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本作品の核となる「チーホンのもとでーースタヴローギンの告白」が80年近くも封印されていたことに驚き、そして今読めることに感謝する。これを読んではじめてスタヴローギンの人となりが分かって面白くなった。登場人物は多いし関係も複雑だし背景知識も乏しい中で、これだけ引き込まれるのにはドストエフスキーの筆力を感じざるを得ない。ほんとキャラクターが際立っていて、会話の場面がすごく面白いです。もースタヴローギンとピョートルの緊張感ある関係がたまらないのだけどどうしよう。
『悪霊』の意味、『悪霊』に憑かれていく人々の末路、壮大な物語のからくりが気になって気になって仕方ないこのテンションのまま次巻いきたい!
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二巻では、ピョートルとスタヴローギンかどんな人物なのかがわかってきてだいぶ読みやすく、面白くなってきた。
特に『スタヴローギンの告白』がここに入っててよかったと思う。
この章があるとないとでは全然スタヴローギンへの理解が変わってくると思うので読めてよかった。昔は削除されてたと聞いたので。
ピョートルの「ぼくはあなたに寄生する蛆虫だ……」はピョートルの不気味さと相まって名言だなあと。
三巻はさらに大きく展開が動きそうなので楽しみ。
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とにかく長い話で、登場人物も沢山、考え始めればきりのない人生を根底からひっくり返すような問いがところどころにちりばめられる。その上、種を隠しながら、その複雑な物語が進行していくので、読み落とすことや、よく理解できないこともしばしば。読了後、しばらくしたら再読したいなぁ。
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少し前に1巻の文句を言ったのを反省したくなるぐらい面白い。
心理的な怖さが持続しつつ加速、一気に読んでしまった。2巻だけでも傑作。
こうなると、あれ程読みにくくて、投げ出しそうになった1巻すら読み返してしまった。
さっき3巻を買いに行ったらまだ出てなくて、衝撃を受けた。
3巻が待ち遠しい。
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ややのんびりした感のあった第1巻と打って変わって、めまぐるしく物語が展開する第2巻。キリスト教や社会主義思想の知識に乏しい自分にとっては難解な部分もあったが、それでも巻末まで一気に読めてしまうのは、ストーリー手リングのうまさ、登場人物の個性豊かさのゆえだろう(特にピョートルの気忙しい性質の描かれ方は印象的だった)。
第1巻の刊行からかなり間が空いているので、巻末にある「第1部のあらすじ」は巻頭にあるとなお便利だったと思う。
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<登場人物>
ユーリヤ夫人
スタヴローギン
ピョートル・ヴェルホヴェンスキー
ワルワーラ夫人
マリヤ
リプーチン
シャートフ
キリーロフ
舞台
【物語】
スタヴローギンは、マリヤ・チモフェーエヴナと結婚している。
[レビュー]
狂言回しとしてのピョートル・ヴェルホヴェンスキー。
会話劇が面白くもあるのだが、婉曲的な物言いが、具体的に何の事を意味しているのか、僕にはわかりづらかった。
名作とされている作品の一つであるが、当初、内ゲバを描いた作品であるとの予想の激しい描写は無く、物語は会話劇を中心にゆったり動き、亀山氏の翻訳は読みやすいのだが、僕には面白味がわからなかった。
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1巻の解説で少々ネタバレがあったものの、読んでみると不穏な空気にぐいぐい引き込まれた。悪意のある人々に、善良で金や地位がある人がしらずしらずのうちに巻き込まれていく様は非常に恐ろしい。本書はずっと不穏。宮部みゆきさんの作品を読んでいるような気分になる。
スタヴローギンが主教に相談にいく場面はなにか唐突な感じはしたが、想像と違った方に進んでいて、こちらも目が離せなくなった。
本書の解説では、当時のロシアの社会情勢を教えてくれており、それはとても参考になる。少し置いて読み直したい。
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たくさん人が出てくる。他の本も読んでいたので、何度か引き返して読み返した。
これからどうなっていくんだろう?
感想は3巻で。
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はっきりいってつまらない。内容が難しいとか登場人物がわかりづらいとか、そういった理解を阻む要素はあるけれども、それを抜きにして考えても単純におもしろくない。『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』も、おなじように哲学的で難解な内容や、わかりにくい人物関係を含んでいるが、この2作品を読んだときは難しくもおもしろさを感じて、やっぱりドストエフスキーは凄い、と思ったものである。本作の場合はどうか。いつまで経っても恋愛だの活動だののいざこざが終わらず、そうこうしているうちに火事が起きてバタバタと人が死ぬのである。徹底的に私小説であればまだ楽しめるのだろうが、こういう「内輪」の話がいつまでもダラダラと続いているだけでは読んでもぜんぜんおもしろくない。むろん、わたし自身に読む能力が欠如しているという問題点はあるだろう。ただ、それでも先に挙げた2作は難しいなりにも楽しめたのに、本作にはそれがないので、やはり作品の問題ではないかと思う。世界的文豪の作品をこう称するのは気が引けるが、長いだけであんまり優れているとも思えない、悪い見本のような作品だと思う。
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高校からかれこれ5回は読んだ。
そのうち4回は江川氏の訳
亀山訳はすこしセンチメンタリズムに走っているような気がする
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スタヴローキンの抱えている秘密が明らかになり、
ピョートルが走り回って物語は大きく動き出す。
