紙の本
人間の尊厳を切り取ってみせた意欲作。
2017/05/26 23:45
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
フランケンシュタインの名前を知らない人を探すのは難しいが、
原作を読んだ人を探すのは同じくらい難しいかもしれない。
光文社古典新訳ありがとう。
初版出版から195年たった今、目に触れさせてくれたことに
心から感謝する。
光文社版は1831年出版の改訂第三版を元にしている。
初版は1818年。当時から人気があったことが伺える。
この書評をお読みの方の中には、フランケンシュタインとは
大男の人造人間ではなく、作った博士の名前という知識を
お持ちの方も多いだろう。
恐怖小説という分類もご存知かもしれない。
さらに、博士は少々マッドサイエンティストなイメージが
あるかもしれない。
わたしの事前情報はこの程度だったが、読了後の衝撃は
計りしれないものとなった。この本が江戸時代に書かれていたとは、
まさに想像を絶するレベルである。
この著作は、三段階の作中話で成り立っている。
外堀は書簡体小説だ。
科学に並々ならぬ興味を持つ男が船長となり、北極を目指している。
男にとって北極とは永遠の光の国であり、磁石の針を引きつける
驚くべき力を持った場所なのである。
ところが北極に迫る途中で氷に閉ざされ、不思議な男と出会う
ことになる。男は何者なのか。なぜこんな氷の世界を犬ぞりで
一人で渡っているのか。
男の生い立ちから始まる、長い長い告白がひも解かれる。
これが二段階目の作中話。
そして男の話の中で、恐ろしい怪物との語らいがある。
その怪物の話が三段階目の作中話である。
もうお気づきとは思うが、この男こそがヴィクター・フランケン
シュタイン、人造人間の生みの親である。
現在フランケンシュタインと誤解されているものは、怪物とか
悪魔とか呼ばれるだけで、名前はついていない。
しかしそれが何だというのだろう。
そう思わせる力がこの物語にはある。
光文社古典新訳の素晴らしさは、読みやすさに徹底的に
配慮してあることだ。訳文はもちろんのこと、脚注は必ず同じ見開き
ページに掲載されているし、初版の序文と第三版のまえがきの
両方とも併録されている。
巻末には解釈と著者の年表というまさに至れり尽くせりである。
まえがきによると、著者は仲間とともの幽霊小説を書き合うつもりで
話を作ったらしい。しかし出来た作品は、サスペンスベースでは
あるものの、深みと示唆に富んだ物語であった。
漫画などで怪物が心優しく描かれるイメージはないだろうか。
怪物は人殺しをする残忍性と心優しさを併せ持つものであり、
恐怖小説と分類するのは違和感がある。
そしてこれはわたし個人の解釈なのだが、生みの親のフランケン
シュタインの醜さと尊さを兼ね備えているからこそ、
怪物はいつの間にかフランケンシュタインと呼ばれるように
なったのかもしれない。分身的要素を感じるのである。
産業革命による科学の発展と功罪を心配する著者のこころが
この物語を生み出し、人間の尊厳に迫る小説に仕上がっている。
科学的な部分や、こころの精製に関するSF的要素が
不完全なのも、この小説の愛らしい部分である。
不完全だがメッセージ性は極めて強い。
フランケンシュタインが世紀を超えて愛される理由を体感した。
苦悩するフランケンシュタインと、苦悩する怪物。
アダムとイヴが美しいなんて、いったい誰が決めたんだ?
