紙の本
いつ、どこで、誰が災害にあうかわからないから
2022/09/05 08:41
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投稿者:令和4年・寅年 - この投稿者のレビュー一覧を見る
阪神淡路大震災を体験した精神科医が東日本大震災を語る。出来事から後世に残し伝えたいとする貴重な証言。
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東日本大震災からまもなく五十日を迎えようとしている。第一次世界大戦の時の記録によると、戦争のプロでも四〇~五〇日たつと、戦闘消耗と呼ばれる状況に陥り、武器を投げ捨てて、わざと弾に当たろうとするような行動に出るものが現れたという。そろそろ新たなステージに入るべき時が、来ているのかもしれない。
本書は阪神淡路大震災の時に神戸大学で精神科医を務めていた中井 久夫氏による五十日間の記録がベースである。ことは今回の震災の際、ノンフィクションライター最相 葉月さんが自宅にて落下してきた本の中に『1995年1月・神戸』を見つけ、著者にネット上での全文公開を要請したことに端を発した。そこに、今回の震災の記録を追記して生まれた一冊が、本書である。
◆本書の目次
東日本巨大災害のテレビをみつつ 2011年3月11日ー3月28日
災害がほんとうに襲った時 付・私の日程表 1995年1月17日ー3月2日
二つの記録は、一つは被災に対しての外部としての立場、もう一つは内部としての立場である。しかし、いずれの立場においても共通しているのは、著者による俯瞰の目線であり、背景を観察する能力である。著者自身、被災後に病院へ出向きすぐに行ったことは、医局の整理、電話番、ルートマップの作成だった。そして、その後も、隙間を埋めること、盲点に気づくこと、連絡のつくところにいることの三点にに徹し、自身の役割を「隙間産業」と定義したそうである。だからこそ、次の災害にも活かされるアーカイヴを残すことができたのであろう。
このような視点は、著者が精神科医であることによるものが大きいのではないかと感じる。目に見える患者の症状そのものに着目するのではなく、その背景にある要因や環境を観察しなければ、真の解決は望めない。被災という悲惨な現状に直面しても、その視点は同様である。神戸という街や、日本そのものが持つ精神を踏まえて行った数々の指摘には、ハッとさせられるものが実に多い。
その一つに「デブリーフィング」というものが挙げられている。ブリーフィングが任務内容説明であるのに対し、デブリ―フィングとはその解除のことである。これを解除宣言として行うのではなく、緊張をほどいてゆき、心理的に肯定し、達成を認めるという儀式が必要なのである。重要な任務についた人たちに、デブリーフィングを行わずに家に返すと、不和の原因になりかねないそうだ。
本書が最も読まれるべきなのは、今回の震災において外部でも内部でもなかった、首都圏に住むような人たちではないだろうか。直接的に被災を受けているわけではなく、どこか申し訳なく思いながら、さまざまな不安やストレスを抱えている人も多い。そういった人たちこそが、お互いをデブリーフィングしあう必要があるのではないだろうか。本当の戦いは、これからである。
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ボランティアから帰ってきて、いまいち地に足がつかない自分に生気を吹きこんでくれた本。
阪神大震災を経験した精神科医の当時の手記。
加えて今回の震災を受けて書き下ろした文章を収録。
『昨日のごとく』を読みたかったが絶版だったため、同じ文章が納められているこちらから読んでみた。
臨場感と筆者の観察力がすごいですね。
記録としても重要な本ではないでしょうか。
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かつて「神戸」で、被災者からぜひとお菓子や果物を差し出された医者がいた。避難所で物が余っていたわけではない。全財産をなくしても、感謝の気持ちを表したかったから。
阪神淡路大震災の救護に関わった精神科医は、当時、躁状態の中で記録を残した。そこで何が起こり、何が必要だったか。今回の大震災に寄せて、新たに四分の一ほどの頁を書き足した。
まずは、被災者の傍にいること。彼らの恐怖と不安と喪失の悲哀とを、安心な空気で包むのだ。花がいちばん喜ばれる、という話もある。そして救護者への救護。著者も、「神戸」の十日後からおぞましい夢を見、四十日後には二十四時間眠った。救援が成功したように思える時期に、明らかになる問題もある。被災者にとって食料や水や燃料の不足はいっときのこと。不足が解消した時に、いかに外とつながり、生活を再建するかという課題がようやく見えてくるのだ。
(週刊朝日 2011/6/11 西條博子)
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中井久夫『災害がほんとうに襲った時』のなかにある印象的な言葉。
「災害においては柔らかい頭はますます柔らかく、硬い頭はますます硬くなることが一般法則なのであろう」
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この本は阪神・淡路大震災のときに現地で医療活動にあたったある精神科医の記録です。出版社が同じなこともあるのですが「夜と霧」を連想させました。
