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因果関係を科学的に考察するための一般向け解説。要素還元主義にこだわるあまり因果推論が遅れて実害が発生することに関して,科学者への苦言も。
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津田 敏秀 (著)
なぜタバコやピロリ菌が発がん物質と言えるのか。目に見えない因果関係はどのように証明されるのか。公害事件で医学者の言動を問うてきた著者が、水俣病・タミフル・放射能など具体例を通して、「実験によるメカニズムの検証」という一見すると妥当な考え方に潜む問題点をつく。原因と結果を結ぶ科学の言葉がわかりやすく解説される。
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科学や因果関係について日本の研究者がトレーニングを受けていないため、専門家が誤った認識をもっているのではないかという認識の元書かれた本。
科学、因果関係、疫学あたりに関して概観するのによいかもしれない。
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科学とは、科学的とは何かという議論が日本では欠落している。僕はずっとそう考えてきた。特に医学部では(他の学部についてはコメントできません)、上位解脱式に事物を教える高校教育の延長で大学教育を行ってきたため、批判的吟味についてなかなか涵養できない。科学や「科学的」を考えるのは、「こうなっているんですよ」と教わるだけではダメで、自分の頭で一所懸命考えて吟味しなければ学べない。日本の医学教育で科学論を学ぶ機会が少ない理由は他にもあるが(例えば、目的ではなく、まず方法から入る性向にあるとかーーーこれは研究だけでなく、臨床面でもよく観察される性向だ)、いずれにしてもこういう吟味や議論はどんどん進んでいくべきだと思う。
そんなわけで「医学と仮説」のような本がどんどん読まれて吟味されるのが望ましいと思う。本書はイントロダクトリーな本として面白いし、医史学的にも興味深い事例を紹介している。例えば、森永ヒ素ミルク事件の顛末は僕にはとても面白かった。医学生や研修医には是非読んで欲しいし、頭が柔らかくなりたいと希求するベテランドクター(がいたとしたら)本書はゼヒゼヒ読んで欲しい。
それと、法曹界における「因果関係」という言葉の奇異な使われ方についても同感だ。一意的なAが原因でBがおきた、というステートメントは医療の世界にはそぐわないというのが僕の意見で(これは因果関係の有無とは無関係に「そぐわない」)、このステートメントにすべて換言する法曹界の方法論には賛同できない。ただし、僕の意見は本書の著者とも若干異なる。
疫学至上主義という言葉を著者が使われたように、本書には若干の「言いすぎ」を感じなくもない。実験医学に対する強いルサンチマンも感じる(そのいくぶんかは納得いくけど)。
要素を集めたところで生物では全く機能しない(44p)
医学領域では研究に実験が必要という状況ではなくなっている(46p)
みたいな。僕なんかは、いろいろな方法が多元的、多面的アプローチをした方が楽しい方だから、メソドロジーの優劣はあまり問わない方だ。ある事象にとっくむのによりふさわしいアプローチがあるだけで。てなわけで、僕は何とか原理主義とか至上主義は苦手なので、下は議論のためのコメントではない(よって続編はありません)。
インターベンションに対するアプローチも若干異なる。ピロリ菌が胃癌の原因である、、ここはよい。しかし、原因がそこにあるというのと、介入が有効であるというのは同義ではない。糖尿病患者の無症候性細菌尿は将来の尿路感染のリスクではあるが、抗菌薬治療をしてもそのリスクは減らせなかった。両者は厳密に区別しなければならない。「敢えて除菌しないほうを選択する必然性は何もない」とは思わない。抗菌薬には耐性菌のリスク、副作用のリスク、お金のリスクがつきまとう。そこにリスクがある、だから行うのは当然と決めつけてはならない(行わない、と決めつけてもならない)。
ゼンメルワイス、スノー、リンド、高木兼寛(p37)は疫学的研究が医学に貢献した例を顕著に示している。しかし、彼らは���の疫学的データに続いてインターベンションを行い、その価値を指し示した。介入試験(実験と言い換えるかどうかは恣意が生じるかも。シングルアームでも臨床試験は一種の人体実験なのでそう呼ぶことも不可能ではないだろう)ももちろん大切なのである。要素還元主義や実験は医学において必ずしも重要ではない、、、という筆者の意見は半分正しく、半分そうともいえない。
