- カテゴリ:一般
- 発行年月:2010.10
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/102p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-10-328461-1
紙の本
流跡
著者 朝吹 真理子 (著)
第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少で受賞した大型新人の鮮烈なデビュー作。【「BOOK」データベースの商品解説】【Bunkamuraドゥマゴ文学賞(第20回)...
流跡
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商品説明
第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少で受賞した大型新人の鮮烈なデビュー作。【「BOOK」データベースの商品解説】
【Bunkamuraドゥマゴ文学賞(第20回)】細胞液や血液や河川はその命脈のあるかぎり流れつづけてとどまることがないように、文字もまたとどまることから逃げてゆくんだろうか−。揺れつづける生の輪郭を揺らぎのままに描きだす。『新潮』掲載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
朝吹 真理子
- 略歴
- 〈朝吹真理子〉1984年東京生まれ。慶應義塾大学前期博士課程在籍(近世歌舞伎)。「流跡」で第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。
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書店員レビュー
のっけから主人公は神...
MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店さん
のっけから主人公は神社で能を舞っていたかと思えば
いつしか船頭になっていたり、気がつくとサラリーマンだったりする。
主人公は男であったかと思えば、女であったりと
現実と非現実の間を行ったり来たりしながら物語は進んでいき
終わったかと思えばまたまた振り出しに戻る。
読者はイメージの断片をつなぎ合わせたかのような
湿度を帯びた言葉の氾濫へ否応なく呑み込まれるのだが
それでいてどこか懐かしい。
不思議な小説である。
文芸担当 菊地
紙の本
ただただ流れに身をまかせて、活字の海であそぶ
2011/01/16 23:51
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きゃべつちょうちょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公は文字である。文を構成する文字。
言い換えるとしたら、
すべてを俯瞰している神の目線。
その神の目線を持った、あるたましい。
といっても、これはホラーではない。
タイトルに沿うように、
文字が、文章が、つらつらと流れ流れてゆく。
主語と過去形を極力つかわないというテクニックで
水のように脈々とことばが流れる。
なめらかでいて、時にはごつごつした手触りのある日本語が
淡々と綴られ、ある時は洪水のように押し寄せる。
これは、主人公とおぼしき個体の、
たましいに刻まれた孤独な記憶を手繰っていく
旅のようなものなのだろうか。
本の字面を追っているのに、
いっこうに読書が進まないというプロローグで、
読者はなんの説明もなしに活字の海へ放り出される。
やがて時間と場所の概念があやふやになる。
文章は流れるようにつづいていくので境界がとてもあいまいだ。
そのうち、酔ったようなふわふわした感覚をおぼえる。
これは誰のことなんだ?
大体、生きているのか?死んでいるのか?
いったい、いつのことなんだ?
否、そんなことは考えずにただ流れにまかせて読めばいい。
しかし、しまいには
現実の、本のこちら側にいるじぶんにまで
懐疑を向けたくなってくる。
文章の連なりが 水のように心を揺るがせる。
ここにいるわたし自身は、大丈夫だろうか?
この内面への響きが、作者のマジックなのだろうか。
新しさは、いつでも境界を越えてやってくる。
予想外のおどろきを連れてやってくる。
紙の本
HOWはあってもWHATはひとかけらもない。
2011/02/02 05:20
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここに綴られている日本語表現がきわめて精妙でニュアンスに富み、これまで日本文学が蓄積してきた数多くの文化遺産の自由自在な引用から成り立っていることは間違いない。
また著者の文学的教養とその大脳前頭葉へのくりこみの錬度の高さは、本書の任意の頁のわずか一行の表現ひとつとっても明らかで、それが凡百のぼんくら作家どもの通常の文章を、粗野で洗練されない文飾と映るほどの出来栄えであることも否めない。
しかしそうであればあるほど、この人は、この無類の名文という武器を用いて、いったいなにごとを表白したいのかが、読めば読むほど分からなくなる。冒頭の一句から終止符までたしかに希代の美しくも繊細な詩文が羅列されているものの、行く川の水の流れの主体が誰であるのかを水に問うても返事が返ってこないように、著者本人をつかまえて
「いったいあなたはいかなる意図でこのような文章をまるで自動表記の機織りロボットのように垂れ流しているの?」
と尋ねても明確な返答はできないだろう。
無自覚で無意識のうちに書き下ろされた文章は、それが水のように透明で清冽であっても、いつまでも終わることにない文章表現の御稽古であり文学ごっこであり、あえていうなら修辞による自慰に類した行為にすぎない。
つまりこの文章にはHOWはあってもWHATはひとかけらもない。もっと正確に評せば、この小説のようなものは、なにをどう描いていいのかかがまだつかめていない未熟な文学少女の一習作に過ぎない。誰に何かを伝える意思もなく、ただただ蚕が白い糸を吐き出して己の裸身を繭の内部に閉じ込めようとしているだけのことで、このような文学以前の作文を珍重して、やれ新しい文学や文学者が誕生したなどと笛や太鼓で囃すのは、本人のためにも、世の中のためにもならないであろう。
30%オフですよと朝8時から連呼させられている新宿の女 茫洋