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20120912読了。
「とらわれの身のある日、看守の外套のポケットに本が潜んでいるのを
見つける。やっと盗んだのは案に相違してチェスの手引書だった。
中身をすべて頭に入れてしまった男は釈放ののち、たまたま出会った
世界王者と船上で対戦し……。」
という設定だけでもうわくわくしてしまう。
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表題作「チェスの話」はもちろん面白かったが、それよりも底本では表題作だった「目に見えないコレクション」の人情話的なところが好き。芸術の意味や価値といった根源的な部分も考えさせてくれる。
その他作品を現在の文芸作品として位置づけるならば、チェスはの心理サスペンスドラマだし、不安は自己崩壊していくヤンデレ主人公のレディスコミックだろうし、書痴は見ようによっては愚昧で無責任な大衆の滑稽さを嘲笑する戯画だろう。
いずれも書かれた時代の状況やそこに存在した現実を十分知っていなければ単なるミステリー小説としか捉えられないし、それではツヴァイクの意思を軽んじることになってしまう。
「疎外された連中、冷遇された連中、怨恨を抱いた連中の軍団」という、ナチスの私兵について書かれた一節が警句としてとても印象に残った。
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収録されている4篇中3篇が、時代の変化という鉄槌に、人生を粉々に打ち砕かれた人たちの話だ。ツヴァイク自身もそうだった。ナチスを「時代の変化」なんていうのは、生易しすぎる形容かもしれないけど。
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閉じ込められた空間で棋譜集を一冊ひたすら繰り返し読んだだけで、世界チャンピオンレベルになれるのかという疑問はさておき、チェスの世界にどっぷり浸れる一冊。
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何かにとりつかれた人の心の有り様を丹念に描き、それがいつかやりきれない結末を迎える。その様を冷徹に、あるいは諦念をもって描いている。4つの短編いずれも素晴らしいが、特に「不安」の最後の1頁の皮肉な結末には、語りのうまさを感じた。
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素晴らしい本。時に狂おしく、時にグロテスクになる人間の心理に迫りながら、物語の面白さもダントツ。
さすが、ツヴァイク。百年近く前に書かれた、こういう本を読むと、今ある有象無象の小説の存在する意義がわからなくなるほど。
昔はツヴァイクは通俗小説で、学者からは相手にされなかったと解説にあったが、昔の通俗小説はなんと立派であったことか。
「目に見えないコレクション」「書痴メンデル」も素晴らしいが、表題作は本当に傑作で、本好きでこれを読んでない人はものすごく損をしていると断言できる。
ああ、本当によかった、と読み終わって時間がたっても思える本は少ないけど、これはそれ。時間があったら何度も読み返したい。
みすずの本は高価で、これも3000円近いけど、他では読めないから買うべき。
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今公開されている映画「グランドブダペストホテル」がツヴァイクの人生や著作をベースにしたもの、と聞き、久しぶりにウィーンの作家ものを読んでみた。「チェスの話」「目に見えないコレクション」「書痴メンデル」「不安」という、まったくタイプの異なる4つの短編が集められたもの。それぞれ魅力的で、一気に読めた。上質な知性やクラスを感じる一方で、素朴だったり粗野だったりする部分もあり、ウィットに富んだところもあり、これぞウィーンの作家、という感じ。図書館で借りて読んでいたけれど、この本は何度も読むことを確信し、入手した。
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ナチスドイツの占領下、ホテルに軟禁され、孤独という拷問を受けていたB博士が、偶然チェスの本を
手に入れます。はじめのうちは、孤独に打ち勝つ、新しい知識を頭に入れる喜びがあるものの、
1冊だけのチェスの本からでは、同じ指し手の反復しかできないと気がついてしまいます。それからは、
新たな手を模索し、分裂した自分自身同士が、お互いに打ち勝とうと渇望しながら戦います。
そして、精神的に崩壊していく…
この本では、物理的に閉鎖された環境で、自滅的に崩壊していく様が描かれています。
ですが、もしかすると、閉鎖されてなくても自分自身で自分自身を囲い込むと、何かを忘れるために
何かをすると、同じような方向に行ってしまうのではないか。忘れようとする自分と、
