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紙の本
ヒーローストリート・ブルース
2011/05/07 01:07
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:峰形 五介 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一巻の帯にこんな一文があるが――
「『ウォッチメン』とも『キリング・ジョーク』とも『Vフォー・ヴェンデッタ』とも違う、あなたの知らないアラン・ムーアがここにいる!」
――これは嘘だ。ここにいるのは「あなたの知らないアラン・ムーア」ではない。
確かに他のアラン・ムーアの作品と違って、この『トップ10』はシリアス一辺倒な物語ではない。
しかし、名作『ウォッチメン』と同様に『トップ10』もまた現実的な等身大のスーパーヒーローたちを描いている。ただ、『ウォッチメン』のスーパーヒーローたちが(ドクター・マンハッタン以外は)ヒーロー気取りの常人であったのに対して、『トップ10』はほぼすべての登場人物が本物のスーパーヒーローだ。物語の舞台となるネオポリスは、スーパーパワーを持つ超人だけが暮らす都市なのだから。
考えてみてほしい。もし、この世界の全ての人々がスーパーヒーローだとしたら? そう、スーパーヒーローであることになんの優位性もなくなるだろう。ネオポリスの住人たちはアメコミのヒーローのようにジャンプスーツを着て、マントをまとい、マスクをつけ、スーパーパワーを活かして生きているが、その活かし方はスーパーヒーローのそれとは程遠い。ビザ屋の配達員は超音速で移動してピザを届け(一巻P23)、食堂の店員は目から光線を出してホットドックを焼き(同P25)、浮浪者は指先から放射した炎で暖を取る(同P27)……といった按配。
誰もがスーパーヒーローであるが故に、本当の意味でのスーパーヒーローが存在しない――そんな非現実的とも現実的とも言えるヒーロー不在の世界で法と秩序を守るのは誰か?
もちろん、警察だ。
本作はヒーローものであると同時に刑事ものでもある。ベースとなっているのはアメリカの刑事ドラマ。それも『刑事コロンボ』のような名刑事が活躍するドラマでもなければ、『マイアミ・バイス』のようなクールでスタイリッシュなドラマでもなく、『ヒルストリート・ブルース』のようなドラマ――個性豊かな刑事や警官たちの群像劇だ。
そんな群像劇タイプの刑事ドラマの登場人物たちがそうであるように、ネオポリスの第10分署(その通称が「トップ10」である)に所属しているスーパーヒーロー/スーパーヒロインたちも欠点や弱点を持った「普通」の人間である。世界を変えるほどの力もなく、世界を変えようという意思もなく、ある者は認知症の父を抱え、ある者は既婚者の同僚に想いを寄せ、ある者は異人種に差別意識を抱き、ある者は同性愛者であることを隠し、警察の職務をこなして坦々と生きていく。
しかし、それでも『トップ10』はスーパーヒーローの物語である。第10分署の面々は欠点や弱点だけでなく、ヒーローと呼ぶに相応しい美点――ささやかな勇気や正義感や愛もまた持っているのだから。そう、「普通」の人間と同じように。
二巻の帯にこんな一文があるが――
「スリルとサスペンス、ギャグとパロディ、そして…愛。全ての要素が詰まった波乱万丈のポリスストーリー」
――これは本当だ。この物語は「全ての要素が詰まった波乱万丈のポリスストーリー」である。