紙の本
真に恐ろしいのは人間と怪物、果たして一体どちらなのか
2011/11/14 12:45
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投稿者:BH惺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
サブタイトルが「あるいは現代のプロメテウス」。
個人的に好きなんです。ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」とか、ナボコフの「ロリータ」とか今作とか。後世に曲解・キワモノ扱いされて伝わってしまった作品てかなりの確率で名作である率が高いです。この「フランケンシュタイン」も感動の名作でした。
自分は過去読了した澁澤作品中で初めて知ったんですが、フランケンシュタインというのは怪物の名前ではなくてそれを生み出した科学者の名前だそうで。
自然科学に傾倒していた彼はとうとう人造人間を造り上げてしまうのだけれど──。
そのあまりの醜悪さに恐れをなして怪物をおきざりにして逃げ出してしまう。その無責任さに少し腹立たしい思いが。
何も知らずにこの世に生み出された怪物は、創造主であるフランケンシュタインに見捨てられ、何も知らずに人間社会に放りだされてしまう。出逢う人毎にその醜悪さを恐れられ虐待され傷つく心。孤独を友に、たった独り身を隠して生き延びる日々。
唯一の救いは逃げ延びた隠れ家の隣人である善良な親子。父親と息子と娘・3人で暮らすその生活を見ながら、彼は言葉と知識と愛情と優しさを学び得てゆく。
けれどその親子にも存在を拒絶され、彼の心は人間に対する、ひいては自分を造り出したフランケンシュタインへの憎悪と復讐へと向かってゆく。
読んでいて恐ろしいのは人間と怪物、果たして一体どちらなのだろうとものすごく疑問に思った。
怪物の心は純真で常に愛情を求めている生まれたての赤子そのもの。その彼の心を憎悪で満たし歪ませてしまった物は一体何なのか?
中盤、怪物の独白によって痛烈に批判されている、うわべで人や物を判断してしまう人間の愚かさの描写が白眉。
3人による書簡形式と独白という凝った3重構成がまた効果的。
望んで生まれたわけではなかった怪物の、誰にもその存在を認められない悲痛な心の叫びが心に染みる。
一般的には映画などで有名ですが、あまりにもキワモノ扱いされていて、原作の真のメッセージが伝わっていないような気が……。上質なゴシックホラーとして読みましたが、フランケンシュタインを身勝手な親に置き換え、怪物を愛情に飢えた子供として置き換えると、充分現代にも通じるテーマになるなと思ってしまいました。
作者がこの作品を書いたのが若干19歳の頃。ビックリですね。サブタイトルの「あるいは現代のプロメテウス」というのは、土から人間をつくったという、古代ローマ時代の話に由来するそうです。
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GOTH
2022/03/10 16:19
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投稿者:L療法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あらかじめ否定され、名前すら持たぬ、聡明なるものの哀しい話。
フランケンシュタインの罪悪感に欠ける言動は、人間的。
私は怪物の肩を持つよ。
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「フランケンシュタイン(の怪物)」は、吸血鬼、狼男と並ぶ古典的な三大モンスターとして世界中で浸透し、今も〝娯楽の素材〟として流通している訳だが、唯一伝承や宗教的な典拠を持たず、一作家の創作から誕生したという点で、独創性に富み、尚且つ汎用性に優れている。
1818年、シェリーが若干20歳の時に発表したゴシック小説。まさか後世に残る作品になるとは、作者自身も想像していなかったことだろう。実際、若書きのために小説としては拙い。構成が粗く、人物造形も浅い。往時には主流だった書簡体のスタイルもテンポが悪く、含蓄のある修辞も少ない。ただ、素人じみたまとまりのない恣意性は、逆に何でもありの発想で奇抜な世界を創り出し、連続する予想外の展開で読者を振り回す。
