サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。

電子書籍化お知らせメール

商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。

電子書籍化したら知らせてほしい

アプリで立ち読み

hontoアプリの確認

立ち読みには最新の「honto」アプリ(無料)が必要です。

バージョンの確認はアプリの「設定/情報」から確認できます。

最新の「honto」アプリをご利用の方

立ち読みする

最新の「honto」アプリをダウンロードされる方

hontoビューアアプリ

  • みんなの評価 5つ星のうち 4 444件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2009/11/16
  • 出版社: 新潮社
  • レーベル: 新潮新書
  • サイズ:18cm/255p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-610336-0

読割 50

読割50とは?

読割50とは?

hontoネットストアおよび、丸善・ジュンク堂・文教堂の提携書店にて対象の紙書籍を購入すると、同一の電子書籍が紙書籍の購入から5年間、50%OFFで購入できるサービスです。
購入時点で電子書籍が未発売でも、紙書籍の購入時期にかかわらず、電子書籍の発売後5年間、50%OFFで購入できます。

または読割50のアイコンがついている商品が対象です。

一部、対象外の出版社・商品があります。商品ページでアイコンの有無をご確認ください。

  • ※ご利用には、honto会員登録が必要です。
  • ※書店店頭でのお買い物の際は、会計時にレジにてhontoカードをご提示ください。
  • ※hontoが提供するサービスで、販売価格の50%OFFを負担しています。

読割50について詳しく見る

新書

紙の本

日本辺境論 (新潮新書)

著者 内田 樹 (著)

【新書大賞(第3回)】常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱...

もっと見る

日本辺境論 (新潮新書)

税込 924 8pt

日本辺境論(新潮新書)

税込 660 6pt

日本辺境論(新潮新書)

ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは

ほしい本に追加(値下がりすると通知がきます)

ご利用中のデバイスが対応しているかご確認ください

  • iOS
  • Android
  • Win

対応デバイスごとのコンテンツタイプやファイルサイズヘルプ

対応デバイス毎のコンテンツタイプやファイルサイズ

対応デバイス コンテンツタイプ ファイルサイズ
iOS XMDF 664.1KB
Android XMDF 664.1KB
Win XMDF 663.9KB

対応デバイス毎のコンテンツタイプやファイルサイズ

対応デバイス コンテンツタイプ 閲覧期限
iOS XMDF 無制限
Android XMDF 無制限
Win XMDF 無制限

予約購入とは

まだ販売されていない電子書籍の予約ができます。予約すると、販売開始日に自動的に決済されて本が読めます。

  • 商品は販売開始日にダウンロード可能となります。
  • 価格と販売開始日は変更となる可能性があります。
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて予約購入しても、予約一覧から簡単にキャンセルができます。
  • honto会員とクレジットカードの登録が必要です。未登録でも、ボタンを押せばスムーズにご案内します。

予約購入について詳しく見る

ワンステップ購入とは

ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。

こんな方にオススメ

  • とにかくすぐ読みたい
  • 購入までの手間を省きたい
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
  • 初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。

キャンセルについて詳しく見る

このセットに含まれる商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

商品説明

【新書大賞(第3回)】常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

内田 樹

略歴
〈内田樹〉1950年東京都生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想など。「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞受賞。

関連キーワード

あわせて読みたい本

この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

この著者・アーティストの他の商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

みんなのレビュー444件

みんなの評価4.0

評価内訳

紙の本

わからないなりにわかってしまっている日本

2009/11/16 00:52

22人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る

今を生き延びることに必死な人間は、世界観なんて持てない。
首を上に持ち上げるのは、空を見るためではなく、電車の中吊りとか
マックのメニューを見たりするときで、この国では働けども楽に
ならないときは星ではなくじっと手を見ることになっている。
世界観のない人間集団は世界の中心にはなりえず、いつまでも
どこかにありそうな世界の中心をキョロキョロ探している。

