ちくま哲学の森 4 いのちの書 (ちくま文庫)
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収録作品一覧
おばあちゃん | 金子光晴 著 | 8−10 |
---|---|---|
私は百姓女/老いて | 吉野せい 著 | 11−22 |
暁を見る | ヘレン・ケラー 著 | 23−51 |
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紙の本
テーマごとの編集では、思いがけない作品に出会うこともある。
2012/01/24 16:57
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
書店の店頭で本書を見つけ、懐かしかった。本書が「ちくま哲学の森」シリーズの単行本で出たのは1989年。そのころ「ああ、こんな人がこんな作品を(も)書いている」と読んだことを思い出す。
こういった、テーマごとに編集された本を読むのは、書店の店頭を眺めたり日替わりの書評を読むのと少し似ている。自分がいつも目を向けていないところにある本との出会いへの期待があるのである。
本シリーズは哲学者の著作だけではなく、テーマに沿った文学作品も含んでいる。編者の好みによるであろう偏りも感じないではないが、それぞれのテーマでそれなりに良い作品が見つかる。この「いのちの書」には、冒頭の金子光晴「おばあちゃん」やオーウェル「絞首刑」のようにかなり直接的に「老いる、死に近づく」いのちを描いたものもあれば、梅崎春生「チョウチンアンコウについて」のような動物の生態の話もある。
ヘレン・ケラー「暁を見る」は彼女の自伝の中の、水に手を浸しながら「ものにはみな名前がある」を知ったときを記したもの。自分が「ものには名前がある」と知ったときの記憶などはない。まして感動したかどうかなどわからない。彼女の「知ったときの感動」はそれが人間の仲間入りをするためにどれだけ大切なものなのかを考えさせてくれる。
渡辺一夫「狂気について」は今回再読し、改めて感じるものが多かった作品。1948年に書かれたものであるが、現代でも静かな自警の言葉のように響く作品である。(この「狂気について」をタイトルにまとめた著者の評論選もある。)渡辺一夫は、こういう本で他の作品のついでにででも良い、もっと多くの人に読んで欲しいと思う。
本書が文庫版になったことで、多くの方の目にとまることを期待したい。