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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1984.5
  • 出版社: 白水社
  • レーベル: 白水Uブックス
  • サイズ:18cm/332p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-560-07051-2
新書

紙の本

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

著者 J.D.サリンジャー (著),野崎 孝 (訳)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

税込 968 8pt

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みんなのレビュー576件

みんなの評価3.7

評価内訳

紙の本

街に出ても書は捨てるな

2010/02/05 23:29

17人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

2010年1月29日、出勤前に眺めていた朝のニュースで
27日にJ・D・サリンジャーが亡くなったことを知る。

まっさきに思いついたのは、本書だったのだが、
私は本書を文学史的に知っていただけであって、
一度も開いたことはなかった。

いや本屋で開いたことはあって、読むに至らなかったんだったかな。

著者が亡くなったのを契機に本を開くのが似合うのは、
再読という行為において、である。

初読は似合わないと思っていた。

だから、サリンジャーが亡くなったね、
といかにも知っていそうな顔をしながら話題にはしても、
そのまま流してしまうつもりだったのだ。

ところが、その直後に『Twitter読書会』なるものが存在することを知った。

同じ本を読み、その感想を決まった日(24時間いつでも良いのだが。)に
ハッシュタグ#tw_dokusyokaiを使って、語るというものだ。

同じ本を読んでゆるくつながるのは楽しそうだった。

2月6日、第4回読書会の課題図書が"The catcher in the rye"の
誰訳でも原文でも良いというものだったのだ。

*** http://soundberuka.blog47.fc2.com/ より引用***

  課題図書 ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger)

  「ライ麦畑でつかまえて」(The Catcher in the Rye)

  開催日2月6日(土)の24時間

  ハッシュタグ#tw_dokusyokai

  誰の翻訳のものでも可。原文もOK。

  サリンジャーについて語っても、他の作品との比較もあり。

  ルール・24時間以内にハッシュタグを使って
  課題図書についての感想・書評・批評・その他、自由につぶやくこと。

  以上。

  終了一時間前に感想会を予定。

***引用終わり***

ミドルサーティーを越えてそろそろアラフォーなワタクシが
青春小説を初読するという状態をどうせなら楽しんでしまおうと決めた。

本書は、最初から最後まで16歳のホールデン・コールフィールドの独白である。

セットは凝らない、何にもないような舞台上の一人芝居が似合うような語りである。

ホールデンは、本質的なことを悟りきっていて、
この世界との渡り合い方だけを知らないというタイプの少年だ。

相手の期待に沿ったふりをしてうそを言うことができないのだと思う。

こういうタイプは、コワレてしまうのだ。

コワレないのは、本質的なことは何も学ばずに、
先にこの世界との渡り合い方を覚えてしまうタイプという皮肉。

コワレてしまった者が復活するにはどうするか。

完全には妥協しないぎりぎりの線で、
世渡りの仕方を学ぶことで大人になっていくしかない。

ティーンの語りのようでいて、どこか古風な言葉が使われている翻訳。

流行にあわせてその時代の十代のままに語るのではなかったところが、
本書がずっと読まれ続けた理由のひとつかもしれない。

著者が亡くなったニュースを聞き、
私よりも先に本書を読み始めて読了した友人は 、
読んだということしか語らなかった。

もちろん、その人がしたのは「再読」である。

行間がたっぷりとあるように思えた。

再読を終えた報告を文字で読んでの想像だが、
きっと複雑な笑みを浮かべていたと思うのだ。

若い頃にホールデン・コールフィールドだったようなタイプが
世渡りの仕方を覚えて大人になってから
過去を回顧する場合にしか出せない行間なのだ。

そして、ホールデンと同じような年齢で
本書を初読していないと感じない何かを感じたのだ。

私は、本について語る際に、
「その本と出会った時が今なのだ」という言葉をよく使う。

その本が出たばかりのとき、流行っているとき、
自分と登場人物が同年齢で最大限に共感できるときなどを
逃してしまったとしても、
きっと今この本を手にしている瞬間が、
あなたがこの本を必要とする時なのだという想いをこめて。

