紙の本
国家神道は今も生きている
2023/09/23 22:55
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
国家神道といえば誰もが漠然としたイメージを抱くことができるだろうが、かえってそれゆえにその実態が認識されていないかもしれない。本書は様々な議論をふまえ国家神道は何かを整理解説するものであり、また国家神道は日本人の意識を様々に規定してきた。そしてこれは過去のことではない。「実は国家神道は解体していない。もちろんその規模は格段に縮小した。だが、今も生きているのだ」。
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日本人は無宗教だ、とよく言われる。
しかし、初詣やお彼岸などを見ても、日本人の行動様式は
決して「クールなリアリスト」と言えるようなものではない。
「宗教なんて虚構でしょ」と思っている人の中にも、子供のころ
初詣のおみくじに一喜一憂したり、あるいはお賽銭を入れた後、
目を閉じて願い事を一生懸命心の中で唱えたりした経験のある人も
多いのではないだろうか。
あるいは、「一日一善」「お年寄りを大事に」「清く明るく正しく」などのように、
善悪についての統一的なは判断基準がおぼろげながらも
この日本列島に横たわっているようにも見える。
宗教というと、とかく「神様を信じるかどうか」というような
狭い解釈をしてしまいがちだが、もう少し宗教を広く捉えなおすとき、
我らが日本を単純に「無宗教」と切って捨ててしまってはいけないのかもしれない。
しかし、そのことと天皇との関係は別である。
日本には古来から土着の民族信仰である「神道」があり、
ヤーウェやアッラーのような絶対神ではなく、森羅万象にそれぞれの神が宿ると考え、
祖霊をまつり、祭祀を重視してきた。
そこに、6世紀半ば、仏教が伝来し普及したことによって「神仏習合」的な
独特の日本的宗教感が育まれた。
当時は、むしろ神道は仏教の下位に位置づけられ、「よろずの神もまた覚りを求められている」と
解釈された。このころ、各地の仏教寺院には「神宮寺」と呼ばれる神社が建立されている。
(延暦寺/日吉大社、東寺/伏見稲荷神社、など)
一方、明治維新のスローガンは「尊王攘夷」であり、その具体化として、
西洋列強に伍して戦いうる国家となるために「祭政一致」の体制を目指す検討が進められた。
万世一系の天皇の守る日本は、どの国よりも勝る国家である(=国体論)という考え方をベースに、
これまで神社を中心に行われてきた古来神道(あるいはその延長としての神仏習合)と皇室祭祀とを統合し、
天皇を中心とする国家統制機能として「神道」を再確立することで、強固な国家体制を敷こうと考えたのだ。
明治新政府の設立直後は「神道国教化」がかなりラディカルに(例えばキリシタン禁制、神仏分離令と
これに伴う廃仏毀釈運動など)進められようとしたものの、
これはなかなかうまくいかず、結局は「国は神道、個人は自由」という二重構造を
包含する形にソフトランディングしていった。
もっとも象徴的なタイミングは1900年で、内務省社寺局は神社局と宗教局に分離し、
神社神道は「宗教ではない祭祀」を司る集団として諸宗教とは別個の所属官庁部局を持つことになった。
そういう意味では、神社の位置づけも非常に複雑である。
もともとは地域的民族的な信仰の拠り所であり、例えば八坂神社の「祇園祭」に
天皇制にまつわるイデオロギーの香りは全くない。
一方で、国家神道の一機関として機能した時期があったことは間違いなく、
また現在においても神社本庁は皇室を単なる「象徴」ではなく、
政治の主体として位置付けるべきだとの主張を続けているようだ。
そのような考えは、宗教機関である神社や皇居だけでなく、教育勅語を用いて
学校教育の場でも盛んに喧伝された。
宗教としての深みを持たない国家神道は、ある意味「形から」入ったものである。
これが、小学校教育から徹底的に行われることによって、徐々に国民に浸透し、
太宗を塗りつぶした1940年代には、国民全体を「盲目」へと誘っていた。
しかし一方で、エリートたちは冷静だった。
天皇にすべての決定権をゆだねるのではなく、諮問機関をきっちり持ち、
むしろ天皇を「傀儡」的にあやつる理性が働いていた。
しかし、上記のように徐々に年代を経るにつれて「盲目教育」を受けた世代がメジャーとなり、
そして大きなうねりとなって理性あるエリートを(軍人を通して)呑みこんでしまった。
