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商品説明
聖書を「聖なる書物」としてではなく、古代ユダヤ人および初期キリスト教徒の生み出した書物として捉え、旧約聖書と新約聖書の成立経緯と相互関係について解説する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
上村 静
- 略歴
- 〈上村静〉ユダヤ学・聖書学専攻(Ph.D.)。著書に「宗教の倒錯」「キリスト教信仰の成立」など。
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紙の本
両聖書の入門書。
2012/03/06 22:02
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
キリスト教の知識がない人でもきちんと読めてきちんと理解できる圧倒的な入門書。「聖書学」というジャンルの本らしい。
新約聖書と、最近では価値中立的に「ヘブライ語聖書」と呼ばれることも多くなっているいわゆる旧約聖書(p.4)と、それらの周辺の膨大な書物群を丁寧に読み解き、聖書の「暴力性」を問題にしていく。
聖書は、神ではなく人間によって絶対化されるため、「その権威を傘に自他を抑圧しようとする人間の暴力が内包されている」(p.5)。著者は「そうした暴力の根源を明らかにして「聖書」をその暴力から解放したい」(p.10)という願いからこの本を書いたという。
「聖書は、それが「聖なる書物」とされる限り、それを「聖書」とする人間の暴力を生み出し続けてしまう。だが、その「聖性」を外してみるならば、人間についての深い洞察を語る人間の言葉として読まれるならば、そこからわれわれは〈いのち〉の神秘に、すなわち〈神〉に、出合うことができる。」(p.7)
聖書は、人間が手前勝手な理由で付与した聖性を外されることによって、逆に、完全に純粋に聖化されるということなのだろうか。これは非常に独特な立場であると思われる。と同時に非常に強い説得力を発揮している。それならわかるかもしれない。
「他力本願」という言葉をかなり正確に使ってキリスト教の「信」を解説する箇所もある。が、浄土真宗のように他力本願を「絶対他力」の意味では使わない。そこは少し残念である。だがこれほどに深く他力的な味わいでキリスト教を語る本はそうないと思う。
読めば読むほど、たしかに、聖書に基づくキリスト教には暴力性が内包されていることがわかる。だが、わたしの周囲にある現実のキリスト教やその信者を見ると、肉体的にも精神的にもそう暴力的ではない。だから、暴力性と同時に、それを誡める成分のようなものもキリスト教や聖書にはしっかり内包されているのだろうと思う。それが何であるのかはよくわからないが。
キリスト者が高く評価しない傾向が見られる『ふしぎなキリスト教』という入門書より遙かに良い本だと思う。少なくともわたしは、カトリックの大学でカトリックを教えている方がこの本を信頼し、入門書として他者に勧めているのを知っている。だからわたしも読むことができた。