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悪い娘の悪戯
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.6 20件
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  • カテゴリ:一般
  • 取扱開始日:2012/03/29
  • 出版社: 作品社
  • サイズ:20cm/426p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-86182-361-9
  • 国内送料無料

紙の本

悪い娘の悪戯

著者 マリオ・バルガス=リョサ (著),八重樫 克彦 (訳),八重樫 由貴子 (訳)

50年代ペルー、60年代パリ、70年代ロンドン、80年代マドリッド、そして東京…。世界各地の大都市を舞台に、ひとりの男がひとりの女に捧げた、40年に及ぶ濃密かつ凄絶な愛の...

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悪い娘の悪戯

3,024(税込)

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商品説明

50年代ペルー、60年代パリ、70年代ロンドン、80年代マドリッド、そして東京…。世界各地の大都市を舞台に、ひとりの男がひとりの女に捧げた、40年に及ぶ濃密かつ凄絶な愛の軌跡。ノーベル文学賞受賞作家が描き出す、あまりにも壮大な恋愛小説。【「BOOK」データベースの商品解説】

ペルー、パリ、ロンドン、マドリッド、そして東京。世界各地の大都市を舞台に、ひとりの男がひとりの女に捧げた、40年に及ぶ濃密かつ凄絶な愛の軌跡。ノーベル文学賞受賞作家が描き出す、壮大な恋愛小説。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

マリオ・バルガス=リョサ

略歴
〈マリオ・バルガス=リョサ〉1936年ペルー生まれ。ラテンアメリカ文学を代表する小説家。2010年ノーベル文学賞受賞。著書に「密林の語り部」「チボの狂宴」「緑の家」など。

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書店員レビュー

ジュンク堂書店三宮店

夢も野望もない平凡な男の半世紀に渡る片思い

ジュンク堂書店三宮店さん

夢も野望もない平凡な男の半世紀に渡る片思い。ペルー、パリ、ロンドン、マドリッド、東京、世界各地で出会い続けるたった一人の女。会うたびに名前も国籍も肩書きも違っている。特別な美人というわけではないが、そのバイタリティというか生命力というか、とにかく人を惹きつける必死さのようなものがある。しかし出会うたびに主人公は利用されては、捨て去られる。財産を失い、健康を損なっても、それでも彼女を愛することをやめられない。ばかな男ではないし、その感情の揺らぎは十分に理解できる。ただどうしようもなく惹かれてしまうのだ。そして彼を「愛していない」と言い続ける彼女も、彼を必要としているとしか思えなくなってくる。二人の関係性、その愛に心打たれる。三宮店 桟

みんなのレビュー20件

みんなの評価4.6

評価内訳

  • 星 5 (9件)
  • 星 4 (5件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

喜びのあとにやってくるのは、いつでも悲しみなのだろうか?

2012/01/21 16:11

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る

1950年代初頭、ミラフローレスはペレス・プラード楽団の演奏するマンボが人々を熱狂させていた。そんな時代、「僕」はチリからやってきた少女に恋をしてしまう。蜂蜜色の瞳にくびれた腰、マンボを踊らせたら誰にも負けないリリー。しかし、三度にわたる求愛も見事にはねつけられ、あえなく失恋。その後、チリから来たというのは嘘で裕福なミラフローレスには不似合いな貧民街の生まれであることが発覚し、少女は姿を消してしまう。

60年代初頭、今はパリで暮らす「僕」の目の前に大人になったリリーが現れる。今度は女ゲリラ兵となってキューバに向かうという。再び夢中になる僕をしり目に、この悪い娘(ニーニャ・マラ)は、またもや姿を消す。もうお分かりだと思うが、この後、60年代後半のロンドン、70年代終盤の東京、再びパリ、そして最後のマドリッドと、忘れたかと思うと別の女性になって姿を現し僕を眩惑して虜にしては姿を消す。

「僕」にとってニーニャ・マラは生涯たった一人の恋人である。何度裏切られても、「僕」は彼女を思いきることができない。一方、貧しい家に生まれた女は、いくら愛されようが、ユネスコで働くしがない通訳と一生添い遂げる気などない。金と力のある男を見つけると鞍替えすることを何とも思っていない。裏切り続ける悪女とそれでも愛し続ける人のいい男の一風変わった恋愛を、60年代パリを皮切りに時代の風俗をからませて描くという洒落た趣向の物語である。

