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本書は内田さんとヨーガの使い手である成瀬雅春さんの対談本で、対談本がたいていそうであるように、とりあえず読んでみるのがよいと思う。ぼくてきには、ホウレンソウを内田さん達が批判されていて、かつそれが的を得ているところが興味深かった。確かに、ホウレンソウってそのままナイーブに受け入れるのは問題かもしれない。医学教育のドグマに疑いのまなざしを、、、というのがまず教育的な態度ではないかと、逆説的に思う日々である。
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身体を動かして、自分を知る。身体の声を聞く。それが一番大切なことだということに、改めて気づきました。
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武道【合気道】の内田樹さん、ヨーガの成瀬さんの対話本。身体に関しての考え方やこんな時代を生きる考え方など、あることを極めているからこその考え方を垣間見ることができた。面白かった!
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合理性を尽くしてもなお説明できない不合理なものを、私たち日本人がどう感じとり、どう引き受けて前に進んでいくのか。他国のように「宗教」を利用できないのだとすれば、日本には昔から、「身体で考え、決定し、行動する」という伝統がありますよ、ということなのだろう。
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内田さんは、昨年まで神戸女学院の先生、今は武道家。
対談相手の成瀬さんは、ヨガの先生。
東日本大震災の直後から、毎日4時半に起きて、読書を続けてきたが、夏にひどい風邪を引いて、読書が一週間ほど中断。
その時に、頭でっかちでも、身体が不調だとまともに読書ができないことを痛感した。それから、身体のメインテナンスにも気をつけている。
この本は説得力のある言葉が沢山あるが、そのなかでも三つ。
①成瀬:身体で考えるようになるためには、まずは自分の身体を大切に扱うことです。自分の身体を粗末に扱う人は、心にもほころびが生じ、豊かな人生をおくれません。(p276)
②内田:(自分の人生)は、儚いものであると同時にかけがいのないものである。その葛藤をまっすぐ生きることが人間の宿命だと思うんです。(p206)
③内田:自分はここまでの人間だと思っていれば、そこで止まるし、自分の可能性に関して、どこまで可能性があるよくわからないと思っている人は素質が爆発的に開花する可能性がある。(p27)
身体の柔軟性を保って、頭もやわらかくしていこうと、改めて決意した。
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硬直化した思考を何とかしたいと思っていたのですぐ目について読んだ。胆力を練り目の前のことをして今を楽しみセンサーの感度を上げていきたい。どうしても頭で理解しようしてしまうけど。瞑想とか取り入れていこう。
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内田先生による多田先生のエピソードが、いろいろとおもしろく読めました。
本気で武道家になるつもりで稽古しないと、合気道も上達しないということがよくわかりました。
がんばろう。
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積み重ねた知識や、机上のルールでなく、自分の身体の声を信頼し行動しよう、という呼びかけには同意。
現代社会では、その身体の声が聴こえにくくなっている。聴くための身体の使い方や、時間を持つことはとても大切だろう。
とっても基本的でお勧めなのは、「歩く」ことらしい。
やっと春らしい日差しになってきた。歩き出してみようと思う。
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お二方の身体の可能性の話には現代で失われた人間の身体性の回復が随所に謳われている。
私だって、このまま利便性とか効率ばかり追求する社会は、いずれ、「ウォーリー」に出てきた宇宙船の中の人間達みたいにカートに乗ってぶよんぶよんになりかねないんじゃないかと思う。
そうなりそうな代表者みたいな私だからこそ危機感はある。
この本を読んで持病持ちで腰痛に悩む私はスゴイ勇気をもらった。
それは、「自分に対する無限の可能性を信じる」という言葉に集約される。
だって、成瀬さんの空中浮遊の写真があっさり掲載されてるんだもの。
http://big-river.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-7fac.html
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合気道 植芝盛平先生 1883-1969
同じ被害の程度でも、「まだ手元にはこれだけ残った」と思える人と、失ったものを数え上げて、『あれもなくなった、これも失った」と失ったものを指折り数えている人がいる。減算法で自分の条件を見る人はなかなか立ち直れない
希望を持てない人は、生きていく力が弱い
「自分みたいに才能のない人間は、うまくなるはずがないと思います。」という言葉をいったん口にしてしまうと、自分が言った言葉に呪縛されてしまう。「自分はうまくなるはずがない」という未来予測が正しかったことを「絶対にうまくならないこと」によって身をもって証明してしまおうとする
老いのターニングポイントは歩けるか、歩けないか 歩けなくなると生命力が一気に落ちてしまう 歩けなくなると情報量も極端に減る
村上春樹 走ることについて語るときに僕の語ること
病床もの 正岡子規 病床六尺、仰臥漫録 幸田文 父 堀辰雄 風立ちぬ
非常時の国のトップは、ほんとうは自分の直感で判断できる一種の独裁的な人がいいのかもしれません。
頭で判断しようとするもの 身体で判断しようとするもの
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師の著作に評価など付けられるわけがないので評価なし。
さて、「空中浮揚を行った」ヨーガ行者成瀬雅春氏と内田樹師の対談は奥深く目から鱗が落ちまくる展開に。
成瀬氏のことは知らなかったのだが、オーム依頼インチキのイメージがついてしまった「空中浮揚」などの「奇跡」についての考え方が興味深い。氏曰く、「1,600年前の教典に空中浮揚のことも心臓停止の呼吸法のことも書いてある。これはそれができた人がいた、ということ。でないとそれは教典ではなく小説になってしまう。ただの小説が1,600年も残るはずがない。」として独力で学んだという。ウチダ師はイエスが空中からぱんをだしたり、水の上をあるいたりした事例を挙げ、おそらくそれは「知らない土地で人々に話を信じて貰うために行われた」ものではないかという。(なんらかのトリックや技術かもしれないが)それは実際に行われた、というのが重要。最初から「できるわけがない」と思う人にはできない。先入観を持たずに「どうやったらできるのだろう?」と考え抜いて実験や研鑽を重ねた者だけが、何らかの形でそれを実現する。武道でも同様で、特に合気道はいわゆる「試合」がないため強さがわかりにくい。「これ」と信じて自分自身で考え、探求しなくてはならない。
そんなことが勘所かな、と思った。
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お・・・、おかると!!!!!