内田先生は新著で、世界の辺境でキョロキョロする日本人の習性を探る。
中華思想の遠隔地で生まれた辺境である極東日本は、いつも学びの対象を
探している。いつの間にか日本だった日本は、日本であることにいつまで
経っても自信がなく、「国際社会のために何が出来るのか、自らに真剣に
問うたことが一度もない」。

では今この国で効率的な模倣の学びが機能しているかというと、どうも
そういうわけではないようで、師を設定し師から師以上のものを引き出す
ような学びのダイナミズムもどうやら薄まってきているよう。

ということは、世界の端っこにいて国際貢献を真剣に考えもせずに
学ぶ力さえ弱まっているとしたらそれはかなり危ない状況ではないか。
内田先生曰く、学びとはそれをやってどうなるのかもわからない状況で
始まるもので「わからないけど、わかる」状態に辿り着くことだという。
身体をきめ細かく使い、機を見るに敏な身体が出来ていれば、
「わからなくても、わかる」。その意味は、本当に「わからなくても、
わかる」。

今の日本に生きる人々は、なんとなくこの国の行く末をわからないなりに
わかっているように感じる。世界をキョロキョロすれば、繁栄から下山に
向かった国は日本だけではないし。そんな世界で、いまだかたくなに
日本語で話し続け、書き続ける我々は、わかるヒトにしか伝わってない
かもしれないけれど、すでにこの地球上でエッジな存在感を出せているの
かもしれないし。

中心なんてなくなってしまった世界で、エッジな臨場感を感じつつ
そこそこ楽しく生きていくとしたら、今ここにある星空を眺め田畑を
耕し豊穣な日本語で理想郷を描いた岩手県人のように、どこまでも
開かれていてなおかつすごい謙虚にコウベを垂れて歩くような、
そういうものに私もなりたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

言い得て妙の日本人論

2011/05/03 11:19

10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 話題になった本である。帯によると「新書大賞2010」第1位になった本である(そんな賞があることを初めて知ったが)。そして「養老孟司さん絶賛」とあるが、読んでみると著者である内田樹が自ら「これは養老孟司さんからの受け売りです」と何度か書いているところがあり、なるほど、そりゃそうだろうと笑えてくる。例によってインチキ臭くて正しい内田樹の名文である(こんな書き方するとこの書評の評価は下がってしまうんでしょうけどw)。
 内田樹の面白さはひっくり返したものの見方である。もっとも内田樹にしてみれば従来の見方のほうがひっくり返っているのだろうが…。それを「あんたたち、逆立ちしてるよ」と指摘してくれる町のご隠居が内田樹なのである。
 そして、内田樹の魅力の第二は解りやすさである。論理の明快さもあるが、叙述の巧さもある。時としてかなり前の方に結論を書いてしまう。書いてしまうだけではなく「結論を書いてしまいましたが」と明確に宣言してくれる。このお茶目さが読者の理解を助けるのみならず、読者の気を逸らせない。
 ここでは「辺境性」というキーワードで日本人を輪切りにして行く。大雑把に触っておいて話があちこちに飛ぶ。その繰り返し。本人が言う「ビッグ・ピクチャー」あるいは「大風呂敷」である。
 第1章・2章は非常に分かりやすい。平たく言うと「日本人には自分がない」という、従来から何度も言われている論に近い。しかし、「辺境」という地理的関係から日本人の根源を捉え直したところが内田の独創性である。まさに言い得て妙の日本人論である。そして内田の内田らしさ、かつ確固たる論理性はここからで、彼は第1章の終わりをこういう記述で締める。

 こういうことを書くと、「なるほど、それが日本人の限界なのですね。では、アメリカや中国のように指南力のあるメッセージを発信している国を見習って、わが国も発信しようではありませんか」というふうについ考えてしまう。私の本がそういうことを主張しているというふうに「誤読」してしまう。あのですね、それが「世界標準準拠主義」であるということを先程から申し上げているんです。(98ページ)

 これが内田樹なのである。で、余談だが、この「あのですね」が如何にも内田樹らしい(笑) そして、彼はこう続ける。

 私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。(100ページ)

