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商品説明
青山霊園、谷中霊園、泉岳寺、木母寺…。その墓碑銘から浮かびあがる人脈と近代史の裏面を「玄洋社」をキーワードに読み解き、歴史背景の解釈に新たな視点を示す。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
「近代日本」という時代の激変を福岡で体感した人びとが東京を舞台に行ったこととは?
2011/09/13 15:55
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「近代日本の裏面史」である。日本史の教科書にでてくる有名人も数多く登場するが、お墓を媒介にして見えないところでつながっている人脈をたぐりよせると、日本史の教科書にはでてこない世界が浮かび上がってくる。
幕末に「開国」を迫られ、欧米中心で弱肉強食の厳しい国際社会のまっただなかに放り込まれた小国・日本。「近代日本」とは、日本と日本人が生き残りをかけた生存競争の時代であった。その状況のもと、日本人の潜在能力が解き離たれ、さまざまな分野で爆発した時代でもあった。
本書は、著者が東京に散在する霊園をたずねて、死者たちと交わした対話記録といってもいい本である。墓が墓を呼び、イモヅルをたぐりよせるようにして現れてきたのは「見えないネットワークでつながっている人脈」であった。
その中心にあって、本書の通奏低音として流れているのは、福岡に源流を持つ政治結社「玄洋社」に連なる人びとである。そしてその背後にあった名も無き日本人たちだ。東京にいくよりも朝鮮半島のほうが近い、東京までの距離と上海までの距離はほぼ同じという地理的条件をもった国際都市・福岡。福岡出身の著者が、福岡の出版社から出したこの本は、福岡出身者でなければ書けない内容だといっていいかもしれない。関心のありかたが、福岡出身者以外とはやや違いがあることを感じさせるからだ。
幕末から明治維新にかけての動乱期、当時の藩主・黒田長溥(くろだ・ながひろ)の致命的な情勢判断ミスによる意志決定のため、本来は倒幕派であったのにかかわらず、佐幕派とみなされて維新後の社会において苦杯を飲まされることになった福岡藩。明治維新の敗者となった「負け組」は、会津藩や越後長岡藩といった東北だけではなかったのである。
その環境のなかからでてきたのが「玄洋社」であった。いまだに右翼団体というレッテルを貼られたままの玄洋社だが、最初の頃は自由民権運動の担い手の一つだったことに、少なからぬ読者は驚くのではないだろうか。この玄洋社が民権から国権に比重を移していたのもまた「近代日本」である。
面白いことに本書には、ただの一枚も肖像写真は掲載されていない。出てくるのはひたすら墓、墓、墓... 著者みずからが撮影した墓石と墓碑銘の写真ばかりである。東京はある意味では、近代日本のオモテだけでなく、ウラの歴史もあわせた巨大な霊園地帯なのかもしれないという気さえしてくる。霊園で死者たちの声を聴き取った著者は、さながら霊媒のような存在だといったら著者からは叱られるだろうか。むしろ、タイトルは『霊園で聴いた近代日本』とするべきだったかもしれない。
すでに中途半端なままに終わってしまった「近代日本」とは何であったのか、本来どういう方向にむかう可能性があったのか。このことを考えることは意味のあることだろう。だから「近代日本の裏面史」である本書は、オルタナティブな可能性をもっていた「近代日本史」でもあるのだ。
本書には珍しく「主要人名索引」が完備しているので、索引から人名をたぐりよせてみる読み方も面白いかもしれない。ぜひ一読を薦めたい。
紙の本
福岡人の血脈
2011/12/07 08:11
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんともしめっぽい題名である。さらに、霊園風景を使った表紙の装丁も地味だ。地味というより暗い。では、中身はというと、これがめっぽう面白い。
幕末から明治、大正にかけての近代日本の歴史そのものが面白いということもあるが、青山霊園という大都会東京にあって静かな佇まいのみせる一画が実は歴史上とても賑やかな人物たちの墓が数多ある。その墓めぐりを通じて、あの時代をさぐろうという試みは朝日新聞の書評欄(2011.6.19)であの荒俣宏でさえ「力業」と唸らしめ、「評者は目を回し、何度もひっくりかえった」と言わしめた程の労作なのだ。
本書は政治結社玄洋社とは何かを知りたいと思った著者の探究心から生まれたものだが、むしろ著者の故郷である九州福岡への思いが強くでた、故郷愛の書でもある。
そもそも玄洋社そのものが頭山満を筆頭にした旧福岡藩士たちが中心となって明治14年に結成された政治結社なのだが、現代の都市のありようからして確かに幕末から明治にかけて福岡というのはほとんど目立たない存在だった。
社会の教科書的にいえば、幕末期の雄藩といわれる薩長土肥と比較すれば、福岡の存在の薄さは不思議なくらいである。いくら海運が発達したいたとはいえ、本州と九州を結ぶそれは結束点であったことは間違いない。それでいて、福岡はほとんど目立たない。
その理由を著者は福岡藩の藩政改革騒動であった丑乙(いっちゅう)の獄にあったとし、そのことが「幕末維新のバス」に乗り遅れた理由としている。
ずっと以前に習った歴史の教科書を思い出しても、この丑乙の獄など習った記憶がない。幕末、徳川につくか朝廷につくか、それぞれの藩が悩んでいた時代にあって一つの藩の騒動はあまりひろく流布されないのもやむをえない。
もしかすると、それぞれの地元ではもっと丁寧に教えているのかもしれないが。
そういった知らなかった事実や、あるいは教科書にたびたびでてくる人物の名前や事績が次々と連鎖のようにして表にあらわれる。まるで松本清張の仕事ぶりをみているようである。
そういえば、松本清張も福岡の出身であったことを思えば、福岡人の血は侮れない。