紙の本
普遍の介護論
2010/03/26 11:47
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野あざみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ホッとさせてくれる一冊だ。
重い病を持つ親族に、一瞬でも抱いてしまう「もう逝ってくれ」との気持ちは「アリなんだ」と思えたから。
本書の著者はもちろん、難病に苦しむ母を最期まで看取る。しかし、介護の苦しみに耐えかね、さじを投げたい真情も触れ、素直に共感できる。
副題は「ALS的日常を生きる」。神経が壊れ、筋肉が衰えていく母の身体。運動機能に加え、徐々に意思表示まで失われる。「病気の希少さ」ゆえに、あきらめたくなる母の命。向き合うことで、著者の五感が豊かに広がっていくあたり、逆の意味で成長物語だ。
病床の母との対話は、時には激情に駆られながらも、声にならない本音を聞く心境に至る。そう、まるで「花を育てる」ように。逝って然るべきだった身体が長らえることで、縁を取り持ち、視界を開いてくれる。母はいつまでも、母だった。
ALS発症者は10万人に3、4人とわずかだ。けれども本書に描かれる当事者や介護者を通して見える人間像は、万人に教訓を与えてくれる。患者のわずかな言葉に対し、家族は自らに都合のいいように解釈してしまう、と。
紙の本
ALSを生ききる。
2010/02/08 05:35
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ALS(筋萎縮性側索硬化症)となった母親を看取った著者が、現在という「果」から過去を眺め、そこに大きな、太くて長い一本の道を見つけ、その道筋を詳細に語った本。「どのようにしたからどうなった」といふうに因から果を見るのではなく、現在という差し当たっての「果」に至るまでに、何がどう作用して来たのか、何がどのように配置されていたのか。果から因・縁を見る、仏教論理学的な展開のルポルタージュである。
ALSの人と接するのにマニュアルはないようだ。常に患者その人を中心におき、その人の利益を最優先させ、自分として感じ、自分を棚上げにせず考え、個別に対応していくしかないし、そうすべきだと思わされる。(あえていえば「個別に本気で即物的に対応すべし」、それがマニュアルなのだろうと思う。)
ある人は、ある他者の生きる証しをその人の「ぬくもり」に求める自分に強烈なエゴを見た。しかしそれは本当にエゴなのか。仏教的観点から一時期よく言われ、今はそれほど言われていない、人が生きている証としての概念に「煖」がある。いわく、暖かさがあるうちは人は生きているのだ、という。そのことをあらためて強く想起させられた。
高橋源一郎が『ニッポンの小説』で「日本の小説は死の周辺を描くが死そのものについて語ることは極端に少ない」的な指摘をしている。
そのようなフツウの小説群から遙かに逸脱して、この本は、あまりない、死そのもの/生そのものを描いた、希有な「小説」でもあるし、一部で言われているように「文学的傑作」でもある。描写や譬喩は当を得ているし、伏線も必要十分、書くべきことと書かざるべきことの線引きも的確である。それらの文学的効果も相俟って、随所で広大・深甚な感動が呼び起こされる。
‥‥というか、主題による圧倒的感動。ものすごい本。
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誰でもいつかは死と直面しなくてはならない時がやってくる。
考えるのは、どれだけ家族からの介護を必要とするのかということだ。
自分の親がというより、自分自身が病気を患った時のことを思った。
愛する家族とはいえ、1日中、食事、排泄、入浴をはじめ、諸々の世話に想像以上の時間とエネルギーを奪われるのは辛いはずだ。
その中で、愛が憎しみに変わってしまうことも稀ではないという。
殺意さえ芽生えるそうだ。
周りの方に心から感謝の気持ちを抱きつつ最後を迎えたいと心から思った。
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ALS(筋萎縮性側索硬化症)となった母とともに生きてきた12年の日常を、率直に、真摯に、でもどこか冷静に綴った一冊。これは秀逸なオート・エスノグラフィとして読まれるべきだとも思う。
