「超訳」のリズムに乗って一望のもとに俯瞰できる面白い試みの一冊だった。
参院選後、三原順子が池上彰に神武天皇の実在を問われたり、天皇の生前退位の意向の話が出るのとは無関係に図書館に予約を入れていたものだったが、まぁ、なんとなくこんなタイミングで読めたのは面白かったかな。
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僕は中学生くらいの頃から神話に興味があったから
「古事記」は普通に読んだけれど、
一般の人たちにとって読みづらい、というのはよく分かる。
僕も結構一生懸命読んだ記憶がある。
だけど、中身自体は一般の人たちにとっても間違いなくおもしろい。
あらゆるファンタジーの原点のような、壮大な物語。
僕は苦労して古事記を読み通したあと、「これはすごい!」って思ったし、
みんなにももっと知ってもらいたいなぁ、と思ったものだから、
この本はとってもうれしい。
「超訳」と題してはいるけれどそんなにぶっ飛んだ解釈、というわけではなく、
ただ現代の人にわかりやすいように解説なんかを加えているから
「逐語訳ではない」ということ。
むしろ、余計な解説を入れずに、
きちんと心地よいリズムを考えた詩のような文体になっていて、
(もともと古い書物は全部詩のようなものだった、とも言えるだろうし)
とにかく情景が描写しやすくてするする読める。
同じように「読みにくい本を読みやすく」というコンセプトで作られたものとしては、
「マンガでわかる」みたいなシリーズがよくあるけど、
やっぱりイラストにしてしまうとイメージの齟齬もあってなかなか受け入れにくい。
こっちの方が断然おすすめ。
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お正月は初詣に行かれた方も多いと思いますが、日本の神々の系譜や宗教的儀式の意味については意外と知られていないもの。古事記や日本書紀の名前を知ってはいても、読んだことがある、という方は少ないのではないでしょうか。特に、戦後世代にとって、記紀神話は聖書以上に遠い存在かもしれません。かく言う井上自身、古事記には何度か挑戦しては挫折を繰り返してきた苦い過去があります。
しかし、この鎌田訳古事記に出会って、古事記ってこんなに面白いものだったのかと、目を開かされる思いがしました。ギリシャ神話や聖書の物語にも匹敵する面白さですし、「日本昔ばなし」等で親しんできた民話の原型も散りばめられていて、日本人が語り継いできた物語の源流に出会えた気分になります。
語られるのは、光と闇、生と死、破壊と再生、男と女、美と醜など、およそ世界中の神話が扱ってきた普遍的なテーマを巡ることばかりです。そして、これら一見対立するかのように見えるものが実は物事の裏表でしかない、ということを古事記は繰り返し伝えようとしているかのようにみえます。善か悪かというようなシンプルなものの見方をせずに、人間にも自然にも二面性があるのだということを認識し、それを語り伝えようとしてきた古代の人々は、私達よりも、人間や自然に対してずっと深い眼差しを持っていたのでしょう。
このような古事記の世界観に触れる上で本書が何より素晴らしいのは、古事記が本来持っていた口承文学としての魅力を蘇らそうとしている点にあります。正確な翻訳を期すことよりも、稗田阿礼が語ったそのままの「語り」としての面白さを取り戻すことを目指しているため、音楽とも、詩の調べともつかない、瑞々しくもたおやかな、美しい響きとリズムを持つ言葉が本書の全編を貫いています。
その言葉の響きとリズムに身を委ねていると、古代の神々や人々の息吹がとてもリアルなものに感じられてきます。歌を愛し、踊りを愛し、異性を愛し、動植物を愛した私達の祖先達は、歌の国、平和の国、清らかな生命と神々に満ちた国として日本を見ようとしていた。それは古代の人々が物語に託した祈りだったのだと思います。
今生きるこの一瞬一瞬が古代から途切れることなく続いてきたもので、その底には、古代の人々の祈りがある。そう思うと、今、見ているもの、触れているものの一つ一つが、とても新鮮に思えてきます。心あらたまる新年にぴったしの一冊ですので、是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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まる さんかく しかく
まる さんかく しかく
天は円 地は四角 人は三角
わたしたち青人間は
日々 その尊い 伊邪那美命の体から生まれ出た神々の
息吹と お陰をいただいて 暮らしている
こうして 生きるということは 産霊の神々から始まる
神々の生成化育する体を わが身の個体に 取り入れる
ということなのである
何も見えない 何もわからない 何もできない 何も生まれない
息をするのも苦しい 未来がない 希望がない
いのちがうすくなる
暗黒に閉ざされた世界に 様々な災いが 次から次へと起こった
どうすればいいのか これから先 わたしたちは 光のない世界で
どうやって生きていけばいいのだ
「祭りをしよう!
岩戸の前で みんなの心をあわせ 力をあわせて祭りをしよう!
