紙の本
今こそ知られるべき本
2020/09/04 15:35
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投稿者:たんじー - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代社会を根底で支える重要な理論を創ったウィーナー博士の名著。技術の導入によってその仕事の従事者が価値を失い、そこに従事するしかない者が困窮する懸念を訴えつつ、自身がそれらを推進する側である事に自己批判を交えてささやかな抵抗を試みる下りは、著者の科学者としての良心を感じる。本書内容は多分野の知識を総合的にまとめ上げただけあって理論の概要を理解するのにかなり時間が掛かるが、理解を深めれば深める程サイバネティックスが何故これほどまでに社会に影響を与えたかよく分かる。
個人的には、労働と搾取、技術導入による社会に与える影響を大局的に論じる用意が労働組合幹部に無い云々、という短い文だけでも読む価値があり買ってよかったと思っている。もう下手な経済学の本より指摘が的確じゃないか!と読んだ私は感動した。
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ノーバート・ウィーナーによって提唱された「通信工学と制御工学を融合し、生理学、機械工学、システム工学を統一的に扱うことを意図して作られた学問」であるサイバネティックスの本。
数式もあるが、思ったよりも読みやすい。特に序章のメイシー会議のくだりは面白かった。
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ローゼンブリュート博士は日ごろ,科学の世界におけるこれらの空白地帯の探求は,一つの部門の専門家でありながら同時に隣りの部門にも透徹した理解のある科学者たちのチームによってはじめて成功すると主張していた.
科学誌の中からサイバネティックスの守護聖人を選ぶとすれば,それはライプニッツであろう.
たとえば気体の統計力学は,分子の揺動が巨視的立場から無視できるからこそ成立するのであるが,分子の大きさの程度の生物の世界では,統計力学が無力になる
天文学上のよく知られている現象は何世紀にもわたって予報できるが,明日の天気を正確に予報することは一般にやさしいことではなく
運動量および対応する位置の観測の条件はたがいに両立しない.
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古典。学生時代に読んだ。文庫化されたので購入。
第I部(1948年)の序章に深刻な問題意識が綴られている。19歳で博士になったウィーナー教授の痛切な技術・社会批判。それは自己批判でもある。
「このようにして新しい科学、サイバネティックスに貢献したわれわれは、控えめにいっても道徳的にはあまり愉快でない立場にある」
「この新しい領域の研究によって人類と社会の理解を深めることができるという善い成果が挙がり、その方が、危険よりもずっと大きいという希望をもつ人々もいる。私は1947年にこの本を書いているが、そういう希望は根拠薄弱であると言わねばならない。」
第I部(1948年)の序章
pp.73-77
私はこれらの考察をその方面の適当な人に報告するためにまとめかけたが、現在までのところ大して進捗していない。他の人が同じようなことをすでに考えついておられるかもしれないし、またやってみて技術的に実行不可能ということになっているかもしれない。いずれにしても、もしまだ実際的な立場から十分考慮されていないならば、早い機会に考慮されるべきであろう。
今一つ、次のことは注目に値しよう。私にはだいぶ前からわかっていたことであるが、現在の超高速計算機は、原理上、自動制御装置の理想的な中枢神経系として使用できる。その入力と出力とは、数字や図形などである必要はなく、光電管や温度計のような人工感覚器官の読み、あるいはモーターやソレノイドの解析であってもよい。歪計や類似の装置を使ってこれらの運動器官の動作を読み、また中枢制御系に報告、つなわち“フィードバックする”ことによって、人工の筋肉運動知覚を実現するとすれば、われわれはほとんどどのような精巧な動作でもなしうる機械を人工的に作製できる状態にある。‘長崎’よりずっと前、すなわち一般の人が原子爆弾のことを知るよりだいぶ前に私が気づいたことは、われわれは善悪を問わず未曾有の重要性をもった社会革命に当面しているということであった。自動工場、すなわち工員のいない一貫組立工場は、今までのところ実現されてはいないが、その実現を阻んでいるものは、ただわれわれが第二次世界大戦中に、たとえばレーダーの技術の進歩にそそいだ程度の努力をしていないからにすぎないのである。
私はこの新たな進歩が、善悪を問わず無限の可能性を持つと述べた。一つには、サミュエル・バトラー (Samuel Butler) が比喩として想像した機械万能が、最も緊急の、しかも比喩ではない実際問題となってきたのである。人間の仕事をやってくれる、新しくかつ最も有能な機械的奴隷の集団を人類がもつことになるのである。このような機械的奴隷は、奴隷労働とほとんど同等な経済的性格をもっているが、違うところは、人間の残虐という不道徳を直接にはもたらさないという点である。しかしながら奴隷労働と競争する条件を受け入れる労働は、どんなものであっても奴隷労働の条件を受け入れることであり、それは本質において奴隷にほかならない。その本質は一口に言えば‘競争’ということである。機械のおかげで不快な卑しい仕事をやる必要がなくな��のは、人類にとってひじょうな福祉かもしれないが、あるいはそうでないかもしれない。私にはわからないことである。このような機械による新しい可能性を、市場の言葉、すなわちそれによって儲かった金で評価すべきものではない。それは正しく公開市場の言葉であり、あるいは米国工業会や「サタデー・イヴニング・ポスト」で代表されるような標準的なアメリカ人の世論の合言葉となった表現をかりていえば、“第五の自由”そのものである。私はアメリカ人としてよく知っているから、アメリカ人の世論といったが、商人の目には国境がないであろう。
