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- カテゴリ:一般
- 発売日:2010/11/01
- 出版社: 国書刊行会
- サイズ:19cm/287p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-336-05326-8
紙の本
電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
著者 津野 海太郎 (著)
本の電子化への動きを書物史・文明史の流れのなかでとらえなおせば、電子本と紙の本が共存する新しい時代が見えてくる。電子本黎明期より本と出版の未来を考察してきた第一人者による...
電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
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商品説明
本の電子化への動きを書物史・文明史の流れのなかでとらえなおせば、電子本と紙の本が共存する新しい時代が見えてくる。電子本黎明期より本と出版の未来を考察してきた第一人者による明快な読書論。萩野正昭との対談も収録。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
津野 海太郎
- 略歴
- 〈津野海太郎〉1938年福岡生まれ。早稲田大学卒業。評論家。晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長、和光大学教授・図書館長等を歴任。「滑稽な巨人」で新田次郎文学賞受賞。
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著者/著名人のレビュー
津野海太郎さんは、3...
ジュンク堂
津野海太郎さんは、3000年のスケールで書物史を辿る。口承、羊皮紙、印刷本、電子書籍と媒体(メディア)が変遷してきた書物史の中での「いま」とはいかなる時代であるかを、見定めようとする。
津野さんによると、書物史にとっての二〇世紀は、「本の黄金時代」であると同時に、出版の産業化、本の商品化のいきおいが過熱してしまった時代である。「印刷本」の生産・流通規模は、早晩現在の三分の一くらいに縮小するだろう、と津野さんは予言する。そして、それは「かならずしもわるいことではない」と。
一方、羊皮紙が紙の本へと交代したように、「電子書籍」が「印刷本」を駆逐するわけではない。新旧の書物の網羅的な電子化は不可避的に進行するだろうが、同時に、コンピュータによってでは達成されえないことが徐々に明白になる。その結果、「紙と印刷の本」のもつ力が再発見され、両者の共存のしくみがもたらされる。それが津野さんの予想するシナリオである。
インターネットの無料情報になれた人びとに有料の本を売るには、それなりの努力が必要になるが、それは魅力的な努力だという。その思いの底に流れるのは、諦念ではなく、矜持である。
紙の本
長い歴史の中で電子本を考えていると、ゆったりと肩の力がぬけてくる。
2011/02/06 17:31
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本の電子化に関する書籍も随分と増えたが、本書は読んでいて心地よくなる一冊であった。その理由はいくつか考えられる。
まず、文章。優しいが時々辛口の表現も入る語り口は良い講演でも聞いているよう。
次に視点。著者は文字文化の流れとして、書籍の電子化を百年千年の時間単位で分析している。この、長い時間スパンでものを考えること自体が「どの端末がどうだ」という目の前の問題から開放してくれるのだろう。ゆったりとした気持ちにさせてくれる。。
もう一つはポジティブシンキングなスタンス。電子化によって失われるものを恐れ嘆くばかりではなく、これまでの手法の限界を乗り越えて出てくる新しいものの良い面に目を向けようという姿勢は、大きくて重い題材を軽くしてくれる。
電子化が文字の発明、印刷の発明に続く第三の書物史の革命であるなら、これまでの変化を人間はどう越えてきたのか。その歴史を考えるなかから「電子書籍の限界もそのうちわかってくるだろう。そこから新しいやり方が出てくるだろう。」そして「紙の書籍に背負わされた重たいものを、少しずつ電子書籍が肩代わりすればいい」と著者は書く。この「肩代わりしてもらう」という言葉で、こちらの肩の力も抜けた。