そして心を込めて 祈り 祭り 踊るなかから
日の神 天照大御神を 呼び戻そう!」
ああ 天が晴れてきて 光が射してくる
その光が わたしたちの面にあたり
体も心もうきうきと浮き立って みなともに 一緒になって
踊りを踊る
笹葉も草木も すべてのものが 一緒になって 踊りを踊り
ひとつになびく
このようにして 暗黒の世界から 光が戻り
新しい光と希望の世となった
須佐之男は その想いを歌にし 心の昂りを鎮めた
これをもって わが国は
歌ぶりの栄える詩の国 歌の国となったのである
災いをなす 恐ろしい怪物を退治して 新しい世界を切りひらき
愛の言霊をかなでて 世界にうるわしい調べをもたらし
神々と人々を しあわせにするわざ を伝えたのである
生太刀 生弓矢は 勇敢な大国主神の 力をあらわす呪具
天の詔琴は 歌を歌い 神言を奏上し 神の心をほぐし
和らげ癒す 言霊の力を 引き出す呪具である
知恵と力と歌によって 大国主神は 立派に 出雲の国を治めた
「ああ これが 葦原中国 称えて言う 豊葦原の水穂の国なのか
この地の水は 清らかに流れ 稲穂も たわわに実り
神々も人々も むつみ和み やさしく支えあって
生きてゆける国である この御国に幸いあれ!」
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●[2]編集後記
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毎年、元日には家族三人で近所の神社に初詣に行きます。
初詣というのも考えてみると不思議な習慣です。普段信心していなくても何となく行きたくなる、行かないと落ち着かない、という日本人は多いのではないでしょうか。行く先も神社とお寺の両方があるのですから、信仰をされている方には理解できない習慣でしょう。
娘は神社に行くと神妙にしています。「神様」がいるところ、というのは、何となく理解しているようで、手を合わせることもします。しかし、4歳の子どもにとって、「神様」がどういう存在として認識されているのかは謎です。そういえば、今まできちんと神様についての話をしたことはありません。キリスト教系の幼稚園に行っている娘は、「神様」という言葉には親しんでいますが、それは「イエス様」なり「主」なりであって、神社の神様とは別物。きっと彼女にとっては、毎週、語り聞かされているキリスト教の神様のほう
が身近なはずです。
そう考えると、物語の力というものは馬鹿にできないのだなと思い至るのです。キリスト教には聖書の物語がありますから、幼い子どもでも小さい頃から神の概念に親しむことができます。古���記も本当は、そうやって語り聞かせるべきものなのでしょう。今回ご紹介した古事記は、読み聞かせにもってこいなので、今度、娘に読み聞かせてみようと思います。
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(No.12-40) 題名どおり、古事記の超訳です。(本文では神様の名前は漢字ですが、面倒なのでカタカナ表記で書きます。)
子供向けとかマンガなどでは読んでいる古事記。
一度は逐語訳をと挑戦してあえなく敗退。
でもやっぱり興味はあって・・・。
超訳?なんだか面白そうだわ。
いろいろ思いながら読みましたのでつらつら書いてみます。元になってる古事記は変えようがないのでそれに文句つけてもしょうがないんですが。
リズミカルな詩のようで歌のようで、これは親しみやすいわ。
そういえば古事記は元々、口で語って伝えてきたものを記録したんだった・・・。
その雰囲気を充分に伝えてくれてます。
私はイザナギ、イザナミが柱の周りをまわって出会うシーンには、以前からすごく不満がありました。女性のほうから声をかけたから障害のある子が生まれ、おまけにその子達を海に流しちゃうなんて。
それが、あれ?女性のほうからの声かけのシーンがない!著者はあえてカットしたんでしょうか。知りたいなあ。
でもやっぱり子供は流しちゃうんだけど・・・。
イザナギ、イザナミが絶縁したあとでたくさん生まれた神様と、最後の三柱のアマテラス、ツクヨミ、スサノオにお母さんっているの?状況から見るとイザナギだけで産んでるみたいなのに。
スサノオは母を恋しがってうるさくてしょうがないので、イザナギは「母のところへ行ってしまえ」とイザナミのところへ行くように絶縁宣言してる。ということはやっぱりみんなのお母さんはイザナミ?
日の神アマテラスが姉・女性、月の神が弟・男性というのは興味深いです。なんとなく女性を月に例える事のほうが自然な感じがするのに、古代では違ったのか。
しかしアマテラスとスサノオは派手にやりあうけど、ツクヨミの影が薄い・・・。真ん中の子の宿命かしら。
そのスサノオの子孫オオクニヌシはスサノオの娘と出合ってお互い一目ぼれ。ふーん、神様は長生きなのでそれもアリなんだわね。
オオクニヌシの国づくりに協力する、突然やってきて突然去るスクナビコはなんか不自然。しかも彼と関係があるのかないのか、入れ替わりに祭られることになった三輪山のオオモノヌシ。本当のところ何があったの~教えて~。
でも古事記で一番不自然なのは、やっぱり出雲の国譲りでしょう。もう不自然さがてんこ盛り。妄想を刺激しまくり。
不自然なんだけど、でも感動しちゃうのは現実に出雲大社が存在すること。古事記にあって、今もある。これってすごいことですよね!
ヤマサチ、ウミサチの話は日本昔話的に親しまれてます。出来の良い弟が横暴な兄に勝つ話として。
でも改めて考えてみると、ひどい弟・ヤマサチだわ。嫌がる兄・ウミサチから無理やり釣道具を借りて、釣り針をなくしてしまうんだから。
あの釣り針は魔法の釣り針なのよね。だから代わりのものではダメなの。
で、ヤマサチは探しに出てから3年もたってやっと帰って来た。その間、トヨタマヒメと恋をして幸せな時を過ごしてね。ウミサチに釣り針を返すとき魔力を失わせ、災難にあわせ、最後には兄は弟に仕えることに���る。兄を懲らしめるってなにそれ、ひどすぎ。なんかヤマサチって好きになれないなあ。
ヤマサチとトヨタマヒメの間に出来た子供がウガヤフキアエズ。彼とトヨタマヒメの妹・タマヨリヒメの間に出来た子供のうちの一人が、神武天皇です。神武天皇ってヤマサチの孫だったんだわ。
まあここから神様の世界から人間の世界になったわけね。
すらすら読めて、とっても面白かったです。