紙の本
僕はチェルノブイリを知らない
2016/02/29 17:24
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史教科書でも何でもよいが、「1986年にチェルノブイリの事故が起きた」というような記述があったとしたても、それはチェルノブイリのことを何も伝えていないに等しい、ということに我々は気づかなくてはならない。
僕はチェルノブイリのことを知らない。いや、知っているつもりではいた、この本を読むまでは。一々詳細かつ客観的な事故経過が頭の中に入っていなかったとしても、そういう情報の断片は他の本を読めば辿ることができる。事故後間もない壊滅的な状態の原発に入り込んだ果敢なクルー(撮影部隊)がいて、その時のショッキングな映像を数年後に見ることもできた。しかし、逆にそれら(文字情報と映像)によってわかった気になってしまった。ディテールのよく作りこまれた映画を観た、といった薄っぺらな感想しか自分の体内から絞り出すことが出来なかったにも拘らず、だ。そこに気づく必要があった。
「チェルノブイリの事故のようなことは、最新鋭の科学技術の粋を集めた日本の原発には当てはまらない」当時の日本の政府、学者・技術者、財界人やそれを取り巻くマスコミたちの声を伝えた原発関係報道は、そう口を揃えた。確かに彼の国の原発は、巨大コンピュータで一元集中管理されているわけでもなく、事故後の対応についての対策や周知徹底もなかった。だが311後、彼らは、フクシマについて「津波さえなければこういう事態にならなかった、二重三重の安全対策をのり越えた想定外のことが起きてしまった」と異口同音に口にした。彼らは僕と同じようにチェルノブイリのことを何も知らなかった。
多くの兵がアフガニスタン侵攻に参加しその後チェルノブイリにも行った。放射能除染、治安維持など多くの仕事が彼らを待っていた。志願者もおり強制的に彼の地に連れて行かれた者もいる。ある兵士は、戦場から戻ったら戦争は終わりだが、チェルノブイリから戻ったら、それからが始まりだ、と証言する。チェルノブイリで着ていた衣類は全部ごみ箱に捨てたが、息子にせがまれて帽子だけはくれてやってしまう。その子は2年後に脳浮腫を発症した。女の子をナンパしようとした別の帰還兵は、あんたの子を産みたいとは思わない、あんたはチェルノブイリ人よ、と差別的言葉を浴びせられてしまう。サマショールたちは、今も線量が高いにも関わらず、「我が家」に住み続ける。他の選択肢はない。国内紛争を避けたタジクの難民が、彼の地にたどりつき、誰のものとも知らない空き家を終の棲家と決め込んでいる。
名もなき、しかしチェルノブイリと真剣に向き合わなければならない膨大な数の人たちの声を、スベトラーナ・アレクシエービッチは丹念に採集して、織り上げていく。それは生きる人の声であるが、そこには彼らを取り巻く死者の嘆きも通奏低音のように響く。彼女は、チェルノブイリとはそれまでなかった新しい形の戦争だという。原発事故が起きその数年後にソ連は崩壊した。それらは別々の事象ではない。そして人はソ連崩壊のことは気にするがチェルノブイリのことは語りたがらない、知ろうと思わない。だから、この証言集は読み手にその無知を指摘してやまぬ。これは、国や形態を越えてなお続く戦争へのレクイエムであり、地球人への警告の書だ。チェルノブイリは終わっていない。1986年の出来事ではなく、チェルノブイリは今もそこにあり今後何百年何千年にわたって続いていく。そしてその変奏曲はフクシマにも受け継がれた。最後の一人の死者の声が聞こえなくなるまで、僕はその織り上げられたタペストリーの前に跪き、祈りをささげ続けるしかない。
電子書籍
普通の人たちの言葉がぎっしり
2016/01/18 07:32
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:美佳子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェルノブイリ原発事故から約10年経って、被災者や、リクイダートル、その妻たち、「チェルノブイリの子ども」たち、などの言葉が集められたこの本はデータや情報としてのチェルノブイリではなく、普通の人たちにとってのチェルノブイリ、放射能なんて聞いたこともない、危険性など理解できないあるいは理解できなかった人たちにとってのチェルノブイリ原発事故の側面を見せてくれます。分からないでもがく人たち、または分かり過ぎているがゆえに政府や党の方針とぶつかりもがく人たち、自分が死ぬことを理解している子どもたちなどなど、決して読んで気持ちのいい話ではありません。でも、貴重な体験談や感想です。
