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情報科教員MTのBlog (祝・『独学のすすめ』復刊!!!!)
http://blog.livedoor.jp/will_pwr/archives/51418541.html
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F先生おすすめの本。
書かれていることは、先生がいつも言っているようなお話で。
野生チンパンジー研究家のジェーン・グドールさんが冒頭に紹介されたのは驚きだったけど。彼女が高校しか卒業してないと知って、確かにこの本に適切な人だなあと思いました。すごい。
それに加えて教育論についてよく書かれてあったり、その時代の風潮なんかについても指摘があったりして、読み物として面白かったです。
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大学教授の小言か。と思って気軽に読んでたら、40年前に書かれた本だと知って驚愕してる。。。現代の教授が書いてると思い込んでた、ってくらい核心を突いて、学生の向学心の無さを嘆いている。学問のまえに向学心教育が必要かも。
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・学校でなくとも勉強はできる
・熱意があれば専門家にも勝る
・大事なのは継続すること
・批判的な見方ができるようになること
・アメリカでは「教科目」がごちゃ混ぜになっているところがある
・問題を「発見」し,「つくる」ことの大切さ
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独学ですから。そういう時の言葉には、どこか保険のような響きがある。
体系だてて専門的に学んだわけではないですよ、というような。
やる気の問題、と言われても独学で何かを学ぶことには不安が伴う。
しかしやる気さえない場合だってあるよね、と柔らかく指摘されているような気分になることもチラホラ。
生涯学習についてという入口から
学ぶことについて、それは自身の学びや教育についてということも含めて、著者は意見をわかりやすくまとめている。
小難しそうに見えるが、ふむふむなるほど、とうなづけるところもたくさん。
驚くべきは30年以上も前に書かれたものだということ。
人は社会という背景と科学技術という道具を別にして、さほど変わらないのかもしれない。
印象的だったのは
■問題とは何か。の章
問題作り→問題解決のサイクルを創り上げることの重要性
(サイクルを創る=システム構築とすれば、ノウハウにとらわれて根本的なシステムが出来ないことに繋がる?)
■創造性の章
一般的な思い込み
↓ 破った思考で問題解決に至る
創造
創造的な人間=既存の思考枠をいったん白紙に戻して、初めから考え直してみることの出来る人間
→さらに言えば新たな枠を作ることの出来る人間
⇅
常識的な人間
■専門とは何か の章
アメリカの実験学級
銀の匙の授業スタイルと似ている?
国語にかなり特化してはいるが、
感覚的な部分など
ルネサンス期の知識人になりたい
=多面的人間
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学校教育が当たり前になり、半数以上の人間が大学に進学するようになったのはごくごく最近のことである。洋の東西を問わず、学問の正道は独学であったと著者は主張する。世に名を知られる大学者、思想家の人たちのすくなからぬ部分が学校教育以外の独学によって行われていたことは厳然たる事実である。独学とはつまるところ、主体的に学ぶという意欲と姿勢のことである。幸いにして、その意欲と姿勢があれば日本ではいくらでも学ぶことができる環境が整っている。こうした環境にいられることに感謝するとともにあらためて驚くばかりである。
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●読書とは他人の経験を正々堂々と盗むということ
●情報を選ぶことが、人生を選ぶこと
→いい情報だけをじょうずに汲み込んだ人の人生は充実している。
どっちみち、一度しかない人生なのだから、それは充実したものであるにこしたことはない。
出来るだけ、いい情報を選んで、上手に生きたい
●平凡な事務社員のジェインのチンパンジーに関する世界的な業績は、努力と「独学」によって。
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学問のすすめ、ならぬ独学のすすめ。
根源的なことは、意欲、やる気である。何を動機付けて意欲的になりやる気を出すかは、人によったり、状況によったりするのだろうが、独学含め何事も意欲、やる気が、その結果とやることの意義を高める。
教師は、生徒の意欲ややる気を引き伸ばしたり、つまづいているときに一緒に悩んだり励ましたりすることがもっとも大切な仕事である。意欲とやる気を持った生徒は、自分から学び出す。
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学校制度ができる以前は、独学により知識を得ることが普通だった。またICTが発達した現代ほど、独学の環境に恵まれた時代はないことは疑いようがない。現代は、様々な媒体に登載されている文献やその他資料から、容易に他者の経験を自由に盗むことができる。また過去を歴史を紐解けば、庶民はそうした環境に置かれてはいなかった。この意味に限っては、今ほど素晴らしい時代はないと感じる。本書の結論は、あまりにも当たり前過ぎることではあるが、あとは自分自身が独学を推し進める気を持ち、知的好奇心を持ち続けられるかどうか、ということだった。
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独学という概念を柱に、世の中の様々なことに鋭い疑問を投げかけている。特に教育に関しての筆者が挙げた問題は、現在でも解決されていない問題だなと思った。受動的な学習から自発的・創造的な学習を重視する方向にシフトするのはそう簡単にはいかないことなのだろう。
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単行本の発行は1975年。雑誌「ミセス」に連載されたもの。
ジェーン・グドールの例を紹介して、独学の有効性を説いている。
「試験の社会史」がおもしろかった。
・学校は独学では勉強することのできない人たちを収容する場所。
・学生の頃は1日1冊読んでいた。現在は週に1冊。
・生き方は伝記、小説、テレビドラマで学ぶ。
・参加としてのしごとのよろこび(「文化と自由」ドロシー・リー)
・問題は自分で作るもの。
・科挙が中国で行われるようになったのは6世紀の隋の時代。日本で科挙の精神が解凍されたのは明治以降。イギリスで平等原則に基づいた官吏の任用試験が行われるようになったのは1870年。アメリカでは1883年。
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自分のやる気次第で,専門家になれるほどの知識をつけることができる。今からでも遅くはない,と思える一冊。
知的探求心があれば,学校はなくてもよいとまで言ってしまう著者に共感を覚える。
また,若干母親向けにも書いており,これからの子育てをする上でも,勉強になった一冊だった。
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会社の朝のミーティングで上司がこの本を引用したり、雑誌の書評を見たりしてて、気になってアマゾンで購入。
1975年に刊行された本なので、文章中のデータとかはかなり古いけど、筆者の言葉に共感する所が多い。
「子どもがテレビばかり見て本を読まない、どうしたらいいのでしょう?」という苦情とも質問ともつかない声を聞いたとき、私は「それではあなたがたはこのひと月の間にどんな本をお読みになりましたか」と反問してみた。決まってこの反問に対して当惑した表情をする。親が本を読まないで、どうして子供が書物にたしなむようになろうか。本を読むのは若いとき、「年をとったら本なんか読まないもの」というような思い込みで子供と接触していたのでは、家庭教育などできっこない。
一児の親として、一社会人として、独学の姿勢を忘れないようにしなくてはと思いました。
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大学や学生に嫌気がさしてる感じ、心からそうだなぁと思うのです。「官僚に面白い奴いない」「学校は自学できない人の救済措置」「主婦本読まない」とか、1974年に書かれたというのに今と全然変わらない。教育制度のルーツや実在する人物の事例なども興味深いです。
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教育の成り立ちから掘り下げて、現在の教育制度を問い直す。
本来の学びとはやむことのない知的好奇心の探求にこそある。
途中著者の主婦に対するあたりの強さには思わす笑ってしまったが、それも日本の将来を憂えばこそ。
これが三十年前の婦人誌に掲載されていたということに驚かされる。
氾濫する情報を取捨選択するために批判する力をこれから育てていこうと思った。
他にもこの本から学べることはたくさんある。おすすめ。