ひるがえって、現代の日本はどうか。
第二次世界大戦後、GHQの「神道指令」によって『国家神道』は解体された。
ただし、皇室祭祀はそっくりそのまま「天皇家の活動」として残され、粛々と行われている。
GHQ曰くは、国民に『国家神道』をおしつけ、「天皇のため」と全てを奪ったうえで、
実は特定の権力者たちだけがその権力を行使している歪な体制こそが問題であって、
皇室祭祀がそのまま存続していても、国民が選んだ国会議員が権力を行使するという
体制さえ確立・担保されていれば問題ない、ということだった。
書いても書いても書ききれないが、この辺りで筆を置こうと思う。
国家神道もまた、作りものだった。これは間違いない。
しかし、そのことと太平洋戦争にまつわる負のエトセトラとを
直接つなげて「天皇を崇拝したからあんなに酷いことになったんだ」というもの違うと思う。
それは別の問題だと思う。
30年後、バレンタインデーやクリスマスと、初詣と。
一体どちらがどれだけ残っているだろうか。
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「国家神道」とは何であったかという議論の前提、枠組みから問い直している。国家神道=神社神道という枠組みでは、国家神道の実際の姿は見えてこない。「皇室祭祀」を含めて捉えることで、「国家神道」がすでに解体したものではなく継続している現在の問題であることが浮き彫りになる。今後の国家神道における議論は、この著を踏まえたものであるはず。また、庶民の生活、下からの運動という視点の置き方も、著者の宗教史とはどうあるべきかという信念、それに基づく方法論に拠っており、論に説得力を感じる。
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読み終わっての感想、え、だから何?
新書だからこんなものなんでしょうけど。
あ、あと、いやあ、そこまで本庁の事をすごい組織と思ってくださってありがとうございます~ってことかな(爆)
他の人のレビューに、天照大神は女性と初めて知った、というようなことが書いてあったのを読んで、ああ「国家神道」はちゃんと解体されたんだな、としみじみ思いました。
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本質的なことがとてもよくわかった。
著者のひとつの方向性が明確に示されている。
国家神道は解体せず、むしろ現在も粛々と影響力を持とうとしている。
神道指令が祭祀を甘く見ていたことなど。
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まず本書の姿勢である歴史研究と比較研究を通して、より正確な事実認識と概念構成に基づく歴史叙述について、読み始める前の信頼感を得た。右傾化・左傾化した論は読んでいるとある意味「引いて」しまうのであるが、本書ではそれがないと感じられた。
皇居内に宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)がある。これは皇祖神である天照大神を祀る伊勢神宮に対応する。これまでも、今日も、これからも、天皇陛下が祭祀を通じて祈られていることを強く認識しなければならないと思う。
中世では、皇室祭祀、天皇崇敬、地域の神祀祭祀はそもそも別の系統で、国学運動と構想で支持者を得るようになってきたこを今回知った。しかし、また大多数の国民は仏教と神仏習合の宗教文化とどまっていて、それは顕密仏教と呼ばれていた。近世になると国家神道的方向性の流れが出始め、皇室・庶民にいたるまでの神道の興隆があった。
教育勅語と国家神道の関係は非常に強い。普遍的な徳目・道徳を中央に、外側に国体論、天照大神・皇祖皇宗への畏敬の念、天皇崇敬うぃ表現している。小学生にも分かるように心の習慣を身につける役割があったのは周知のとおり。別の機会に教育勅語について調べようと思った。
個人としても組織としても、他の宗教や思想との二重構造は、今日の在りようとしての一つの折り合いの形なのだろうか。
GHQが発した神道指令にイデオロギーとして歪曲された国家神道を、もう一度各人や家族で考え直すところかは始めるべきだと考える。
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[ 内容 ]