だが、そう言いながらも、悔しさを100%拭い去れたわけではない。

私自身は、小学校時代までは、本の世界としかお話できないような子どもだった。

だが、中学校以降、周りと上手くやっていく術を学ぶために書を捨ててしまったのである。

本を再び読み出したのは大学時代で、
その頃はもう、本は趣味ではなく情報になっていた。

学ぶために必要だから読むものになっていたのだ。

情報のための読書一辺倒から
情報と趣味を兼ね備えた状態になったのは、実は最近のことだ。

よって、私は、読書家ではない。

文学史的名作をしかるべきときに読んでいない、
作家の誰々を好きというほどに誰かの作品を追ったことがない自分は、
読書家というには何かものすごく欠落しているような気持ちになる。

よくインプットからアウトプットまでの時間が早いと驚かれるが、
このスピードの8割は悔しさでできてるといっていいだろう。

失われた時間を取り戻したいのだ。

子どものころに本と出会った者は、本とともに生きるタイプの人間である。

(ちなみに、本との対話をを必要としない人もいると思うし、
その生き方は否定しない。その人は違うものと対話をする人なのである。)

本とともに生きるタイプの人間は、本との対話を一生必要とするはずだ。

だから、周りが何と言おうと、うまく世渡りするためであろうと
書を一生捨ててはならないと言いたいのだ。

さて、読書会までには無事に本書を読了することができそうなことを喜ぼう。

#tw_dokusyokaiで、明日(2月6日)はどんな言葉が語られるだろうか。

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紙の本

大人になって再会したホールデンは…

2003/05/10 08:05

8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ひろぐう - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本を読んだのは19歳の時だったと思います。本好きで、人づきあいがヘタで、心の傷と劣等感を抱えていて、大人になることへの漠然とした不安をもっていた。そんな自分にとって、世の権威や大人の欺瞞や「りっぱ」なことを、「インチキ」だと自己の感性のままにことごとく断罪してゆくホールデンに共感し、同時に彼同様、そういう自分は生産的・創造的なことは何もしていない(できない)のだということに気づかされて、やりきれないような複雑な思いをしたことを覚えています。
 それから十何年か経って、いま読み返してみるとどう感じるだろう、というのはずっと思ってはいたのですが、これまで手が伸びませんでした。自分が「インチキ」な「大人」になってしまったことに気づかせられることが心苦しいとか、そういうことではありません。「ライ麦畑で遊ぶ子供たちが崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえる──ライ麦畑のつかまえ役(キャッチャー・イン・ザ・ライ)になりたい」というような部分的な表現が心に残っていて、あまりにもナイーブでイノセントで、なんとなく読むのが気恥ずかしいようなイメージが自分の中で出来上がっていたからです。
 今度、村上春樹新訳が話題になっているということで読み返してみて、まず思ったのは、小説として実に良く出来ている話だな、ということでした。特にラスト近くでホールデンが好意を持っていたアントリーニ先生に会いに行く場面。人間や世の中の愚劣さをあげつらうばかりで、自身は堕落していこうとしていることを悟らせようとする先生の言葉は、しんみりとしてしまうくらい説得力があるのですが、その先生が‥‥! という場面は、そんじょそこらのスリラーなんかよりも強烈な「どんでん返し」で、サリンジャーは少年時代にそのようなことを実際に体験したのではないかと思えるほどリアルです。ホールデンの言動も、ある意味「こちら側」の人間としてながめてみると、もはや当り前の常識として日ごろ抑圧していた不条理をケレン味なく暴いてくれて、昔読んだとき以上に痛快でした。彼が嫌悪したり好意を持ったりする人々も、単なる敵役や脇役ではなくて、ホールデンの複雑な自己が投影・呼応して、生き生きとしたハーモニーを奏でています。
 ただ、ホールデンの分身ともいえる作者自身が、世捨て人のように世間から引きこもって生きるしかなかったということが皮肉というか、問題なのかもしれません。同じくイノセント文学の傑作である『草の竪琴』を書いたカポーティのその後とは対照的です。サリンジャーがこれを書いたことでどのような葛藤があったのか知りたい気がします。それを思うと、いま社会問題になっている「ひきこもり」も、多くはホールデンのような人たちなのかもしれません。そして、そういう自分のことがわかっていてどうすることもできないというのが、彼らの最大の苦しみなのではないでしょうか‥‥。(→ホームページ)

