紙の本
私とは、脳なのか
2022/04/23 21:26
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投稿者:hachiroeto - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本にはびっくりした。腕を失った人が、指先に痛みを感じる。だったら、痛みは脳のもの? 脳って何? 「私」って何? 脳をめぐる驚きの一冊にして、この分野の必読本。
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幻肢(失われた四肢が痛む現象)から入って、いろいろな脳の障害の症例を交えて、最終的には「自己」の問題にまとめられています。が、専門書のように難解ではなく、一般の人向けに書かれていて(時にジョークを交えてたりして)とても楽しく読めました。(盲点の章は実際、盲点を見る(!?)ことが出来て吃驚した。。。!)
作者はインドの方で、とてもヒンズー教的(東洋的?)です。キリスト教的なものが薄い分、なじみ易いかな? 養老タケシ氏の唯脳論とかお好きな方は是非。
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『脳の中の幽霊ふたたび』に興味を持ち、ふたたびの前にまずはこちらを購入。とてつもなく面白い!(ただし、かなりの集中力を使って読まないととてつもなく眠くなる!)無意識に無自覚に脳が行っているいろんな計算や判断の数々とその仕組みを、事故などで機能障害を負った患者さんたちの実際の症例とその対処療法を紹介しながら解説し、脳の不思議に迫ります。「見る」ことの機能は保たれているのに懐かしい愛しい気に障るなどの情動を司る機能が働かなくなってしまった患者は、自然に湧くはずの親近感を覚えないという理由で、実の両親を「姿かたちは同じだけれどよく似た他人」と思ってしまうというエピソードにはびっくり仰天。ものを見る、というのは単に姿かたちを視覚的に認めるということに限らず、無意識にしかも瞬時に、さまざまな情報を多角的に受信して判断しているらしい。しかも、ごく近い人以外の友人知人の認識にはなんら影響が出ないし、電話で話をする分には(目からの情報のインプットがなければ)偽物とは思わない、というのも不思議。少し違うけれど、家族を見送ったときに、眠っているのとは決定的に違うのですごく不思議だった遺体を拝んだときの自分の感じ方など、思い出しました。そのほかにもすこぶる面白い話が満載。ふたたび、を読むのも楽しみです。
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幻肢から始まって人間の脳が世界をどのように捉えているのかっていうレベルの話を、医者としての臨床の経験からわかりやすく面白く語っている。
人間の錯覚や幻覚って本人にはどんなに明らかでも分からなかったりするんだな、幻肢にしてもそうだし他にも家族が別人に入れ替わったとか。
ちょっと古いのに脳科学に関して目をかっ開かれる名著。
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脳科学の茂木健一郎氏の「意識とはなにか」の中でこの一冊が紹介されていて、興味を持ち読んでみた、私の頭ではなかなか難解だったがとても面白かった、読破するのでに2ヶ月もかかってしまった(笑)。誰しもが思うことで「人の意識」とは・・・。これからももっとこのテーマが解明されれば面白いと思う。
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「ふたたび」を読んでからこっちを読んだので、理解しやすかった。
一般向けで読みやすく書かれている。こういう症例があって、どんな仮説を立てて、どういう実験でどんな結果が出て、どこまでわかってどこからが推論か、ということが明確に書かれているのが良い。
人間の活動のすべてに関わるテーマなので、どんな人が読んでもひっかかるポイントがあるだろう。
際限なく思考が拡がっていってワクワクしますな。
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脳神経学者であるラマチャンドランさんの本。
脳。わかっているようで、なんだかよくわからない器官。科学系の話題は好きだけれど、脳の話となると、「わからない〜」と拒否反応をしめしてしまいがちな自分の殻を破るためにも頑張って読んでみました。おまけに、最終的には、私の苦手分野の「哲学」的な話題、「意識とは何か」まで踏み込まれていて、そうか、脳の科学は哲学までを含むのか〜と、ちょっとくらくらしながら読みました。
それにしても興味深い話題がたくさん書かれていました。
情報量が多くて、なかなか読み進まなかったんですが(1ヶ月ぐらいダラダラ読んでたかも…)、内容は非常に面白いものでした。
情報量といえば、本の1割ぐらいが「参考文献」と「原註」で占められていました。流石に、そこまで全部読めなかったけど、そこまで確認したらすごい情報量。著者の「伝えたい」という姿勢を感じました。