逃れようとする自分とが戦うと…課外活動の「はたらきマン」読書会に参加したとき、ふと、
この本を思い出してしまいました。
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ひたすらに文章が、話が面白い。人々の息遣いやきらめきが伝わってくる。引っかかるような部分もない。
4つ目の「チェスの話」が好き。狂気と時代背景と熱い展開に心が躍った。チェントヴィッツの最後の一言がしみるし、味があるし、切ない。
時代背景もあわせて考えると面白い。(そうでないとここまで面白くはなさそう。)
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2011年頃に読了。最近この話のことをよく思い出すので。監禁されて無為に過ごすうちに自分は何を考えるのだろうか。
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「マリー・アントワネット」は10代の頃からの愛読書で何度も読んだけど、それ以外のツヴァイクは何故か読んだことがなかったなと思い、手に取った。極限状態の中でも人としての尊厳や善意、それ以前に正気を維持できるのか…。さすがでした。
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表題作の映画を観て、原作もと思い読む。どの話もハッピーエンドではないのだけど、後味があたたかい。あとタイトルの付け方が秀逸。他の作品も読んでみたい。
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楽しくて、一息に読んでしまった。
脳内の思考を現実の優位から解放する試み。
現実に対して思考は勝利し得るのか。思考の世界に人は住む事が出来るのか。階層としての優位を超えられるのか。
それは悲しい祈りでありながら、それを通り越し、やがては狂気の結晶となり破滅へと向かう道筋まで描かれる。
それは、例えば、何で本なんて読むのだろう?なんて事と、繋がってくるものだ。どうしてフィクションや音楽といった、現実から離れ、没入できる何かが人には必要なのか。と。そうした事を考える、いいきっかけになる作品だと思う。
一度読んだら絶対に忘れ様のない傑作『書痴メンデル』の最後の言葉。
「本が作られるのは、自分の生命を越えて人々を結びあわせるためであり、あらゆる生の容赦ない敵である無常と忘却とを防ぐため」。ここになにがしかの答えがあるのかもしれない。
『目に見えないコレクション』は心温まる話なのだが、思考の勝利の青写真の悲しい矛盾も滲む。
老人はコレクションの散逸という真実を知らされないまま死ぬのだろう。優しい嘘であって、そこに胸を打つドラマがあるのであるが、多分著者の意図を越えて発生しているであろうイロニーを著者はどう受け止め、いや受け流しているのだろう、と考えた。
本当に大事なものは物質ではなく、人の優しい思い遣りなのだ。それが宝。しかしそれを老人は得ていながら、肝心のその得られた宝を知らないままになるのだ。
ここで著者は二層に分裂している。世界を既に知った大人の自我である語り手と、殻の中の成長を止めた自我である老人とに。そして大人の自我が子供の自我を温存し、守ろうとする。結局はそれによって大人の自我は自己矛盾を抱えた存在となる。『チェスの話』は、そうした思考回路に対して落とし前をつけようとした感がある。
フランク・キャプラの映画「ポケット一杯の幸福」も皆でひたすら嘘をつき続ける、という人情モノだったけど、最後どうなったんだっけ??忘れてしまった。
共産主義の崩壊を、心臓の弱い母に家族で必死に隠そうとする「グッバイ、レーニン」という映画もあった。これも最後はどうなるのだっけ。
癌の告知なんかに似た問題を感じてしまう。
というのも、昔、癌は患者に告知しないのが当たり前だった時代に、私は父を癌で失った。あの時の嘘を私は今でも悲しく思う。私は嘘という隔てを持ったまま、父と別れたくは無かったのだ。病院から帰る時、廊下までやってきて声をかけた私の父と本作の、窓から見送り声を掛ける「老人」が、重なって見えた。
『チェスの話』が彼の自殺の前年の作である事を思えば、著者は自らの思考傾向の極点を見詰めながら死んだ事がわかる。
現実というものはいつでも苦しく耐え難いものだ。人はそれをやり過ごして行く為には、何らかの創造的行為により、現実とは別の空間を生きることが必要となってくるものなのだ。けれど、それが現実に取って代わるものとはなり得ず、もしなってしまえば、もはや帰ってくる事ができなくなるのかもしれない。
全体から著者の心優しさが滲み出すが、優しさこそ人の創造した最大の文明なのでは、と思うと同時に、優しさと表裏一体になった純粋さや弱さに対して、何を思えば良いのだろう。
弱さを起点とした優しさと人情が著者の最大の魅力であり味であるのは確かなのだけれど。