紙の本
チェルノブイリの今と福島の未来
2016/04/20 12:55
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:八頭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
電車の中とかで読んでいて、何度も涙が出てきてしまいました。チェルノブイリ原発事故の真実と、当時のソ連が人々に対してどういう政策をしていたかがよくわかります。そして、当時のソ連がしていたことより、今の日本政府や東電、原発推進派の医師たちのしていることがどれほど劣っているか!ソ連政府以上に、今の日本政府と東電は嘘をついています。
この本に書いてあるように、福島の人たちのみならず、放射能雲が流れた東京都民の子供たちに影響が出るのは必至です。事故後5年目。もう子供たちのその影響が出始めていますが、未だにそれを事故の性だと認めようとしていません。棄民政策以外のなにものでもありません。
放射線は、放射能は人間の手に負えるものじゃ無いのです。
電子書籍
必読の書
2017/08/08 18:08
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コピ - この投稿者のレビュー一覧を見る
どのページも胸が苦しくなる。3.11があったからこそ、多くの人に読んでもらいたい。放射能の恐ろしさ、悲惨さ。それを隠蔽する国家。
他人事ではなく感じる。
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェルノブイリの原発事故を、関係した人々の証言で綴る。新手法のノンフィクション。この手法が、旧ソ連の隠された真実に迫っていく。彼の国は機密だらけだが、日本の場合は、東電がまた隠ぺい体質で、チェルノブイリの教訓が東日本大震災に生かされなかったのが残念。権力の恐ろしさを感じさせられた。
紙の本
普通では描き切れない、未曾有の災害を、丁寧に抉って描いてる!
2017/03/24 03:30
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投稿者:オカメ八目 - この投稿者のレビュー一覧を見る
普通では描き切れない、未曾有の災害を、丁寧に抉って描いてる。 そして、著者は被災者さんたちに、静かに寄り添おうとしてる。だが、行間をよく読めば、のこ災害の大きさは、計り知れないとも読める。 人は、未曾有の災害に出っ食わすと、年寄りは、どんな記憶を呼び覚ますのか? また、その記憶が未だない若い人は、何を想うのか?ーーーーしかし、その時の権力は、その災害を隠す。 その時の権力が持っている「文化」を使って。そこはチェルノブイリと「フクシマ」は似てる。 兎に角、凄い本としか言いようがない。ーーーーーーもしも「文字の放射能」に反応する線量計が有ったら、この本の、どこを開いてもガリガリ、ガーガー、ピーピーと音がするだろう。 その位、迫力のある一冊。 ただし、言うまでもないが、本書を読んでも身体は「被曝」はしないので、ご安心を!
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福島のためにまなべるもの,ひとびとのこころと愛
2012/03/18 15:00
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェルノブイリ周辺の住民や原発事故対策にかかわったひとびとの証言をあつめている. この本の解説にもあるように,著者が書こうとしたのは客観的事実だけではなく,ひとびとのこころ,とくに愛である.
福島でも原発事故に対策がとられ,事故そのものや住民の証言が取材されている. しかし,とくに対策に関しては客観性が重視されるぶん,ひとびとのこころがなおざりにされている. 取材においても,まだとらえきれていないもの,そしてこの本からまなぶべきことが,いろいろあるのではないだろうか.
