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紙の本
生きるチカラ (集英社新書)
著者 植島 啓司 (著)
生きるのに正しいも間違いもない−。世界の聖地を調査してきた宗教人類学者だからこそ書ける、自分の生き方を手に入れる道とは何か。「生きるチカラ」が不足している現代日本人に必読...
生きるチカラ (集英社新書)
生きるチカラ
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商品説明
生きるのに正しいも間違いもない−。世界の聖地を調査してきた宗教人類学者だからこそ書ける、自分の生き方を手に入れる道とは何か。「生きるチカラ」が不足している現代日本人に必読の書。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
植島 啓司
- 略歴
- 〈植島啓司〉1947年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。宗教人類学者。関西大学教授、NYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、人間総合科学大学教授を歴任。
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紙の本
生きるチカラの見つけ方
2010/09/22 00:08
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野棘かな - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、生きるヒントや生きるための助けを享受してくれる本ではない。
筆者を含むいろいろな人のエピソードや人生話、それら引用などを羅列し、読ませながら、どう感じ、どう思うかはあなたの自由であり、読後も、どう思いどうするかもあなたの自由だから、あなたなりに自分で気づきなさいと言っているようだ。
「ええ、わかりますとも、教頭先生。ご熱心なのはよーくわかります、ええ、わかりますとも。それって、文部省のスローガンですものね」
「でもね、教頭先生、とにかく手を上げて発言しろとか、それって、生きる力じゃなくて、”目立つ力”っていうんじゃありませんこと?」
何度もそう言いたかったあまり好きじゃない文部省時代のスローガン、手垢がついた題名にちょっとめまいがしたのも事実だ。
それに「はじめに」に書かれた一番最初の引用
「なぜ、たっぷりと食べた客のように、人生から立ち去らないのか」
最初からつまづいて、結局、読みはじめたものの頓挫して積ん読になってしまっていた。
どうも「立ち去る」という言葉に過剰反応をしたようだ。
現在、結構な人数の方々がたっぷりと食べたわけでもないけれど、こんなもんでいいからと人生にさようならしている。
そんな風に、自分から命をたつ、人生から去るわけにはいかないはず。
自殺はできない、しちゃいけないはずなのに、昨今自殺者は増える一方だとかいろいろなことを連想した。
それからしばらくして、行方不明老人のニュースが話題になると
自分からデンデラ野に行かせてはいけない、ということにまで思いが飛躍してしまったのだ。
だが、9月に入り再度読み始め、これまでの本のすっきりとした表現と違い、微細なシニカル、極薄のアイロニカルや自嘲気味な微風がないまぜになった文章、中途半端な投げかけに戸惑いながらも、詰まりながらも読了。
山本周五郎「柳橋物語」、西鶴の「西鶴置土産」などは、あの時代の話であるから、情報が多く享楽も多い現代の感覚とは全く違ってかけ離れすぎているが、嗜好的な意味合いはいつの時代も変わらないと思うし、利左やおせんのような気質や生き方の人もいるのではないかと思う。
「死があるから生きるちからに輝きを増す」という言葉は、筆者ならではの言い方だなと思う。
植島氏の本を真面目に読んでいるわけではないが、講談社現代新書「賭ける魂」の中にも書かれている言葉を思い出した。
ー最後には「死んだら勝ち」という思想にたどり着くことにもなる。
死ぬと言うのは、一見すると最大の不幸に見えるかもしれないが、実は考え方によっては、最大の歓びともなりうるのである。
「最後に最大の幸せが待っている」と思えれば、生きていること自体も肯定されるようになるだろうー
それが筆者の考え方のようだ。