ALSは運動ニューロンの変性によって随意筋の運動を徐々に喪失していく、進行性かつ根治療法のない神経難病である。こうした病いとともに生きること―それは患者のみならず、患者家族や支援者も含むのだが―が、単なる美談でもなければ、苦労話に収まるものでもなく、激しい感情の変遷と人々のネットワークの中で実践されているというある意味で当たり前のことが、とても鮮明に描かれている。
「生きる」ことをありのままに見せるということは、簡単なようだがとても難しい。
著者は自分自身の歩みを、母がALSになる以前の生活(言わば前史)から、やがてその母が死を迎えるまで描くことを通じて、「病いとともに生きた母」とともに「病いとともに生きた自分」も含めてあらわに示している。これはとても勇気のいることだ。介護のなかで抱く母に対する敵意(殺意と言っても良いかもしれない)、介護に時間や体力を奪われて自分の生活が崩れていく過程…これらが病いとともに生きることの現実なのだろうし、適切な支援がない社会制度に対する怒りや疑問を読者もまた読み取るかもしれない。
こうした書籍が発表され大宅壮一賞という然るべき評価を得たことは、ALSという病い、およびその病者の存在を社会に知らしめていく上でとても重要な成果と言えるだろうしその一方で、この書籍の白眉はもっと別のところにあるのではないかとも思う。著者のお子さん、ヘルパー、医師、高校の同窓、橋本みさおさんを中心としたその他のALS患者たち…この書籍を通じて判るのは、人の生が多様な人たちのネットワークのもとで支えられていて―でも時にはふさぎこんで閉じてしまうこともあって―そうした揺れ動きの中で営まれているという姿なのだ。こうした「リアルさ」を描く上で、クールに過ぎる「報告」でもなく、虚構を交えた「文学」でもなく、一つのお話としての物語性を保ちながら語りかけるかのようなこの本の筆致は、ノンフィクションというジャンルの力を再確認するには十分すぎるくらいのインパクトを持っている。
病い、ALSという難病、介護、病いの進行とともに困難となるコミュニケーション、患者家族の歩み…キーワードを挙げるとすればこのあたりになるかと思われるが、むしろキーワードに還元できない「生きる」ということの全体像が、この文章のなかに込められているのではないか、そう考えさせられる。ぜひ目を通すべき一冊。
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これは読まなくちゃいけないだろうか。
…と、実のところかなり身構えて読んだのですが。
もちろん考えさせられる部分は多いものの、その冷静な筆致にこちらも変に感情を揺さぶられることなく、読み進められました。
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とてつもなく遠い場所の話のように読みながらも、これが自分たちの場所と地続きであることがしみじみ伝わってくる。文章はたまに、恐らく感情が表現しきれない部分で、読みづらかったりするが、この人しか書けない文章として味わう。そして、想像していたよりもずっと昔から寝たきり患者の生活を支える機器を開発していた人達が沢山いたことに感動した。この後にもういちど『ホーキングInc』を読むと別の発見がありそう。
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ようやく夏休みになったし、読みたかった医療・介護系の本を読みますか!どこまでも自分と地続きの課題で、感じて考えなくてはと思う事柄です。
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この本が時系列に書かれていない意味を考え無くてはならない。
そこでは、同時進行で、あまりにも多くのことが起こり続けている。
筆者の文体からか、時の流れを気にせずに読むことができる。
すらすらと読んでいけるが、ふとこれがいつのことなのか考えると、
時間が進んだり、戻ったりを繰り返している。
描かれている重たい現実を、その描かれ方が如実に表しているように感じた。
読んで、胸を打たれてしまった。この本について語る言葉を持たない。
一つ。
この本の奥付にはテキストデータの引換券がついている。
こういう取り組みは、ケア/医学の分野にとどまらず、いろいろな場所に広がっていってほしいと思う。