確かに、「図書館の書庫はもう一杯」という話も聞こえ始めて随分になる。「環境のためコピーを減らしましょう」と叫ばれたこともあった。書籍も電子化できるものはすればいい。「紙でなければいけないものはなんなのか」をきちんと考えていけばいい。慌てふためかずに、じっくりと考え、有効に利用していこう。
電子化が文字の歴史の第三の革命なら、「三度目の正直」になるか、「二度あることは三度」になるのか。私たちは幸いにしてそんな歴史の転換点に生きている。そう考えよう。本書を読んで肩の力が抜けたのも事実であるが、こう考えるとわくわくすると同時に身もひきしまる気がしたのも事実である。
読んでいて頭がすっきりとし、気持ちが楽にゆったりとしてくる。最先端の問題を扱う本には珍しい、まるで「セラピー」を受けたような読後感の本であった。
本書のタイトルだけはちょっと残念である。これだけ電子書籍が読めるようになると、電子本への賛否はあれ「バカにする」人はもういないだろう。第二部のタイトルを使ったようだが、書き下ろしの第一部のタイトル(副題になっている)の方が意図は伝わると思う。(ちなみに第三部にはブラッドベリの「華氏481度」が取り上げられている。この他にも、本書には書物を扱った書籍が沢山紹介されていて、これもまた読書欲を心地よく刺激してくれた。)
紙の本
「原液」を絞り出す行為は変わらない
2011/02/10 13:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、電子本を本の歴史から検証した内容で、至極まともなことばかり述べてある。「電子本>印刷本」ではなく併用する時代が続く。「本や読書」は永遠に不滅。ただし、電子本がやがてメインストリームとなるだろうと。
著者とボイジャーの荻野正昭との対談がぼくにはピカイチだった。当該箇所、引用。
「津野 たとえば清書が羊皮紙に手で書かれ、それがやがて活字になりデジタルになる。そこで生きつづけているものは「原液」としての聖書であって、羊皮紙とか紙とかデジタルとかの「メディア」じゃないですよね。そう考えると、「原液」という発想は、荻野さんが十数年間やってきたことの一つの到達点なんだと思うんだけど」
「荻野「そもそもは、ものを書くということ自体が「原液」を絞り出す行為なんでしょうね」」
原液は紙媒体や電子媒体に転じるが、素は変わらない。ま、液晶の液にも通じるんだけど。「羊皮紙とか紙とかデジタルとか」ってのはツール、ハードウェアでもあるわけで、そっちの話ばっか盛り上がっているのは、金のニオイがするからか。いつまでたってもコンテンツ不足とか嘆かれるわけで。よーく考えなくても、コンテンツ不足なんてずっと前から言われてきたことだし。
あとは紙の本をスキャンするということは、フォントなど文字も画像の一部とみなすこと。
あ、そうか。と思わされた。
それから「ウィキペディアとマチガイ主義」の章で、間違いだらけのウィキペディア(アマの知?)と専門家による「マチガッテハイケナイ」百科事典などプロの知との対比もあ、そうか。と思わされた。間違っていたら都度修正してα版、β版とヴァージョンアップしていけばいい。コンピュータと一緒で完璧は有り得ないのだから。
いま、縁あって東京ゴールデン商会という企画集団で、電子書籍の企画やライティングをしている。その前提として紙の仕事が減って、Webの仕事が増えている事情もある。また毎日かなりのWebやメールマガジン、ブログ、ツィッターなども読むんで、電子本にはまったくアレルギーなどはない。もちろん紙の本も読んでいるけど。
『電子書籍の時代は本当に来るのか』歌田明弘著で、確か本は丸ごと一つのパッケージである。完成形ゆえそれ相当のページ数が求められる。時間もかかる。ところが、電子書籍は、部分でも可であると。ほら白菜(スイカでもいいし、サバでもいい)といっしょで昔は一個買いだったけど、いまは核家族で、半分や四分の一とかで買うよね。(サバなら切り身のパック買い。しつこいちゅーねん)そういうことも電子書籍の特徴の一つであると。ぱぱっと書いて、ぱぱっと売って、ぱぱっと買って、ぱぱっと読む。
電子書籍ばっかが粗製濫造や玉石混交じゃない。ある程度の量がなければ、いいもの、つまり質も高まらない。いいものだけが残るというダーウィニズムは当てはまらない気はするが。