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投稿者:しろくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェルノブイリ、言葉では知っていても、実態は全く知らなかったと気付きました。同時にフクシマが改めて恐ろしくなりました。
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強烈でした
2016/05/25 15:02
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投稿者:なりす - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島のことを学ぶにはまずはチェルノブイリを。
強烈でした。
ロシア人(ウクライナ人)もっとしっかりしてよ、
役人の暴走を許しちゃいかんよ、
自分で考え自分の確固とした意見を持とうよ、
日本人もかなり似てるけど。
このひと言につきます。
脱原発なんて、今は死語かもしれませんが、
やっぱりそれを目指す意味はあるでしょう。
広島・長崎に対して失礼ですよ。
日本はきちんと目指すべき方向性を定めるべきです。
と書いているとお怒りを買いそうなので割愛。
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繰り返し読みたい本だ。
地球上で起こっていることには全ては即時に伝わることはないんだよ、という戒めとして。
人間として生きることの過酷さと美しさを感じるものとして。
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2015年のノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェービッチ。彼女の著作『チェルノブイリの祈り』を読んで衝撃を受けた。ノーベル文学賞が、受賞作に選んだ著作をある種の意図をもって世の中に広める役割を担うのであれば、彼女の受賞は正しい選択と言ってもよいものではないかと思う。
この本は、著者がチェルノブイリに関わった人々、原発の従業員、科学者、党官僚、医学者、兵士、移住者、帰還者(サマショールと呼ばれている)、農民、インテリ、など様々な人の語りを記録したもので、1986年の事故から10年後の1996年に発刊された。そのフォーマットは、ドキュメンタリーという分野に属すると言っていいだろう。しかし、文学の役割が、言葉によって言葉によってでなければ伝えることができないことを伝えるというものだとすると、正にこれこそが文学だと言うべきだろう。映像でもなく、科学的調査報告書でもなく、文字芸術としてしか伝えることができないメッセージがそこにはあり、だからこそ本の形にまとめられて出版されることの意義がある。
チェルノブイリの事故は、ソビエト連邦体制の中、その崩壊の時とともに起きたことで、おそらくはその悲劇性を増すこととなった。そのことに反対する人はおそらくはいないだろう。 著者は「二つの大惨事が同時に起きてしまった」と言い、社会主義の崩壊という社会的な大惨事とチェルノブイリという物理的な大惨事という「ふたつの爆発が起きた」と指摘する。政治システムの動作不能が相俟ってその悲劇は増幅されることとなった。住民のパニック抑止を優先し、知らしむべからずという方針を取ることとなった連邦政府。「知りながら害をなすな」という倫理に背き、住民を避難させず、配備されているヨウ素剤の配布を怠ったベラルーシ政府。国への忠誠と奉仕の精神を利用して、チェルノブイリに送り込まれた兵士たち。また様々な人の告白の言葉には、ウクライナ・ベラルーシの土地に刻まれたかつての戦争の傷跡を感じ取ることができる。彼の地は、独ソ戦での激戦地であり、その過去の悲劇は深い記憶として人々の中に刻まれている。また、事故対応のために招集された兵士たちの中にはアフガン戦争を経験したものも多数含まれていた。チェチェン紛争やタジキスタンの民族紛争を逃れて、この地にたどり着いたものもいる。そういった様々な人達の語りを綴っていく。そういった中で自ずと、ベラルーシという国の行く末、子供たちの健康への懸念が浮かび上がる。あの日からわれわれは「チェルノブイリ人」になったという人々。彼ら彼女らの眼前に「チェルノブイリ」はまったく新しい現実としてそこにあるのだ。
本を読み終えて、福島の後でさえ自分はチェルノブイリについて何も情報を確認していなかったことに少なからずショックを受けた。 2011年3月11日の前、もしくはその後に、この本を読んでいたら、自分はあのとき同じような精神状態にあっただろうか。自分は、何かを知ることを心の底では避けていたのだろうか。
「何度もこんな気がしました。私は未来のことを書き記している…。」と書いて、副題に「未来の物語」と付けたアレクシェービッチの想いは、福島の事故に対してどのように届いたのだろうか。もちろん福島で起きたことと、チェルノブイリで起きたことを短絡的に結び付けることには、少なくない抵抗感がある。広島・長崎とチェルノブイリとを短絡的に結び付けることもそうだ。それでも、放射能というものが与えてしまった影響に向き合うとき、それらを知ってしまった今となってはある種の覚悟を必要とするものになったと言わざるをえない。