リョサといえば、『緑の家』や『世界終末戦争』に代表されるような、いくつもの時間や場所を緻密に組み立てた構成や、複数の話者を配した多視点による語りといった一筋縄ではいかない作風で描かれた重厚でスケールの大きい作品群が知られている。しかし、最近では『フリアとシナリオライター』に見られるようなユーモアを配した作品も発表しており、この『悪い娘の悪戯』も、その流れの作品である。

一人の女に対しては情熱を抱けるのに、同時代の世界に対して傍観者的態度をとり続ける主人公と対称的に、60年代初頭のパリではカストロの革命を奉じて帰国しゲリラとして殺される友人、ヒッピー・ムーブメント真っ最中のロンドンではフリー・セックスでエイズに感染死する友人と、それぞれの時代を反映する男友達の活躍と悲劇的な最期が物語に陰影をつけている。

注目に値するのは、舞台となる諸都市の中で唯一リョサが住んだことのない東京に対する作家の視線である。シャト-・メグル(目黒エンペラーのことか)というラブホテルが象徴する当時の東京は、セックスのためにかくまでも精緻を極め、贅を凝らした場所があろうかという驚異的な都市として描かれている。ヒロインを徹底的にいたぶる愛人フクダのサディストぶりといい、日本人の性意識に対する独特の思い入れが感じられ複雑な気持ちになる。

「ロマンチック小説を書くなんて、老いた証拠かもしれないな」と作家自身が自嘲気味に語るほど、主人公リカルドの一途な愛が謳い上げられる恋愛小説である。その一方で作家リョサが自分の生きてきた20世紀後半に秘かに捧げるオマージュでもあり、あれほど愛しながらも結局は異邦人につれなかったパリという街への嘆き節でもあろう。アポリネールの『ミラボー橋』の引用が泣かせる。

報われぬ愛に悩んだことのある人、それとは逆に、心底人を愛することができない人、どちらの人にも読んでほしい。衒いをかなぐり捨てたマリオ・バルガス=リョサ畢生の純愛小説である。

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紙の本

腐れ縁

2012/01/27 22:58

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:jis - この投稿者のレビュー一覧を見る

世の中には、腐れ縁というものが多くある。老若男女とはず、人間への執着もしくは、天の配剤が生み出す縁と言える。これが、男女の恋愛となると、格好の小説のネタになる。読者は、人生の悲喜交々、後悔、希望、絶望、憔悴、歓喜、解放などジェットコースターのように浮き沈みを経験できる。

主人公のリカルドは、ある少女に一目惚れする。それが、悲劇の始まりだ。以来40年、その女性に裏切られ、復縁し、また裏切られ、関係が復活し、と思うとまた家出される。喜びにあふれた結婚はするものの、それもつかぬ間、浮気され逃げられる。いったいこの男女関係は、何なのか。ペルー、パリ、ロンドン、日本、スペインと舞台が変わるたびに、腐れ縁が復活する。リカルドは、ほとほと疲れ、嫌気がさし、最後にきっぱり精算をはかろうとする。がそれでも終わらない腐れ縁。最後はどうなるのか。愛の進化と深化の行方は?

リョサの手にかかると、重層な人間模様や時代を、いとも簡単に描く。複雑な心の襞をこれでもかという風につらねてゆく。微妙な空気のざわめきや、さざ波を、見事に表現する。本当の愛情とは、いかなるものか。二律背反する愛憎の形とは?憎みながら愛する。愛しながら渾身の力で拒否しようとする。やっかいなのは、人間の業といえようか。

終わりはどうなるのだろう。愛の行方は。二人のこれからは、いったどうなる?期待しながら一気に読み進む。気が焦り、息も弾む。最後にページをめくる。私は、泣いてしまった。

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紙の本

『ある貴婦人の肖像』ならぬ「ある『あばずれ』の肖像」なのに、一途に思う姫を常に守ろうとする騎士道精神の物語が合わさって、有り得ない恋は、20世紀後半の激動の世界を転げ回る。そうして辿り着く。人間存在の哀しみを「これでもか」と思い知らせ、哀しみに至る前の甘美と哀しみの先の甘美を思い知らされる所へ……と。

