紙の本
カクテルピアノって、なんぞや
2019/01/28 16:38
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
美しいピアノの演奏によって美味しいカクテルが出来上がるという「カクテルピアノ」やスケート靴の底が逃げ出したので、濃縮肥料を注いで靴底の皮を復元するとか最初から飛ばすヴィアンに初めは「何なんだこれは、どういう意味なのか、何かの暗喩なのか」と面を喰らって読み進めなくって立ち止まっていたのだが、途中から何の意味もないのだ、作者のおふざけを楽しめばいいだけなのだとわかってしますと、たちまちおもしろくなりサクサクと読み進むことができた。愛するクロエは体の中に蓮の花が咲く奇病でこの世を去る、友人シックも悲しい最後を遂げることになるのだが後味はさほど悪くない。作者のおふざけのおかげだ
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おすすめ
2015/08/31 07:28
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投稿者:ぽんぽこ仮面 - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画化された「ムード・インディゴ」もよかったけど原作のこちらもとてもよかったです。シュールな世界観の中に狂おしいまでのラヴストーリーがしっかりとあって、他に類を見ない独特の小説です。
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栄枯盛衰
2016/07/05 00:01
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書ではコランとクロエ、シックとアリーゼ、ニコラとイジスの三者三様の恋愛が描かれていますが、華やかな享楽の日々から一転してクロエが肺を患った瞬間から世界が一変します。
結婚と経済力の関係や、趣味に打ち込むあまり妻を愛せない夫など、現代にも通ずることが強烈にファンタジックな世界観の中で表現されており、かなりパンチの強い作品でした。
ただの恋愛小説ではありません。栄枯盛衰を地で行く転落っぷりと、それをファンタジックにまとめあげる作者の力量に驚きました。
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猫町課題図書を例によって読書会当日に読了。Boris Vian の最高傑作との誉れ高い一冊で、最近はミシェル・ゴンドリー監督による映画も話題。前半のファンタジックな物語世界が徐々に陰を帯び、同じ幻想世界の雰囲気を保ったまま、しかし、破滅へと収束していく。
コランとクロエの恋物語ばかりに注目が集まることが多いが、個人的にはシックとアリーズの破局と破滅の方が印象的。作中にもある通り、コランとアリーズが結ばれていたとしたら、この世界が狂いはじめることはなかったのだろうか。それとも、いずれにしても若さと幸せは朽ち果てる運命なのだろうか。料理人ニコラがときおり見せる不気味さが、ふわふわとした前半に苦みのアクセントを添えていて印象的だった。
摩訶不思議な Vian の世界はふんだんなパロディと言葉遊びに満ちており、訳者の苦労はいかばかりかと思うが、野崎歓の訳文は非常に読み易く、訳注も適切。現代的な訳文をめぐって賛否両論噴出することのある光文社「古典新訳文庫」にしては大成功例。訳者による解説も良い。
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日々の泡を高校生のときに読んで、いつかまた読み直したいと思っていた時にたまたま新訳を見つけて衝動買い。私の理解力が上がったこともあるかもしれないけど、日々の泡よりも読みやすかったし楽しかった。そしてやっぱりすごかった。ボリス・ヴィアンの才能を感じた。こんなに切なくて辛い話だったかと、読み直してみて驚きました。解説も訳者あとがきみたいなのも良かった。
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僕たちの生きる世界とはちょっと違い、まるで夢の中での出来事のような非現実的な世界設定に最初はちょっと戸惑うが、物語全体に漂う、青春とその喪失感を描くのにはこれしかないという世界が素晴らしくも悲しい。物語は(お金とか仕事とか)どんどん現実の重みに潰されていくのだが、それでも非現実感は最後の最後まで強調される。そしてそれはあまりにリアルな現実の僕たちみたいだ。
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「さあ行こう、猫ちゃん」
「これ、猫の毛皮じゃないわよ、オオヤマネコよ」
「オオヤマネコちゃんっていいにくいな」
ひたすらにハッピーで太陽の真下にいるような前半から物語が終わりに近づくにつれて状況がどんどん悪くなっていくのは読んでいて辛かった。儚い。ところどころに散りばめられているファンタジーも魅力的。