〝原典〟の内容は、現在流布する「フランケンシュタイン」のイメージとは遠い。そもそも、幕開けの舞台が北極圏で、逃走する怪物をその創造主が追い掛けている、という異常なシチュエーションから始まるのだから。
物語は、北極点に向かう英国人冒険家の船に、遭難しかけていたフランケンシュタインが救助されたのち、自らの過去を回想/告白する形で進行していく。野心に突き動かされた若い科学者による人造人間の創造。怪物を生み出すまでの過程が曖昧なのは止むを得ないとして、墓場から掘り起こした死人を繋ぎ合わせ、再び生命を吹き込んだ動機を明確にしていないのは、多少の倫理観に絡め取られた結果なのだろうか。物語は、人間の業に焦点を絞り、寓話的なエピソードを重ねていく。
怪物を生み出した直後、恐怖に駆られた科学者は全てを放り出し、その場から逃げ出す。この時点で既に男の身勝手さに呆れ返るのだが、次々と近親者らが怪物に襲われる段になっても、自責の念に一切駆られることがない。中盤で、フランケンシュタインが怪物と語り合う長いシーンがあり、本作での山場ともなっているのだが、切々と創造主の独善、無責任を饒舌に非難する怪物に対して、科学者は何一つ悪びれることなく糾弾し、身内の不幸は己の狂気が引き起こした因果応報であることに思い至らない。遂には物別れとなり、互いを狩ることに没入するのである。恐らくこの辺りで、怪物は「犠牲者」であり、フランケンシュタインこそが「加害者」である、という逆転現象が起こる。
不条理極まりない己の境遇に同情を求め、理解と幸福を得ようと虚しく〝生きる〟怪物は、醜悪な生体故に差別され虐げられていく。一方、〝人にあらざるもの〟に対して全責任を負うべきフランケンシュタインは、どこまでも利己的に罪過を否定し、暴力を用いて復讐に赴いた怪物の必然性を遺棄する。深層に於いて両者は表裏一体だが、最後まで互いを理解し合うことなく、未来に対して希望を灯すこともない。同様のテーマとして、後のスティーヴンソン「ジキル博士とハイド氏」で、怪物と人間が同一の身体を持つという、より怪奇性を強めた形で継承している。
シェリーは、無神論者/無政府主義者の父親、フェミニストの母親という特異な家庭環境に育ったらしい。深読みすれば、その思想的なバックボーンが本作に影を落とし、〝異形〟の存在への畏怖、科学主義/信仰への警鐘を、内包していたと捉えることもできる。何れにしても、怪物と対比することで、人間の卑しさが生々しく浮かび上がるという〝怖さ〟は、作者が意図せずとも本作に刻み付けられていると感じた。
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数多のメディアに露出しているフランケンシュタインですが固有名詞が先走り、きちんとお話を読んだことが無かったので図書館で借りて読みました。フランケンシュタインって怪物を作った博士(?)の名前だったのか!!と初めて知りました。そうしたら解説にこの頃の人は怪物の方をフランケンシュタインと思っている人が多いとお小言があり、恥ずかしく思いましたが…まあ仕方ないですね。
個人的にはフランケンシュタイン氏に終始腹を立てていたので彼の生み出した生命にはあまり恐怖も憎しみも感じませんでした。大体、造っておいて怖くなったから放置するって…だったら責任持ってきちんと命を奪う所まで行え、と言いたい。そして創造物に周囲の愛する人を奪ったからあれは悪魔だと説明されてもそもそも創造するだけで居場所も存在価値も与えなかった彼の方に全ての非はあるだろうとしか思えない。まあどちらかと言えば他の人よりは創造主を手にかけて頂きたかったですがまあそこは複雑な感情があるんだろうと理解しました。まったくもって創造物の方が話すことも理路整然としているし、感情も理解できるなあと読んでいて思いました。
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(2011/01/13 購入)(2011/01/17読了)
古典が読みたくなったので購入。
映画(デニーロが怪物を演ったやつ)のキャッチコピー「愛もなく、なぜ造った」が切なくて好きで、原作も気になっていた(映画はあまり好きではない)。
