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『羊の歌』余聞 (ちくま文庫)
加藤周一の半生記『羊の歌』は『日本文学史序説』と並ぶ代表作である。それは、祖父の話から始まり、1960年、加藤が40歳のときで終わっている。本書は『羊の歌』に連なる著作や...
『羊の歌』余聞 (ちくま文庫)
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商品説明
加藤周一の半生記『羊の歌』は『日本文学史序説』と並ぶ代表作である。それは、祖父の話から始まり、1960年、加藤が40歳のときで終わっている。本書は『羊の歌』に連なる著作や対談を収める。ここには『羊の歌』に書かれたことが補われ、あるいは書かれなかったことも加えられている。90年近い生涯のなかで、加藤が何を考え、何を次代に伝えようとしたかが、本書のなかに響きわたる。【「BOOK」データベースの商品解説】
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加藤入門としても
2023/05/28 13:56
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
「余聞」とあるように自伝的作品『羊の歌』のようにまとまったものではなく、様々な文章を集めたものである。加藤周一という人がいかなる人であったのかがよくわかるので、加藤入門としてもいいだろう。
紙の本
『『羊の歌』余聞』
2016/05/31 18:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:シエル - この投稿者のレビュー一覧を見る
『羊の歌』正・続は加藤周一の本を読み出した真っ先に読んだ本だった。
そこには加藤の祖父の話から父母に関して、更に自らの幼児から50歳近くまでの半生紀が綴られていた。
その後、かなりの加藤周一が執筆したものを読んだが終戦時に東大の医局に務めていて、敗戦後ひと月ほど後の45年9月に広島を訪れる。
その後欧州へ渡欧してから各国で教鞭を取りながら執筆にそして、内外の文学・美術を始めとした芸術へ造詣を深め精力的に各国で客員教授などしながら日本や現地で執筆していたようだ。
本書はその半世紀『羊の歌』に続く著作・対談・講演などを編んだものである。
媒体がそれぞれ違う為、文調が一定しないがそれは余り重要なことではない。
色々と読んできたんだがどうしたらこういう、一種夢のようなと言うか羨むばかりの生活を送ることが出来るのかと、疑問に思っていた。
東大を始め学校で特に専門的な授業や講義を受けたようにも思えなかったが、本書を読んでかなりその辺の事情が理解できた。
彼は奉職した大学で日本についての講義をしながら大学にある膨大な日本関係の書物の間を渉猟して、そこで様々な知識=各方面に亘り乍らそれぞれ専門的な知識を身につけたようだ。
今でもこういう生き方を真似しようと思って、真似できるものではない。
第一にそもそもの始まりとして外国語に通じることが日本人は不得手に近い。
その点、加藤は英語以外に仏・独から東欧の言語にロシア語まで齧って中国でも教鞭をとったのでそこでは漢文でそのまま読む能力があったようだ。
こういう学力と言うか、資質は簡単に身につくものではないし本人の素質以前にヤル気の問題にも関わってくる。
英語が苦手な人に第二外語を大学で選択させても中々、容易な話ではない。
日本人はこういう点で島国的と言うか、順応力に乏しい。
どんな言語でもそうだし、方言でさえそうだと思うが現地で直接耳にし、目で読み、自ら発する内にはかなりのものが身につく。
そして、それぞれに似ている部分や重ならない部分が分かると習熟して行くのが速くなるような気がするのは実感としある。
関東から近畿、熊本へと成人までに引越しを繰り返したが熊本弁以外は直ぐに喋れるようになった。
40過ぎてから富山で冬から夏まで過ごしたが富山弁は名古屋弁に似ている様な感じもするし、加賀の放言とも違い、勿論新潟とも異なる。
独特のアクセントやイントネーションがあって、そういう部分は朝から晩までテレビの画面に齧りついていても分かるものじゃない。
外に出て、店に行き現地の人と話すのが一番なのは間違いない。
その点と同じように加藤はどこに行っても違和感とか疎外感とかを感じることなく同僚や学生と接することが出来たようだ。
本としては一部に既に読んだ文章も混じっていたが構成の仕方など含めて良く纏まった半生紀後の40年ほどが語られていると言えるだろう。