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1980年にこのような深い取材を行い、電力会社・官僚・政治の体制をドキュメントとして著した田原氏はすごい。
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原子力村前史として、非常に興味深い。戦後の業界形成の構図と、その後の官民一体の体制構築手前までを綴ります。
エネ庁たち上げの思惑と、東電の代替わり(木川田→平岩)は、その後現在に至るまでの構造を十分に示唆しており、なるほどと納得。大政翼賛会になぞらえるのは田原氏らしいですが…
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東京電力が生まれた背景、福島原発誕生の内幕が当時の関係者の取材によって丹念に書かれている。
電力を国管化したい「官僚」VS電力を国家に渡すまいとする「東京電力」の激しい主導権争いが非常に興味深かった。
現在の東電の体質からは想像できなかったが、戦前戦中の国家統制の弊害を体験した木川田(東電社長)は、電力の自立を守るために国家と激しく闘っていたのだ。意外だった。
その闘いに東電が原子力発電という武器で宣戦布告する。
原子力発電が国家対東電の戦場になった瞬間だ。
国家も東電も、日本の経済成長には安定した電力供給が必要。というゴールは共有できているのに、どちらが主導権を握るか。という日本全体の事を考えればどうでもいいことの闘いを繰り広げる狭窄さが悲しい。
議論検討も不完全のまま東電が福島原発建設へと突っ走った原因は、国家に原子力発電の主導権を握らせまいとした東電の、焦りからくる準備不足の先制パンチだったのだ。
木川田は「原子力発電は悪魔のような代物だ」と公言していた。が、その木川田が「悪魔と手を結ぶ」ことを決断したのも、主導権を国家に取られることなく、民間の電力会社が握るためだった。という事実。
原発にはどのような危険性があり、危険性を防ぐ装置をいかにしていて、それがどの程度の地震や津波に耐えうるのか。という説明を地域の住民にほとんどせず、札束でぶんなぐる形で、膨大な金でもって地域ぐるみを買収する形で原発建設を認めさせてきた。
アメリカが開発した夢のエネルギーだから、安全安心。
しかもコストが安い。
この原発導入の理由はいずれも後付けだ。
戦争の「大義」はいつの時代も後付け。
鵜呑みにせず、疑い、自分の目で確かめ続けることをやめてはいけない。
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日本の電力の曙からビフォアチェルノブイリへ至るドキュメントが、この時期に文春文庫で新装再販。
ウン十年も前に書かれた内容なれど、311後に俄かにスポットのあたったような事が、呆れるほどてんこ盛り。
この国は、ホラー小説なんか目じゃないほど、ホラーを地でいっているのだとつくづく…
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原発ができた経緯、エネルギー政策の裏側に触れられる一冊。過去を学ぶことの大切さ、そしてそれを生かさなければいけないということを強く感じました。
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この本が書かれたのは1980年。丁度、オイルショックを乗り切った時代に書かれた。戦後から1970年頃までは、電力会社と国・通産省が主導権争いを繰り広げていた。日本発送電を9電力体制にし、原子力発電の主導権を握り民間主導で電力事業は発展を続けてきた。しかし、オイルショック、原子力発電所の相次ぐトラブル、核燃料サイクルでの主導権争いにおける敗北等で、電力会社は弱体化していく。
電力会社が国に主導権を握られることを恐れた背景には、1940年体制の悪夢がある。民間企業が電力事業を主体的に推進できるように、原子力発電は自社で導入し、電力料金値上げを極力避けるために合理化を推進した。
しかし、70年代に入ると原子力発電所の稼働率が20%以下に下がり、オイルショックによる原油価格の高騰のために、燃料コストが総コストの85%に上昇し、主導権を握ることができなくなる。
政府、企業、マスコミ、大学、官僚の5角形が一丸となって原子力発電を推進してきたように思っていたが、実際は内部でいろいろと駆け引きがあったわけだ。
オイルショックにより、石油に変わる代替エネルギーの開発が重要な課題となり、再生エネルギーや地域分散型のエネルギー構想が通産省により推進された。また、当時もトイレなきマンションの状況が課題に核燃料サイクル事業が通産省指導で開始された。