いやすみません。
だって空中浮遊。。。。。w
でも
今のじぶんに理解しえないことがあると認める謙虚さというか、そういう力はたいせつだとおもう。
じぶんが未熟であるゆえにその価値すらわからないものごとが世の中にはあって、
その価値がわかる領域に達するために学ぶ、という姿勢をもつこと。
というところはすごくぐっときた。
内田少年が師範と出会うばめん。
価値がわかる(かっこいい!・憧れる!)から目指す!というのではなくて
なんだかわからないからわかりたくて学ぶという。
あまりにも、じぶんの好きなことを追求!じぶんの信じることだけ!それがおれ流!的なひとがおおい気がする。
わたしはそうならないぞー。
とはいえ、空中浮遊はないでしょう(ほんとうにごめんなさい)。
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社会に関する参考母体が無い現代をどうやって生き抜くかって問題に、武術家で元哲学者(哲学者に元なんてないが)とヨギの成瀬さんとの対話集。
緊急時は頭で損得を考えながら動いてしまうと、後手にまわって生きてゆけないので、身体感覚を養ってぱっと第六感といわれる様な、感覚的なものを頼りに生きてゆきましょう。
そのかわり、身体感覚のスイッチを日常生活において切って暮らしている人は、頭と体とのバランスよい生活を今らからで遅くないから始めよう。
と仰っている。
だがね、成瀬さんとにかく自分が空中浮遊したはなしをしたくてしょうがないし、内田さんは相変わらずずばばーーって持論を展開する。
んで、内田さんが空中浮遊したことないからかな?(誰だってないが、、)その話にあまり乗ってきてくれない。
だから、成瀬さん浮く話いっぱいするのね。
そんなやり取りが素敵だよ。
ふわふわ浮けたら、飲み会とかで盛り上がるし、楽しそうだよね。
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内田さんの本を読んでいて気持がいいのは、
この人が身体の声を聞けるからだ。
社会や文化のことを語っても、頭上を素通りするのではなく、
身体の内を通ってくる言葉には手触りがある。
合気道6段とヨーガ行者の対談は、全編刺激に満ちている。
「ろくでもない未来でも自分の予測が当たったことの方が、
知的に卓越していることが証明できる。
悪いことを予測すると、それが当たるように無意識に
悪い方への選択肢を選んでしまう」というのに納得。
だからマイナス思考の人はうっとおしいんだよな。
やはり日々楽しいことを考えて「そんなことできない」なんて自分に制限を付けないことが、
毎日楽しく過ごす秘訣だと思う。
好奇心を持つこと、やりたいことはやること、どんな状況も楽しむこと、
身体の発するセンサーに敏感になること。
危機的状況のための備えは、まず心がけ。
せいぜい長く生きても100年。
ネガティブなことをいじくりまわして不満を言ってるなんてもったいない。
成瀬氏の言葉でとても印象的だったのは
「楽しい走馬灯を見るために毎日楽しいことをする」
もう超共感。
「死ぬ瞬間に、自分の人生を走馬灯のように見るのであれば、
つまらなない人生を歩んだ人は、つまらない走馬灯しか見ることができない。
死の瞬間に、自分の生涯がつまらなかったと思うことほど残念なことはない」
私も「これがあれば、辛い時にも大丈夫」という幸せな瞬間をいくつも持っている。
だから多分、なんかあっても頑張れる。
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空中浮遊老師成瀬雅春…非常に気になる存在である。
・エビデンスの無いものも認めよう。日本の霊的再生。004
・武道において後悔と取り越し苦労は禁物。032
★歩き方というのは、国によって実はまちまち。腰痛や痔疾や痛風を代償にした二足歩行によって、人間は定型を持たない身体運用を手に入れた。歩くという行為こそが、人間を人間たらしめているものではないか。097
★ルーティンを守る。それが、微細な変化への感受性に繋がる。227
・呼吸を数える瞑想法。一定の時間で自分が何回呼吸をしたか。268