この本を読みながら、かつて見たホロコーストの記憶を膨大な長さのインタビューで綴ったドキュメンタリー映画『ショア』のことを思い出していた。この本を読みながら、かつて読んだ水俣病の患者やその家族の独特の語りを綴った『苦海浄土』のことを思い出していた。村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者やその家族にインタビューをした『アンダーグラウンド』のことも思い出していた。多くの悲劇があり、そこに関わった人の語りを中心に据えたドキュメンタリー的手法は、それぞれの著者により採られたものだが、悲劇を表現するにあたり通底する必然性がそこにはあるようにも思う。
まずは、最初に置かれた消防士の妻が語る物語を読んでほしい。そして、「見落とされた歴史について - 自分自身へのインタビュー」の内容を慎重に読み進めてほしい。そこからはもうどうしてもその先を読まなくてはならないという気持ちになるだろう。
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『苦海浄土』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062748150
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(2017.01.04読了)(2016.12.25借入)(2015.10.26・第4刷)
昨年(2016年)の元旦、日経新聞に「世界を読む10冊」というのが紹介されていました。そのどれも読んだことのない本ばかりだったので、いずれ少しずつ読もうと思ったのですが、いつの間にか忘れてしまいました。一年経ってやっと思い出し、一冊目としてこの本を読みました。
チェルノブイリの原発事故については、何冊か本を読んでいるので、どんなものだったのかは知っているつもりでした。でも、この本を読んで打ちのめされました。
ベラルーシに住んでいるいろんな方たちの証言が収録されています。事故のあった原子力発電所で消火活動に当たった人、火事の様子を見に行った人、自宅から見た人、原子炉の封じ込めの作業に駆り出され作業に当たった人、多量の放射能を浴びたために肉体が崩壊してゆく家族の看護にあたったために妊娠していた子供が被爆し発育不全となり出産後数時間で子供を亡くした人、被爆した夫との間にできた子供が排泄の穴がない状態で生まれ手術をくり返している人、妊娠した子どもを下ろさざるを得なかった多くの人々、等々。
ひとりひとりの証言は、事故の一面しか述べていませんが、全体としてチェルノブイリの原発事故でどんなことがあったのかがわかります。
事故現場近くの人々が強制疎開させられて行った先でどのような扱いを受けたのかについては、福島の子どもたちが経験したこととよく似ています。
疎開の時も、三日で戻るので、荷物をあんまり持たなくても大丈夫、と言われたようです。
汚染地帯があまりにも広いために疎開させずにそのまま生活させ、作物も栽培させ、食べさせていた、という所もあるようです。
何せ放射能は、目にも見えず、匂いもしないので。ここにいるのは危険だ、とか、汚染された食べ物を食べるのは危険だ、といっても、味が変なわけでもないので、信じてもらえない面もあるようです。
原発事故があったのは、1986年ということですので、30年経ったわけですが、被爆した人たちはどうなったでしょう。その情報は、25年後の福島の人たちの参考になるはずです。
他人事みたいですが、実は、岩手県に住んでいる僕らにも無関係ではありません。福島の原発事故後の測定で、牧草や椎茸に高濃度の汚染があったわけですから。
【目次】
孤独な人間の声
見落とされた歴史について
第一章 死者たちの大地
兵士たちの合唱
第二章 万物の霊長
人々の合唱
第三章 悲しみをのりこえて
子どもたちの合唱
孤独な人間の声
事故に関する歴史的情報
エピローグに代えて
訳者あとがき 松本妙子
岩波現代文庫版訳者あとがき 松本妙子
解説 広河隆一
●放射性物体(16頁)
「忘れないでください。あなたの前にいるのはご主人でも愛する人でもありません。高濃度に汚染された放射性物体なんですよ。あなた、自殺志願者じゃないんでしょ! 冷静におなりなさい!」
●最後の二日間(21頁)
からだじゅう傷だらけ。病院での最後の二日間は、私が彼の手を持ち上げると骨がぐらぐら、ぶらぶらと揺れていた。骨とからだが離れたんです。肺や肝臓のかけらが口から出てきた。夫は、自分の内臓で窒息しそうになっていた。私は手に包帯をぐるぐる巻きつけ、彼の口に突っ込んで全部かき出す。
●検査結果(48頁)
妻と娘を病院に行かせました。ふたりは身体じゅうに黒い斑点ができていました。検査されました。「検査の結果を教えてください」と頼んだら「あなたがたのための検査じゃない」と言われた。
●チェルノブイリの戦争(56頁)