主人公フランケンシュタインや怪物の心情を非常に丁寧に描いていて、感情移入しやすかった。怪物の苦悩・憎悪が切なすぎる。
創元推理文庫の怖いイラストが表紙のヤツが欲しかったが、手に入らなかった。残念。
怖い表紙→http://www.tsogen.co.jp/wadai/2009_limited.html
━━ 泣くがいい、不幸なものたちよ。しかしその涙は最後のものではない!再び葬列の嘆きがあがり、悲しみに満ちた声が何度も何度も聞かれることになる!フランケンシュタインよ、あなたたちの息子、肉親にして、長きにわたって愛されてきた友よ。あなた方のためとあれば、血を流すこともいとわぬ男。あなた方の愛しい顔に映るもの以外には、何一つ考えることも、喜びもない男。空に祝福を満たし、生涯をあなた方のために捧げる男。その男が泣けと、数知れぬ涙を流せと言うのだ。容赦ない運命がそれで満足し、静謐な墓があなたたちの苦しみの後に訪れる前に、破壊がやむというのなら、この男にとってはそれが望むべくもない幸福なのだ!(166頁)
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裁判の自白の信憑性に関する描写があることが興味深い。そして、怪物による殺しは一部の犯罪者心理に近いものがあるといえるが、何よりも彼らが発する道徳や倫理がいかに空虚であるか、まざまざと見せつけられる点で社会性が強く、現代を見渡しながら読んでも面白い。とち狂うフランケンシュタイン自身が、だんだんと怪物そのものの心情まで堕ちていくところもヒューマンだね。当然、科学と倫理を結びつけた批評性はSFの要素を含んでおり、その元祖といわれるけれども、この純度の高さは傑作以上のものだ。
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フランケンシュタインて、実は人造人間の名前じゃなくて、怪物を作った博士の名前ってしってた??
怪物くんとかでフランケンて呼んでたから、すっかり騙されてた!
これはホラーじゃなく、悲しい物語と思う…
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青年科学者のフランケンシュタインは自己顕示欲、挑戦のために、人間を創り出す。しかし、完成した人間は、人間と呼ぶにはあまりに醜悪な怪物だった。フランケンシュタインは結果に失望し、研究に興味を失う。しかし、怪物は知識を身につけ、フランケンシュタインへ自分を創ったことの責任を果たすように迫る。
あまりにも有名すぎて読まれることが少ない名作の一つだ。
著者が20歳の女性ということ。「フランケンシュタイン」は怪物の名前ではなく、怪物を作った青年学者の名前であること。などの意外な発見。
さらに、人間が自分で創り出したものに支配されるという設定やクローン技術の想像。この作品があまりに時代を先取りしていることに驚いた。
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古典名作ホラーですね。名前は有名ですがちゃんとお話を読むのは初めてです。フランケンシュタイン博士が勝手すぎです。作った以上責任取りなさい、と言いたい。知性と素直な感性を持っていた「怪物」を受け入れるには人間は未熟すぎたのか。可能性を追求する姿勢は悪ではないですが…。
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ゴシックホラーの古典。
生命の秘密に興味を持つフランケンシュタインは、研究の結果、人造人間を造り出すことに成功する。だが造り出された「怪物」の不気味さに怖れをなし、これを放棄してしまう。どこへともなく消えた怪物だが、フランケンシュタインの身近で不幸な出来事が立て続けに起こり、彼は怪物の仕業と確信する。
創造主であるフランケンシュタインは、被造物である怪物に付け狙われる立場となる。
怪物がそこに至った理由は何か。フランケンシュタインは怪物の手から逃れることができるのか。
あらすじは比較的よく知られている物語だ。
ボリス・カーロフが怪物を演じた映画の造形から、ボルトが刺さりつぎはぎだらけの異様な姿として怪物を思い浮かべる人も多いだろう。