最初の産業革命、すなわち“暗い悪魔の水車場”の革命が、機械との競争による人間の腕の価値下落であったと言えば、現在の事情の歴史的背景を明らかにすることができるであろう。掘削機のような蒸気シャベルの仕事と十分に競争しうるほどの低い労賃では、つるはしやシャベルだけのアメリカ人労働者は生きてゆけない。これと同じように現代の産業革命は、少なくとも簡単な一定の型にはまった判断力だけですむような仕事の範囲では、人間の頭脳の価値を下落させつつある。もちろん、腕利きの大工・機械工・裁縫士は第一次産業革命の場合でもある程度まで失職しなかったと同じように、第二次産業革命でも優れた科学者や行政官は失職しないであろう。しかし、第二次産業革命が終了した場合、ふつう、あるいはそれ以下の能力を持った世間一般の人間は、金を出して購うに値するものを何ももたなくなるであろう。
この問題に対する解答は、もちろん、売買よりも人間の価値を尊重する社会をつくることである。このような社会に到達するためには、われわれは十分な計画と、ひじょうにうまくいったとしても思想の面で生ずる多くの闘争とを必要とする。もしそうしなかったとしたら? それは誰にもわからないことである。そこで私はこのような事情に関する情報や見解を、労働の条件や将来に強い関心を持つ人々、すなわち労働組合の人々に伝えることが私の義務であると思った。そこでC.I.O.(米国産業別労働組合会議)の高級幹部の一、二の人と連絡をつけ、ひじょうな理解と同情のある態度で私の話を聞いてもらった。しかし私も、また彼らのうちの誰も、個人的見解以上に進むことはできなかった。すなわち私がすでに見聞していたとおり、彼らの意見は次のようであった。アメリカにおいてもイギリスにおいても、労働組合と労働運動はひじょうに限られた人々の手に委ねられ、彼らは労賃や労働条件に関する職場代表や組合評議員からの特別な問題を扱うにはひじょうになれているが、労働そのものの政治的・技術的・社会学的・経済的問題を大局的立場から論ずるようなことには全然用意がないということであった。その理由は簡単である。一般に労働組合の幹部は、広い見地からの教育を受ける機会をもたずに、労働者の苦しい生活からいきなり行政管理者としての忙しい生活に入ってゆくためである。そうした教育を受けた人々にとっては、組合活動は魅力のあるものでなく、また、組合もそのような人を受け入れ難い。
このようにして新しい科学、サイバネティックスに貢献したわれわれは、控えめにいっても道徳的にはあまり愉快でない立場にある。既述のように、善悪を問わず、技術的に大きな可能性のある新しい学問の創始にわれわれは貢献してきた。われわれはそれを周囲の世界に手渡すことができるだけであるが、それはベルゼン (Belsen) や広島の世界でもある。われわれはこれら新しい技術的進歩を抑圧する権利をもたない。これらの進歩は今日の時代のものである。我々がそれを抑圧しても、その発展を、最も無責任で欲得ずくの技術者達の手に委ねることにしかならないであろう。われわれのなしうる最善のことは、この研究の動向と意義とを広く周知せしめ、この領域におけるわれわれ個人の努力を、生理学や心理学のように戦争や搾取から最も遠い分野に限定することである。この研究によって、われわれはどうかすると力の結集を助長することになるかもしれない(生存という条件によって、力というものは常に最も不道徳な手に結集させられるのである)。しかし上にも述べたように、かりにそうした危険があるとしても、この新しい領域の研究によって人類と社会の理解を深めることができるという善い成果が挙がり、その方が、危険よりもずっと大きいという希望をもつ人々もいる。私は1947年にこの本を書いているが、そういう希望は根拠薄弱であると言わねばならない。
終わりに出版のため、原稿を整理し、資料を準備してくださったピッツ氏、セルフリッジ氏、デュベ (Georges Dubé) 氏、およびウェブスター (Frederic Webster) 氏に対しここに感謝の意を表したい。
1947年11月 メキシコ市・国立心臓医学研究所にて
http://www.sayusha.com/MasachiOsawaOfficial/?p=904
> 大澤真幸:『サイバネティックス』に「解説」
> 投稿日: 2011年7月18日 作成者: 000
> 岩波文庫で復刻されたノーバート・ウィーナー『サイバネティックス』に解説「サイバネティックス 20世紀のエピステーメーの中心に」を寄稿し収録されています。「ウィーナーの『サイバネティックス』の復刻が有意義なのは、この本がかつてよく読まれた有名な本だったから、だけではない。本書の復刻にとりわけ価値があるのは、「サイバネティテックス」というアイデアが、つまり「制御の科学」を成り立たせている基本的な着想が、古典主義時代にとっての「表象」や19世紀の西洋の諸学問にとっての「人間」とよく似たような意味で、20世紀の中盤の知の諸領域を横断して、それらを構造化する中心をなしているからである」。社会学の「機能主義」や、ヘーゲルの「理性の狡知」をサイバネティックスの観点を踏まえ論じています。
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】
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落合陽一さんの書評で読みたくなったが
前半の歴史的にこれを考えるのが必然なんだよ的な話は引き込まれたけど
本題がついていけなかった