2012/02/05 23:29

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 おまえたち男どもは、まったくもってしょうのない生き物だから、周囲にちらつく張りの良い「かわい娘ちゃん」たちを五感で受け止めては、やれ「あの娘のおっぱいが大きい」だの、やれ「ゆう子より、あつ子のくちびるの方が好み」だの、やれ「少し年上の小悪魔にいたぶられたい」だの、愚にもつかない妄想をふくらませては人生の3分の1もの貴重な時間を蕩尽する。
 あとの3分の1は、妄想がつづくよう願いながら分け入っていく睡眠。そして残された3分の1で、飲み食いとわずかばかりの務めを果たしながら生き永らえ、「何のために生まれてきたのか」と最後の瞬間に至るまで疑問を抱きながら死んで行く。
 「かわい娘ちゃん」に群がるおまえたちの様子は、たった一つの卵子に到達しようと尾を振ってむなしい旅をする数十万、数百万の精子に、実によく酷似している。

 ただ、男どもの中にも1万人にひとり、10万人に1人といった割合で、人生の目的を自他ともに認められる存在になる者もいる。あたかも卵子に到達できた精子のように……。
 ある者は歴史を大番狂わせの混乱に陥れ、ある者が作り出した音楽は魔法使いの業よろしく何百年もの間、人々を呪いにかける。自然の摂理の謎を解いたり、後進に大いなる徳を授けたり、身を挺して弱い者を救ったりという哲人・聖人も、ごくまれにはいて、そういった存在はたいてい、ひっそりと重ねた偉大な営みを多くの人に知られず、この世のどこかで特定のコミュニティに貢献し、その生涯を閉じていく。

 この小説『悪い娘の悪戯』を書いたバルガス=リョサは、おまえたちよりは少しはましな男。やはり人生の目的を自他ともに認められるようになった稀有の存在だ。これから数百年の間、彼が編み出した言葉の編み束は、おまえたちの見果てぬ夢で充たされた脳を、喜びの甘い汁に漬ける。
 どうだろう、この題名? 『悪い娘の悪戯』なんて、真っ黒に群がるアリの巣に投げ入れられた角砂糖だ。おまえは、いったいどれだけの期待と妄想に、情けない腰をふるわせ、この本の最初のページをめくることだろう。
 
 題名と同じぐらい、設定がチープ極まりない。「50年代ペルー、60年代パリ、70年代ロンドン、80年代マドリッド、そして東京……。世界各地の大都市を舞台に、ひとりの男がひとりの女に捧げた、40年に及ぶ濃密かつ凄絶な愛の軌跡」と来た。ディケードごとに主人公たちが違う町で出会う、しかもその度に運命の女が名前や暮らしぶりを変えていたりなんて、ルパン三世と峰不二子じゃあるまいに、ノーベル文学賞受賞作家ともあろう者が、ひねり出す種類のものなのか。読者を小馬鹿にするにも「ほど」がある。

 題名と設定のチープさは、おまえたちの発想並みだ。この作家バルガス=リョサも、昔は家族や友人、かわい娘ちゃんたちに自分がチキンでないと証明することが精いっぱいだった日々もあるのだろう。だが、セルバンテス文化センター東京のブログに上げられているノーベル文学賞2010受賞演説の翻訳でも読んでみるといい。
 詩に心動かす女の子どもとして、この世に生を授かったこの男が、先人たちの文学遺産に触れ、虚構がもたらす自由の価値に気づき、その可能性を自らの作品の中で押し拡げることに邁進した軌跡がよく分かる。

