紙の本
面白い!
2015/09/06 00:01
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投稿者:zxa - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み進めれば進めるほど先が読めなくなるとっても面白い本でした。今まででありそうでなかった、そう感じた本でした。
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投稿者:jake - この投稿者のレビュー一覧を見る
羅生門に蜘蛛の糸が評価されているだろうが、なんたって蜜柑。
蜜柑が収録されています。
何回でも読める。
某文庫と違って縦書きで買う価値あり。
持ち歩きしやすい厚さも嬉しい。
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生前の悪行の為に地獄に落ちたカンダタ。しかし彼のたったひとつの善行を思い出したお釈迦様は、極楽から救いの糸を垂らすがーー。表題作「蜘蛛の糸」をはじめ、土を踏み、風をはらみ、一気に山を下る憧れのトロッコに乗れた喜びも束の間、日暮れの山道にひとり取り残されてしまった少年の不安を描いた「トロッコ」、色彩感溢れる美しいラストシーンが印象的な「蜜柑」など、一度は読みたい名作八篇を収載。
お気に入りは「トロッコ」。
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自分を全面に出していかないと上手に生きていけない現代。自己中な人の方が得をしたりする。こんな時代、芥川さんはどう思うんだろう。
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どれも深みのある内容ばかり。しかし自分には合わないのか上手く飲み込めない所があったりする。または余韻が凄いと言うのかもしれない。
一度は読んでもらいたい名作ばかり。
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小学校の時授業で習った。
糸がきれる時の描写の儚さ、美しさと、落ちてしまった地獄の描写の無音感の対比は何度も読み返したなる。
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彼の著作を学校で何篇か習ったわけだが、当時まだ小説読みではなかったのに、他の作家と比べて印象に残っている。
(蜘蛛の糸、杜子春、トロッコ、羅生門)
280円の中古ということで、ものは試しとばかりに買い置きしていた。
故あって手に取ることに。そして初めて肩肘張らずに芥川作品を読んだという次第。
どういうわけか『芋粥』が好み。ただ、「憧れは憧れのままにしておいた方が身の為」「人間、己の分を弁えるべき」という小生の解釈が当を得たものなのかどうか。
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後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
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子供の頃に読んでいたはずなのに、覚えていない。
蜘蛛を助けてたこともあり、助けてやろうという神さまの計らい。
優しさがあれば、地獄から脱出出来たのかなぁと
色々な思惑が頭を揺さぶりますな。
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この話だけは8割ほど覚えていた。
でも、大人になって、また読み直すのもいいもんだ。
それにしても、お釈迦さま、了見が狭いのではないでしょうか・・・
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やっぱり少し教訓めいていて読むのを躊躇っていた芥川の短編。でも実際読んでみるとそうでもなく、普通にエンターテインメントとしても楽しめた。どの短編に出てくる主人公も、共感できる人間らしい汚さを持っていて、「芥川すげぇ」と納得した。
でも「蜜柑」だけは少し彼らしくない作品だなぁと思いつつも、最後にはすかっと読み終えることができて気に入った。
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感想:この本を読んでお話の展開にびっくりしました。私がこの本をおすすめする理由はこの本を読んでいる間、主人公に対する感情の変化がたくさん感じられたからです。はじめは悪く思っていたのが、良い人に思うようになり、また悪い人だと思うなど色々な思いがありました。
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重罪を犯した地獄の罪人: 犍陀多が、過去に蜘蛛を助けた善行のお陰でお釈迦様から地獄より這い上がれるチャンスをもらうも、持ち前の浅ましさによってチャンスを逃すお話。
「ぷつり」と蜘蛛の糸が切れる音は絶望的。
犍陀多はきっと今も、蜘蛛の糸が切れたのは沢山の罪人たちが蟻の行列のように登ってきたせいだと信じて疑わないだろう。
絶えず極楽に良い香りを漂わす蓮のように、性質は変わらない。
また、この一連の出来事を昼飯前にするお釈迦様の圧倒的偉大さを感じた。
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自分さえ幸せになればいいという人は不幸。
蜘蛛の糸だったら私も同じことしてたかもしれない。このまま上に行けなくなったら。糸じゃなくてしっかりした縄ならそのまま下からついてくる人は気にしないと思う。
蜘蛛の糸という糸のチョイスよ。
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芥川龍之介の有名作品
めっちゃ短いのですぐ読める。5分くらいで。
内容もシンプルでいいですね。
主人公の犍陀多の「犍」は漢検配当外、JIS第3水準という激ムズ漢字でした〜。
加えて音読みは「ケン」もしくは「コン」とあるのに「カン」と読ませているのはなぜなのか。