だが原作はそれほどは読まれていない物語でもある。
「フランケンシュタイン」はよく怪物自身と誤解されているが、怪物を造った「科学者」の名前であり、怪物自身には名前は与えられていない。
本作は枠物語の構造を取る。
最初の語り手は極地探検を志すウォルトンで、北極近くでフランケンシュタインを発見する。
次の語り手はフランケンシュタインで、出自の説明から怪物を造り出すまで、そしてなぜ北へとやってきたのかを回想する。
その回想の中で、フランケンシュタインと邂逅した怪物自身の語りが挿入される。
おどろおどろしいだけの物語かといえばそうではない。
美しい自然描写もあれば、欧州各地の旅行記のように読める部分もある。
怪物はかなり高い知能を持つ存在であり、赤子のように知識を吸収していくさまも詳細に描かれる。怪物がかかわった人々のエピソードも興味深い。
物語の構造ががっちり計算されつくされているとは言いにくいが、ほとばしる才能のみずみずしさを感じさせる。
メアリ・シェリー弱冠20歳の作品である。
前回読んだときには、怪物を生み出しておきながらその不気味さにさっさと逃げ出してしまうフランケンシュタインの無責任さに苛立った。ともかくも彼が踏みとどまって怪物の面倒を見ていれば、のちの悲劇はすべて起きずに済んだのではないかとも思えた。
彼を「科学者」と見るならば、己の知りたい確かめたいという欲望に身を任せ、結果が思いもよらぬものとなったら逃げだすとは何事か、というところだ。
だが、今回、読み返してみて、フランケンシュタインが感じた恐怖や不安が少しわかるような気もした。
本作はそもそも、仲間内で、それぞれ「幽霊物語」を書いてみようという余興から生まれたものである。
メアリ・シェリーが思いついたのは、「青白い顔をした科学者」が「呪われた作業」によってつくりあげたものの物語だった。おぞましいものを作ってしまったと彼は逃げ出す。だが、ふと気づけば、月明かりにぎょろりと光る黄色い眼が窓からこちらを覗いている。
放っておけば死ぬと思ったのに、自分の為したことは想像を超えたものを生み出してしまった。
その一線を越えた感覚。禁忌を犯したのか、神を冒涜したのか、ともかく入ってはならぬ領域に彼は入ってしま���たのだ。
怪物は結局のところ、殺人を犯してしまうのだが、もとから悪辣だったわけではない。彼はただともに語らい安らげる仲間がほしかったのだ。そういう意味では怪物は非常に「人間的」ですらある。その一方、怪物をただただ忌み嫌い、まったく理解しようともしないフランケンシュタイン自身が「怪物」であるようにも見えてくる。
神と人の境界。人と怪物の境界。そんなことも思う。
さまざまなことを考えさせ、多様な解釈の余地を許す。
古典というものの懐の深さを改めて感じる。
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モンスターの代名詞ともいえるフランケンシュタイン。実はフランケンシュタインは怪物の名前ではなく、怪物を作り上げた博士の名前。怪物には名前はない・・・。200年も昔に現代の人間の猛威を予見させるこの話を書き上げたのは若干19歳の女性だった。というプレゼンを聞いて興味が沸いた本。 読んでみたらとてつもない悲劇。でもきっといい影響を得られると思いました。
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「バクダードランケンシュタイン」を読んだので、
(https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4087735044)
元祖「フランケンシュタイン」も読んでみた。
冒頭は、作者メアリー・シェリーが追加した序文と、最初出版されたときにメアリー・シェリーの夫のパーシー・ビッシュ・シェリーが書いた序文の両方が載っている。
原題は「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」となっている。これは、人造人間を造ったヴィクター・フランケンシュタインが「人間の叡智を超えてしまい持て余してしまった」というような我が身を嘆いて言った言葉だろう。