 そう言われるとなんだか肩透かしである。ご都合主義のような気もする。しかし、そういう結論にするしか、もう日本人を救い上げる方策はないような気もする。確かに救いの感じられる前向きな提案であるような気がしてくるから不思議である。
 第3章になると少し観念的・抽象的な話も混じってきて難しくなってくる。しかし、それは逆に内田の専門分野の知識によって補強されているということの証左であって、この3章によって論旨はさらに屈強なものとなる。
 ところが、最後にまた眼から鱗の単純明快な結論なり提言なりが書いてあるのかと思ったら、なんだかするりと終わってしまう。大きな風呂敷包みがふわりとほどけるように。
 ま、あとは自分で考えろということか。あるいは一緒に考えて行きましょうということか。ともかく、ここで考え終えてはいけないということなんだろう。
 なんだか煙に巻かれたようないつもの内田樹である。知的ゲームであるように見えて、実は生きるための本質に触れているいつもの内田樹である。

by yama-a 賢い言葉のWeb

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

日本人の「学び」について

2010/02/07 11:16

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者の本を読むのは これで3冊目である。前の2冊同様、大変興味深く読めた。

 本書は「日本論」であるが もっと言いきってしまうと「日本人の学び方」という内容だと判断した。元来 文化を発信する立場ではなく受信する立場(その立ち位置を辺境と著者は呼んでいる)にあった日本人が どのように外来の文化を受けとめ、消化してきたのかという論が本筋である。要は 元来「受け身でしか有り得なかった」という経緯が「日本人」というものを作り上げたという考え方である。

 「受け身」というとネガティブな印象も受けるし かつ著者も ある種の「受け身」部分に関しては 日本人に落胆しながら書いている部分もある。但し「受け身」を続けることのしたたかさについても主張していることも確かだ。

 実際 ラーメンやカレーライスというものを考えても 我々の「受信」と「変更」の強さが分かる。「インド人もびっくり」というコピーが昔あったが 日本のカレーライスを自国の食べ物だと思うインド人はなかなかいないような気がする。それだけ 日本人は自分の好みに作り変えてしまう力に優れているからだ。これは自動車産業などが最も好例だろう。日本車が世界を席巻する時代が来ると想像出来た人が1945年に世界にいたとは思えない。カンバンが 世界で通用する言葉になったことは 日本人の「学んだ結果」が世界的にも評価されたということだ。

 著者は そんな「受け身」が良いとも悪いとも主張していない。「そういうものだから まずそれを理解しましょう」ということなのだと思う。その「理解しましょう」という部分を推進するために いささか蛮勇を奮って本書を書いていることは良く分かる。「哲学」というものを象牙の塔や 難解な専門用語の山から助け出したいということが 著者のいくつかの著作を読んで感じる点である。これは正直 非常に有難い。僕も 少しづつ哲学を学びたいと思っている多くの人の一人だからだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

弟子の学び

2022/07/14 11:25

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ファウスト - この投稿者のレビュー一覧を見る

「弟子の立場に身を置く日本人の学びは効率的だ。」という指摘は的確である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

褒める系ではない、日本人論

2018/07/18 19:58

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

日本人論。
終わりの方の、師弟論とか武道・哲学論あたりはややこしかった。

基本的にはシンプルな理論で、私たち一人一人の感じ方、考え方から、
日本政府の外交政策、歴史、宗教まで、一貫した一つの理論で説明される。
といって無理矢理、強引にまとめているというわけではない。

納得する部分もとても多かったのだけれども、日本人を褒めてプライドをくすぐる
という内容ではないので、読後感としては、その内容が的を射ているだけに、
それほどスッキリしたという感じでもなかった。
もちろん、日本人を褒めるだけの日本人論でなければダメ、というわけでもないけれども。

でもきっと、この本を読んでおくことによって、自分の考え方とか世間の論調などで、
本書で指摘されているのと同じパターンが出てきたときに、アッと気づくことが
出来るかもしれない。いや気づかずに、また同じパターンを繰り返してしまうのかもしれない。
分からないけれども、少なくとも本書を読んでる最中には、このパターンを
理解しているわけで、それはきっと、悪くないことなんだろうと思う。

