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商品説明
80〜90年代の日本映画界を疾走し、多くの観客に深甚な感化を与えながら、21世紀のとば口で逝った映画監督・相米慎二。13作にわたる相米映画の原点、軌跡、そして未来、そのすべてを収める相米慎二論の決定版。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
相米慎二と〈世界〉との和解のために | 藤井仁子 著 | 7−9 |
---|---|---|
あるかなきか | 濱口竜介 著 | 13−38 |
「過程」を生きる身体 | 大澤浄 著 | 39−65 |
著者紹介
木村 建哉
- 略歴
- 〈木村建哉〉1964年生まれ。成城大学文芸学部専任講師。映画学。
〈中村秀之〉1955年生まれ。立教大学現代心理学部教授。映画研究、文化社会学。
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著者/著名人のレビュー
相米慎二が残した1...
ジュンク堂
相米慎二が残した13本の劇場映画を想起すると何かしら痛みを伴う。それは振り返るのも気恥ずかしい思春期の通過儀礼と不可分で、自らの現在位置を揺さぶられるのだ。あの強烈な長回しも役者への徹底した演技指導も世界と対峙する一個の人格が鋭利な刃物のようにそれに裂け目を開く光景を突きつけるものに他ならない。
アニメ作品との併映から始まったゆえに大多数の無視から始まったが、徹頭徹尾その独自性を追い続けたキャリアだった。没後10年になるのだがゼロ年代の映画と比べても古さを感じるよりその強烈さに圧倒される。本書では筒井武文、藤井久子、上野昴志から黒沢清、篠崎誠、仙元誠三、伊地智啓らによる寄稿も素晴らしい。
黒書店員が本書で相米映画の本質に開眼したのは序文の藤井が紹介したエピソードである。あのハワード・ホークスが「ションベン・ライダー」の元脚本の助言をしたとのこと。リヴェットをして「あるものはある」と言わしめたホークスの明白さと相米のそれを比較すると映画史は存在論で二分される。
黒書店員 D
紙の本
同時期にもう一冊、相米慎二本が刊行されたが、批評とスタッフ証言の充実度において本書が勝る
2011/12/24 10:35
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
没後10年になる、戦後生まれの日本の映画監督としては最高峰に位置づけられる相米慎二とその映画が、充実した批評、スタッフたちの証言、自身の映画を語る監督の言葉等により甦える。
本書所収の藤井仁子〔ふじいじんし、編者の一人〕「春へ──相米慎二の四季」は、季節を通して相米慎二とその映画を語る批評だが、これに触発され、人生というか人の一生を通しても相米慎二とその映画を語れるのではないかと考えた。
相米慎二の映画は十代なかばの少年少女が主人公の作品が多いが、それだけではない。20代の男女のも物語も、30代らしき人々のエピソードも相米映画には存在する。40代と思われる主人公たちも登場するし、さらには満53歳で亡くなった監督自身「過ごす」ことが叶わなかった60代あるいは70代の生も重要な要素として描かれている。たとえば『あ、春』の山崎努扮する初老のホームレスや、『夏の庭』における戦争の悲惨な加害者体験を忘れられない三国連太郎演ずる老人である。
こうしたことに関心をもつのは、同じ世代であり、そしていくつもの圧倒するような映画を撮ってきた相米慎二が私より早く死んだためと、詳述しえない理由により、彼の生に格別の関心があるからである。
本書を読むと、とりわけ監督デビュー前から相米慎二を知っていた人たちの証言に興味深いものがある。なされたインタビューの後半を大幅カットしたのが惜しまれる(それでも本書中、最も多い分量を占める)プロデューサー伊地智啓の証言によれば、彼は相米慎二の監督起用に懐疑的だった。というよりキティ・フィルム社長の「相米でいいじゃない」に対し、「いいんですかぁ」としか返事ができないレベルで相米慎二のこと、映画の現場のことを知っていたに過ぎない。また初監督以前の相米を知っていた録音技師・紅谷愃一は《正直言って、助監督時代は彼が監督をやる姿って浮かんでこなかった》と述懐する。処女監督作を観て、紅谷は《これは只者じゃないぞと》ビックリしたのだ。同じことは当時、長谷川和彦の周囲に助監督の立場で一緒にいた黒沢清の場合にも言えよう。彼は相米慎二との付き合い初めについて、《『翔んだカップル』を観て「お、なかなかやるなぁ」と思ってから、「映画監督相米慎二」というかたちで付き合うようになりましたね》と語っている。おそらく年下だが監督経験は早い黒沢清は、訳の分からない感じの相米に対し、処女作を観るまでナメていたのではないかと思う。
不思議なのは本書の批評やスタッフ証言の随所で書かれ、語られる相米慎二の伝説的とでもいうべきリハーサル演出の徹底性である。日本の映画史では溝口健二が俳優泣かせの演出で知られているが、彼のような「巨匠」の位置にいなかった相米が、そこまで徹底し、しかも俳優たち、スタッフたちが、そんな監督の演出にひきずられるように協力的に映画づくりに参加したのが、さらに不思議だ。
黒沢清や、たとえばイーストウッドなど撮影を効率的に進めるタイプの映画監督と違って、相米慎二は恐ろしいほどにリハーサルを繰り返したことがあったようだが、伊地智啓はそんな相米の姿勢について次にように語る。
《ヤツがやってることは、繰り返しになるけれど、自分もわからない、役者たちもわかっていない時間の中に入り込んでいく。そこで、何が出てくるんだろう。ひょっとしたら、憑依ということではないだろうが、別人格が生まれるんじゃないかというふうな幻想を持ちながら、何かを待っている。〔略〕そこに立ち上がる幻想みたいなものこそが映画なんだ、役者の演技なんだ、これが役者なんだ、それをやるために映画監督というのはいるんだ、というのが相米の映画に立ち向かう基本的な姿勢なんだ、と俺は思う。》
多くの相米作品のプロデューサーをつとめ、撮影に何度も付き添っただろう人の言葉と言える。
本書には1990年に札幌大学で学生を前にして喋った「自作にみる現代映画論」が再録されているが、相米慎二自身の言葉のなかで次の表現に興味をおぼえた。映画学校に関連して語られている部分である。《若い時代に学問あるいは技術を学ぶこととして、映画の学校があるとして、多分その時代、現実の中で遊んだり、学んだりする事が本来映画についての一番こやしになるんじゃないか、という風に本当は思っているんです。だから、映画が多分一番不良のものだという風に僕は思ってますから、映画という暗闇の中で、その暗さと映画というものが同時に学ばれなければ、映画は多分映っている現象の上面しか観れないんだろうという風に思います。》
助監督として撮影所を体験した最後の重要な映画監督ともいわれる相米慎二にとって、映画の技術性は自明だが、その外の「現実」、その不良性と暗さを監督は創作の重要な契機とした。
私がこれからの相米慎二研究のなかで必要と考えるものは、近年流行らなくなったように思われる伝記的な掘り起しである。もちろん『翔んだカップル』から遺作『風花』に至る彼の映画があるからこそ、彼の生を知りたいので逆ではないのだが、これまでの相米本では、彼の韜晦的な姿勢にはばまれているのか詳しい情報がない。少し前に読んだ山中貞雄の場合、その追悼には幼い時期からの周辺の多数の証言があったことと比較して、理由はいろいろあるだろうが、その違いが大きいことに気づくのである。