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ナボコフがまだ渡米する前、ドイツに住んでいた頃にロシア語で書いた小説。中年男性が少女に恋した挙句に破滅する物語という意味では『ロリータ』の嚆矢と見ることもできるが、マグダの悪女っぷりはロリータの比ではない。一方、再読、再々読を要する数々の仕掛は『ロリータ』ほど複雑ではないので読み易く、かつ細部の呼応を楽しめる程度には仕掛がある。サスペンスとしての緊迫感もいい。
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ナボコフは、お話を作るのがうまい人なんだと気付かされる作品。
細部の言葉づかいに関心が向かいがちな後期のナボコフ作品に比べて、今作の構成は非常にシンプル。登場人物の役割がはっきりしており、無駄なく物語の進行に貢献する。細部の描写もあるにはあるが、冗長ではなく(ロリータのそれと比べてみるといい)、むしろ、一切の無駄がない(にもかかわらず何層にも折り重なっている)。
シンプルであるがゆえ、尚更ナボコフの才能を感じずにはいられないし、シンプルであるがゆえ、登場人物を徹底的に苛めぬくナボコフの意地悪さが余計に際立つ。
単純に小説として面白いので、力を抜いてナボコフを楽しみたい人にはうってつけではないかと思う。
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ナボコフ33才の作品。俗物たちのメロドラマを世にも美しい文章で。この人、30代のころは文章もノリノリで読みやすく、どこか清々しい作品が多い。楽しい!
マグダのイメージは、ちょっと前のスカーレット・ヨハンソンがぴったりくる。
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あの「ロリータ」のナボコフの初期作、ということで期待して読んだけど、
レトリックに関してはやっぱり「ロリータ」ほどではなかった。
初期作だからこそだと思うけど。ロシア語作品だし、訳の問題もあるかな。
良くも悪くも読みやすい作品。
「ロリータ」の前にこれを読んでおけば、もっと早い段階で「ロリータ」も楽しんで読めたかもしれない。
ストーリーは特にどうということもなく
クレッチマーが普通の思考回路を持った人だったり登場人物が割と多かったりしたせいで、
ラストまで現世離れせずにストーリーが進んでいった気がする。
(だからあまりレトリックにのめり込めなかったのかもしれない。
「ロリータ」は完全にハンバートとロリータの二人の世界で、
難解な描写や比喩も全部ひっくるめて「世界」を形作っていたんだな、と今になって思う。)
ナボコフの作品は、細部を読み解くところに楽しみがある。
独特の比喩とか表現はもちろんだけど、
例えばマグダの蛇のイメージとか。(これはちょっと露骨すぎるなとも思ったけど)
そういう意味ではこの作品も相当読みごたえはあると思う。
登場人物も多いし、繰り返し読んだらまだまだいろんな発見が出てきそうだ。
解説によると、この作品のテーマは「見る」「見えない」らしい。
要素はいたるところに。
私がいいなと思ったのはマグダがクレッチマーの家に押しかけた後、
書庫の隙間から赤い裾が覗いていて…のくだり。
割と象徴的な部分だと思った。
結局クレッチマーは何を見てて、何が欲しかったんだろう。
「カメラ・オブスクーラ」と「ロリータ」だったらやっぱり「ロリータ」の方かな、と私は思う。
もちろん細部の凝りようは言うまでもなくなんだけど、
ドリーとマグダなら断然ドリーの方がすきだから。
マグダの悪女っぷりがただの年を取った悪女と同じそれで、なんとなくしっくりこない。
成熟しきれない素朴さとか、素朴ゆえの残酷さとかそういうものは幼いものの特権だと思う。
そういう幼さを存分に発揮してるドリーの方が私には魅力的だった。
全然関係ないけど「カメラ・オブスクーラ」っていうとどうしても
楠本まきと有村竜太郎が先に出てきてちょっと中二病っぽいイメージを持ってしまう。
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ロリータの原型とも言える、少女によって破滅する中年男の物語。物語自体はまったく救いが無い。が、何故か美しい。プルーストの文体模写が笑える。
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初ナボコフ。「アンナ・カレーニナ」を現代風にして「居酒屋」「ナナ」「椿姫」「マノン・レスコー」が混じり合ったイメージ。小説というよりは映画を観ている感じだけどそれは意図したものらしい。プロットは「マノン・レスコー」だけどアイロニーで味付けしてある。題名はラテン語で「暗室」という意味で解説によると「見ること」が隠されたテーマらしい。ナボコフ初期の作品で源ロリータらしいがかなり面白い。時間をおいて再読してみよう。キーワードに注意して。
ナボコフはイタズラ好きらしい。
p213
「トルストイですって」ドリアンナ・カレーニナは聞き返した。「いいえ、おぼえていませんわ。でもどうしてそんなことがお知りになりたいの」
他にもプルースト風の変な話中小説が出てくるし。
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帯に書かれている通り「ロリータの原点」ともいえる作品。
妻子を持った中年の男が16歳の少女に惚れて家を出て堕落していくというか少女マグダの悪戯により強制的に堕落させられていく姿が描かれている。
ただの、少女との楽しげな不倫の恋だったら芸がないんだけど、マグダがなかなかのあばずれで、その未熟ならではの底知れない悪さが後半どんどんエスカレートして怖くなった。
特にクレッチマーが盲目になったのをいいことに愛人を一緒の家に住まわせ、せめて自分の部屋の色彩を教えて欲しいと頼むクレッチマーに愛人に吹き込まれたでたらめな色を教えるあたり、ぞくぞくした。ステレオタイプではない、悪意を悪意とも思わず振舞える本物の悪女。