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ALS。テレビで少し聞いたことあったけど、ほとんど知らなかった病気。その介護の記録なのですが、読み始めたら止まらなかった。
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ALS(筋萎縮性側索硬化症)は神経細胞が徐々に死んでゆく病気(神経変性疾患)で、筋力低下により身体が動かなくなる。進行が早く3年から5年で死に至る。今現在、有効な治療法はない。素人の目には筋肉が死んでいくような症状に見え、筋ジストロフィーと酷似している。
http://sessendo.blogspot.com/2011/09/als.html
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いつか必ず回復する、良くなる、と言うことの無いALSという病。
その傍らに寄り添い、在るだけで……何というか、何だろう。既成の枠組み「介護は大変、可哀想」「生きている間は頑健で有るべき」「ぽっくり死にたい」と言うことだけではないのだな、と感じる。感じるだけだけれども。
いざというときに読むのでは無く、いま普通に生きる時に読んでいいし、(実際に普通にあることなのだから)と感じた。
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ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気について、最近思いがけず見聞することがありました。
アメリカ海兵隊の徳之島への移転問題でのニュース映像でした。
徳之島で強い影響力を持つ、元衆議院議員の徳田虎雄を、鳩山首相が訪ねたときのこと。
そこに映し出されたのは、ALSの患者である徳田氏でした。
徳田氏は、五十音が書かれた透明の文字盤の文字に一つずつ視線を動かし、移転反対のメッセージを伝えていました。
ALS患者のコミュニケーションがどれほど困難を極めるものなのか、その短いニュース映像の中に、垣間見ることができました。
川口有美子さんの母上は1995年、59歳の年にALSを発症します。
ALSは、身体の麻痺が徐々に進行し、動かなくなり、呼吸困難に陥る神経性の難病です。
この難病を生き抜くためには呼吸器の装着が必要になります。
母には生きて欲しい。しかし、呼吸器を装着することは、家族がつねに側にいて介護する体制が不可欠です。
有美子さんは、ロンドンに海外赴任の夫と別れ、二人の子供を連れて、日本に帰ることを選択します。
この選択は、母と同じ年くらいのイギリス人の友人には非難されます。
「あなたのお母さんはあなたの世話になるよりは、きっと死を選びたいでしょう」
「そうかしら?私はそれはありえないと思うけど……」
「あなた。自分がお母さんの立場だったら、と考えたことはないの?」
友人のこの言葉の真意は、そのときの有美子さんには理解できないものでした。でも、その後の十年に及ぶ介護を経て、いまはわかると言います。
一人暮らしの母親の末期にはヨーロッパもアジアもない。
世界中の老母の望みは愛する娘に決して迷惑をかけないこと、美しくない姿を見せないことだ。
そのためなら一人で静かに逝くのが望ましい。
しかし、母親を大事に思う娘にとれば、そのような母親の覚悟こそが間違っている。
「命がいちばん大事」と何度も念を押されて育てられたのに。
ALSに罹ったとたん「自分は別」では矛盾が生じてしまうではないか。
一つずつ動かない部分が生じ、一つずつできないことが増えていく。毎日一つずつ絶望を積み上げていく行程です。
目を動かして文字盤を追うことができなくなった母上には、もう思いを伝える手段がありません。
知的な障害はまったくないのに、身体が機能しないためにコミュニケーションできない。その苦しみは、他人には計り知れません。
「闘病」は、読む側も辛い、正しくすさまじい闘いでしたが、母上を看取ったあとに、有美子さんに訪れた穏やかな心境に、少し救われた気がします。
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ALS(筋萎縮性脊索硬化症)に罹患した母の介護記録。ALSはルー・ゲーリック病としても知られ、筋萎縮と筋力の低下が進行し、呼吸筋も麻痺していき、呼吸不全から死に至ることが多い、神経変性疾患。10万人に1~2人が罹患する、原因不明の難病である。筋力が低下していく一方、知能や感覚、視力、聴力、内臓機能などは保たれるとされる。