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紙の本

すべてのインチキな大人たちへ。

2017/12/27 00:40

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る

ホールデン・コーフィールドが身の上話を聞かせています。
去年のクリスマスの頃、体調が悪くなってニューヨークから西部の
町に移ってきました。静養しているところはハリウッドからも近くて、
映画の脚本を手掛ける兄が時々見舞いに来るのです。

聞き手は誰だか分かりません。わたしたち読者なのかもしれません。
ホールデンがずっと語り続けているので一人称小説だと思いますが、
あまり出会わないスタイルです。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」が近いものを感じますので、影響を
受けていることが想像できます。
題材は、両作品ともモラトリアムですし。

ただ本作品は、モラトリアムとひとくくりにしたくない深さや広さを
感じます。無邪気に好きなことを言っていた少年が、
高校の寮生活になじめず、勉強もやる意味を感じられず、
ジコチューのはったり話でぐだぐだと管を巻いているように
見える小説です。表面的には。

合う人、合わない人がきっぱり分かれると聞きました。
そりゃそうでしょう、こんな煮え切らない、自己弁護小説ではね。
運よく、わたしは感じるものがありましたよ。

自分では解決できなかったこと。
うまくいかなかったこと、人の気持ちをつかめなかったこと。
たくさんの折り合いをつけなければならない、大人社会と
名付けられたものに欺瞞を感じ、そんなのはインチキだと
声高に叫ぶのです。

いつか誰にも邪魔されない森の端に家を建て、
自給自足生活をしていく夢を見ています。
このくだらない世の中と決別するため。

でも森の奥ではありません。そこは陽が差さないから
駄目なのです。完全に孤立はしない、でも干渉はされたくない。
この微妙な距離感が、きっと大人社会での折り合いなのでしょう。
心の中の位置づけとして。

客先が、上司が、家族が、あなたにいろいろと話をするでしょう。
納得のいかない展開になるかもしれません。

それを大きな心で受け止められますか。
大きな心はどうやって育みますか。
心の成長はくだらないことですか。

大人社会との折り合いとは、こんなことを考えるような気がします。

天真爛漫な子供の心。
表紙の絵はピカソで、ホールデンの心を見事に表しています。
これは高校生の独り語りですし、揺れ動く十代はいろいろな
作品で切り込まれています。

振り返って自分はどうかと考えると、大きな心を持っている
なんていう自信はありません。ただ、おおっぴらに許されるのは
十代までということ。自分の心を抑え、表面上だけでも
折り合うことをインチキだと言われるのは、
やっぱり反論のしようがありません。

すべてのインチキな大人たちへというメッセージが届きました。

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紙の本

思春期の少年の大人社会との葛藤

2017/04/15 11:44

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あずきとぎ - この投稿者のレビュー一覧を見る

1951年の作品である。
主人公ホールデン・コールフィールドが、「君」(=読者)に語る、一人語りの形式になっている。
十七歳の彼が、前年のクリスマス前(この時は十六歳)、退学処分の決まった高校の寮から一足先に飛び出し、自宅のあるニューヨークの街で過ごした三日間の様子が語られる。
発表当時は、賛否両論だったらしい。
批判(非難)の的となったのは、主人公の行状のようだ。
ホールデンは、成績不振などで三校にも渡って退学処分を食らった生徒で、飲酒・喫煙はするし、セックスについて語る箇所が出てくるし、果ては売春婦を買うシーンまで出てくる(但し、しばし言葉を交わしただけで、帰してしまう)。
「このような悪童が主人公の、不道徳な作品は、けしからん」という訳だ。
にも関わらず、半世紀以上を経た現在でも、変わらず読み継がれているロングセラー作品であることは、周知の通りである。

