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紙の本
指揮者の役割 ヨーロッパ三大オーケストラ物語 (新潮選書)
著者 中野 雄 (著)
指揮者は音を出さない。では一体、何をしているのか。指揮者にはどんな能力と資質が必要とされるのか。ヨーロッパの三大オーケストラを舞台に、巨匠と呼ばれる指揮者たちの仕事と人間...
指揮者の役割 ヨーロッパ三大オーケストラ物語 (新潮選書)
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商品説明
指揮者は音を出さない。では一体、何をしているのか。指揮者にはどんな能力と資質が必要とされるのか。ヨーロッパの三大オーケストラを舞台に、巨匠と呼ばれる指揮者たちの仕事と人間性の秘密に迫る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
中野 雄
- 略歴
- 〈中野雄〉1931年長野県生まれ。東京大学法学部卒業。音楽プロデューサー。LP、CDの制作でウィーン・モーツァルト協会賞など受賞多数。著書に「丸山眞男音楽の対話」など。
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著者/著名人のレビュー
中年男性が一度やっ...
ジュンク堂
中年男性が一度やってみたい職業といえばプロ野球の監督とオーケストラの指揮者と相場が決まっている。多くの人を導くリーダーシップに憧れるのか。しかし指揮者の仕事は演奏会でタクトを振るだけではない。
まずオケとのリハーサルの時間がまともにとれない。少ない時間で自分の意図した音楽を創造するために腐心する。ましてや音楽監督などに就任すると人事やスケジュール管理にも関わらざるを得ない。華やかな表舞台とは異なりビジネス的要素も求められる激務である。
そして何より音楽的資質である。同じ曲を同じオケで演奏しても出来がまるで異なるのは各指揮者の楽曲の捉え方による。ましてや一流オケともなると生半可な指揮者はいじめられる。本書にあるVPOの逸話にはさもあらんと納得する一方指揮者の道の困難さを思わずにいられない。
最近の指揮者は新しい演奏を聴いたという感動がない。コンクール出身の指揮者には年齢を重ねるごとに深まる音楽性の引き出しが乏しいのだ。対談本が出た世界的巨匠も芸大の学生向けの指揮ぶりで教科書的演奏に留まる。大病しても一皮剥けないただの秀才を有難がるようじゃハルキもオンチだな。
黒書店員 D
電子書籍
へそ曲がりのようですが、面白かったのは‥
2022/04/23 06:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:takuya - この投稿者のレビュー一覧を見る
欧州三大オーケストラ、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ各団体に、かなりの内容にページが、割かれて居ます。ただ個人的に面白かったのは、コラムの『世界一のオーケストラは、どこ?』でした。アメリカで録音が盛んに為されていた時代、録音点数の最も多い団体は、ボストン交響楽団でもフィラデルフィア管弦楽団でもニューヨーク・フィルでも無く、各メジャー・レーベルにRCAヴィクター交響楽団、コロンビア交響楽団、ハリウッド・ボール交響楽団の変名で参加していた、グレンデール交響楽団であった‥と在り、驚きました。尤も、この説も平林直哉さん主宰のGrandSlamレーベルの、ワルター指揮のブルックナー『第九』の解説文を拝見すると、このセッションの契約書コピーが在り、100%ロサンゼルス・フィルが実体であった‥と認識できましたので、様々なケースがあったようです。
紙の本
わが偏愛のコンサートマスター、ヘルマン・クレバースについて詳説
2011/11/15 11:12
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
欧州の三大オーケストラ、すなわちウイーン、ベルリン、コンセルトヘボウを中心に指揮者に課せられた役割について論じる著者の言葉は、夥しいライブの鑑賞者、世界の楽壇との交流、そして長年にわたるレコード企画製作者ならではの実体験に基づいているだけに、凡百の音楽ひょうげものの言説と違ってきわめて含蓄に富む。
冒頭、筆者はマエストロ(巨匠)と呼ばれてその生涯を全うするためには、1)強烈な集団統率力2)継続的な学習能力3)巧みな経営能力4)天職と人生に対する執念の4つの条件が必要であると説くあたりは全く当たり前の話ではないかといささか鼻白んだが、個々具体的にオケや指揮者の実態を鋭く抉りだすに至って語りはぐんぐん熱を帯び説得力を増す。
上記の4つをクリアーしているからといって指揮者の音楽性の高さの証明には全然ならない。その好例が小澤征爾であり、彼がウイーン国立歌劇場の音楽監督に就任できたのはトヨタが毎年拠金している四十億円!の貢献への見返りではないかという説は、楽壇の裏事情に暗い私にも充分に頷ける。
彼のウイーンフィル新年コンサート上演に際しては、いくらあがいてもウイーン訛りの音楽が出来ず、リハーサルで某コンサートマスターに手取り足取り教えてもらった、という噂もむべなるかな。その無惨な演奏を記録したCDがわが国では何故かベストセラーになったそうだが、近来あれくらい凡庸なコンサートもなかった。
小澤の師は斎藤秀雄だが、彼の指揮法は父秀三郎の英文法解釈を音楽に適用したもので、音を名詞や動詞や形容詞などと同じように細分化された音素に還元し、その音素の特性を演奏に反映しようという要素還元主義に立脚している。だからひとつひとつの音は音符通りに正確無比に表現されるが、音素と音素が連鎖して展開する音楽の有機的な流れの精神的な意味は等閑視される。福岡伸一の生命論を援用すれば、音楽は流れの中の淀みにあり、その音楽を微分積分して分けることは、音楽を殺すことになる、のである。
もちろん小澤とて再現音楽の本質が指揮者の脳内に確立されたその曲のイデアにあることは熟知しているのだが、いかんせん彼の前頭葉で生産された音楽像自体が貧弱な代物なので、それをいくら世界一の音楽テクノクラート(例えばサイトウキネンやN響)が精巧無比に再現してもなんの芸術的感銘も放射せず、いたずらに空虚な音塊に堕すのである。
ああ、またしても脱線してしまった。が、本書は珍しくもメンゲルベルグの衣鉢を継いだコンセルトヘボウの名指揮者ベイヌムやハイテインク、そしてわが偏愛のコンサートマスター、ヘルマン・クレバースについて詳説し、彼らの音楽について新しい光を当てた労作である。