そして何も起こらないわけがない3巻へと続く。
巻末の解説がないともやもやしたまま終わりそうかも。
主要人物以外が誰だったっけという感じなる。
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第7章 同志仲間で p483
『でも、どんなにうまく事が運んだって、それだけの首切りをやり終えるには早くて五十年、いや三十年はかかります。』
舞台設定の1869年、連載の1871-1872年から、1905年のロシア第一革命、1917年のロシア革命まで 33〜36年、45〜48年と考えると、随分予言的な台詞だ。
後付け史観かもしれないが、他にものちの歴史を知って読むとドキッとする表現が多い。革命待望の雰囲気は当時から濃厚にあったんだろうか。ドストエフスキーは待望してないにせよ。
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登場人物が一堂に会し、物語が動き始める。誰もがスタヴローギンにそれぞれの期待を寄せているが、スタヴローギンが何者なのかは「告白」の章でようやく明らかになる。「悪霊」という題名のとおり、誰もが少しずつ壊れ、闇に呑みこまれてゆく中で、スタヴローギンとチーホンの対話の中で説かれる「信仰」の光が微かに灯る。
巻末の解説はこの難解な小説の構造をわかりやすく説明しており非常にありがたい...のだが、先のネタバレはどうにかならなかったのか。
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この物語を1から3まで通読した後、改めてこの2を再読している。それも2回3回程度ではなく、10回近くも。それでなければ、この物語の根幹のテーマや、登場人物の詳細な属性をとてもじゃないけど読解するのは難しいと思う。たとえ亀山先生の「いま、息をしている言葉」による新訳であったとしても。
そもそも「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」の読書経験のある私が「悪霊」の読了にこんなに難渋するのは、ひとえにこの物語の「テーマの不在」にあると思う。罪と罰やカラマーゾフも副次的な複数のテーマがあるものの、それと相関する1本の太い幹のような誰もが認める主軸となるテーマがある(と思う)ので、内容は難しくても読了にはさほど難儀しなかった。そして読了後の爽快感はそれ故に大きく得られたものだ。しかし、ドストエフスキーが悪霊で何を訴えたかったのか、本文と亀山先生の読書ガイドを1回読んだだけでは全くわからなかった。
そこでこの本の真意の理解を「不可能」ということで放り投げることもちらりと考えたけれど、それではもったいなく、きつい選択だが「もう一度読み直す」ことにした。2回、3回…。ぱっと急展開にわかるものではないが、読む回数を重ねるにつれ、登場人物の属性が光を得るがごとく、だんだん明瞭になってきたから、さすがは名作の名に恥じない作品である。少なくとも私は、スタヴローギンをはじめとした登場人物について、最初の読了時と読書を重ねた後とではその印象は全然違っているし、1回目なんかでは到底及ばない深く掘り下げた解釈も自分なりに出来てきた。
なお、こうして読書を重ねると、亀山先生の読書ガイドによる解説と自分の解釈とで若干相違も生じてくるから不思議だ。でも私はあえて自説を先生側にすり寄らせることはやめようと思っている。
私もこの物語の一番の核となる人物がスタヴローギンであることには異論ない。しかし、なぜそう思うに至ったのかを、以下に少し長くなるが書いていきたい。
この物語の冒頭にある「ルカによる福音書」からの引用がこの物語の全体に影を落としているのだが、改めて引用しておく。-「悪霊が人から出て豚に入ると、豚の群れは崖より湖に駆けおりて溺れ死んだ」-
私は登場人物のなかでスタヴローギンがただ一人、「人間とは悪霊に乗り移られた豚のようであり、人間の個性は悪霊に操られている」というように、“悪霊の存在”を自覚し得たのではないのか?との発想に至った。
そして何回も読むうちに、P573のスタヴローギンの「私は気が変になるくらい、生きることにひどく退屈していたのだ」という言葉がヒントとなって、私の頭の中に次に書くことが形となって現れた。
-「スタヴローギンは自己に潜む悪霊を追い払おうと考えた唯一の人物ではないのか? だから家柄、知性、美貌など総体的に完成されていた人間でありながら、まるで自己から悪霊を追い払おうとするべく奇行をしたり、自分の性欲に無制御にふるまったり、その一方で冷淡な態度を示したりといった、『行動の一貫性の無さ、矛盾性』を一手に引き受けていたのではないか?」-
でもこう書くと、多くのドストエフスキーの熱心な読者からは批判を受けると思う。なぜなら、この物語の結末(つまり3巻の読了後にはじめてわかる点)は、スタヴローギンが悪霊を追い払えたと全く読めないから。
(でもそうだと、「人間は結局、自分自身から悪霊を追い払うことはできない」という結論で現在に至っているということになり、現代の視点から見ても一応筋は立つ。)
しかしながら、私も含めて、人間とは総じて、悪霊に精神を巣食われ、それにもかかわらず自覚もなく、自己の思想信条や観念というものに固執し、その結果破滅するものだ、ということをドストエフスキーは無主題に見せかけながらも、この物語で言いたかったのではという見解に達した。
(破滅せずに幸せに人生を終えた人間も多くいるではないか、という反論は的を得ていない。なぜなら、幸せというのはあくまで主観で、人間の歴史という大局で見れば、自称幸せだった者も豚の溺死のごとく破滅に終わっていると考えられるからだ。)
そもそも主題もなくこれだけの長い物語を空中分解させずにまとめることなんて技術的に無理。ならば、主題がないのではなく、主題は巧妙に仕込まれていると考える方が自然。
ちなみに、私が好きになった登場人物はキリーロフとシャートフ。スタヴローギンはまあまあ。大嫌いなのはピョートル。こいつこそ、悪霊にボロボロにされるべきだった(笑)
(2015/5/6)
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面白いのか?
登場人物が多く、どうも流れが掴みきれず楽しめていない。
ワルワーラ夫人の愛する息子ニコライはだいぶ破滅的な性格。彼がちょっとキスをしたことで可哀想な14歳の女の子が自殺してしまい、その娘のことを考えているニコライが悪霊に取り憑かれてるみたいだなあ、と思った。
でも巻末の解説では、ニコライとピョートルが悪霊だ、と書いてあった。