作品中、彼が何度も持ち出す言葉がある。
「インチキ」「デタラメ」「これには僕も参ったね」「低能(野郎)」「へどを吐く」「下司な野郎」…
彼は、ニュ―ヨークの街の様々な場所で、種々の人々と出会い、また在学中の出来事を思い出す度に、こうした表現でこき下ろす。
彼が出会う者たちは、ことごとく彼の抱いている価値観・倫理観・正義感に反しているのだ。
そうして、彼はその度に「気が滅入」り、「憂鬱に」なる。
ホテル、バー、その他と、街中を彷徨い、可愛がっている妹に会うために、ようやく自宅に辿り着くが(夜中に忍び込む)、その妹にも彼の苦悩や願いは理解されない(まあ、妹はまだ十歳なのだが)。

純粋・公正・正義を求める少年と、社会に適応するために様々な工夫・妥協をしている大人たち。
思春期を通して直面する、大人社会との葛藤。
それは、誰もが経験するものだろう。
しかし、その葛藤は、その苦悩は、思春期に限ったことだろうか。
成人し、大人社会の仲間入りを果たしてからも、この葛藤は続くのではないか。
うまく折り合いをつけられている人は、いい。
だが、すべての人が、社会の矛盾と折り合って生きている訳ではあるまい。
この辺りに、この作品のロングセラーたる所以があるように思う。

ぜひ、若い人には、若いうちに読んでもらいたい。
また、僕のようないい年をしたおっさんが読んでも、共感できる作品であると思う。

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紙の本

大人になりきれない男子

2009/03/17 20:02

7人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る

ライ麦畑でつかまえて J.D.サリンジャー 白水ブックス

 3分の2ほどを読み終えました。まだ途中ですが感想を書き始めます。1984年1刷で、この本は2006年102刷なのでロングセラーです。どこに魅力があるのだろう。そもそもライ麦とは何だろう?
 パンやお酒の原料のようです。黒パンになる。原題を見るとCatcher in the rye だからライ麦の中で捕まえる人になる。何を捕まえるのだろう。180ページに歌のタイトルとある。どんな歌だろう。だれかさんとだれかさんが麦畑だろうか。あれはスコットランド民謡の故郷の空の替え歌か。(結局女性を捕まえるようです)
 出だしは軽快な文章で気持ちがいい。バック・トュー・ザ・フューチャーのシーンを思い浮かべる。ただ主人公には魅力を感じない。ほろにがい青春記か。有名作家の弟であることに対する劣等感か。主人公はおとなしい。
 主人公は誰かに話しかけている。いったい誰に話しかけているのだろう。病人の空想だろうか。家出の記録だろうか。話し言葉が続く。誰に話しかけているのだろう。過去の僕から未来の僕への手紙のような気がしてきました。
 主人公ホールディンは家族のなかの落ちこぼれです。家出してニューヨークに行って、同地の汚いところを延々と語り続ける。主人公の言動に嫌気がさしてくる。世の中を斜めに見るのであれば、行動をやめればいい。この少年は、お金はありますが孤独です。著者の弟の話だろうか。(つづく)
 読み終えました。あっけなかったかな。とりあえずその後の感想を書きます。主人公ホールディンは狭い世界で、もがいている。この地球上に日本という国があることも知らずに狭い世界をこの世のすべてとして苦闘している。私は主人公がアメリカのペンシルヴェニア州からニューヨークへ家出したものと思い込んでいましたが、実際は違っていて、自宅がニューヨーク、高校の寄宿舎からニューヨークへ戻ったという設定でした。主人公は17歳ぐらいだろうか。友達がいない人である。故ダイアナ妃の息子ふたりを思い出した。ウィリアム、ヘンリー。ヘンリー王子の素行に似ている。飲酒、ドラッグ、女。迷える少年である。白い心が黒い現実に染まって灰色になれないわびしさがただよう。

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紙の本

もう20年以上、何度も読み返しています

2019/02/13 22:40

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

もう20年以上、何度も読み返しています。発売当時は、こんな不道徳な若者が主人公でもいいのかと問題になったことがあると聞いています。でも、私にとっては主人公はなぜか知らないけど、もうひとりの自分としていつも鏡に写っているような気がするのです。売春宿なんかに一度も行ったことがないくせに