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20世紀の古典であり、現在の情報化社会に極めて強い影響を与えたウィーナーが1948年に発表したサイバネティクス理論の論文集。通信技術と制御技術を融合させ、システムの目的を達成するために通信技術によって得られた外界からの情報をフィードバックさせて制御技術に反映する、というサイバネティクスの基本理論が解説されている。
ウィーナー自身は数学、哲学、通信工学、動物学と極めて多彩な学識者であり、本書を読むとそうしたウィーナーの博識さがサイバネティクスという理論の誕生に欠かせなかったということが良く理解できる。
巻末には社会学者の大澤真幸が、社会学における「構造-機能分析」理論が、ほぼ時代を同じくして理論化されたサイバネティクスと強い類似性を示していることに着目し、20世紀の”エピステーメー(知の枠組)”としてサイバネティクスを位置づける論考が収められており、サイバネティクスを理解する一助となった。
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原典。すでにサイバネティクス的思想はコモディティ化して、改めて殊更扱われない。でも、再読のたびに、以前読んだ時点からの技術的到達点を確認できるし、応用分野の広さに感心する。
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新着図書コーナー展示は、2週間です。
通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号401/W72
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大学院に進学前後に知った概念。十島先生が大家だったと思う。自己制御システムの勉強をするときによく出てくる名前。
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原書名:CYBERNETICS:or control and communication in the animal and the machine,second edition
第1部 (ニュートンの時間とベルグソンの時間;群と統計力学;時系列、情報および通信;フィードバックと振動;計算機と神経系;ゲシュタルトと普遍的概念;サイバネティックスと精神病理学;情報、言語および社会)
第2部 (学習する機械、増殖する機械;脳波と自己組織系)
著者:ノーバート・ウィーナー(Wiener, Norbert, 1894-1964、アメリカ・ミズーリ州、数学)
訳者:池原止戈夫(1904-1984、大阪府、数学)、彌永昌吉(1906-2006、東京都、数学)、室賀三郎(1925-2009、情報通信学)、戸田巌(1934-、情報通信学)
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ひとつの分野のみならず境界を超えたさまざまな学術領域への広がりを感じる.著者の博識ぶりには感銘するばかり.
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サイボーグ009特集のPENを読んだのがきっかけで
読み始める。
途中途中難解な数式が登場し、あっさり飛ばし読みするも
内容は理解できたとと思う。
おおよそパソコンと呼べるようなものや、演算の機械がない時代。
1940年代にこれほどまで科学が進んでいるとは
思わなかった。まるで預言書。
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フィードバック、オートメーション、自己組織化の源流に興味を持ったらオススメ。
私にとっては、人と人とマシンがいきいきと相互浸透した世界観のヒントを得るための本
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サイバネティックスとは、機械であれ、動物であれ、各個体および個体間の制御と通信理論の全領域のことである。また、通信し制御するためには情報が必要あり、情報領域も含まれ、心の働きから生命や社会までをダイナミックな制御システムとして捉えようとしたものである。
システムを制御するには、フィードバックが必要である。フィードバックとは、生物であれ人間であれ機械であれ、ある機能を持ったシステムがな何らかの目的のために何かの行動や作用を開始したときに、そのとき起こった反作用を取り込むプロセスのことをさしている。フィードバックには、正と負のフィードバックの2つがある。正のフィードバックは、今起こっているプロセスを次第に強調する。逆に、負のフィードバックは、最初は不安定な状態であるが、それを落ち着かせるために、それを打ち消す何らかの信号を送り、しばらくすると安定な状態に移行する。この2つのフィードバックの考え方を活かして生まれたシステム技術が、いわゆる「オートメーション」である。オートメーション化が進み、更にフィードバックが進んでいくと、将来的には、機械自身が学習し、増殖していくこととなる。
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初版刊行からはもはや60年以上の年月が経過しているだろうか。
それにも関わらず本書で取り扱われる学問領域のクロスオーバーとでもいうべき視点は、AI/IoTが急速に進化しシンギュラリティ間近といわれる現代に驚くほどフィットしている。
深くクロスオーバーしているが故に様々な専門分野が顔を出す。
数式が乱舞したかと思えば社会や民族の話題になり、脳波スペクトルだのなんだのと間髪入れずに繰り出される。
そのため初読を終えたばかりの現在、消化不良であるというのが正直なところだが
腰を据えて反復的に読むべき、そしてその価値のある一冊だ。