70年代の状況は、原発反対運動が起こり、代替エネルギーへの関心が高まり、電力会社の政治献金が問題視されるなど、震災後の状況によく似ている。
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原子力発電を巡る電力会社VS官僚の闘いが描かれていて、これを読んだら、日本のエネルギー政策が確立していないのも、原発問題の対応の杜撰さもなんだか納得してしまう一冊。原発ができるまでの歴史について知るためには非常に良い本。
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九電力体制は自由主義の産物で、官対民、という対決構図の歴史であった、という物語はかなり意外でした。原子力発電の導入を期に、電力事業を政府管理下に置こうとする官僚と、それを逃れる為、“完成品”の原子炉をアメリカから買って設置する電力。現在の東電をめぐる一連の報道が、ちがった角度で理解できる一冊です。
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3.11以後でも、古さを感じさせないというのは、流石に言いすぎか。でも、面白かった。
電力会社と「ノートリアス・MITI(悪名高き通産省)」とも揶揄された通産官僚との主導権争いを軸に原発計画の誕生からNEDOができるまであたりの話。
原子炉に限らず、それ以前から東電はGE社の技術には信仰に近い信頼を寄せていた。というか寄せざるを得なかった? 西ドイツは米国ウェスティングハウス社の軽水炉を基に国産原子炉を完成させたが、日本にそのような動きは起きは起きず、「三越からラジオでも買ってくるみたいに、アメリカから輸入して、ただ、言われたまま動かして」いた。この背景には通産官僚と東電の電力事業主導権争いがあったという。電力事業の国有化を恐れる電力会社は、国家につけ込まれないために、無理にでも軽水炉を完成品と言い張り、国家資本の導入をあきらめざるを得なかったとか。なんとも不毛な。いやぁ、ことの大小は違えど同じ話は今でもあると思うけど。
あと、最近のスマートグリッドで話題に上る分散型電源や地産地消みたいな考えは、1970年代後半からソフトエネルギーパス、ローカルエネルギーシステムとして存在するものなのね。
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原発導入時の日本国内のアクターの対立が鮮明に描き出されている。当時の通産相と電力会社間のかなり熾烈な綱引きが導入の背景にあったことがわかる。ただ、あまりにも主導権争いに没頭しすぎて肝心な原発導入についての是非が無視されたのは、残念である。
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電力会社と国家の闘争の歴史。
常に電力会社優位だったものの、今まさにその転換期にある。
電源の分散化、発送電分離ってようは電力会社の弱体化が目的の一つなんだな。
どっちが主導権を、とかじゃなくて、何が国のために最適なのかを純粋に考えて一手一手選択していける時代にしていかなければ。綺麗事なんだろうけど。
ただ賠償金の支払い窓口を電力会社にした以上、逆にいえばそれは責任最終地点を決めてるのといっしょで、電力会社の独立性を認めないと道理に合わない気も。
資本注入の仕組みによりけりなのかなそれも。
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9電力会社以外になんで「電源開発」なんて中途半端な会社があるんだろう?と前から思ってた疑問が解けました。
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1980年に出版されたのが、時流にのって改題して復刊した本。もともとは「ドキュメント 東京電力企画室」というタイトルだった。復刊タイトルだけ見ると、誤解を受けそうだが、電力会社と通産省(現経産省)がエネルギーの主導権争いをする様が書かれており、原発のリスクなどが置き去りにされている様子がよくわかる。政治とは何か、官僚とは何か。今の原発に関連する動きの見方が変わる。
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かなり読むのに時間がかかってしまったが… 電力・エネルギーが利権や闘争が 絡んで こんなに複雑で嫌らしいとは…
何とも言えない…
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なんのことはない。
日本の原子力は、電力会社と通産省の主導権争いから、
スピード重視でアメリカから買ってきただけ。
そこには技術的な思想など何もない。
愚かすぎると笑うが、笑えないのがこの国だ。