- カテゴリ:一般
- 発行年月:2009.12
- 出版社: 白水社
- サイズ:19cm/210p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-560-08033-7
紙の本
荒木経惟つひのはてに
著者 フィリップ・フォレスト (著),澤田 直 (訳),小黒 昌文 (訳)
膨大な作品から厳選した31点の写真。その一枚一枚から、荒木が生涯を賭して制作をつづける長大な「私小説」の一端を繙き、生と死、喪と欲望、哀しみ、そして溢れ出る愛を読み解く。...
荒木経惟つひのはてに
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商品説明
膨大な作品から厳選した31点の写真。その一枚一枚から、荒木が生涯を賭して制作をつづける長大な「私小説」の一端を繙き、生と死、喪と欲望、哀しみ、そして溢れ出る愛を読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
フィリップ・フォレスト
- 略歴
- 〈フィリップ・フォレスト〉1962年パリ生まれ。パリ政治学院卒。ナント大学文学部教授。大江健三郎をはじめ日本文学についての批評家でもある。「永遠の子ども」でフェミナ賞処女作賞、「さりながら」で12月賞受賞。
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紙の本
その全貌をつかんではいないとしても、核心にはふれていると思わせるフランスの作家、文学研究者フィリップ・フォレストによる荒木経惟写真論
2010/03/09 17:41
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の写真家の誰かについて今まで海外において1冊の本のかたちで論じられたことがあるのかどうか知らない。だが少なくとも本書は日本人写真家に関する海外書籍の初めての訳書ではあろう。
その対象となるのが荒木経惟であるのは、彼の写真が海外で高く評価されていることから当然の思いがわく。
ところで荒木経惟には膨大な写真集と付随した著作があるが、2007年に刊行された『荒木本!』には、刊行時点までのすべての本が紹介されていて壮観である。一時、この本を案内にして彼の写真集を次から次へと捲り、眺め、読んだことがある。
その経験からみると本書はなんとなくあっさりした印象がある。だが一見露悪的としか言いようがない、こってりした荒木経惟作品のかたわらに見え隠れする何かを、外からの視線であるがゆえに把握しえていることがあるのかもしれないと読みながら時おり思った。
荒木経惟を江戸の浮世絵師につらなる存在と考えるあたりは海外の一般的な反応を出ていないとしても、私がなんとなくハッとさせられたのは、同じ敗戦国イタリアのネオレアリズモと比較したところだ。著者は下町のガキ大将を写した『さっちん』をデ・シーカの『靴みがき』に等しいと言い、また『戦火のかなた』のカットを想起させると記す。そして自身の新婚旅行を撮ることで生きた『センチメンタルな旅』をロッセリーニのバーグマン映画、とりわけ『イタリア旅行』に比較する。
また31の章の並べ方は、前半、荒木経惟の個人史と日本の戦後史を重ね合わせながら進み、後半の荒木的世界と言うべき3つの「みだらなもの」の章、4つの「女たち」の章にうまく接合させている。
章数の31が「和歌の音節数に呼応し」、またすべての章が7つの段落で書かれているあたりは、西欧的な日本遊びだと思いはするが、荒木経惟の作品を把握する著者の根底にあるものには、ひっそりとした共感をおぼえた。
比較文学の研究者だった著者は最愛の娘の死をきっかけに小説に手をそめ評価されるが、彼が荒木経惟に惹かれる核心には自らにもある、愛するものを失った存在による「喪」の表現がある。
フォレストの小説には荒木にある露悪的なものはないだろうが、著者はおそらく日本の写真家の露悪的な表現の底にというか傍らに、何か彼のこころをふるわせるものを見出したのだと思う。とりわけ荒木による亡き妻のための『冬の旅』に。
ところで「写真」と「喪」といえば、ロラン・バルトの『明るい部屋』があるが、そのバルトが母親の死のあとにカードに書き継いだ「日記」が、バルトの死後数十年経って刊行された。その『喪の日記』は、フォレストが考察の対象とする日本の写真家の作品に、日記や日付とのかかわりを見出しているため、比較できるところがあるかもしれない。
フォレストは、ある時期、日付を自由に改竄した偽日記写真を撮り続けた荒木が、亡くなった妻を撮るとき、日付は本当のものでなければならないと覚ったこと指摘している。
本書に引用されている写真の一つは、柩のなかに横たわる花におおわれた妻陽子の亡き姿を写したものだが、そこには日付がある。それは冷厳な死の前にオフザケが許されない、といったことに還元されない何かである。
バルトも公表するつもりは全くなかったと思われる簡単な文章に日付をつけて、まさに「喪」を生きた。最愛の母親を喪った彼の言葉は、柩のなかの妻の写真を撮影する日本の写真家と対照的だ。一枚のカードに書かれた言葉を、正確に1ページにおいた書物としての『喪の日記』は、その喪の日々、言葉がどのようなところから絞りだされたのかを読むものに覚らせる。
おそらくバルトには荒木経惟の行為に関心を向ける気持ちがないと思う。だが『荒木経惟 つひのはてに』の著者は、ロラン・バルトと荒木経惟の両方に深い関心を寄せざるをえないはずだ。
この荒木経惟論は写真家の個人史(表現史でもある)を描いていると前述したが、8章には次のような言葉がある。《『さっちん』につづいて一九六四年に撮影された写真は中年女性を写している。……荒木は、まず銀座で、ついで東京の地下鉄で、彼女たちの肖像を撮影した。》
この地下鉄で荒木が、1963年から72年まで撮り続けたと自らがいう、中年女性どころか老若男女の膨大な写真は、撮影から数十年を経て『SUBWAY LOVE』として一冊の写真集となったが、私は荒木経惟のすべての写真のなかで、この一連の隠し撮り的撮影によってとらえられた人々の姿に最高の愛着を感じている。
残念なのは、本書8章におかれた写真は地下鉄に乗っているらしい女性を写しているが、『SUBWAY LOVE』のものではないことである。