 『悪い娘の悪戯』は確かに、国際機関の通訳や翻訳者として、世界のあちこちを転々として地道な仕事をこなしていく男が、ティーンエイジャー時代にとりことなったハチミツ色の瞳の娘の魔力に半生を翻弄される物語だ。いや、愚弄される、と言うべきか。99.9パーセントは有り得ない「とびっきりの女との出会い」「常につかみどころのない謎の女」「近づけば触れることができる、しかしつかまえようとすればすり抜けていく挑発的な態度」といった人生や人物についての虚構が、物語を大いに躍動させる。翻弄される男が各地で出会う友人や訪ね人たちも、デフォルメ気味の特異な属性ばかりで、虚構の自在な楽しさが効いている。
 変化や面白味のない現実の人生だろうと、ワンダーランド的な虚構の人生だろうと、過ぎ去ってきた月日を振り返れば、そこに必ず寄り添っているのは「時代」「社会」という確固たる背景だ。この作家の凄味は、歴史化したリアルな過去から、おかしく哀れな人物たちを立ち昇らせる力量だ。その歴史把握、社会洞察にはブレがない。「時代」「社会」というものは、恐ろしいまでに人の視野や考え、生き方を規定する。「あの時代、あの社会ならばあり得たこと」に自分自身や仲間の姿を投影させたから、ディケード毎のめまぐるしい舞台設定にも共感を呼び寄せられる。
 原因が分からず人々を恐怖に陥れていた初期のエイズ、記号学やポスト構造主義の流行、デート・バイオレンスなど、特定の時代を思い起こさせる事件・事象のすくい上げ方が心憎い。時代背景の生かし方はセンス次第だ。

 誰にとっても「変化」として捉えられる時代や社会と対照的に書かれるのが、「永遠に変わらぬ愛」という、これまた、しょうのない生き物だけが夢想できる虚構だ。この最も救いようのない虚構を描くとき、作家は冷血とも言える態度で、一つの真実を貫く。
 永遠の愛は、恋の罠に落ちた者の心にいつまでも生き続けることはあるだろう。そして、そのような者の存在は人伝えで、いつしか伝説となり得る。しかしながら、愛し愛される者たちの肉体は、遅かれ早かれ、朽ちて消滅していく、自然の必然として……。その朽ち方に目を背けず向き合い、手加減せず「むごさ」を描き切ることが、現代を代表する文豪のほまれにふさわしい「誠実」なのだ。
 おまえたちは果たして、そこを、しかと受け止められるだろうか。

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いたずらめいた濃いはちみつ色の瞳にいちころで魅了された男性の半生記

2012/02/11 13:49

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る



ノーベル賞作家の2006年度の作品を読みました。

作家自身を思わせるペルー生まれのうぶな青年がリマ、パリ、ロンドン、東京、マドリッドを転々としながら運命の悪女を少年時代から激愛し、徹底的に入れ上げ、渇望しながら終始追いもとめ、たまにはセックスさせてもらいながらもまた逃げられ、翻弄され、日本ではヤクザのフクダに全部いいとこを持っていかれ、あまつさえ虎の子の貯金を入れ上げてもてんで悔いず、籍を作るために結婚してやり、またしても他の男に逃げられ、頭にきて娘ほど年の離れた若い女と浮気をしたり、それで頭に来た女が怒鳴りこんできたり、そうこうしているうちに2人ともどんどん歳をとり、とうとう万骨枯れて死病に取り付かれた女と再会した主人公は半世紀に及ぶ大恋愛の最後の瞬間をかのポウル・ヴァレリーが「海辺の墓地」を書いた南仏セトの海のほとりで大団円を迎えるのです。

モデルのような容姿、いたずらめいた濃いはちみつ色の瞳、ぽってりした小さな唇の持ち主にいちころで魅了された男性の半生記なのですが、そういう経験のないわたくしにはあんまり感情移入が出来ないし、このヒロインの魅力がいまいちのみこめない。でもきっとよっぽどチャーミングな小悪魔のようなファム・ファタールだったんでしょうな。

プルーストが言うように、あばたもえくぼ、すいたはれたも病のうち、虚仮の一念岩をも通す。信じる者はとうとう思いを遂げるんでしょう。されどよく出来た恋愛小説だとは思いますが、わたしにはてんで思いを馳せることすらできない絵空事の世界でした。

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2012/03/16 22:06

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2012/07/14 17:35

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2012/01/22 01:12

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2012/12/23 22:02

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2013/04/14 18:26

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2012/02/05 09:55

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2012/04/22 12:02

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2016/02/01 14:26

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2012/03/30 01:41

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2012/11/20 22:28

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2012/03/10 20:04

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