なお、夫のパーシー・ビッシュ・シェリーには「縛を解かれたプロメテウス」という著作があるらしい。夫婦そろってプロメテウスを題名にしているのか。
さて、この「フランケンシュタイン」だが、小説の構造がなかなか凝っている。
まずは、イギリス人で北極への海路を探索しているロバート・ウォルトンが、姉のマーガレット姉に出す手紙。
その手紙で「犬橇に乗った大男を見かけた」ということと、「その後を若い男が犬橇で追っていたが、疲労が激しかったので自分の船で保護した」ということが書かれる。
この保護された若い男が、スイス人の自然科学者のヴィクター・フランケンシュタインだった。
ロバートはヴィクターと話すうちのその人柄に惹かれてゆく。そしてヴィクターから怖ろしい経験を聞く。
子供の頃から自然科学に興味を持っていたヴィクターは大学に進み、死の謎に挑んで生命のないものに生命を宿す研究に没頭する。
研究の末に墓場から集めた遺体を繋ぎ合わせて一人の体を作り、その体に生命を宿すことに成功する。
だが出来上がった人造人間はそれはそれは醜くおぞましく怖ろしいものだった。
あまりの醜態にヴィクターは研究室から逃げ出す。
彼が戻った時にはその怪物は消えていた。
…いやいや、いなくなってよかった!ってそういう場合か。
この人造人間は結局名前はつかずに、”怪物”とか”悪魔”と呼ばれることになる。
現代感覚だと、造って棄てるな無責任、と思ってしまうが、
おそらく当時の感覚でのこの怪物への恐怖と嫌悪感は宗教的・哲学的なものも含まれているのだろう。命を創造するのは神。だが神に造られた人間が、禁じられた神の領域に入って命を造った。その行為が人造人間のおぞましい外見に顕れた。…という人への罰則を感じたのかと思った。
この怪物がヴィクターの前に現れるのは2年後。
この2年間怪物くん(勝手に造られて憎まれて哀しいところもあるので敬称呼びしてみます。漫画の主人公のようになってしまうが/笑)がどのように過ごしてきたかは、彼自身の言葉で語られる。
つまり、ロバートの手紙でヴィクターの語りが書かれ、さらにヴィクターが語る怪物くんの独白も入れ込まれているという構造。
この怪物くんは、気がついたら命があり、しかしはじめに見た人間のヴィクターの拒絶により部屋から逃げ出した。その後はあまりにもおぞましい外見から人目につけば憎まれる日々で、なんとか人目を避けてその日その日を暮らしていた。
辿り着いた田舎の村で、彼は慎ましく寂しげに互いを思いやり暮らす一家を見る。
自分も加わりたい、あの一家に受け入れられたい、その想いで怪物くんは彼らの役に立つことをそっと行ったり、言葉を覚えたりしてゆく。
そう、怪物くんは身を隠しながら食料調達を行いながら完全独学で言語を習得したのだ、すごい!
しかしその一家に受入られるように計画を立てて姿を表した怪物くんは、一家から完全に拒絶されて恐怖と憎しみを向けられてしまった。
絶望した怪物くんは、ヴィクターの部屋から逃げ出すときにたまたま持ち出していたノートから、自分自身が誰になんのために造られたのかを知る。そしてその絶望を創造主ヴィクターに向けるために彼の故郷に向かったのだった。
造られた当初は善か悪かどっちに転ぶとも分からなかった怪物くんだが、人間たちからあまりにも拒絶されてすっかり拗ねてしまい、身も心も完全に怪物になっていた。
自分が抑えられなくなっている怪物くんは、ヴィクターに近い人間を殺したり、破滅させたりしてゆく。
この場面、怪物くんがヴィクターに訴える心情がなんとも哀切も感じる。これは女性作家ならでこそだろう。
「おれは今まで苦しんできたが、命は愛おしい。おれは何も悪いことをしていないのに喜びを奪われた堕天使のようではないか(←怪物くんの独学の教養がすごい!)。俺だってもとは善良だった、おれの願いを叶えて幸せにしてくれれば創造主であるお前に優しく従おう」
そしてヴィクターに要求を突きつける。「自分と同じように醜くおぞましい女を造って欲しい。自分とともに生きる自分だけに従う女だ。そうすれば二人で山の奥で静かに暮らし、二度と人間の元には現れない」
ヴィクターは、怪物くんを追い払える手段として一度はその要請を承知する。
だがヴィクターは逡巡する。はたしてあの怪物の言うことを信じてよいのか?もう一体怪物を造っても良いのか?