戦前、日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」。
それはいつどのように構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。
また、敗戦でそれは解体・消滅したのか。
本書では、神社だけではなく、皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、国体思想や民間宗教との関わりを丹念に追う。
日本の精神史理解のベースを提示する意欲作。
[ 目次 ]
第1章 国家神道はどのような位置にあったのか?―宗教地形(「公」と「私」の二重構造;「日本型政教分離」の実態;皇室祭祀と「祭政一致」体制の創出;宗教史から見た帝国憲法と教育勅語;信教の自由、思想・良心の自由の限界)
第2章 国家神道はどのように捉えられてきたか?―用語法(国家神道の構成要素;戦時中をモデルとする国家神道論;神道指令が国家神道と捉えたもの;皇室祭祀を排除した国家神道論を超えて)
第3章 国家神道はどのように生み出されたか?―幕末維新期(皇室祭祀と神社神道の一体性;新たな総合理念としての皇道論;維新前後の国学の新潮流;皇道論から教育勅語へ)
第4章 国家神道はどのように広められたか?―教育勅語以後(国家神道の歴史像;天皇・皇室崇敬の国民への浸透;国家神道の言説をつけていくシステム;下からの国家神道)
第5章 国家神道は解体したのか?―戦後(「国家神道の解体」の実態;神社本庁の天皇崇敬;地域社会の神社と国民;見えにくい国家神道)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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理系の私は日本史をとっておらず、
神道といえば「古神道」しか知らなかったのですが
図書館で何気に出会ったこの本で知ることになりました。
「国家神道」:黒船出現に対抗して、明治の右翼ナショナリズムは「国家神道と現人神」という一神教プロジェクトを組み、天皇家の祖霊たるアマテラスを祀らせた。国民に「富国強兵」を祈願させ、「神国日本」を洗脳したのである。 イージーな観念操作に終始したため、恐るべき妄想に狂い、侵略戦争と無条件降伏という無残な結果を招いた。 (某情報より抜粋)
自然信仰の「神社」とはまったく別物でした。
国家神道について知るには、本を読むと回りくどくてめんどくさいので
ネットで検索した方が簡潔にまとめられているし、いろいろな角度での情報を得ることができ良く分かったので、途中で読むのをやめました(^^;
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夏季休暇中に読んだもの。毎年この時期は何がしか近現代史に関連したものを読んでいる。
皇室祭祀の殆どが明治期に形成されたものだと初めて本書を読むことで知った。
皇室祭祀というものは平安時代にできたものを脈々と受け継いでいるものかと思っていたが、確かに中世・近世と古代権門の象徴機能であった朝廷に大規模祭祀を続けていくことは不可能だ。
無論、現在の皇室祭祀が千年の伝統でなかったとしても、尊敬の念が失せるわけではない。
ただ、あたかも戦前の「万世一系」のように脈々と続いていたものであるかのうようなイメージを持っていた自分に驚いた。
勉強不足だと言われればそれまでだが、国家がぼんやりと作るイメージ、、、なかなか恐ろしい。
本書はシステムとしての国家神道の形成過程について、皇室祭祀の再編、国民へのプロパガンダを主軸に丁寧に詳述されている。
非常にわかりやすいものなので、神道や靖国問題に興味のある方は是非ご参照をば。
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宗教を区分する便利なものとして、教祖が存在する「創唱宗教」と、より土着的な性質を持つ「自然宗教」の二つがあるが、「国家神道」というのはそのどちらにもうまく当てはまらない。ならば、その「国家神道」とは実のところ何なのか。今までの神道論に批判を加えつつも論じた著作。
宗教学の使う概念というのは舶来モノであることが多く、必然日本人の宗教性を論じるときに不足を感じることが多い。本書の国家神道論は日本人の宗教性を考える上で、その不足感を補う力を有していると思う。少なくとも、変遷する国家神道の性質が頭のなかである程度整理されたことは間違いない。