でもそれは多分筆者のように、いつも世界の中心にいる、人々の中心にいる選ばれた人たちの感覚だろう。
世代によっても感覚が異なるし、一般の普通の人々はそうはいかないと思う。私の場合は、生まれた時が悪かったし私も考え違いをしていたこともあり、そんな風にはなれそうにもないがなれるものならなりたいと思う。
講談社現代新書「賭ける魂」は、植島氏の本の中でもお気に入りの一冊だ。
特に気になる「28.運は一方的に下降する」の章を見ると
―とにかく運はじわじわと落下の一途をたどる。まずそれを知ることが肝心で、その次にいかにしたら
「運と寄り添って生きることが可能か」を考える。いくらでもやり方は思いつく。
じたばたして墓穴を掘らないようにする必要がある。
忙しさの後では精神をゆっくりといたわり、休息の後では次にくる激しい高揚に向けて準備を整える。
ゆっくりと生を楽しむ姿勢こそが大切なのである―
と書かれているが、こういう姿勢こそが生きるチカラを育むのではないかと思った。
本書の最後の方にちょっと触れていた「とにかく運をぐるぐる回す」と言う言葉、「運は動いているからこそ意味がある」
という部分にはもう少し踏み込んだ筆者なりの説明がほしかった。
しかしながら、実は、生きるチカラが持てて長生きするための答えを私はすでに一つだけは知っている。
それを、人はみんな、本当は心の底ではわかっている。だが気づかない人が多いからある意味秘密の合言葉なのだ。
今後は、それに加えて、長生きしたいとは思わないが、生きていられるうちは元気で健康でいたいので、もし運がこちらにきたらぐるぐる回したいと思う。
上手に何かが変わることを祈りながら・・・。
紙の本
一回の人生だからこそ。
2012/04/07 19:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルから想像、「哲学」寄りの内容かと思っていましたが、内容はもっと「一般的」な内容。普通の社会人をやっている人ならば誰にでも当てはまると思う。
著者が何者かがよくわからないままであったが、「お金がすなわち幸せではない」ことや「ふりかかった災いをきっかけにする」ことなど、自身の経験や周辺の話を交えて語ってくれるのだ。ご本人は「お金がゼロの時期もあった」とか「旅行で世界を飛び回っている」人生を過ごしているようです。その域まで達するにはかなり困難なハードルだと思われます。お金がなくても大切なものがあれば、というのは理想論ですが、現実的にはお金が「ある程度」あることが前提です。お金がないとそれだけですべてが消極的になってしまうのが、我々が生活する社会なのです。
それはそれとして、著者が本書を通じて伝えたかったポイントは、
「人生が選択の連続。その選択においては、正しい或いは間違っている、ということはそもそもその選択肢が存在しない」
ということだと思う。なんらかの「選択」が必要な場面は大小含めれば日々、見に降りかかってくることだ。「大きな」選択にあたっては、どちらかを選ぶとどちらかは捨てねばならない、という択一になることがあるけれど、どちらを選らんでも、選ばれなかったもう一方の選択を実施していないのだから、そのチョイスが正しかったのかどうか、なんて判断ができない。できないものはしても意味がないので、そもそも「よかった、悪かった」という判断自体をやめてしまえばいいのだ。そして、常に新しい選択をして、新しい選択肢を選んでいく、前に進んでいく、ということはすなわちそういうことなんだね。
宝くじの一等に当たった人が周りにばれて普通の生活ができなくなった、場合によっては不明な点の多い事件に巻き込まれて命を落としたり...といった事例を引き、「金持ちは幸せではない」ということを伝える手法などは、やや強引な気がするが、要は
「本当に大事なモノを見つけて、それに向かって生きていく。間違った選択なんてないのだから、迷っているなら進んだ方がいい。」
ということを伝えてもらったんだと思っている。
それこそが「生きるチカラ」であると。
【ことば】外から押しつけられた道徳や社会通念や既成事実に逆らって生きることも必要なときがやってくる。それをきっかけに自分自身のなかに隠された大きな可能性を開花させることも可能となるにちがいない。
人生におけるあらゆる選択に、成功、失敗はない。が、もしも「失敗と思われる」事態が生じたときこそ重要だと著者は述べる。本質的な意味での「失敗」ではないのだから、打ちひしがれてばかりはいられないのだ、と。う~ん、力強い。心強い。これだ。