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  • みんなの評価 5つ星のうち 3.8 6件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2011.9
  • 出版社: 幻戯書房
  • サイズ:20cm/237p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-901998-80-2

紙の本

昭和の読書

著者 荒川 洋治 (著)

いまという時代に生きているぼくもまた、昔の人が知らない本を、読むことができるのだ。書き下ろし6編を中心にした最新エッセイ集。【「BOOK」データベースの商品解説】昭和とい...

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昭和の読書

税込 2,640 24pt

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商品説明

いまという時代に生きているぼくもまた、昔の人が知らない本を、読むことができるのだ。書き下ろし6編を中心にした最新エッセイ集。【「BOOK」データベースの商品解説】

昭和という時代に、内容・形態の面で、いまはあまりみかけない書物が刊行された。そのなかから、文学の風土記、人国記、文学散歩の本、作家論、日本文学史、文学全集の名作集、小説の新書などを選んで紹介する。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

荒川 洋治

略歴
〈荒川洋治〉1949年福井県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。現代詩作家。「渡世」で高見順賞、「心理」で萩原朔太郎賞、「文芸時評という感想」で小林秀雄賞を受賞。

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みんなのレビュー6件

みんなの評価3.8

評価内訳

紙の本

本を並べる人

2011/11/03 21:56

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る

詩人荒川洋治は、評論もエッセイも書くが、それ以上に無類の本好きでもある。なにしろ同じ作家の同じ本を何冊も持っているのだ。同じ本といっても、出版年がちがったり、版がちがうと表紙の色が微妙に変わっていたり、グラシン紙のかけ方がちがうといった程度の理由でだ。当方など、まちがって同じ本を買ってしまったりすると、とんでもない損をしたと思ってしまうのに、そうして買い集めた本を、必要とする人にはゆずってしまうというのだから、荒川洋治はえらい。

そんなわけだから、本棚にはいろんな本が整然と並んでいるのだろう。今回の本は、その六割が書き下ろしだという。本棚に並んだ各社の出版になる日本文学全集を机の上に積み上げながら、同じ作家の巻にどの作品が選ばれているのかを比較したり、よく全集についている落ち穂拾いのような「名作集」にだけ入っている作家の作品を列挙したり、という書誌学的興味にあふれた蘊蓄を披露してくれている。

荒川は、なぜこんなめんどうくさいことをやろうと思うのか。延々と作家と作品の名前が羅列されたページとページの間にはさまれた作家の肉声がこたえてくれる。荒川は憂えているのだ。一握りの人気作家ばかりがもてはやされる現代の文学事情を。

「現在は、ひとりの国際的人気作家の論集は出るが、その人をだけをめぐるものがほとんど。複数の作家を論じるものは、読者に敬遠される。知らない人のものは読みたくないという思いが強いからだ。いまは自分の興味をひろげないための読書が推し進められている。」

そういえば、ちょっと前までは複数の作家を論じた「作家論集」というのがあった。いまはあまりみかけない。人気作家の話題作が出ると、ひとしきり騒ぎはするものの、それでおしまい。点だけがあって線につながらないのだ。荒川が文学史にこだわるのも、文学は点ではないと思うからだ。

木山捷平、島村利正などといった忘れられていたような作家が近頃再評価されつつあるが、一握りの愛読者に好まれるタイプの作家はいざ知らず、丹羽文雄のようなかつては人気作家であり、現在はほとんどかえりみられなくなった作家をとりあげ、その擁護を試みるのは荒川洋治くらいだろう。

中村光夫の「風俗小説論」で、私小説の持っていた大事な部分ではなく、そのスタイルだけを身につけ、何でも小説にしてしまえる風俗小説作家と決めつけられた丹羽の小説が、同じ素材を料理しても、初期のころと晩年では全く異なることを引用部分を引きながらその作家的熟成を論じている。返す刀で、中村光夫の文章のなかで使われる漢字と仮名の比率が、なにを論じても変わらないことを例に、批評家が作家の小説をどれだけ作品自体に沿って理解しているかどうか疑義を呈す。丹羽文雄についての否定的評価自体が、翻訳文学を読み慣れた批評家の視点からなされたないものねだりではなかったのかという反論である。

薄田泣菫の「ああ、大和にしあらましかば」の詩語を空疎と決めつけ、随想の散文を愛でながらも「ぼくはふかい感動をおぼえた。静かな心の世界をあらわすには、これ以上望めないほどに澄み切った文章にも。だが、そのために彼が本当に何を思っていたかはよく見えない。あらわれてこない。」「随想には他のジャンルにあるような競争もない。その人が選んだ最初の書き方を、長い間つづけることができる。エッセイと名を変えたいまも、そのことにあまり変わりはない。」と書く。

ここにあるのは、時間的にも空間的にも閉じられた狭小な視野で文学をやることに対する基本的な忌避の姿勢ではないか。今の人が自分の好きな作家の作品だけを読むこと、批評家が自分の良しとする文学の物差しに当てはめて文学を論ずること、競争のない世界で自足した境地に浸ること、どれも文学を豊かなものにすることからは遠い、と荒川は感じているのだ。

ある意味、読んでいて重く感じられるかもしれない。文学なんて知らない。好きな作家や小説が読めればそれでいい、という人も多いだろう。だが、文学は小説だけではない。詩もある。大作家、人気作家の小説だけが小説でもない。文学史の片隅で静かな光を放ちつづけ、いつか誰かに読まれるのを待っている作品もある。そのことを知るのと知らぬのでは、同じ地球の上にいても、まるで別の世界に暮らしているようなものだ。読み終えた後、今まで読もうとも思わなかった作家の小説が読んでみたくなる、そんな本である。