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紙の本

ライ麦畑での出逢い

2003/05/05 21:36

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:楊耽 - この投稿者のレビュー一覧を見る

主人公で語り部のホールデン少年。彼の両親と妹は、大都会ニューヨークでエレベーター・ボーイ付きの高層マンションに住んでいます。作中ホールデンはアイビーリーグに通う学生の気取ったファッションを批判していますが、彼もまたアイビーリーグへの進学を期待される青年です。

アメリカでは、男の子に強さを求める風潮があるそうですね。僕は、高校の英語の授業で、その強さを「独立独歩である。」と訳した記憶があります。強く、独り立ちして、社会の一員となるように強迫観念が埋め込まれていたであろうホールデンは、しかし学業を怠け、放校になります。
矛盾や欺瞞に満ちた大人の世界を憎み、子供の正直で単純な世界を愛す。僕は、この小説を単純な拒絶と憧憬として読みました。誰も子供のままではいられません。いずれは職業を持ち社会の一員になります。だからこそ生まれる憧憬。
ホールデン自身も、自分が既に子供ではなく、大人の世界に足を踏み入れていることを自覚しています。だからこそ、客観的に子供の正直さを愛するのだと思います。

大人になることを拒めば、どこまでも脱落して行くのみ。あるいは、ホールデンが夢みるように、都市を離れ、隠遁生活を送ることも可能であるかも知れません。でも、彼は引き留められます。彼が愛する子供、妹によって。

彼が「神に許されるなら」と前置きをして語る夢想。それが、勘違いであることを指摘したのも妹でした。
隠遁への逃亡も引き留められた彼は、その後、療養生活を強いられ、この小説を書いているわけです。物語は、妹に引き留められた時点で終わり、療養生活のあとには、再び学業へ戻ることを記しています。
三日間のうちに、彼に起こった変化をどう読むかが、この小説の味わいになると思いますが、僕は、それを「大人になるのも悪くない」と思うようになった変化ではないかと思います。
ライ麦畑は、捕まえるところではなくて、恋人と出会うところ。たとえ、矛盾や欺瞞に満ちていても……ホールデンの言うところの「インチキ」やうれしくなくても「お目にかかれてうれしかった」と言わなければならなくても、愛する家族や恋人を自分で見つけられるようになるのだ。妹にそう、教わったところで、この物語が終わり、その後の確信なんか、もちろんないのですけれども、大人になる覚悟が定まった。
僕は、こんなふうに読みました。

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紙の本

私的ホールデン伝<1964

2003/05/03 12:32

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本の16歳のホールデン達は60年の夏休みが始まる前に街に繰り出した。私が転入した高校でも、400人程が参加したと云う。御堂筋を埋め尽くした60年安保を【祭りの終わり】として、地方から転校した私は、ある羨ましさを持って、その物語に聞き耳を立てた。だが、そのような夏休みを挟んだズレは取り戻すことは出来ず、受験勉強に突入する。

 63年、柴田翔の『されどわれらが日々』が発表され、最早、60年は終わったような感じがして、アイビールック、フーテンが街を徘徊し、東京オリンピックと、私自身も街も大きく変ろうとしていた。寺山修司の『家出のすすめ』もこの頃である。少年達は故郷を捨て始めた。

 1964年、野崎孝訳のホールデン少年が来日する。
 カリフォルニアのバークレー校を中心としたスチューデント・パワーも一緒にやってくる。だが、20歳になった私は街で遊び呆けるインチキ野郎であった。そんな野郎がカール・ルースと同様、ホールデン君とマジに向き合わないのは当然である。
 
 出版ダイジェスト3/11号(村上春樹の新訳に解説が加えられなかった代りに、柴田元幸と春樹の対談と、角田光代の『ライ麦〜』を巡ってのエッセイが収録)によると、角田光代は15歳でホールデンに出会い、この本は成長期における通過儀礼、期間限定のバイブルであって、かような洗礼を受けず(パンクを聴かず、ロックを聴かず、もしくはホールデンに出会わず)成長しきってしまった人を私は何となく信用しないと記すが、1964年、成人を迎えた私の行きつけのジャズ喫茶ではサルトル、ボーボワールであって、サリンジャーなんて誰も語らなかった。
 だが、この頃、ジャズは衰退し、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズとロックが街にやって来て、15歳の角田さんの弁になるのである。