チェルノブイリは戦争に輪をかけた戦争です。人にはどこにも救いがない。大地のうえにも、水のなかにも、空のうえにも。
●チェルノブイリのリンゴ(58頁)
ウクライナのおばさんが市場で大きな赤いリンゴを売っている。「リンゴはいかが、チェルノブイリのリンゴだよ」。だれかがおばさんに教える。「おばさん、チェルノブイリって言っちゃだめだよ、誰も買っちゃくれないよ」「とんでもない、売れるんだよ。姑や上司にって買う人がいるんだよ」
●志願(84頁)
家に帰った。あそこで着ていたものはすっかり脱いで、ダストシュートに投げ込んだ。パイロット帽だけは幼い息子にやったんです。とても欲しがったから。息子はいつもかぶっていた。二年後、息子に診断が下された。脳浮腫……
●袋(93頁)
娘は、生まれたとき赤ちゃんではなかった。生きている袋でした。体の穴という穴がふさがり、開いていたのはわずかに両目だけでした。カルテにはこう書かれています。「女児。多数の複合異常を伴う。肛門無形成、膣無形成、左腎無形成」。
●制御できている(123頁)
舞台にテレビが置かれ、住民が集められた。ゴルバチョフが演説するのを聞いていました。「すべて良好、すべて制御できている」。
(どこかの首相も、オリンピック誘致の演説で同じことを言っていました。)
●でっちあげ(137頁)
「においもないし、見えもしない。学者たちのでっち上げだよ」。すべてこれまでと同じです。畑を耕し、種をまき、収穫する。
●電子回路(147頁)
放射線値が高いところでは電子回路が故障するのです。いちばん頼りになる<ロボット>は兵士でした。軍服の色から、<緑のロボット>と呼ばれた。崩壊した原子炉の屋根をとおりすぎた兵士は3600人です。
●原子炉の火事(168頁)
原子炉が内側から光っているようでした。一種の発光です。美しかった。夜、人々はいっせいにベランダに出ました。ベランダのない人は友人や知人のところに行ったのです。
悪魔のちりの中に立ち、おしゃべりをし、吸い込み、見とれていたんです。
●疎開は三日(169頁)
疎開の準備をするように一日中ラジオが伝えていました。疎開は三日間、その間に洗浄され、検査が終わるんだと。
●通達(186頁)
汚染された土壌を埋蔵するための政令が作られました。
通達に定められていたのは、地質調査を行い、地下水脈から少なくとも四メートルから六メートル離して埋めること。深く埋めないこと。穴の周囲と底にシートを敷き詰めること。でも、これは通達の中のこと。現実は、当然のことながら、別なんです。
☆関連図書(既読)
「恐怖の2時間18分」柳田邦男著、文春文庫、1986.05.25
「食卓にあがった死の灰」高木仁三郎・渡辺美紀子著、講談社現代��書、1990.02.20
「チェルノブイリの少年たち」広瀬隆著、新潮文庫、1990.03.25
「チェルノブイリ報告」広河隆一著、岩波新書、1991.04.19
「原発事故を問う-チェルノブイリから,もんじゅへ-」七沢潔著、岩波新書、1996.04.22
「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」菅谷昭著、ポプラ社、2001.05.
「朽ちていった命」岩本裕著、新潮文庫、2006.10.01
「福島原発メルトダウン-FUKUSHIMA-」広瀬隆著、朝日新書、2011.05.30
「原発の闇を暴く」広瀬隆・明石昇二郎著、集英社新書、2011.07.20
(2017年1月7日・記)
内容紹介(amazon)
2015年ノーベル文学賞受賞。
1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か.本書は普通の人々が黙してきたことを,被災地での丹念な取材で描く珠玉のドキュメント.汚染地に留まり続ける老婆.酒の力を借りて事故処理作業に従事する男,戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者.四半世紀後の福島原発事故の渦中に,チェルノブイリの真実が蘇える.(解説=広河隆一)
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図書館で。
東日本大震災後、福島原発の事件が起こった後、NHKはまずその道の専門家なる人物を招いて「問題ない」との報道を繰り返した事を思いだしました。いやでも、普通に考えればあんな厳重な建屋で囲われた中でないと稼働してはならないはずの核融合炉の天井が爆発で吹っ飛んだんだから問題ない訳ないじゃないか、と思いますが人間は信じたい情報を信じたんだろうか。自分も含めて。
でもやはり放射能は怖いから風向きを気にしたり、原発からの距離を測って自分は大丈夫と思いこもうとする。福島からの移住者を避けたり虐めたりした事はあってはならないことだし、無知の悲劇だと思うけれども結局皆何をもって大丈夫と言える根拠が無いから臭いものには蓋をするように対応したのかもしれない。まるで福島とか原発と自分は無関係ですよ、と証明したいがためだけに。今も完全に収束したとは言えない原発にどう対処したらいい?ヨードを飲むのか?海藻を食べるのか?逃げればいいのか?でも逃げるってどこへ?