(「現実逃避」というマイナスイメージの言葉を私はここでは使わずに書いた。著者の熱狂と集中への憧れ、別の現実の創出を、敢えて、ある種の積極的なもの、文化発生の原点としてイメージしたい。)
私は断然、『チェスの話』が好き。これも一生忘れることは無さそう。読んだ後もずっと考え、ずっと残っていく本、というものは、良いですね。
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短編集。大好きな映画「グランド・ブダペスト・ホテル」の最後に『ツヴァイクに捧ぐ』と字幕がある。そのツヴァイクを一冊は読んでみたかったのでこれをチョイス。
・目に見えないコレクション
・書痴メンデル
・不安
・チェスの話
町山智浩が語る『グランド・ブダペスト・ホテル』の元ネタとテーマ
https://miyearnzzlabo.com/archives/18434
(130) 町山智浩★「グランド・ブタペスト・ホテル」監督ウェス・アンダーソンの独特の世界 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XPhZAHc4cLA
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- 全体主義の波の中で居場所を失っていく人たちの寓話
映画化された「チェスの話」目当てで図書館で借りたけど1ページ目から魅了されてしまう。これほどの読書体験は本当に久しぶり。内容の素晴らしさが美しい翻訳のトーンでさらに鮮やかに引き立つ。
小説の素晴らしさって「答えを読者に委ねる」事だと思う。正解も解説もない。混沌を混沌のまま読者の前に提示してくれる。映画はより「正解に導こうと」する。音楽と読書はまだ脳に自由を与えてくれる。
短編の舞台は1922年から1941年ごろにかけて。一次大戦の混乱からナチスが台頭しはじめる時代のオーストリア、ドイツの物語。
映画「ニューシネマ・パラダイス」では、主人公トトが育った小さな街に個性的な隣人が何人も登場する。映画のキスシーンを検閲する神父、いつも独り言をブツブツ言っている正体不明の男。劇中では大人になったトトが故郷に帰ると、そこには相変わらず「普段何をしているのか分からないおじさん達」がいてトトは懐かしい気持ちになる。
この短編集に登場する人々はそういった人々。普段なにをしているのかよく分からないけど、それぞれが独得の方法で生計を立てている。そして、戦争や全体主義の波の中で、そういったひとたちがひとりまたひとりと消えていく物語。
「どうやって生計立てているのかよく分からないひとたち」が多い社会って、真の意味で豊かな社会なのかもしれない。生き方の選択肢がそれだけ多く、どのような形でも自立した人間として生きていけるから。
しかし、敗戦から全体主義に向かう社会の中では、個人よりも国全体に重きが置かれ、考え方も行動も画一化が求められる。日本の学校が個性を恐れ校則という鋳型に頼るのは象徴的だ。
不思議な事に、全体主義から排除される人々は「ただひとつの観念に凝り固まってしまったひとたち」である。モノマニア、職人、オタク、いろんな呼び方があるが「ひとつのものに特化して全てを捧げたひとたち」
後書きでのツヴァイクの言葉
> あらゆる種類のモノマニア的な、ただひとつの観念に凝り固まってしまった人間は、これまでずっと私の興味をそそってきた。人間は限定されればされるほど一方では無限のものに近づくからである。
>
社会全体を規格化し単一の目的に特化させようとする全体主義が、ひとつの観念に特化したオタク達を恐れ、排除していくのは皮肉な事だ。なぜなら全体主義の指導者達にとって、国民の神は国家でありイデオロギーでなくては困るからだ。オタク達のように自分にとっての「至高の尊い推し」がある個人は不都合なのだ。
「モニマニア」と聞いて思い浮かべるのは自転車ロードレースのプロ選手達。全てのアスリートはモニマニアと言えるが、特にロードーレスの選手は究極だと言える。サドルの上で過ごす時間は現役時代のほぼ全て。あれほどの身体能力があれば、もっと金回りの良い競技に転向すれば良いのに彼ら彼女らはこの競技を続ける。この競技でドーピングが蔓延していた事実に対して様々な解釈がなされているが、カネとか名誉とかはどうも納得出来ない。チェスの話のB博士のように自分の中の「至高の存在」に囁かれるのではないか?
それは道徳や損得を超えたメフィスト・フェレス。
秩序がなければ社会は崩壊するが、すべてのメフィストが駆逐された社会も地獄である。
「多様性がある社会」とは、与えられた静的なユートピアなどではなく、秩序を守りたい天兵達と個人の心に眠るメフィストの地獄の業火のせめぎ合いなのではないか?
平和と同じように。
ツヴァイクはファシズムが忍び寄るオーストリアから逃れ、渡航先のブラジルで自殺したそうだ。
彼もまた全体主義からこぼれ落ちたモノマニアのひとりだった。