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日本神判史 盟神探湯・湯起請・鉄火起請 (中公新書)
著者 清水 克行 (著)
神仏に罪の有無や正邪を問う裁判−神判。日本では中世、湯起請や鉄火起請が多用された。火傷の有無で判決が下される過酷な裁判を、なぜ人々は支持したのか。豊富な事例から当時の人々...
日本神判史 盟神探湯・湯起請・鉄火起請 (中公新書)
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商品説明
神仏に罪の有無や正邪を問う裁判−神判。日本では中世、湯起請や鉄火起請が多用された。火傷の有無で判決が下される過酷な裁判を、なぜ人々は支持したのか。豊富な事例から当時の人々の心性を読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
清水 克行
- 略歴
- 〈清水克行〉1971年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。明治大学商学部准教授。著書に「室町社会の騒擾と秩序」「喧嘩両成敗の誕生」など。
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一見不合理な「神判」が求められた社会的状況を描く
2010/06/18 22:19
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
「喧嘩両成敗の誕生」の著者清水克行による新著。前著は中世から近世における紛争の事例をつぶさに見ていくことで、喧嘩両成敗という法が前近代の野蛮さを示すものではなく、当時にあって合理的な紛争解決の一手段としてあった、ということを論じる法制史の趣のある著書だったけれども、本書もまた神判―神明裁判―というややマイナーながらもインパクトのある題材を論じていくことで、紛争解決のあり方を通じて中近世社会の変遷を辿る著書となっている。
熱湯に手を入れて火傷するかどうか、あるいは焼けた鉄を目的の場所まで運べるかどうか、というどう考えても不合理な神明裁判のあり方から、科学なき時代の「合理的」解決法を描く手さばきはやはり見事で、やや付け足り的とはいえ世界史上の類似例を探って類比的に神判史をひもとく部分など、新書判の概説書として非常に行き届いた構成になっている点もポイントが高い。
本書では「起請」を軸に述べるのだけれど、そもそも起請というのは神仏に自身の主張が事実であるとの誓願を行い、それが破られた場合にそこに記した神に罰を受けてもいい、ということを記した文書、あるいはその行為そのもののことをいう。鉄火起請や湯起請はそのうえでさらに、自身を危険にさらして正しい主張をしたものには神の加護があるから大丈夫なはずだ、ということを試す裁判の形を取る。
著者が史料に現れる湯起請を見つかる限り数え上げて統計を取ってみたところ、湯起請においては有罪と無罪の確率がちょうど半々という結果が出ている。かなりそれらしい数字、に思える。内容としては犯人探し型が六割、紛争解決型が四割という内訳になっている。湯起請は室町時代に集中的に現れ、その原因にはくじ引きで選ばれた将軍、足利義教の存在が大きく、確かに彼が一時期多くの湯起請を行った。そのため湯起請は上からの専制的なシステムだというような議論も行われたけれど、義教以前にも湯起請の例が見られ、さらに民衆の側からの希望によって行われた例も多く、そうした単純化はできないと著者は言う。
ではなぜ、湯起請が求められたのかというと、著者は先行研究を要約してこう述べる
「湯起請は事件の真相を究明したり、真犯人を捕縛することに目的があったのではなく、共同体社会の狭い人間関係のなかで互いが疑心暗鬼になり社会秩序が崩壊してしまうことを食い止めるため、誰もが納得するかたちで白黒をつけることで、共同体内不安を解消することを目的としていたのではないか」
そもそも、何もやたらに湯起請が行われたわけではなく、論争や犯人探しがその前にこれ以上ない、というほど究められた後で、どうしようもなくなったところで持ち出されるのが起請だった。その意味で、秩序維持のための最終的な手段としてあったということがいえるだろう。
次に足利義教が湯起請を多用したのは何故か、という問いに進む。足利義教が湯起請を多用したのは、じつはその政権初期に集中しているという。目の上のたんこぶだった重臣がいなくなり、自身のやり方を思うように通せるようになると湯起請は行われなくなる。つまり、これは重臣たちの存在があって思い通りにならないとき、自身の恣意性を隠して意志を通そうとするときにもちいられたものだったという。
これは「喧嘩両成敗の誕生」で、「喧嘩両成敗法」が専制的な強権の発動というよりは、強権の発動ができない状況での紛争解決の手段としてもちいられるもので、むしろ強権の不在を示すものだと論じられていたことと通じる。
これは江戸初期に行われた鉄火起請についてもいえる。
「彼らが神判を許容していたのはひとえに彼らのつくりだした近世権力がいまだ未成熟で、多くの人々を納得させるだけの統治機構や理念を整えていなかったからだった。とくに、この時期に頻発していた村落間相論は、つねに複雑な利害がからみあっており、公権力とはいえ、へたに首を突っ込んで一方に肩入れすると、かえって自体を泥沼化させてしまい、自身の威信を削ぐ血管になりかねなかった。そのため、初期においてまだ不安定な近世権力は村落間相論などの問題については、主体的な理非判断を回避し、その解決を神判に委ねざるをえなかったのである」199
しかし、湯起請は室町の百年間に渡って行われたのに比べると、より過激化した鉄火起請はじつにそのピークが二十年間ほどの期間に集中していて、すぐに流行が去ってしまう。しかも、室町時代よりも近い時代にもかかわらず、湯起請の事例の半分ほどしか史料に見いだせないことから、それほど広く行われたものではなかったのだろうという。
鉄火起請はその事例を見てみると、しばしばチキンレースの様相を呈していたり、小細工をして自身を有利に導いたという話が伝わっていたりと、むしろ「神慮」を蔑ろにしかねない状況が多々見られる。「神慮」の絶対性の低下とともに、試練が過激化していく状況は神判のあり方が末期的なものとなっていたことの証とも言えるだろう。近世権力の安定とともに、鉄火起請は姿を消していく。
というわけで、各時代の起請を見ることで、法を貫徹する権力が不安定な時期における過渡的な紛争解決手段として起請が求められたありさまを見てきたわけだけれど、たとえば地域の秩序維持のために起請が行われ、犯人を見つけ出すという事例は現在においても全然他人事ではないとしか思えない。足利事件なんてその良い例ではないか。科学的捜査が進歩し、証拠に基づく合理的な犯人探しが行われるようになったような気がしているけれど、いくつかの有名な冤罪事件なんかは白黒半々の湯起請に訴えた方がまだマシでは、ということを思ったりする。
元記事
紙の本
日本神判史
2021/06/30 20:54
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
読みやすくて分かりやすい清水克行先生の中公新書。鉄火起請という、物事の是非を焼けた鉄を手に持って、それが持てるか、持った手の傷はどうかで判断するという近世の風習について取り扱っている。
古代の日本で行われていた盟神探湯との関係はあるのか、湯起請から鉄火起請に変わったのはなぜか、どのような場合に行われたのか、なぜ百年ほどの短い時間でなくなったしまったのか、本当に人々は神の判断を信じていたのか、など多くの疑問を解き明かしつつ、資料を元に中世・近世の人々の心のありようまで推論している。
とても面白い一冊だった。
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社会的な「オトシマエ」
2015/09/28 23:54
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌキネコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の神明裁判について書かれた本です。社会のバランスを崩すような「悪」について、「悪人」が確定することによって(必ずしも実際の犯人でなくとも、社会が納得する形で特定されることで)バランスが回復されるという人心のあり方について、いろいろ考えられさせるものがありました。