 『ライ麦〜』がアンテナに引っかかったのは、ふらりと、横浜に来て本屋の店員をやり、定番売筋商品としてこの本を売り始めてからである。勝手な先入観」を作り上げていた。大体、不思議なもので、本屋の店員は購入する本とお客様が一緒にインプットされ、あの人が買ったのだから、こんな本だろうと、読む前に概略、判断を下してしまう。私に縁のない本と見切っていた。新しい世界の文学の卷として白水社の白っぽい装丁をありありと、思い出すことは出来るが、その画像だけで、読んだ気になっていた。気の利いたPOPも書いたと思う。

 ちゃんと、読んだのは50歳過ぎて、病に伏してからである。勘違いもいいとこ、何故か【癒しの文学】と思っていたのである。とても、感じの良い女の子が購入していた記憶があるからであろうか。私の独り善がりの情報で『ライ麦〜』を麦わら帽の爽やかな少年文学と考えていたのである。
 無理もなかった。東京に来て、私がしょっちゅう行き来する本郷道りに面して、[ライ麦畑でつかまえて]という名の喫茶店が、そのニューエイジ的インテリアでお客を誘っていたのだから。同名の喫茶店を別の場所でも見たような気がする。そんなこんなで、横浜時代の勝手な情報と違和感はなかった。

 始めて、本の中で出会ったホールデン君は全く、私のキャラクター君と違っていた。だが、20歳の頃では気恥ずかしくて読むことは出来なかっただろうなあと思う。それは、又、中上健次は読めても、村上春樹は読めなかった私の20,30代が40,50過ぎると、村上春樹が読めるようになった身体受容の変化としか言い様のない、極めて生理的なものに近い。

 だからなのか、東京を去る挨拶状に『ライ麦〜』を引用した。これから、《ライ麦畑のつかまえ役》をやりたいと、臆面もなく書くことが出来た。アントリーニ先生に知らぬ間になっている自分を発見する。
 「…こいつは教育じゃあない。歴史だよ。詩だよ」
 この本は作者の饒舌な独白であり、詩である。

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紙の本

いかんせん訳がねぇ

2000/10/28 21:06

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本はひどくない? いやもちろん本の内容じゃなくて、訳。いつも我慢して読み始めるんだけど最後まで読めたためしがない。だいたいたしかに口語の難しさは認めるけど、訳文は日本語として読みにくいと思うんだよな。いい作品だし、他の訳が存在してもいいと思うんだが。詳しくは

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紙の本

3回読み返してみた

2015/11/20 22:06

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:foxtail - この投稿者のレビュー一覧を見る

30年の間に3回読み返してみたが、気狂いの戯言だとしか思えない

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軽やかなステップと倒れないバランス

2002/04/21 03:00

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:キイスミアキ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 
 高校生の主人公から《君》に向けて語られる、とある帰郷の物語。
 
 
 主人公の口癖は「十年」。何事かが起こると、すぐにも十年が経ってしまう。彼には幼くして亡くなった弟がいる。他の兄弟には、小説家から脚本家に転身してハリウッドに去ってしまった兄がいる。彼は短編の名手ということで、どこか同じく短編の名手でありハリウッドでも活躍した作家、ロアルド・ダールを思わせるところがある。聡明な小学生の妹フィービーもいる。あまり多くを語られる存在ではないが、両親もいる。
 
 
 16才の主人公は、何度目かの退学を命じられ、クリスマス休暇を前にして寮から自宅へと戻る。その始終が一人称で《君》に向けて語られたものが『ライ麦畑でつかまえて』だ。
 
 少年の一人称で書かれた本作は、白い紙に黒いインクの染みというだけの本からは想像も出来ないほどの彩りに溢れた鮮烈な印象を読者に与える、希有な小説。白と黒しか目にしてないはずなのに、主人公が目にしたものや彼自身が身にまとっている衣服、友人の顔にできているニキビの色、公園で遊ぶ子どもたちの彩りまでがはっきりと見えてくる。ここまで美しい形をした小説には、なかなか出会えない。
 