今も現状が刻々と変わっているそうなので、この記事を書いたときにどうなっているのかわかりませんが、東日本大震災や福島の原発事故で被災した現地の写真や映像を見るたびに悲痛な気持ちになります。
この本は16年前、阪神・淡路大震災のときに精神科医として現場の指揮を取っていらした筆者の文章に新たに東北・関東大震災に関する文章を加えて再編集したものです。この本によると震災直後だと、怪我などの肉体的な傷が多いのに対して、被災生活が長引いてくると、今度はPTSDなどの、心の傷や障害が出てくるという記述を読んで、実感としてこみ上げてきました。
実は僕も震災直後に、避難所で2日ほど夜を明かしていたことがあって、その様子を自分のツイッターやフェイスブックに流し続けていました。非難解除が最終的に出たのは3日目だったのですが、この本に書かれているとおり、その場にいた人間のほとんどの顔に重い疲労、特にご年配の方にその傾向が見られました。
そして、この本の中には現場で医療活動に当たっている医師たちにもものすごいストレスがかかっていて、戦場にいる兵士たちと同じような精神状態になっている、という記述があって、僕は想像することしかできませんが、やはりそれだけ過酷な現場だったのだなと。読んでいてそんなことを考えてしまいました。今も現地で被災されているかたがたにはほんとうにお見舞いを申し上げたく思います。
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東北と神戸は、様々に異なる面はあるだろう。15年前と現在、ネットワークの発達の違いを感じる。
メディアの報道、PCから携帯へ、パケット通信、SNS、Twitter、時間が早く、短時間でできる。
支援者・スタッフには休息が必要である。
災害の(救援の)情報は外部から得る。(神戸←東京)
テレビ・FAX・メディアが役立つ。
頭をクールに指揮。
統制・調整・一元化を要求したものは、現場の足をしばしば引っ張った。
トリアージ・避難民と避難所、ルート確保、地域が分かると良い。(その地区の地名の入った本をあらかじめ読んでおく)
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精神科医が関与観察した阪神淡路大震災の50日間。
あのとき、
医者たちは、自分たちで考えながら有機的なネットワークを形成していった。
混乱の中で、
情報や人の波とたたかっていた。
必死だった。
看護師やボランティアの力なくして、
その現場を支えることはできず、
多くの人の機転なくして、
成り立たなかった。
今回の東日本大震災のことも記載されており、
考えさせられることは多い。
人の体力がもつ期間は限られている。
援助する側、援助される側、どちらも日本人は不慣れなのかもしれない。
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精神科医・中井久夫氏が実際に体験し、医療行為にも当たった淡路大震災の一連を綴った本。東日本大震災が発生し緊急出版になった本で、阪神淡路大震災を経験した視点から、東日本大震災に関して思う事も書かれている。災害が起きた時にどのように医療従事者が行動を取るべきか、この本からもかなりの参考になるのではないかと思う。
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中井久夫が阪神大震災時後に書いた『1995年1月・神戸』は、昨年の3月の大震災後に、まずネットで無償公開された(そのきっかけとなったのは最相葉月さんで、東京の住まいで落下した本のなかにこの本があり、これはいま役に立つと判断したことだという)。
その後、編みなおされて新たな本が出る予定だということは知っていた。その新しい本を図書館で見かけたので借りてきた。冒頭には新しい稿として、「東日本巨大災害のテレビをみつつ 2011年3月11日-3月28日」が置かれ、『1995年1月・神戸』から「災害がほんとうに襲ったとき」が再録されている。
『1995年1月・神戸』を去年の春に読んでいたけれど、新編のこの本を読みなおして、「災害がほんとうに襲ったとき」の末尾、1/17からおよそ40日後の3月2日に記されている、この一節が印象にのこった。
▼夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。春の匂いを風が運んでいた。すべてはほどけてやわらかかった。「終わったという感じが流れているね、まだ不通の電車も避難所もあるのに」「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。われわれはやりおおせたのだろうか。(p.111)
この4、50日の「戦闘消耗」の話が、「私の日程表 1995.1.16~2/28」に書かれている。
▼「戦闘消耗」とは、ベテランの下士官など、戦争のプロが、程度の差はあっても突然戦闘を継続するのがバカバカしくなり、武器をかなぐり捨ててどうでもなれという態度に出ることであって、ナチス・ドイツが戦争末期までこまめに兵士に休暇を与えて鉄道で故国に帰していたのも、米軍がベトナム戦争で三週間ごとにヘリコプターで兵士を前線からサイゴンに送り返していたのも、40日から50日をピークとする「戦闘消耗」を避けるためであった。ここで、興味を感じたのは、軍事精神医学では「戦闘消耗」は困った病的状態とされるが、実際は、戦闘という無理を自己激励によって心身に強いてきたのが限界に達して、雪の積もった竹が跳ね返るように、精神が正常化する事態だということである。(p.129)