ところで、本書は中国共産党の中央紀律委員会(委員長は習近平主席)が二〇一四年に、
党幹部たちに読むべき本として指定した五十六冊のうちの一冊(日本人が書いたものはこれのみ)
に入っている、いうことだけど(この話は本書中には出てこない。出版後の出来事なので)、
現代中国人が本書を、どういうふうに感じながら読むのかな、ということをちょっと意識しながら読んだ。
あるいは、ヨーロッパ人が本書を読んだら…というふうに。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

現代の日本を読み解くヒント

2016/03/25 13:12

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よし - この投稿者のレビュー一覧を見る

内田さんの本は,何冊か読みますが,このような講義内容を聞ける学生さんは,幸せですね。日本ならびに日本人のidentity的なもの,目からうろこに感じます。これを読めば,いまの日本が東アジアで置かれている立ち位置,メンタルなものから読みとけて,納得できます。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

「日本語」から日本人性を考えてみる面白さ

2013/03/05 19:08

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:うーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「ぼく」と「私」の差を、外国語に翻訳できない、の一言でとてもうまく日本人性を言い当てる感性の鋭さを感じる。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

新書大賞受賞 内田樹 「日本辺境論」の内容紹介

2010/03/09 23:32

5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トグサ - この投稿者のレビュー一覧を見る

専門はフランス現代思想ですが、専門にとらわれず教育論など多くの著作がある内田樹(たつる)氏であるが、この度、この『日本辺境論』で新書大賞を受賞したようです。

「はじめに」で内田樹(たつる)氏は、この『日本辺境論』は「辺境人の性格論」は丸山真男からの、「辺境人の時間論は澤庵禅師(たくあんぜんじ)からの、「辺境人の言語論」は養老孟司先生からの受け売りであり、ほとんど新味がないとしています。
しかし、僕にとって丸山眞男 は馴染み深いものでありますが、澤庵禅師(たくあんぜんじ)や養老孟司氏 の言語論に疎い僕にとっては十分、新味のある論であった。
そして何故、そんな新味のないと言う日本人論を繰り返すのかというと、内田樹(たつる)氏はごみ掃除に例えています。
また、多くの先人たちが、その骨身を削って築いた日本人論を私たちは、まだ内面化していないのではないかと内田樹(たつる)氏は語っています。

そして中華または世界に対して辺境人である日本人をマイナスとして捕らえるのではなく、とことん辺境で行こうではないかという提案を内田樹(たつる)氏はしています。

<目次>
1 日本人は辺境人である
2 辺境人の「学び」は効率がいい
3 「機(き)」の思想
4 辺境人は日本語と共に

<内容紹介>
1 日本人は辺境人である
内田樹(たつる)氏は、「大きな物語」が失効した事を嘆き、本書『日本辺境論』を執筆した動機も、そんな「大きな物語」を語る知識人が減った事への異議申し立てだという。
そんな「大きな物語」が失効した主因は、内田樹(たつる)氏によるとマルクス主義の凋落だと言う。
僕はマルクス主義の凋落だけが「大きな物語」が失効した原因とは考えないが、日本の現代思想の期待の星である東浩紀などが、『動物化するポストモダン 』などで「おたく」などミニマムな素材にして「小さな物語」を語るのには、それはそれで意味があるだろうが、何だかイライラさせられてしまいます。

梅棹忠夫の『文明の生態史観』を引いて、本書の主張を内田樹(たつる)氏は「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識に」に日本人が取り憑かれているとしています。
ただ、このことを内田樹(たつる)氏はマイナスばかりではなく、日本人のしたたかさも生み出していると主張します。
旧来のマルクス主義者に見られるように、このことを後進性とかいったような捉え方ではなく、古来からの日本人の基本的特性であるとした点に、この内田樹(たつる)氏の『日本辺境論』の新しさというものがあります。
外来思想を受け入れる時の、その変容のパターンには驚くほどある共通した態度がみられるとし、私たちはたえず新しいものを外なる世界に求めていると丸山真男の言葉を借りて表現しています。