 ただテンポが良く、軽く退廃的でエキセントリックな反抗が繰り返されていれば、社会の無情や矛盾を感じて悲壮感を少年であるにも関わらず抱いていれば、それがサリンジャーのような文章になるとは限らない。確かに、シンプルで美しい形は真似をして描きたくなるもの。円があれば、人は円を描くだろう。自分にも出来ると錯覚してしまうからだ。
 
 しかし、結果としてその挑戦は失敗に終わってしまう。オリジナルの円を描くことはもう出来ない。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』というシンプルで美しい形が既に描かれてしまっている。最初の円だけがオリジナルであり、その後に続くものは似ても非なるもの。複製か模倣として存在するが、厳密にまったく別のものとなることは出来ない。
 
 
 作品の中で主人公が繰り返し行っているのは、人間と出会い彼らに対してなんらかの感想を心中で述べていくこと。たったこれだけのことなのに、他人に関する感想が主人公自身の魅力を伝えるに余りある、絶大な効果を誇っている。主人公の持っている感覚が面白いということが伝わってくる。
 
 まわりからは変わり者と評価されている少年だが、バランスのとれた精神を持っていて、自分自身に対しても馬鹿だと言い切るけれど、頭の方は素晴らしく聡明で、他の登場人物たちの誰よりもいい。売春婦や夜遊びをしている三人組の若い女性、何人かのタクシードライバーなど、彼は出会った人たちのことを思いだすのだが、特徴をよく捉えて記憶している。人や出来事を感覚的に捉える能力に長けているのだ。
 
 
 16才の主人公は、他人が気付かないことに気付いてしまう役割を担わされている。それ故に苦しみ、社会の不備を見つけだし、自分にも不備があるのだと考えて自分を責める。それでも、他人と関わろうとする彼は、他者に対して優しい。だが、自分に対しては優しくない。
 
 敏感に何かを感じ取ってしまうことは、その人の罪ではない。わかってしまったことによって社会に居場所をなくしてしまうことは、その人が責められるべきことではなく、社会が責められるべき事柄。だが、社会には敏感ではない人の方が多く、彼らのために構成されている部分が余りにも多い。
 
 本作は、恰好いい小説だ。その格好良さが、きっと若い読者の気持ちを掴んで離さず、爽快さで憂鬱を吹き飛ばしてくれるのだろう。ただ描かれた、主人公のとある一日を知ると、周囲から敏感だと言われ続けている友人のことを思いだしてしまった。その人も本作の主人公のようにとても恰好いい。この作品が持つ格好良さは、すべて主人公の持って生まれたセンスにあるのだろう。
 
 

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紙の本

少年時代のイノセンスの行方

2001/05/30 03:23

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投稿者:東條 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 雨に濡れた回転木馬、妹・フィービーの輝く笑顔にホールデンが救いを見いだすワンシーンは、永遠のイノセンスを切り取って、美しい。
 少年時代の無垢を、繊細でとりとめないおしゃべりに封じ込めた<青春のバイブル>。

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紙の本

目と耳を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ

2017/12/30 16:17

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投稿者:鯉狂い - この投稿者のレビュー一覧を見る

某SFアニメにセリフが引用されていた時分読んだ。
年齢に関係なく人間のもつ自意識過剰と自己愛が突っ走るとこんなものだということを表現した作品と思う。
とはいえ少しばかり理性が勝つのか、主人公をひっぱたいて終わりにしたいというストレスを最後まで抱えてしまう。そういう印象を与えれるものを人間の本質を表現した名作というのかも知れないが、、、

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紙の本

残念

2017/10/15 22:12

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投稿者:L - この投稿者のレビュー一覧を見る

意気込んで出て行ったのに、あっさり帰ってきたことになんだか消化不良。何度も読みなおして理解すれば消化できるのかな?

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紙の本

最後は良かった

2015/09/12 14:13

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投稿者:けy - この投稿者のレビュー一覧を見る

主人公がたくさんの知り合いたちに合い、自分の生き方を見つける話。読者に語り聞かせる感じで話は進んでいくが、とても読みにくく感じたのがマイナスポイント。

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