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国家神道と諸宗教の二重構造のもとでの「政教分離」と「祭政一致」の共存
国家神道は「皇室祭祀」「神社神道」「国体論」の総合
明治維新期から指導層には「祭政一致」「祭政教一致」の方針が共有されていた
国民教化の行く先を指導層が読み違ったことによる下からのナショナリズムの盛り上がり、軍部の暴走
皇室祭祀が温存されたことによって、国家神道はいまだ解体されていない
・・・
明治初期から一つの方針が共有・維持されてきた、というのがいまいち納得いかない。論文を読むべきか。
教育の重要性が感じられる部分が多々あるんだけれど、戦後に関しては教育には触れられないのだな、と。
国学・神道学説などが江戸時代どうしてどうやって展開したのか、に関心がうつってきた
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2010年の3月、初めて伊勢神宮に行ったときのこと。宿で電動付き自転車を借りて、まず外宮(豊受大神宮)に参拝したのだが・・・・。軽い気持ちで入口? に近い砂利が敷き詰められたところを自転車で進んでいると・・・・、近くの詰所にいた警備員らしき男が飛んできて、自転車で入ってはならんと云われたのにびっくり。境内との境もはっきりしていなかったし、もともとが神社なんてお寺などと同様に自由に立ち入りできるといった感覚でいたから本当に驚いたわけだ。しかもその云い方が普通でなく、いかにも高飛車で高圧的だったのにも驚いたのだが。こちらとて生の人間なわけで、いきなりの怒声に腹も立ったし、何様だこいつは、などとも思ったりしたものだ。もちろん、外宮でもその後に参拝した内宮でも、それなりに敬意を表して参拝したのだが、その時のことは強く記憶に残っていて、あれはいったいどういうことだったのかと・・・・。
これまで国家神道というものを十分理解していたわけでなく、今回この「国家神道と日本人」を読んで、少し合点がゆくところがあった。天皇及び皇祖天照大神を祀る伊勢神宮を頂点にした、かつての国家神道。そして現在でも伊勢神宮は神社本庁の頂点に立つという位置づけにあるということ。昨年の式年遷宮の仰々しさは記憶に新しいが、それはKing of 神社の証しということでもあるのだろう。神職の人達だけでなく、そこで働く人々が強く高い意識をもっていることは疑うべくもないと思える。そういう意味で、かの警備員はその人格の問題はあるにせよ、強い誇りがあったゆえのことなのだろう。
一方で、そもそも祭政教一致の国家神道というのは、明治の維新政府がそれまでの幕藩体制の下で続いてきたばらばらな民族としての意識を統一し、天皇を中心にして国民意識のベクトル合せを狙ったものと云え、あくまで政治意図に基づくものであったはず。もっとも、昭和になって軍部に悪用されたのは事実であるが。
それが戦後に政教分離され国家神道が解体? されたにもかかわらず、未だに国家神道が色濃く残っている印象を禁じえないのはなぜなのか。靖国神社は官国幣社として伊勢神宮に次ぐ極めて重要な位置に置かれていたのは歴史が示す通りだが、日本の要人が今なお、靖国神社への参拝にこだわり特別な思いを抱くのはなぜなのか。ほとんど戦後生まれの人達なのに。戦没者の慰霊・鎮魂という意味は勿論十分に理解できるものの、しかしそれであれば、靖国神社という国家神道を担ってきた神社とは一線を画して戦没者慰霊碑を作るべきではないのか。
最近の靖国問題ほど、日本人が抱く、歴史観、天皇観、国家観、民族観などの想いが人によってさまざまであることを認識させられることはない。しかし日本が神の子孫である万世一系の天皇が治める神の国であるとか、それゆえに他の国より優れた民族であるとかいうことは決してありえない。世界の中で生きてゆくためには、誇りは持ちつつも唯我独尊であってはならないのは当然のこと。国としてどうするべきなのか、最近の風潮は少し違うように思えるのだが・・・・。
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明治維新以降、国家神道がどのように広まり、
現在も息づいているかを解説する一冊。
記載がやや難解で主張を読み解くのに苦労したが、
そもそも国家神道が全て政府の意図通りに
最初から展開されていたわけではない点を考えれば、
やむを得ないとも言える。
いずれにしても詳細な理解のためには