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視覚的・感覚的な面白さを追求しているように感じた。
最初は読みにくく感じたが、クロエが倒れたあたりから一気に読みやすくなった。
情景と感情が同化した世界なのだ。
作中には皮肉な視線もちりばめられていた。
ハツカネズミがの存在がずっと温かかった。
小さくて穏やかで優しく美しい存在だった。
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幻想的でありながらも淡々の物語が進んでいく。
お伽話のような感覚でありながら、音楽描写も表現豊かに描かれており、
すごく切ない大人の童話。
肺の中に睡蓮が育つ病気に侵されてしまうヒロイン。
それを献身的に見守る主人公。
にしても、悲しい物語であり、純愛。
そして、最初のまえがきから、印象的。
「大切なことは2つだけ。どんな流儀であれ、きれいな女の子相手の恋愛。そしてニューオーリンズの音楽、つまり、デューク・エリントンの音楽。ほかのものは消えていい。なぜなら醜いから。」
本当にそんなストーリー。こんな物語も憎いほど好きです。僕は。
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ヴィアンはルイス・キャロルを読んでいたのだろうか。
ふつうのラブストーリーを想像すると出鼻をくじかれる。
原語も流行ったころのフランスの世相もわからないから理解できない。という考え方もあるけど。夢のように突拍子なく展開する物語を楽しんでしまえばいいとも思う。子どもの時に不思議の国のアリスを読んでいるような心持ちで。
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マスターピースにはマスターピースとして語り継がれる理由があるとあると思うのですが、解説を読んで納得しました。きちんと時代背景とヴィアンの生涯を作品に昇華させていますね。
解説ではこのポップで独特な筆致を「言葉遊び」と「記号表現の遊び」と文学的な論理で詳しく解説していますが、要はファンタジックで絵本のような世界観を受け入れられるかどうかだと思います。僕も読み始めはどうかと思ったけど、意外と面白かった。
古典作品は難しい翻訳がつきものですが、これは訳者が頑張ったのか、結構サクサクと読めますね。一度目は予備知識なしで読んで、二度目は時代背景やヴィアンの生涯を理解した上で読みたくなります。
読むきっかけは映画化ですが、ポップでファンタジックな切り口監督のはミシェル・ゴンドリーと非常に相性が良かったと思います。コランとクロエの出会いのシーンなどは、原作と違って、映画的な別の味わいがありました。ただ一点不満点を言うとすると、コランとクロエの配役…ロマン・デュリスとオドレイ・トトゥはさすがにないかと。もうちょっと若くてカッコいい俳優いなかったんですかね?ってまぁ、この辺りは制作側のジャッジで色々あるんでしょうけど…。
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ミシェル・ゴンドリー「ムード・インディゴ」を受けて
本書に関しては言葉遊び・造語など原書で読んだらおもしろいのだろうなというところと視覚的な表現が多いといった意味ではムード・インディゴが原作に忠実であることがわかった
ゴンドリー作品なのでだいぶ変更があると思っていたからその点意外 原作の素晴らしさあってのムード・インディゴだなと思った
インターナショナル版を観たのでこれはぜひともディレクターズカット版が観たい
利重剛のクロエをこれから観てみるけどどうだろうか
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表題どおり、この小説はなによりも美しく、なによりも儚いもの、つまり「きれいな女の子との恋愛」と「デューク・エリントンの音楽」に捧げられている。
ひさしぶりに読み直して感じたのは、精緻に描かれたコントラストの妙。物語は、街から色彩の消える冬に始まり生命が躍動する新緑の季節に終わるのだが、登場人物たちの世界はそれとは反対に、徐々に色を、そして音楽を失ってゆく。彼らはいってみれば、彼らの住む世界との「同期」に失敗したのだ。その残酷さと不条理さ……。
破天荒なファンタジーのような顔をもつこの小説をはたして「読める」かどうかは、ボリス・ヴィアンの「感性」にどこまで肉薄できるかにかかっているような気もするが、そのいちばんの方策はまず、解説で訳者が言うように「奇天烈さをごくりと飲み込」んで、そこに繰り広げられる「いっさいを受け入れる素直さ」をもつことだろう。
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面白かった・・・。
以前に別訳で「日々の泡」のタイトルの文庫本を買ったことがありました。もう10年以上前だったか。そのときは申し訳ありませんが、何が何だか訳のせいかのめりこめず、早々に脱落。