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紙の本

以前、『文芸時評という感想』に感心したことがあって、同じ著者による本書を手にした

2011/10/29 14:17

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る

 荒川洋治によるこの本には何か所か、村上春樹および彼への言及が集中する文学の現在にかかわる言葉がある。《村上春樹の読者ではあっても「文学の読者」ではない、宮澤賢治についてあれほど多くの人が書いてもただそれだけのことで、その人たちのほぼ全員が「文学の読者」ではないというのと同じだ。》これは書き下ろしの文章のなかだが、2010年4月ごろ新聞に書いたある書評では《国際的作家の長編と続編が、これほど多くの人に読まれても、文学そのものが「読まれている」空気はない》と、その名にふれずに村上春樹に言及する。
 だが著者は慎重だ。たとえば『リトル・ピープルの時代』において宇野常寛が引用している浅田彰による村上春樹批判の言葉などとは違う。浅田彰の言葉つきからは(会話だが)、何かが透けて見えてしまう。賢明ならば後に自身の言葉を恥ずかしく思うような何かが。
 著者は、詩の書き手としてのひそかな自負によるものだろうか、この10年、あるいは20年における日本の詩の状態について、びっくりするほど過激な言葉を放っている。《名前はあるが(せまい詩の世界では)、実はすぐれた詩をひとつも書いたことのない人、ことば上の革新的な仕事を十分にこころみたことのない人、書く詩が凡庸で、代表作ひとつもたない人》、そんな人たちによってこの10年ほどのあいだに、詩のアンソロジーが何冊か編まれたという。《この二〇年ほど、一時代を画する詩人も現れていない。/詩の才能のない人の数が、とても豊富になったのである。》と書く著者は、さらに徹底した追い打ちの言葉をかける。
 「詩の読者という立場でみると」という留保の言葉があろうと、「ぼくも書き手としてとても未熟であるから」という謙遜を加えようと、この批判の仮借なさは尋常ではなく、村上春樹をめぐる言葉などにくらべて一段と強い。
 だが日本の現在の小説をめぐる言葉と、詩をめぐる言葉に温度の違いがあろうと、それらを貫いているものがあるようだ。本書の6割をしめる書き下ろしの文章において荒川洋治が訪ねようとしている世界は、著者のいう「文学の読者」のいる世界、また故郷の「茶箱」のなかにおさまっていた、自身が少年のころから親しんできたタイプで打たれた地方の同人誌等がさししめす世界である。

 それにしても私は、著者が意外に「オタク」だと思わずにいられなかった。複数の長めの書き下ろしにおいて、荒川洋治がたどろうとしているのは、ゴシックの小見出しを参考にするなら、次のようになる。文学の風土記、作家論集の本、文学史、文学全集の補巻的な「名作集」、詞華集(詩のアンソロジー)。
 語られているのは個々の文学全集や文学史やアンソロジーについてではない。今は驚くほど少なくなった文学風土記、作家論、文学史、そして数十年前からパタッとばかりに影をひそめてしまった文学全集、そうしたもの全体について論が組み立てられている。好きなことを書いている風情だが、慎重な調整がなされている。ともかくこの世界に対して、これだけ直接親しみ、深く広く読み込んでいる文章を目にするのは珍しい。
あまりにも対象となる書物が多いので著者の言及は感想的だが、そこがいいし、補巻の名作集を論の対象にするという着眼によって、文学全集全体をフォローするのを、いわば躱〔かわ〕す。それも見事だ。
 私が著者をオタク的だと思ったのは、日本の文学全体への、こうした広く深い目配りがその文章から感じられたからではない。多くの小説家・評論家の作家論集や文学史の本を所持し、よく読んでいることが分かる。それは詩を書くことを中核にすえている著者にとって悪くないことだと思う。変な感じがしたのは同じ本を集める「趣味」を明かした文章に対してである。
 いろいろな本を(日本文学のものが多い)著者は複数冊集め、そのそれぞれの冊数を書名のあとに記す。なかには13冊などというべらぼうな冊数を集めた本もあるし、7冊集めて、さらに冊数を増やしたいという本もある。《「ほんもの」という素晴らしい作品をかくまうヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文・他二篇』(八潮出版社・一九六五)はいま二冊。あと三冊ほどほしい》などという言葉に接すると、この人は他の面白いジェイムズの短編をどのくらい読んで、こうした奇妙な行為に及んでいるのだろうと不思議に思ったりする。だが著者のこの奇妙な収集癖は、厳密な、評論家的・研究者的な構えを排する著者にとって意外に大事な心の逃げ道なのかもしれない。

 さて村上春樹の小説をもとに現代を論じている宇野常寛『リトル・ピープルの時代』に最初に少しふれたが、これなどはおよそ荒川洋治にとって度し難く思われるたぐいの評論であろう。少し面白いところがあったが、書評をしたいと思わせない。なんとなく浅田彰『構造と力』や東浩紀『郵便的不安たち』になりそこねた本という感じだ。
 

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2011/11/03 21:32

投稿元:ブクログ

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2012/01/31 22:15

投稿元:ブクログ

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2013/01/13 12:52

投稿元:ブクログ

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2020/08/19 23:24

投稿元:ブクログ

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