紙の本
自然の美味しさ。
2002/04/20 13:49
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投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
幼い頃、禅寺の侍者をしていた水上勉氏が、その時に得た精進料理の知識などをもとに、畑で育てた季節の野菜や、木の実、筍、茸……等々を料理して紹介した本。
自分はむしろこうした料理は苦手な方なのだが、本書に収められた沢山の写真や水上氏の文章を読んでいると、どんな料理よりも美味しそうに思えてくる。
大工だった水上氏の父は、仕事で山へ入った時、その辺の木の葉や茸を取ってきて、昼食にしたという。弁当は始めから味噌と塩飯しか用意していなかったのだ。食べ物に不自由の無い現代人がそうした食事を羨望するのは傲慢なのだろうが、現代の「贅沢」として、一度やってみたいと思う。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
生物にとって大切な土。そのありがたさがよくわかる。コンクリートなどに囲われた生活をしていると見失われがちだが足元の大切なものにきちんと目を向けさせてくれる。
紙の本
禅寺ならではの作品
2018/07/11 20:24
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、少年時代を禅寺で過ごした水上勉ならではの出来となっている。一月の章のくわいの話は、とても食欲のそそられる話だった。
電子書籍
映画と全く違った
2022/12/05 11:09
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投稿者:KUMA0504 - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画の「土を喰う日々」を観てたいへん面白かった。面白かったが、まさかあんな美人の編集者(松たか子)と懇ろの仲になっていたとは思わなかったが、母方の親戚(尾美としのり)が自分の母親の葬式の一切までも水上勉(沢田研二)に任せ、あろうことか骨壷まで置いていったのをみて、そんなことをありあるのかとビックリして本書を紐解いたのである。
予想通り、そんなことは一切書いてなかった。どころか、未だ奥様は健在だったし、どうも義理の母親の葬式エピソードに似たのは、祖母の一人暮らしエピソードを改変したようだった。中江裕司監督は、真冬の信州の自然に、沖縄の死生観と自然観を注ぎ込んだのだ。
映画にも出てきたが、道元の著書が至る所に出てくる。思うに、その自然観と死生観は、500年を経て尚且つ生命力を持つものだろう。
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こちらも禅寺で(嫌々)育った作者の、体験を踏まえた料理が載ってる本。手描きの題字も暖かくて良いし、作ってみたくなるメニュー揃い。
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作家の水上勉が少年期に、京都の禅寺で過ごし、
精進料理で修行を積んだ体験をもとに、
四季(月ごと)の畑の素材に工夫を加えて料理する。
それを綴った究極の料理本とも言える書です。
その日の客へのもてなしは、「畑と相談して」考え、料理する…。
デパ地下やスーパー、コンビニに行けば何でも手が入るし、
飲食店は似非グルメ指向に走り、
「創作料理」なる何の創造性もない料理が出される。
こんな時代に、本当のご馳走とは何か、惣菜とは何か、
と考えさせられるエッセイです。
荒廃した日本の食文化に警鐘を鳴らす1冊。
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水上勉が幼少の頃の寺暮らしを回顧しつつ、軽井沢の仕事場で一年、ぬく飯と家の畑で取れる季節の野菜、山菜、木の実などを様々に調理して味わうエッセイ。精進料理ということで、肉、魚の類はまったく登場しないにもかかわらず、その読むだに滋味豊かな食事は、四季をそれぞれに楽しみ、美味しさに溢れている。この歳になると、本当の豊かさとは、ぬく飯と四季折々の素朴な汁菜のことだと気がつくものだ。随所に引かれる『典座教訓』も滋味深い。
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水上勉さんのような生き方をしたいと思える本です。スローフード、スローライフという言葉が流行る前から実践されていた水上勉さんの最高傑作だと思います。
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軽井沢の自宅の畑で採れた野菜や近隣の山菜果実を精進料理にして食す1年間の記録であるこの本を、ファミレスとかチェーン定食屋で食事しながら読むという、あまり著者に喜ばれないであろう、というか怒られそうな読み方で読みました。
ごめんなさい
だけど、質素ながらも丁寧に素材を調理して食す著者の姿を読むことで、自分自身のいつもの食事、例えばチェーン店の天丼を食べている時も(てんやです。)、米のひと粒ひと粒や、付け合せの大根のお漬物に至るまで、それが土から生まれ様々な過程を通して今自分が食すことが出来るのだということに深く感謝することが出来、本当にいつもより美味しく感じることが出来ました。
全く不摂生な都市生活者の自分でさえ、土を食す感覚を得られる素晴らしい本です。
筍や梅干し、堪らないです。
涎が出ます。涙が出ます。
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軽井沢山中の庵に暮らし、そこの自然で採れる食材で自給自足の生活をおくる著者の、食にまつわるエッセイ。