また、私たち日本人は他国との比較「よその国はこうこうであるが、わが国はこうこうである。だからわが国のありようはよその国を基準にして正さねばならない。」という文型でしか語れないと内田樹(たつる)氏は指摘します。
最近の保守派の論客が語る「よその国はどうであろうと」とかや日本文化特殊論もやはり他国の比較で自国のことを考えるという点では同じかもしれませんね。
また、我が国のいわゆる現実主義者は既成事実しか見ておらず、自らが「現実」を作り出そうとしないことを、先の第二次世界大戦中の出来事を引いて興味深く語っておられます。

僕は無性にもう一度、丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」が収められている『〔新装版〕 現代政治の思想と行動』を読み直したくなりました。
憲法九条と自衛隊の矛盾についても、日本人が採用した「思考停止」についても内田樹(たつる)氏は日本人の狡知の一つだと位置づけます。

2 辺境人の「学び」は効率がいい
我々、日本人が「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるもの」であると太古の昔から無意識下に考えて、その「ほんとうの文化」を学ぼうと考えていたらどういうことが起こるでしょうか?
そうです。聡い人は、もうお気付きですね。我々、辺境人は「学び」の効率がいいのです。
このことは、本書『日本辺境論』で初めて僕は気づかされました。
このことを、内田樹(たつる)氏は「優れた学習装置」である“道”について考察しています。
武士道、茶道などの指定と弟子らが織り成す“道”です。
また、学びへの過剰適応と呼ぶ、我々が「立場が上とされる人」への過剰適応についても。

3 「機(き)」の思想
ここで内田樹(たつる)氏は、「機(き)」という概念を手がかりにして、「時間意識の再編」という哲学的課題に宗教者たちがどう答えたかについて澤庵禅師(たくあんぜんじ)の考え方を引用し、我々、辺境人の主体について考察しています。
そして、そのように研ぎ澄まされてきた主体は、外来から受け入れるべきものとそうでないものについて先駆的に(アプリオリに)知っていると内田樹(たつる)氏は言うのです。

4 辺境人は日本語と共に
そして内田樹(たつる)氏は、日本の辺境性をかたちづくっているのは日本語という言語そのものであるという仮説を、ここで吟味します。
英語のIを日本語では、私、僕、俺とかいうふうに幾つもの人称代名詞が存在することを指摘することから始まり、日本語は、表意文字である漢字と表音文字であるかなを併用する特殊な言語であり、漢字と仮名は日本人の脳内の違う部位で処理されており、そのことが日本において「マンガ」という表現手段が特異的に発展した理由であると、養老孟司氏の指摘を借りて主張されています。
また、教養書において、時々見られる一般読書に解り易いように、難解な欧米等の哲学書の引用とかを噛み砕いて話法も、ここ日本だけに見られるものだそうです。

内田樹(たつる)氏自身が「あとがき」や「はじめに」で何度も繰り返されているように、この『日本辺境論』は大風呂敷で、議論もあちらこちらに飛び火するので、読んでいる時は、「まとまった意見」というようなものが見えず、面白みにかけているように感じたのですけれども、大風呂敷だからこそ、この『日本辺境論』内の議論は、大いに発展させるべきものが沢山あると思います。

僕のブログ記事より。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

語り口が絶妙

2017/02/24 19:24

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る

このテの本はゴリ押し・決めつけの論調が多くて読んでいて疲れる事があるのだが内田氏の本は一見優しい語り口。それでいてなかなか厳しい視線でなかなか形に出来ないでいるモヤモヤした事象に切り込んでいる。こういう人 貴重だな。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

とことん辺境で行こうと呼びかけ

2010/01/30 01:19

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:狸パンチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