95年に61歳の精神科部長だった中井は、昨年77歳だった。神戸の記憶をよびさまし、重ね合わせ、比較し、考えたことが冒頭には書かれている。「現場は重要だが、まわれる場所の数は限られている。現場に立てば、そこの眼の前の印象に支配されてしまう」(p.13)と中井は書き、神戸の経験を重ねながら新聞記事やテレビ報道をみていた、という。
私は去年の3/11の夕方以降、いつもはほとんどみないテレビ映像を何時間かみて、ひどくつらくなった。翌日はテレビを消し、ネットのニュースも、メールもあまりみないようにした。その3/12には、また長野北部を震源とする大きな地震があった。以後も、かなり大きな「余震」が頻々とあり、けれどその揺れをは身体でほとんど感じることのない大阪の私には、17年前の1月や2月のあの余震の続いた日々、ぐっすり寝た気のしなかったあの頃を重ねて、かろうじて想像できるものだった。
その距離感を、あらためて感じる。
今回読みなおして、中井が「長大な天皇論���を執筆した話が書かれていることに気づく(前に読んだ時には、何も印象に残っていなかった)。「私の中の「昭和」が私を突き上げ、私はほとんど狂わんばかりにして」(p.101)書いたというその論文は、知る人は少ないと思うとあるのだが、図書館で探してもらえば、読めるだろうか。
(3/15了)
※追記:ネット検索で探してみたところでは、「「昭和」を送る─ひととしての昭和天皇─」(文化会議239号、1989年)が近い気がして、図書館でこれを読みたいですと頼んできた。
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17年前、大阪の実家で阪神淡路大震災に遭った。昨年、結婚して転居してきた千葉で東日本大震災に遭った。東日本では、1晩ながら避難所で過ごすということも経験した。
家に帰ってテレビに映し出される画像が、阪神淡路のときの街の様子と重なり、しばらくの間息をするのも苦しくなったことがあった。そんなころ、この本とめぐり会った。
少しずつ読んでいく中で、いつも中井先生の文章で感心させられる観察眼、冷静な記述に、読みながら自分の中で起きていることを整理し、落ち着くことができた。
阪神淡路大震災の際の医療現場の記録しても貴重なものである。
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東日本大震災に関係する小話。独り言みたい。
「有害でないのならやって悪いことはないだろう」
デフリーフィングとはなんだろうか。
ドゴール「状況がすべてである」
「何ができるかを考えてそれをなせ」
黄色い花を飾った。
放置されている違法は黙認されているとみなされる。
後半は神戸人最高!の話。
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終わり部分にある筆者の急性ストレス障害に関する記述が一番気になった。たんたんとした記述だが、現実には相当堪えたものがあったのだ。
・デブリーフィーング
・フクシマ・フィフティズは架空なのでは?
・「状況が全てである」というドゴールの言葉
・神戸のホームレス受容
・取材のヘリコプターに対する過敏、憎悪
・人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知される必要がある。
・弱音を吐けない立場の人は後で障害が出る。
・全財産を無くしても感謝の気持ちは伝えたい。
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「総じて、役所の中でも、法律を墨守する者と現場のニーズに応えようとする者との暗闘があった」(p.49)
・平時において法を遵守することは極めて常識的な事柄に属するが、危急の事態においてはこの「常識」がいかに足手まといとなることか。それよりも、その場その場で最優先課題をしっかり見定め、その解決のためには法の目をくぐることすら厭わなかった者のほうが結果的に多くの人々を救ったのである。「有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった」(p.41)。そして、「災害においては柔かい頭はますます柔かく、硬い頭はますます硬くなることが一般原則なのであろう」(p.78)。
・阪神大震災後、貨幣経済の崩壊とともに共同体感情が生まれ、そして貨幣経済の復活にやや遅れて共同体感情が消滅したという。この両者の関連性についての仮説は実に興味深い。3.11後のいわゆる「絆」の発生と消滅についても似たようなプロセスが見られたことを思い出した。
・「総じて、内部からみた外部と外部からみた内部とが次第に別ものになってゆく。これが時間がたつにつれて起こるもっとも大きな食い違いかもしれない」(p.134)。この認識の自覚は、3.11後を語る者にとって、他のあらゆる認識に先立つべきものだ。
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こういうのも読んでおかねばならないかなと思って買ってみた。
しかし、内部向けに書かれた文章とあって、日記的色彩がかなり強い。
阪神時の病院の様子を知るには良いけど、一個人が今後の参考として読むような種類の本では無かった。一般人向けという感じでも無いし…ターゲットが難しそう。