そして怪物くんの目の前で造りかけの人造女性を壊すのだった。
をいこら、ヴィクター、二度も怪物くん突き放したな。しかも今回は完全に故意。
ヴィクターに願いを拒絶された怪物くんは絶望のどん底に落ちこみ、「俺が悲惨にあるのにお前だけ幸せになどさせない、どこまでもお前の前に現れ、お前を恨み復讐してやる」と宣戦布告。
そこからはヴィクターと怪物くんの追いかけっこ。
怪物くんはヴィクターの大切な相手の命を奪ってゆく。
ヴィクターは怪物くんを追う。自分が作り出したあいつを片付けることこそが自分の最後の役目だ。
この時期に北極を目指すロバートがヴィクターを船に乗せたのだった。
この物語は怪奇話なのだが、ヴィクターやロバートの辿る自然や街の描写も良い。ヨーロッパの街並み、怪物くんが潜む山、氷を割って進む探索船。
助けられたときすでに衰弱していたヴィクターは、遺言としてロバートに告げる。「私がこのまま死んだら、あの怪物を必ず殺してください」
その夜、ロバートはヴィクターの遺体を寝かせている船室に大きな体のひどく醜い男の姿を見る。
それはロバートに自らの悲壮と憎悪を���げる。そしてすべてが終わったからには、自分自身の体を葬り去ることを約束して、海へと消えてゆくのだった。
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「フランケンシュタイン」といえば、四角い頭に半月型の眼が不気味に輝き、縫い目のある肌は青白く、首元にはごっついボルトが突き刺さった巨躯の怪物…おおよそそんなイメージを抱くでしょう。しかし、正確にはそれは誤り。フランケンシュタインとは、そんな怪物を生み出した博士の名前であり、怪物自体に名はないのである。
さて、本書は1818年(今からおよそ200年も前!!)に発表され、ブライアン・W・オールディス曰く「SFの起源」とも評される小説です。
天才科学者フランケンシュタインによって生み出された人造人間。しかし、その姿が醜悪に満ちていたため、創造主のフランケンシュタインを含めた人間から忌み嫌われてしまう。やがて知性と感情を獲得した怪物は、人間の愛情を求めるが…
とてもとっても悲しい物語です。
誰が悪いのかと問われると、読んだ人によって答えが異なりそうなところですが、個人的にはフランケンシュタインがただの無責任糞野郎に思えてなりませんでした。物語の大半がこの創造主による開陳で占めるのですが、その思いの吐露がどうも自己弁護の固まりのように感じられて、最後には聞き手であるウォルトンに仇討ちをお願いする始末。醜悪なのはお前の心の方じゃないかと、非難を浴びせたくなるほどでした。
一方、いわば敵である怪物の心情を垣間見れる場面も多々あり。このため、物語をフランケンシュタイン側から一方的に見ることができなくなります。この怪物の心情を察する限りは、可哀想としかいえません。もちろん、だからといって暴力が認められることはないのですが…
さてさて、本書を読み終えて驚きがひとつ。この歴史的にも価値のある一作を生み出したのが、弱冠19歳の少女であったということ。まじか!
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様々な物語の原点ともなる作品。
誰からも望まれず、誰からも愛されない。醜悪な容貌をした怪物。誰からも恐れられる怪物は幸せな家族を覗き見て知性を得る。最大の理解者となる人生の伴侶を求めるも、創造主フランケンシュタインの返答は…?
話くらい聞いてやれよ…とは思うがうまくいかないのがホラーというものだ。なぜなら登場人物は恐怖にとらわれているのだから。ままならぬ物語がホラーなのだ。
だからこそ、ifの作品が世界中に造り上げられたのかもしれない。そういえば、読んだことのあるオマージュ作品は花嫁がいることが多いなぁ。別の世界線で、愛を渇望する名無しの化物に愛の手をさしのべられている。