内田樹さんの書いたものは、首肯できるものが多く、ブログや中央公論のコラムは愛読しているので、話題になっている本書はかなり期待をもって読み始めました。期待が大きかったせいでしょうか、8割ぐらいは大いに納得し、残りの2割は首をかしげる論だったと思います。

 日本が世界のなかで「辺境」であるということは、これまでに山ほど「日本特殊論」が出ているように、多くの人に共有されている考え方だと思います。内田さんは本書で「辺境」ということをこう定義しています。「『辺境』は『中華』の対概念です。『辺境』は華夷秩序のコスモロジーの中に置いてはじめて意味を持つ概念です。世界の中心に『中華皇帝』が存在する。そこから『王化』の光があまねく四方に広がる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して『王土』と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。これが『東夷』、『西戎』、『南蛮』、『北狄』と呼ばれます」。

 つまり日本は東夷という辺境になるわけですが、卑弥呼から日本はその地位に同意署名をしました。中国との関係は歴史上いろいろと変化をしましたが、「東夷」つまり「辺境人」であるという概念は、中国との関係という実体性の問題とは関係なく、今日までずっと日本人を規定しているという考え方です。自分は劣っているという意識・無意識があるので、外来のものは異常なほどまでにありがたがり、開放的に取り入れていく。内田さんは、「華夷秩序における『東夷』というポジションを受け容れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得した」と指摘します。朝鮮は中国文化をそっくりまねようとしたのでオリジナルになれなかったけれど、日本はあえて中国から遠いというハンデを逆手にとって、外来のものを工夫して加工できたということです。それは日本優位論というより、辺境人とはそういうものだと中立的に内田さんはみなしています。近代以降も同じことで、今度は西洋のものをありがたくいただき、それを工夫加工していったということです。

 だから日本は自分たちの文化や思想を「世界標準」にするという意思や行動はまったくもっていませんでした。いいものは「外」からやってくると考えているのですから、当然でしょう。内田さんは「とことん辺境で行こう」と言います。先の戦争も、日本がたとえ間違ったものであっても何がしかの思想をもって行ったのではなくて、西欧列強という世界標準に「追いつこう」としたことがエスカレートした結果であると、内田さんはみます。

 日本人の心性については、丸山真男が指摘した「きょろきょろ見る」ということだと定義します。「きょろきょろ」することが日本人だと、それはその通りだと思います。内田さんは、さらに「辺境人は学びの効率がいい」、日本人の時間論、日本語論へと論を進めていくのですが、文章は平易なのですが、私にはよく分からない、なっとくできないことが多かったです。「学ぶ」ということには、どんな師についても「学びを起動」することができるといいます。時間論は武道の考え方に沿いながら、「先駆的に知る力」があり、「自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力」だと述べます。つまり、日本人はなんにでも「飛び込む」ことができる。飛び込んで、効率よく学ぶことができる「辺境人」というのですが、私にはよく理解ができませんでした。

 日本語論は比較的、明快です。文字のは表意文字(漢字)と表音文字(仮名、アルファベットなど)がありますが、日本だけが両方の混じり書きを続けています。朝鮮は漢字を捨ててハングルだけにしましたし、ベトナムもアルファベットにしてしまった。西洋ははじめから表音文字です。混じり書きの強みは、いろいろ言語学的、身体論的な要因によって識字率が上がるといい、さらに日本だけが漫画という文化で一人勝ちができたというのですが、本書を読んでもその筋道が納得できませんでした。

 文章は平易なのですが、新書ということで、内容を詰め込みすぎて、失礼ながら飛躍が多かったのでしょうか。そんな印象を持ちました。「とことん辺境人で行こう」という提唱には大賛成です。日本は小国という自覚をもったほうが日本人は幸福に生きられますし、政治や経済での国際的な力の低下のなかでは、日本が進むべき道として正しいと思います。論理が飛躍しているところを自分なりに生めながら、再読しなければいけないかな?という読後感でした。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2009/11/18 17:15

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/11/18 21:02

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/11/20 16:04

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/11/23 11:46

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2009/11/28 18:45

投稿元:ブクログ

レビューを見る

×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。