原発再稼働を望む従業者の気持ちもわからないではないのですがその前にきちんと有事の際に自分がどう動くのか、会社は、国はどういう対策を取っているのかをきちんと知った上で地域住民の理解を得る事が必要だと思う。日本なんて断層だらけの国で事故が起こった際どれだけ素早く地域住民を避難させることが出来るのか?放射線物質に対する対応は?その対策だけでも知っておく必要があると思う。何かが起こった後、会社や国に騙された、なんて言ったって取り返しがつかないのだし。
読んでいてなんだ、日本はチェルノブイリの事故から何も学んでなかったのか、と臍を噛む思いです。唯一の被爆国とか言っている割にこの対応の甘さはなんだろう?今の与党は当時の政権を批判していますが、どんな政権だろうともきちんと対処できるマニュアルさえしっかりしていれば問題なかったはず。でも、今の段階で建屋が爆発した後の完璧なマニュアルが作れるのか?今何か問題が起きたらなんの問題もなく対処できるのか?と考えたら首を傾げるばかりだし。
最初の消防士の奥さんの話は痛ましいけれどもウェットすぎる気がするのは国民性の違いなのかなぁ。自身を顧みず、自己犠牲を尊ぶのはロシア人気質なのかも知れないけれども愛が深いんだなぁなんて思いました。
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1986年4月26日1時23分、ソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故。
見落とされた歴史であるチェルノブイリをどう理解すべきか。
「私たちが解き明かさねばならない謎です。もしかしたら、二一世紀への課題、二一世紀への挑戦なのかもしれません。人は、あそこで、自分自身の内になにを知り、なにを見抜き、なにを発見したのでしょうか?自らの世界観に?この本は人々の気持ちを再現したものです。事故の再現ではありません。
「私が見たことや体験したことを伝えることばがみつからない」「こんなことはどんな本でも読んだことがない、映画でもみたことがない」「こんなことは前にだれからも聞いたことがない」同じ告白がくりかえされますが、私は意識的にこれらを本から削除しませんでした。~手を加えられていない真実のほうが起こりつつあることのいい上さをよく映しだすように思えたからです。すべてはじめて明らかにされ、声にだして語られたことです。なにかが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似たできごとも、体験も持たない。私たちの視力も聴力もそれについていけない、私たちの語彙ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、それは観たり聞いたりふれたりするようにできている。、、、、、、、、
P181
なぜ、私たちは知っていながら沈黙していたのか、なぜ広場にでてさけばなかったのか?私たちは報告し、説明書を作成しましたが、命令はぜったい服従し、沈黙していました。なぜなら、党規があり、私は共産党員でしたから。~~~信念があったからです。
P182私は環境保護監督局で働いていました。そこでは上からの支指示を待っていたしたが、指示はありませんでした。
P186
汚染された土壌を埋葬するための政令がつくられました。土の中に土を葬る、なんとも不可解な人間のなせる業。通達に定められていたのは、地質調査を行い、地下水脈からすくなくとも四メートルから六メートルはなして埋めること。深く埋めないこと。
P190ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかってたんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。
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1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か.本書は普通の人々が黙してきたこと、被災地での丹念な取材で描く珠玉のドキュメント。汚染地に留まり続ける老婆、酒の力を借りて事故処理作業に従事する男、戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者。四半世紀後の福島原発事故の渦中に、チェルノブイリの真実が蘇える。
『戦争は女の顔をしていない』と『チェルノブイリの祈り』は読んでおきたいなと思い、ようやく100分de名著を契機に読了。すごく読みやすい言葉なんだけど、重くて読み終えるまでに時間がかなりかかってしまった。福島の怖さを思い出して、もう他人事みたいになってしまっているけれど、現実はまだ終わっていないんだとずしんとくる。安全神話で成り立っていたものが崩れ、非常事態にも関わらずパニックを恐れて真実を語らない政府。果たして自分の国はそうではない、と言い切れるのかなって怖くなった。自分の頭で考え続けなくてはいけないし、これ以上の悲劇を生まないために声をあげることが必要なんだな・・・。