シビアなタイトルだ。内容もシビアである。著者はイギリス赴任中の夫と暮らしていたが、母発病の知らせで、介護のために子ども2人を連れて帰国し、父や妹とともに母の介護にあたる。
母は特に進行が速いタイプだった。萎縮が進み、まぶたも眼球も動かせなくなっていく母。前は使えていた文字盤も使えなくなり、意思の疎通は不能になる。TLS(Totally Locked-in State:完全な閉じ込め状態)と呼ばれる状態である。患者が何を考え、どのように感じているのか、外部からはうかがい知れなくなる。
どれだけ心を砕いてもそれが患者にとってはどう感じられるのかわからないのは、介護する側にとっても患者にとっても、つらいことだろう。
呼吸器をつけるかどうかの決断。24時間体制のきめ細かい介護。妹の鬱症状。その一方で、著者は、ALSと戦う人々の組織を立ち上げ、加わるなど、ものすごいバイタリティを感じさせる。元々エネルギッシュな人だったのだろうか。周りにいろいろな人を引きつけていく吸引力もすごい。
後半には、ALSを患う様々な人も登場する。同じ病気でも経過は人それぞれであり、その患者・その家族ごとの介護の形があるのだろうと思わせる。
*詩情あふれる魅力的な文章なのだが、時系列が行ったり来たりで、ときにわかりにくい。もう少し時間軸に沿って整理してもよかったんじゃないのかなぁ。
*このタイトル、本当にこのタイトルでよかったのかなぁ。宙ぶらりんであるということを言いたかったのだろうか? 個人的には、何かもう少しふさわしいタイトルがあるような気がしてならないのだが。
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頭はクリアなのに、今までどおり考え、泣きたい気持ちも嬉しい気持ちもあふれ出そうなくらい感じているのに、
徐々に身体の機能が低下していく病気、ALS。
確実に、治療法がなく、最終的に、寝たきりになる。
ひどいときは、眼球すら、まぶたすら、動かず、閉じ込められた状況となる(ロックインシンドローム)。
そうなった母親を介護する娘の話。
どれだけ寝たきりの人がいろんなことを感じ、考え、日々戦っていることか。絶望的な病気、だけど、日々、闘って闘って、生きて行くのに忙しい毎日。
今までどおりトイレをしたい。障害を受け入れない、受容しないことが、母の生への戦い。
呼吸器をつけるか付けないかの選択。付けても後悔するかもしれない、付けなくても後悔するかもしれない、でも目の前でチアノーゼになる母親に呼吸器を付けない選択は家族にはできない。
重症者のわがままを諭す(説教してしまう)医療者。黙って言う事をきいてくれるのが扱いやすい患者、でも患者も最期の最期まで自己の尊厳を持っていて、抵抗することで生きていたいのだ。
開いた眼の方へ、天井から埃がゆっくり舞い落ちてくる。
まぶたを閉じたくても自力では閉じれない。
どんどん、近づいてくる・・・。
そんな世界に生きている、ALS、Lock in syndromeの人たち。
考えさせられます。そして医療者としての立場を、反省します。
そして、娘として考える。
あと、何回自分は親に会えるのかな。
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医学書院の「シリーズケアをひらく」の一冊。このシリーズはこれまでかなり読んでいるが、なぜか近所の図書館ではバラバラにしか入ってなくて、相貸で読んだり、買ったりも多い。この『逝かない身体』も、年明けに蔵書検索したときには入ってなくて、入るんかな入らへんかなと思っていたら、気づくと入っていたので借りてきて読む。
『日本の路地を旅する』とともに、ことしの大宅賞をとったそうだ。
この本の「ALS的日常を生きる」というサブタイトルを見て、読んでみたいと思っていた。ALSは神経難病の一つで、漢字で書けば「筋萎縮性側索硬化症」という。私の母が罹った病気も神経難病の一つ、SCDだった。本になっているのでいえば、ALSは『モリー先生との火曜日』のモリー先生が罹った病気であり、SCDは『1リットルの涙』の木藤亜也さんが罹った病気である。難病というのは、原因が分かっておらず、治療法が確立されていない、といったことを指す。