1999年に書かれた本とのこと。
ここからすでに20年経って、脳の研究はどこまで進んでいるのか、もう少し勉強してみたいと思えました。
少し前に読んだデビット・イーグルマンさんの「あなたの脳のはなし」などが、脳科学のその後の進展なのかな。脳に電極やLEDを埋め込むような研究も進んでいるとのこと。でも、まだまだわからないことが多いんだろうか。
次はどの本を読んだらいいんだろう。探してみよう。
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パワーズの小説『エコー・メイカー』に出てくるカプグラ症候群、事故がきっかけで近親者を偽物だと思うという吃驚な症例。記憶喪失なんて一昔前の漫画の世界だけかと思ったら本当にあるんですよこれが。患者の変容の実例がでてくるでてくる。主に幻肢、身体の一部を切断せざるを得なくなった人が、無くなったその部分に痛みを感じる、それはどこからやってくるのか、かつての体験が脳に残した記憶なのか、そもそも脳の中の機能というのは一体……、という本。面白い話が一杯ですが、けっこう長い。
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途中までは面白かったが、読み進む途中でだんだん興味が失われてしまった。人間の認識や自我のようなものが、脳とか神経というハードなものに依存しているという例をたくさん紹介することで、新鮮な驚きを与えてくれるが、そこからさらに一歩踏み込むと、とたんにあまり新鮮味のない旧来の思考法に逆戻りしているような印象を受けた。
脳の障害により引き起こされた一見すると不可解な現象の大部分が、障害のない人に対しても催眠術などで再現できるのではないかと感じた。
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単行本は、大学時代の課題図書だった。先日読んだ「岩波科学ライブラリー<こころの科学を読む>」でも、選者2名が推薦していた。そして科学書なのに、文庫本になったほど、表現は多少難解だけれども、みんなが楽しく読める良書だ。
幻肢痛(手足を失った人が、失った手足がまるであるかのように感じる痛み)や、半側無視(左側だけ無関心になってメイクや食事も左側は無視する)といった特殊な症例を元に、脳の働きと心について記されている。
脳もじぶんが見たいように、感じたいようにしか捉えている、万能な器官ではないんだなあというのが、よくわかって面白い。
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面白さを教えてくれる本、
好奇心をものすごく満たしてくれる本、
わくわくさせてくれて、ドキドキさせてくれる本
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第1章から第3章までは幻肢を扱っている。自らの気づきを検証し、治療まで成し遂げる。謎解きのようで、この本の中でも特に秀逸。
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『始末の極意』という古典落語の枕で桂米朝が「吝嗇な男が両目を使うのはもったいないと片目だけで過ごしていたところ、使っていた方の目を患ったので使っていない目をひらいて世間を見たら、皆知らん人ばっかりやった」という話をしていて、まあこれは笑い話だけれど脳の仕組みは意外とこれに近い。
カプグラ妄想の患者は親しい(両親など)人間を認識できない。そっくりな別人と思ってしまう。でもこれが不思議なのは、電話では認識できるということ。目から入る情報の経路と耳から入る経路が違うのだとか。
脳の認識システムを思い浮かべる時、どうしても脳内で全ての感覚を統合する中央システムを考えてしまうけれど、そういうシステムではありえない症例ばかりで、人間自体に対する見方まで変わってしまった。
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脳に損傷を受けた患者の特異な症状を観察することで、人間の脳がいかにして世界を認識しているか、いかにして情報を処理しているかが見えてきます。
自分の左側を意識できない患者や両親が偽物だと言い張る患者など、どれも興味深いエピソードばかり。
そして一番最後に人間の意識ークオリアの問題を持ってきたのは偶然ではないでしょう。有名な「ゾンビ論法」に脳科学者としての立場から反論し、もやを掴むように漠然とした意識の問題を明快に整理して提示してみせたのはさすがです。
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神経科学者が、切断された手足を感じる幻肢や、自分の体を人の物と感じたり、親でも顔が似た他人に感じたりする症状が、それぞれ対応する脳の部位を調べ、私たちの思う以上に脳に思考や自我が支配されていることを知れる本です。