1月から12月までの12章に分かれていて、それぞれの時期の旬の野菜や草木の話題を中心にして、調理の仕方と心構えが書かれている。
普通のレシピ本のような内容とはまったく違い、芋の皮をいかに惜しんで薄くむくべきかや、育たない冬を耐えて芽吹きの春を迎えた時の喜びなど、自然との接し方について語られている部分が多い。
ここで説明されている料理は、どれも質素で簡単なものばかりだけれども、小説家なだけあって、その描写がものすごく上手く、読んでいると、くわいをただ焼いただけのようなものでさえ、とても滋味にあふれて美味しそうな感じが伝わってくる。
9歳の頃から禅寺で修行をした著者は、16歳から寺の典座(食事)をまかされ、精進料理を作る日々をおくった。著者の、料理中の写真が時々挿まれているのだけれど、これが渋くて、やたらとカッコいい。
初版は昭和53年だから、現代のようなスローライフブームのはるか前から、ごく当たり前な姿で実践していたことになる。
2004年に病没するまでの間、ずっと同じような生活を続けていたのかと思いきや、その後インターネットが登場してからパソコンに興味を持って「電脳小学校」というものまで作ろうとした時期があったらしく、それは結構意外なことだった。
道元さんという方はユニークな人だと思う。「典座教訓」は、このように身につまされて読まれるのだが、ここで一日に三回あるいは二回はどうしても喰わねばならぬ厄介なぼくらのこの行事、つまり喰うことについての調理の時間は、じつはその人の全生活がかかっている一大事だといわれている気がするのである。
大げさな禅師よ、という人がいるかもしれない。たしかに、ぼくもそのように思わぬこともないのだが、しかし、その思う時は、食事というものを、人にあずけた時に発していないか。つまり、人につくってもらい、人にさしだしてもらう食事になれてきたために、心をつくしてつくる時間に、内面におきる大事の思想について無縁となった気配が濃いのである。
滑稽なことながら、ぼくらは、故郷の過疎地に老父母を置いて、都会の巷で、「おふくろの味」なる料理を買って生きるのである。学生街食堂に櫛比する、「おふくろの店」は、そういう大事をわすれた子らが喰える、皮肉な喰いものといえる。道元禅師のいう大事は、己れがつくる時だけに生じるもので、そこのところが、ぼくの心をいま打つのである。(p.76)
ぼくが毎年、軽井沢で漬ける梅干が、ぼく流のありふれた漬け方にしろ、いまは四つ五つの瓶にたまって、これを眺めていても嬉しいのは、客をよろこばせることもあるけれど、これらのぼくの作品がぼくの死後も生きて、誰かの口に入ることを想像するからである。ろくな小説も書かないで、世をたぶらかして死ぬだろう自分の、これからの短い生のことを考えると、せめて梅干ぐらいのこしておいたっていいではないか。(p.110)
この世に山野が生むもので同一のあるいは普遍の食べものはありはしない。よくみれば、その土地土地の顔と味をして、食膳に出てくる。京にうまれて「京菜」、野沢にうまれて「野沢菜」、軽井沢では、その野沢菜そっくりのものさえうめないではないか。不思議なことだと思う。(p.192)
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「金閣炎上」「ブンナよ、木からおりてこい」の著者。9つから禅寺で暮らし、覚えた精進料理の数々。勉強になります。
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少年時代を京都の禅寺で過ごした著者が、軽井沢の地で畑で育てた野菜を食べる日々を綴る。禅寺では食事自体が大きな意味を持ち、食べることだけでなく調理すること材料を調達すること全てが修行となる。そのため食材を大事に扱うことや味付けに至るまで現在の著者の食に対する考えの根源となっています。しかしそのことが窮屈な感じがせず、それどころかのびのびと食べること調理することを楽しんでいるように思えるのです。
畑で採れたものを食べるということは土を食べるのと同様のことであるということ。最近では「旨味=甘味」という公式がはびこっており、美味であることを表わす表現が全て「甘い」となっていることが気になります。しかしここで語られる土からの食物は甘味だけでない様々な味が渾然となり、そこを楽しむ妙味が描かれます。何より著者が食を楽しんでいる様子が素敵です。
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これも長いあいだ積読でした。ようやくこれを読んで沁みる境地に自分がなってきたのかなあと。自分の今年のテーマのひとつが料理ということもあり、今読むべき本だったのだと思います。くわいや山芋の焼いたの、味噌、豆腐、梅干し、筍、木の実にきのこ。どれもおいしそうでたまりません。素材の味を楽しむにはやはり旬に食べるのが一番。スーパーマーケットの野菜は味気ないものなあ。
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朝日新聞8/16
素材を慈しむ、無駄にしない
いろいろ作って試してみる
氏が、実際に小坊主さんとして
お寺でしごかれた経験をベースに
シンプルなレシピが描かれている。
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上司に借りた本。
季節を食べる、土を喰う、今では忘れ去られていること。
実家でおばあちゃんが作ってくれたご飯や、家の前の大きな畑を思い出した。
季節に関係なくスーパーに並んでいる食材、今ではほとんどの人が見向きもしない食材、そういうものがたくさんあるんだと実感。
それでも旬のものは安かったり、他の季節に食べるよりおいしかったり、日々なんとなくは感じている。
でも、もっともっと季節を大事にして、日本の四季を楽しみたいなぁと思った。