僕の立場から言うと、オセルタミビルと副作用の関係についてノーコメントというわけにはいかないだろう(70pより)。まあ、前にも似たようなことどっかで書いているので繰り返しだが。
こういうもめてる問題は、臨床現場には多い。敗血症性ショックにステロイドは効くか、、、みたいな。
オセルタミビルが神経系の副作用を起こすか?そうかもしれない。そうではない、と反論する向きもあろう。例えばセレクションバイアスの可能性をとったりして(実際、Epidemiologyではレターがでている)。一番まっとうな言い方は、「現時点では真実はわからない」であろう。
ところで、多くの薬では副作用の「因果関係」は証明されていない。事象報告だけで添付文書に注意喚起されている。副作用の証明は難しいし、実験的に証明するのは倫理的に無理である。だから、因果関係の有無と副作用情報(まあ、有害事象情報でもよいですが)は必ずしも一意的な関係にあるのではない。
だが、僕ら現場の臨床医にとってはそこはあまり関係ない。
まず、副作用があること「そのもの」は問題ない。僕らが使う薬全てに副作用のリスクがある。中枢神経に異常を来し得る薬も多い。イミペネム、キノロン、アマンタジン、、、
インフルエンザウイルスそのものが中枢神経に作用するという説もある。タミフルが原因という説もある。どちらにしても、患者に対するアドバイスは同じである。
処方するかどうかは、副作用の有無「だけ」が決定するわけではない。その効能とのバランスがそれを決定する。ロタウイルスワクチン(新しいほう)は腸重積の副作用が生じるが、与える利益のほうが大きいために多くの国で使われている。
タミフルは微妙な薬である。その効果が微妙だからである。だから僕らは銀翹解毒散を用いた臨床試験を行った(しょぼかったけど)。それは「タミフルを使うな」という意味でもない。オセルタミビルを使うべき条件、を中腰で吟味するのだ、という話である。副作用もあるかどうかはわからないけど、あるかもねえ、と中腰で注意する。まあ、こういう物言いはタミフル賛成派にも反対派にも理解されないけどね。
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科学とは何か、から始まる本。今まできちんと考えたことがなかった。因果関係については実臨床に従事していてその困難さをいつも感じる。薬の副作用を初め、はっきりすることの方が少ない。患者背景・リスク、頻度、生理学・病理学・薬理学的説明などを総合してやっと「おそらくこれこれによるものが疑われますが、これこれの可能性も否定できません」ぐらいにしか言うことができない。医学が他の科学と異なる点だと思う。その中でどこまで科学的に介入できるか。・・・うまくまとまらないのでもっと読み直してみようと思う。
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副題は、「原因と結果の科学を考える」
日本では、疫学や臨床研究を軽視している傾向があると、個人的に感じていて、なぜだろうと疑問に思っていたが、この本を読んでその理由がはっきりした。
日本では、大学・国立がんセンターなどの研究機関の研究者の多くが、要素還元主義に陥っていて、動物実験・細胞実験などミクロの観察を科学の必要条件と考えてしまっている(=仮説のレベルを整理できていないことの証左)。
で、日本の研究者のそのような考え方、およびそれに基づく国の政策が、世界的に見て異質である(しかも間違っている)ことが分かった。
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大半の医者は科学・因果関係・科学哲学などほとんど考えたことがない
医学において実験が必要不可欠、ということはない。スノーvsコレラ、ジェームズ・リンドvs壊血病、高木兼寛vs脚気など
要素還元主義だと原因の特定が遅れ、新型のアウトブレイクの際に対応が遅れる。煙草とか、公害とか、薬害とか
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ヒュームの原因と結果は絶対的には結びつけることができないという点をベースにではどうすればいいかという議論。
統計学がヒューム後にできたが、あくまで確からしさをはかるものでしかない。現実には、原因と目されるものが起きてしまったあとに、もしそれがなかりせば、ある事象(結果)が本当に起きたかをしりたいのだが、それは決してわからない。
森永ヒ素ミルク事件や水俣病では、要素還元主義によって原因物質が突き止められないうちは、森永のミルク、水俣の魚が危ないということがわかっていても、差し止めができていなかった。
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何をもってタバコは体に悪いと結論付けることができるのか?