さらなる勉強が必要だと感じた。
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2010年刊。著者は東京大学文学部宗教学科教授。◆著者の基本的スタンスは①天皇祭祀は明治以降に新たに創出された面が顕著、②国家神道は創出された天皇祭祀を一つの中核とする、③意図的か、GHQは皇室祭祀を神道指令から除外する一方、現存する天皇祭祀を多くの国民は自覚していない、④天皇祭祀を国家神道や宗教から除外・超越させようとする意図・企ては実態に合わず成功しているとはいえない、と要約できそう。◇しかし、個人的には本書のような内容ですら興味を惹かないとの感。食わず嫌いはいけないと思っているのだが…。
せめて、古人類学が用いる手法のようなものを借用して、神道の依拠する伝統とやらを説明されれば、些かなりとも興味を覚えるかもしれないが…。あと、国家神道を浸透させるのに教育制度(特に初等教育制度)が役立ち、それが、ひいては下からの国家神道隆盛に至ったこと、それが戦前昭和であった点も備忘録として。
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「国家神道と日本人」島薗進著、岩波新書、2010.07.21
237p ¥840 C0214 (2017.11.08読了)(2017.10.26借入)
『夜明け前』島崎藤村著、を読んだ余波で、「国学」→「廃仏毀釈」→「国家神道」と進んできました。
「国家神道」村上重良著、で明治憲法と教育勅語で国家神道の骨格が出来上がったと理解したのですが、この説には賛同していない方々もいるということです。
この本の著者の島薗進さんは、かなりの程度村上重良さんに賛同しているようです。
国家神道は、日本の敗戦によって消えてしまったと思っていたら、島薗進さんは天皇崇敬と皇室祭祀という形でかなり残っているのではないか? とのことです。
象徴天皇という形で憲法にも記載され皇室が残っておりニュース報道でも皇室の方々の動向が折に触れて報じられることからも、天皇崇敬の念は多くの国民の中に育まれているようです。これは、どうしてなのでしょうか? 特に学校教育や家庭教育で何か行われているようには思えないのですが。 日本文化の伝統? 不思議です。
【目次】
はじめに―なぜ、国家神道が問題なのか?
第一章 国家神道はどのような位置にあったのか?―宗教地形
1 「公」と「私」の二重構造
2 「日本型政教分離」の実態
3 皇室祭祀と「祭政一致」体制の創出
4 宗教史から見た帝国憲法と教育勅語
5 信教の自由、思想・良心の自由の限界
第二章 国家神道はどのように捉えられてきたか?―用語法
1 国家神道の構成要素
2 戦時中をモデルとする国家神道論
3 神道指令が国家神道と捉えたもの
4 皇室祭祀を排除した国家神道論を超えて
第三章 国家神道はどのように生み出されたか?―幕末維新期
1 皇室祭祀と神社神道の一体性
2 新たな総合理念としての皇道論
3 維新前後の国学の新潮流
4 皇道論から教育勅語へ
第四章 国家神道はどのように広められたか?―教育勅語以後
1 国家神道の歴史像
2 天皇・皇室崇敬の国民への浸透
3 国家神道の言説を身につけていくシステム
4 下からの国家神道
第五章 国家神道は解体したのか?―戦後
1 「国家神道の解体」の実態
2 神社本庁の天皇崇敬
3 地域社会の神社と国民
4 見えにくい国家神道
参考文献(抜粋)
『中空構造日本の深層』河合隼雄著
『現代日本の思想』久野収・鶴見俊輔著
『象徴天皇』高橋紘著
「敗北を抱きしめて(上)」ジョン・ダワー著・三浦陽一訳、岩波書店、2001.03.21
「敗北を抱きしめて(下)」ジョン・ダワー著・三浦陽一訳、岩波書店、2001.05.30
『昭和天皇』原武史著
「日本の思想」丸山真男著、岩波新書、1961.11.20
『文化防衛論』三島由紀夫著
「国家神道」村上重良著、岩波新書、1970.11.27
「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
あとがき
●国家体制(10頁)
1871年5月から7月にかけて全国の神社を官社と諸社に分け、官幣社、国弊社、府社、県社、郷社、村社、無格社に序列化する社格制度が制定される。全国の神社���国家が組織化しようというものだ。同年7月には従来の宗門改め制にかわって氏子調べ制度を制定し、すべての国民が地域の神社に氏子として住民登録することを目指した。