ALSもSCDも、症状や進行の具合は個人差も大きいが、おおむね「自由を失っていく病気」というところが似ている。それまでできていたことが、できなくなっていく。母の場合は、話すこと、書くことが困難になっていき、バランスをとれなくなってふらふらと歩いていた後は車椅子を使うようになり、しだいに飲み込みにくくなってむせたり、車椅子に乗っても座位を保つことが難しくなり、だんだん排泄のコントロールも難しくなり…といった経過をたどった。
母が難病友の会や難病連へ行っていた頃には、まだ学生だった私が付き添っていくことも多かった。母の病気の進行は早いと言われていたが、母よりもずっと病気の進行が早く、発症から半年で這うこともできなくなったという同病の方もあった。病気の進行は本当に個人差が大きい。母が死んで11年になるが、まだ母が発症して間もなかった頃にお会いした同病の方で、今も(私の目から見れば)ほとんど同じような症状で過ごしている方もある。
病気は違うけれど、川口さんが親の病気を知り、本や事典などでその病気を調べ、あるいは医者の話を聞いてこういうところまで自由を失っていくのかと重い気持ちになったことを書いているところを読むと、私も同じように図書館であれこれと本を調べたことを思い出す。大学にいた私は、医学部の図書館にも行って、母の病気が載っている本をあれこれと見た。母に長命はのぞめないのだなあと思っていた。
この本の著者・川口さんの母上は、ALSの中でも重いTLSになる恐れがあると医者に言われ、最終的には眼球を動かすこともできなくなった。文字盤を使っての意思疎通もできなくなった。
「意味の生成さえ委ねる生き方」
母上とのコミュニケーションに悩んだ川口さんは、そのころALS患者として世界的に有名だという橋本みさおさんに会いに行っている。意訳ともいえる橋本さん式のコミュニケーション法を知り、橋本さんに外出に付き添って"意訳者"ともなった川口さんは、こう書いている。
▼自分が伝えたいことの内容も意味も、他者の受け取り方に委ねてしまう──。このようなコミュニケーションの延長線上に、まったく意思伝達ができなくなるといわれるTLSの世界が広がっている。コミュニケーションができるときと、できなくなったときとの状況が地続きに見えているからこそ、橋本さんは「TLSなんか怖くない」と言えるのだ。軽度の患者が重度の患者を哀れんだり怖がったりするのは、同病者間の「差別だ」ともいう。…
(中略)
…ALSの人の話は短く、ときには投げやりなようでもあるけれども、実は意味の生成まで相手に委ねることで最上級の理解を要求しているのだ。人々の善意に身を委ねれば、良く生きるために必要なものは必ず与えられる。彼らはそう信じている。そうあってほしいと願っている。(p.211)
書くことが日常だった母が自筆では書けなくなり、ワープロで1字1字かなりの時間をかけて入力してくる文章も入力や変換がうまくいかずに判じ物のようになっていき、そういう風に「表現(表出)の手段」を取り替えても、最後にはどれもダメになるんやろうなと私は思っていた。自分から発することのできない身体をもって生きることは、どんなことやろうと考えたこともあった。
このところ福島智さんにまつわる本をいろいろと読んだこともあり、コミュニケーションにとって言葉は大きな道具であり、しかもそれは一方向ではコミュニケーションとはいえないのやなあとつくづく思ったが、このALSを生きた母上を書いた川口さんの本を読んで、生きている存在そのものがうみだすコミュニケーション、というようなことを思った。川口さんは汗をかくこと、血流の変化にともなう顔色の変化などを書きとめている。そして、そのコミュニケーションは当然その場にいる者どうしの間にある。
「意味の生成さえ委ねる」のは、盲ろう者の福島さんに通訳者が周りの状況を伝える時にもやはり「委ねている」ところがあるのやろうし、そこには通訳者が福島さんを慮って(察して)取捨選択して伝えるというコミュニケーションのあり方もあるんやろうなと思った。
【追記】
久しぶりに難病連などのサイトを見ていると、母が診断されていたOPCAは、以前(母が生きていた頃)は「SCD」に分類されていたが、2003年度以降、SDSやSNDとともに「MSA」に分類しなおされたそうだ。
OPCA、SDS、SNDは別々の疾患と報告されていたが、病理学的にみて同じ疾患の症状の現れ方の違いだということが分かったから、らしい。
OPCAは難病情報センターのサイトで「進行が著しく速い」と書かれている。