ヒュームは、「原因がなければ結果が無い」場合にのみ因果関係があると言いました。
これは、タバコの例でいえば「(肺がんにかかった人がもし)タバコを吸わなければ肺がんにかからなかった」という検証をしなさいということになりますが、それはできないわけです。
ここに、仮説検証実験の難しさがあります。
★★★
我々の仕事にあてはめれば、「改善施策が効果がある」ことをどう評価したらよいかということになります。
本書にはこれに対する答えが書かれています。
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科学哲学ということを取り上げています。
科学というのは、すべてを解き明かす万能の杖ではないということです。
根本には、科学という方法論を信じるという思想的なところがあります。
例としてヒュームの問題をあげています。
ヒュームは、因果関係というのは、推測にすぎないと主張しました。
いくら過去の経験からAという事象がBという出来事の原因の可能性が大きいとしても、絶対にそうだとはけっして言えないということです。
ヒトは、ある事象から起こる出来事を勝手に憶測する傾向があります。
私たちは、疑いもなく因果関係を受け入れていますが、ヒュームはその点を疑問視したのです。
ヒュームの考え方は、懐疑論といわれています。
http://ameblo.jp/nancli/entry-11595605337.html
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「科学」とは何か。「因果関係」とは何か。
驚くことにこの質問に明確に答えられる日本の医学者は少ない。
医学教育の問題はまさにそこにあり、因果関係について論じられる医学者がいないことはたびたび日本社会の弊害になってきた。世界から取り残された疫学後進国である日本は、今はまだGDPに支えられた科学医学技術で先行リードしているものの、これからさらに医学的問題が明らかになり、後進していくだろう。
自戒をこめて言おう、医者はバカばっかりである。そして無知の知すら認識できない日本の医者は弊害を垂れ流していくだろう。
本書は何が日本の医学において問題なのかを丁寧に指南してくれる。
「はじめに」と「おわりに」の文はこれらの問題点を端的に表現できていて(もちろんこんな汚い表現ではない)最初に読むと良いと思う。
同門の先生の書なのでレビューするのもおこがましいのだが。津田先生は高度な知的さを有し、同時に飄々とした近所のおっさんさ具合は半端ない。こういう人がまさにデキる大人。
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2013 12/30読了。Amazonで購入。
先日、学会発表をやった後に「読んでおくといいよ」と薦めていただいた本。
やっと授業準備のないタイミングで読むことができた。
・まるで仮説を示さないような発表をした後なので、それこそこれを薦めていただいたわけであろうと・・・論文とかは基本的に仮説明示する形にするようにしているのでわかっているつもりではいたんだけど、できていなかったわけで、ゆめゆめ意識する。
・本書の中身としては疫学者である著者が、ヒトに関する観察(コホート研究等)で既に病気や中毒の原因物質と特定されたはずのものについて、日本だと実験が行われていないことや細かいメカニズム(分子レベルやゲノムレベル等様々な段階の)がわかっていないことを理由に「原因とは断定できない」って言われてしまったりする状況の問題を指摘する。
・疫学的/RCT等の実験ものの関係整理とか、医学における問題点の指摘が面白い・・・というのはなんか違う、怖いんだけど、興味深いし、DAGについて等はちゃんとやってなかったのでふんふん、と思ったりする
その他、気になった点のメモ:
・p.22 1章まとめ2:日本の医学研究者は人間での因果関係の証明(疫学研究)は「間接的」であると考える傾向がある。しかし、実は疫学研究こそむしろ「直接的」な証明として国際的に考えられている。日本での考え方が転倒している
・p.55 2章まとめ3:メカニズムと要素還元主義は、ベルナールの決定論と細菌学のミクロの観察から発展してきた/まとめ4:人間の観察ではなく、動物実験やメカニズム、ミクロの観察を科学の必要条件であると考えるのは、仮説のレベルを整理できていないためでもある
・3章・・・要素還元主義により、問題への対応が遅れた事例の紹介
・4章・・・「ヒュームの問題」。ヒュームも読まないとなあ・・・
・p.35 フーコー『臨床医学の誕生』読みたい
・p.41 ピアソン『科学の文法』読まないと
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実験的にメカニズムを明らかにして内部妥当性を高めることは、現象を結論づけること自体には必要ない。
現象は現象のみで十分結論できる。
それにハクをつけているのがメカニズムの理解。もちろん、新たな現象を見つけるステップとして使えるときはあるにせよ。
ヒュームの問題
1.aに曝露してbが起きた
2.aに曝露してbが起きなかった
3.aに曝露せずbが起きた
4.aに曝露せずbが起きなかった
日常、ボタンを押して電気がつけば因果を推定する我々が、1を見て、関係があるとも言えないけど、ないと考えるのはおかしい。
とかなんとかだったけど、流し読みなので理解しきれてない。読みなおす。
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因果関係について、疫学が専門の著者が「以前から気がついていたが、日本では科学的な政策判断を行う中央の官僚だけでなく、医学研究者が科学の基本的概念について考えたこともなさそうなのである。」と強烈に皮肉る本です。
個人的には名著だと思います。
相関関係と因果関係の違いを勘違いしている人は多いですが、因果関係についてもヒュームの問題を、医学研究者をはじめ、科学に係わる人は教養として置くべきであり、高等教育における方法を見直すべき、との主張はその通りと思いました。
要素還元主義にとらわれ、日本で行った実際の失敗例として、森永ヒ素ミルク事件、水俣病事件、和歌山ヒ素カレー事件、タミフルの問題を挙げられています。
因果関係を示すのに、メカニズムの解明は不要。なぜなら、それは・・・本書をぜひお読みください。