●皇室祭祀(20頁)
「伝統的」とか「古代以来の」と言われることが多い皇室祭祀だが、実は明治維新に際してきわめて大規模な拡充が行われ、その機能は著しい変化をこうむった。ほとんど新たなシステムの創出といってもいいほどの変容が起こった。
●教育勅語(38頁)
国家神道とは何かを知るうえで教育勅語がもつ意義は、いくら強調しても強調しすぎることはない。それは教育勅語が国家神道の内実を集約的に表現するものだったとともに、それが多くの国民に対して説かれ、国民自身によって読み上げられ、記憶され、身についた生き方となったからである。教育勅語は1945年以前の日本国民の、「公」領域での思想的身体を、また心の習慣を形作る機能を果たしたと言ってもよいだろう。
●信教の自由(41頁)
国家神道は「祭祀」や「教育」に関わるもの、あるいは社会秩序に関わるものと考えられたのに対して、死後の再生や救いの問題、あるいは超越者への信仰は「宗教」に関わるもので、それぞれ持ち場が異なると考えられた。
●神社中心主義(172頁)
日露戦争後の地方改良運動で「神社中心主義」が唱えられ、神社が地域社会の統合・活性化において大きな役割を果たすことが期待されていた。それに応じて神宮皇學館や皇典講究所で学んだ若手の神職らが天皇崇敬と神社活性化と地域社会の振興を結びつけた様々な活動を起こすようになった。
●皇室祭祀(190頁)
賢所では毎朝、男性の掌典により天皇の祝詞が唱えられ、女性の内掌典数人が潔斎をして「お供米」を供え、「お鈴」を奉仕し、掌典とともに「お日供」(おにぎり・魚・昆布・清酒など)を供える。続いて侍従が内陣で天皇に代わって拝礼(代拝)を行う。毎月1日、11日、21日の旬祭は一段と早朝で、天皇自らが拝礼することも多い。
年中行事にあたる祭祀には大祭・小祭があり、加えて節折・大祓などの神事があり、年に20回を超えるのが普通である。小祭では天皇は拝礼を行うだけだが、大祭では天皇が祭祀を主宰する。大祭は1月3日の元始際、1月7日の昭和天皇祭、春分の日の春季皇霊祭・春季神殿祭、4月3日の神武天皇祭、秋分の日の秋季皇霊祭・秋季神殿祭、10月17日の神嘗祭、11月23日の新嘗祭である。
●人間宣言(209頁)
天皇側近の侍従職にあった木下道雄によると、「神の裔」という「架空ナル観念」を否定するというGHQ側の原案に対して、木下が「現御神」という「架空ナル観念」を否定するという文言に変えるよう示唆し天皇もそれに同意したという。もし、そうだとすると、天皇は神の子孫だという国体論の重要な一角は「護持された」ことになる。
☆関連図書(既読)
「古事記」三浦佑之著、NHK出版、2013.09.01
「古事記」角川書店編・武田友宏執筆、角川ソフィア文庫、2002.08.25
「楽しい古事記」阿刀田高著、角川文庫、2003.06.25
「本居宣長」子安宣邦著、岩波新書、1992.05.20
「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
「国家神道」村上重良著、岩波新書、1970.11.27
「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
��夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
「夜明け前 第二部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.02.05
「夜明け前 第二部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.03.15
(2017年11月9日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
戦前、日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」。それはいつどのように構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。また、敗戦でそれは解体・消滅したのか。本書では、神社だけではなく、皇室祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、国体思想や民間宗教との関わりを丹念に追う。日本の精神史理解のベースを提示する意欲作。