今回は、ほぼ盲目的に信じている光文社の新訳であることと、野崎歓氏の訳ということで再購入。読破。
いやあ、これはすごい小説ですね。
以下、ネタバレ。ただこの本は、ネタバレがどうこうという本じゃないですけど。
よほどの好みを持った人以外は、むしろ情報を色々仕入れてから読んだ方が良いと思います。
主人公はまあ、コランという青年ですね。この人はお金持ちで働く必要がない。ニコラという料理人を雇っています。友人でもある。
他に、シックという友人がいます。この三人は男性です。
シックの恋人が、アリーズ。ニコラの姪がイジス。そして、コランが出会い結婚するのがクロエ。この三人が女性です。みんな若くて美女です。どうやら。
コランがクロエと出会う。恋をする。ふたりは愛し合う。結婚する。
コランは労働者であるシックにお金をボンとあげる。コランはクロエと幸せに過ごす。
だんだんお金がなくなってくる。困った困った。
その上、クロエが病気になる。肺に睡蓮が生えてきてしまうのです。花が必要なんです。お金がかかります。
コランにお金を貰ったシックは、パルトルという思想家/文化人に夢中になっていて、その人の希少本を買ったりなんだりで、やっぱり無一文になります。
シックはお金がなくて、アリーズと別れます。もうアリーズを愛するより、パルトルが大事なんです。
コランはクロエのために労働してぼろぼろになります。
シックは税金未納で破滅していきます。
クロエは病気で死にます。
というお話ですね。
で、この本は、普通で言うところのリアリズムじゃないんですね。
なんていうか、サージャント・ペッパーの世界なんです(笑)。
お金の単位から人体の構造から建物まで、全部とにかくラリっちゃってるんです。
ぶっこわれてアッパラパーなんですね。
なんだけど、それは無茶苦茶なだけではなくて、物語になっている。
というのは、コランを筆頭にヒトの感情は、ものすごくわかる。切ない。
そしてとにかく、社会的じゃないんですね。一見。その奥は社会に背を向けているけれど社会に飲み込まれていってしまうので、コレホド社会的な小説もないんですけど。
ワケワカンナイことが、その内に読書的快感になっちゃいました。
後半は止まりませんでした。
解説に詳しいですが、これが書かれた時代背景とか作者のボリス・ヴィアンの生涯とか、
パルトルがサルトルとか、その辺を知ってから読むというのもありですね。
なんていうか、理解して解釈して読むとすると。
ただ、そういうのじゃないのかもしれませんね。解読してもねえ。味わうなら先入観なしで読むのも、楽しいですね。
色彩が豊かで音楽があふれて、機知と愛と憎悪と暴力と虚無と享楽が怒涛に押し寄せる快感ですね。
村��春樹さんのシュールな小説とかありますが、あれが突き抜けるとこういう風景があるんですね。
小説という地平線でとにかくラディカルであるということと、
作家そのものにポップ・スター性があったということ。
それが、ポップ・カルチャー、規制価値破壊流行とでも言うべき風俗や経済が降臨しはじめた60年代にこの本の流行を生んだことは、
僕の生前の話ですが現代史の気分的解釈では納得がいくことです。
言ってみれば小説界のセルジュ・ゲンズブールですね。
たった一冊の本で、それも60年前に外国で書かれた本の翻訳で、こんなに陶酔できるというのは素敵なことですね。
ま、それに、その非社会的というか反社会的というか刹那的というか美しい虚無というか、
そのあたりの感じがカッコイイんですよね。
ゴダールの映画に出てきそうな女の子がカフェで読んでるなら、「うたかたの日々」が似合うんだろうなあ、という発想が陳腐ですが(笑)。
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キッチュ!これに尽きる。読みやすくてサクサク読みすすめられる。
ガジェット満載の楽しいB級文学といったところ。
そんなジャンル存在するのかどうか分からないけど、大好きだ。
例えば映画『唇からナイフ』を観たときの感覚。ワクワクする。
いや待て、そういやこれの映画版観にいったわ。いまはなきシネセゾン渋谷かどっかでやってたような……?
映画もとことんキッチュだった、それだけ憶えている(笑)。
1968年製作だから30年近く経っての日本公開。そしてさらに20年が経過しようとしている今、新訳で原作を楽しむ——なかなか感慨深い。
この物語を完全視覚化するのは難しい。チャレンジングだったろうなー。
アニメと実写混ぜて現代風にアレンジしたら、面白い映像作品になるかもしれない。60年代風ファッションと相まって、これぞまさしくフランス流“kawaii”だ。
もちろんkawaiiだけじゃない。どころか、カラフルなイメージに突如ジャックインするグロテスクなシーン、言葉遊び、青春の儚さ、皮肉、喪失感、執着の成れの果て、斜陽、すべてが灰に帰す絶望などなど、よくよく考えたら全然明るくない。
この混沌とした物語世界に、シュルレアリスムの影響がないっぽいのも興味深い。
優れた作家かどうかはさておき、唯一無二な作品世界を構築した人だとは思う。
他の作品も新訳してくれないかなぁ。