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1933年、ナボコフ初期の小説で、『ロリータ』の原型をなすような、オヤジの、少女への愛と裏切られる受難をえがいている。
後年のナボコフは文章自体がすさまじく濃密なディテールに溢れ、読みにくいのだけど、この初期作品はずっと読みやすい。ストーリーも明快で、普通に面白い。
ロリータは12歳だがこの作品の少女マグダは16歳。ふつうなら高校1年か2年生だ。援助交際とかで女子高校生を漁るエロオヤジもたくさんいるみたいだから、性的に異常とはもはや言えないだろう。ロリータの12歳はかなり若い(小学5年か6年)が、13歳で結婚させる社会もこの世にはあるのだから、ローティーンの少女を性的対象として見ることをタブーとするのは、単にわれわれの社会/文化の機制であろう。かく言う私も、20歳以下の女性は「子供」というイメージしかしないので、とても恋愛の対象にはできそうにないが、それは無意識裡に文化にすりこまれたというところか。
まあ、年齢はちょっと低いけれども、妻子のある中年オヤジが若い女性にメロメロになってしまうという点では、個人的にとても共感できる。
この小説では少女マグダが別の男性とべったりになって中年主人公を裏切る。ブニュエルの映画「欲望のあいまいな対象」に似ているが、谷崎潤一郎的なマゾヒズムの契機は、ナボコフには存在しない。彼はヘンタイとは言えない、普通な心性を持ったまじめな文学者というべきだ。
この小説も、谷崎的ないしドストエフスキー的なマゾヒズム、破滅志向が存在しないため、意外にも健康的な、純粋に小説的構成を楽しむための作品となっている。それはまるで推理小説的な構造をもった『ロリータ』でも変わらない。
ナボコフの興味は倒錯的心理にあるのではなく、あくまでも純粋な「小説作法」にあるわけだ。その意味では、この初期作品はまだ円熟期の濃縮が足りないのだが、ふつうに楽しく読めることは確かだ。後味も意外と悪くない。
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一人の妻子持ちの中年男性が一人の少女(悪女)に惹かれ、どん底に落ちていく過程の物語。
少女がすっごく悪女すぎるのに、それでも少女が好きすぎて妻と別れたくない中年男性。中年男性がもうどうしようもない描写をひたすら読者に読ませる物語なんです。
しかも、壮絶に救いようのない話で、ここまで中年男性を地に落ちるなんで、逆にもう清々しくなってしまうと思えてしまうほど残念さが残る。
全体の文体としてそれをなんでこんなにユーモアに書いちゃうの?
っていうツッコミを入れたくて仕方ない。
中島哲也監督の「嫌われ松子の一生」ように「話や展開自体が暗い作品もユーモア描写がすごい」みたいな作品になってます。
少女が好きになってしまって破滅するという意味では、こんな雰囲気で似てる谷崎潤一郎の「痴人の愛」が好きなんだけど、とはいえ、そんな変態小説ではないのであしからず。
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ロリータを読んでから、ナボコフという作家に興味がわいて買いました。
前作よりも読みやすく、比喩もロリータよりかは息をひそめている感じがしてすらすらと読めました。
後半の盲目になった時の絶望感はすごかったです。描写から今見えている視界がきえたかのように、その時に感じる肌の風の感触とか、遠くの衣擦れの音とかも聞こえてくるような気がして・・・
読後感がすごいです。何とも、自らまいた種というべきなのでしょうけれど、娘と妻を捨てて他の女の所へ行ったとしても、この最後はあまりにも酷過ぎる。
恐怖がぞわぞわと眼球を撫でているかのような感覚。
クレッチマーも悪いけど、後半のマグダとホーンを見ていると微々たるものに思えます。
ドリアンナ・カレーニナの名前ににやり、としていた頃が懐かしいです。
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確かに『ロリータ』にすごくよく似ている。語りが全知の三人称とハンバート・ハンバートの強烈な一人称っていう違いもあって(もちろん、多分それだけじゃない)、ロリータっていう万華鏡の鏡の中に入って、内側から外を眺めている感じ。いや、ハンバート・ハンバートについて言えば『ロリータ』が中で『カメラ・オブスクーラ』が外なのか。
『ロリータ』より短くて分かりやすい。
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ロリータには及ばないけど、これも中々面白かった。
谷崎潤一郎的な昼メロっぽい下世話な話を、文学にまで高めている。
初期の作品だけどギャグセンスは冴えている。
あの変な作家の友達はよかった。
マグダはひどい女なんだけど、ちゃんと胸キュンもあるのが凄い。
マグダとホーンが再会して絵を渡されるシーンは、かなり胸キュン度が高かった。
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ストーリーよりもむしろ、人が誘惑・欲望に負ける瞬間や将来の希望や絶望を夢見る瞬間などを描く言葉の使い方にとても惹き付けられた。
「中年男が小娘に夢中になる」という展開にはそこまで引き込まれなかったにも関わらず、飽きることなく読めたのは、そのような言葉の使い方によって、登場人物たちの心情をすんなりと受け入れることができたからかもしれない。
特に誰かに感情移入したわけではないのだが、彼らの苦悩が胸に染み込んできました。
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物語終盤のマグダとホーンは本当に下衆である。
でもそれをドキドキしながら眺めている読者というわたしもたいして変わらないのかも。
見える こと
見えない こと
このふたつがこの小説ではいろいろな意味を持っている。
良い本でした!
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えらいもん読んでしまった。活字を介していろんな感覚を乗っ取られてるような錯覚。なんだかクラクラしてきた。話しは分かりやすくスリリングな展開にグイグイ引き込まれる。