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うさぎさんが出ていたんでつい。
何でこんな本読んだんだか分からんが、
わたしも、子どもを持てないなぁ、と思う人間の一人です。
多様化していいって、言うは易し、行うは難し。
わたしは、友だちの赤ちゃんに、
「あ~、○○ちゃんかわいいねぇ。」
「眠くなっちゃいまちたか~?」
「あ~、よちよち。い~子でちゅね~。」
って、できないんですよ。
いや、可愛いって思う。あんなやわい手、私みたいのが触れたら、壊れちゃうんじゃないかってくらい、尊いものを感じる。
でも、人の子じゃん、って思っちゃう。
話しかける際も、敬語になりそうな気がする。
小さい子が、嫌いなんじゃなくて。そこで母性なんて出せないって思っちゃう。いや、どうなんだろ。自分の中にもあるであろう母性を見せるのが、恥ずかしいのかも。
自分にも、できたら、変わるのかな。
私は、人に触れるのも、触れられるのも、慣れてない。
彼氏以外に、触られたくない。
だから、赤ちゃんだからって、無条件に触れたりなんだりの境界を超えることが、信じられないのかも、しれない。
ふとそんなことを思いました。
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これ読んだ。最近母と子の関係について考えることが多かったので、読んでいて救われもしたし、考えさせられもした。当たり前じゃん、て思うかも知れないけど「わたしのままでママをやる」ことは、実は結構難しい。
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精神科医 斎藤学と
よしもとばなな、内田春菊、中村うさぎ、
倉田真由美たちとの テーマ
「出産」「子育て」「母親」etc,の対談集。
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前半はよしもとばななとの対談。
後半は中村うさぎ、内田春菊、倉田真由美との対談。
とにかく濃い。話が高度すぎて分からない部分も多々。考え方が理解できないということではなく、話していること自体の意味が分からない。どういうことなんだろう??? といった感じ。私がもう少し大人になってからもういっかい読んでみたい。
後半は強烈な過去をもった方々の対談なので、共感とういう部分はなかった。
でも、精神・心理学的な話なので、それはなるほどな~といった感じ。でもそれ故ちょっと重い。
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う~ん…これだけのメンバーが揃ってるのにあんまり…。
きっとナマの講演会は面白かったんだろうなぁ~。
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図書館にて。
よしもとばなな、内田春菊、中村うさぎ、倉田真由美というラインナップがすでに個性的過ぎ。
その個性が面白かった。
齊藤学先生もほどよく過激で楽しめた。
両親の存在が子供の人格形成、人生に与える影響は絶大だ。
大人になり離れて暮らしている今、引いた視点から大人同士として考え、これからの自分の子育てに生かせたらと思う。
「子育て、これでいいんだ~」と題名のように明るい子育て本というよりは問題はあるけどママなんだよね、みたいな本。
人それぞれ、私もみんなも問題は色々持ってるけどそれぞれ頑張ろうか、という感じ。
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登場メンバーを見ればわかることだった・・・。
だいぶアクの強い方々との対談のため、普通の子育て話を期待してはダメ。というか、子育て論じゃなく、母親像とか母子関係についての話。精神論が主なので、母親に何かひっかかりを持っている人や、家族にトラウマを抱えているような人の方が共感できそう。
子育ての話は、よしもとばななさんしかしてない(笑)
でも、これはこれで新しい価値観を垣間見れて、おもしろかった。
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二部構成の本。
前半は、精神科医斎藤学とよしもとばななの対談。
後半は、同じく斎藤学と中村うさぎ、内田春菊、倉本真由美との対談。
うーん。
前半はなかなか興味深く読んだ。
よしもとばななはやっぱり好きだな、と再確認したし、将来ママになる事に対して楽しみにも思えてきた。
いつか出産したとき、また読み返そうと思った。
けど後半が…。
それはそれはすごい人生経験をお持ちの方が勢揃いで、ポカーン。
ただ、私は二年前に亡くなった母とものすごく関係が濃かったのだが、これも一種の「異常」かも?とは常々思っていた。
お互い親離れ子離れの出来ない、本書で言う「依存」の状態だったのかも?と。
それに対して肯定の答えを本書で貰ってしまい、ちょっと心がチクチクしました(^^;)
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なんでこの本を読みたいと思ったんだろう???
よしもとばなな好きじゃないのに。
きっと内田春菊で検索して出て来たのかな。
学先生の人柄は嫌いじゃない。
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初読み2012/3/26
再読2013/8/26
367.3
あまりにも素晴らしい、私にとってはバイブル的な一冊。特に斎藤氏と内田春菊、倉田真由美、中村うさぎらとの対談(シンポジウムみたいなのでアディクションを持つ人たちとのやりとりも含まれる)は何度読んでも興味深い
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今まで、日記系とか、対談ものなんかは、あまり好きではなかったのだけど、親子の関係についてかかれているのであれば、と思って読んでみた。
世の中にいる、少し変わった人(自分も含めて)っていうのは、なにかしら、親の影響を受けているのだという事がよくわかって、私自身も親の立場になり、考えさせられたかな。
精神科の偉い先生の切替しもうまいので、これから先、悩める人に対しての接し方も、少し理解できたかもしれない
私自身は、子供へ手を挙げてしまった事が、まだないけど、確かに放置する、無視するよりはましなのかなって思う所もあり、
色々と勉強になったかも
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「ブックマーク」のアンケートに書いてあった本の著者が、なかなかすごいメンツなので、図書館で借りてみた。第1部は「愛し、育む。ばなな流子育て」、第2部は「「新しい母」宣言!」で、時間的には第2部を先にやって、本にするにはちょっと量が足りないというので、第1部の対談がもうけられた、らしい。
巻頭には、ばなな作品から、いろいろと引用が載っている。それを読んでいて、私は「みずうみ」(『みずうみ』)と、「ちんぬくじゅうしぃ」(『なんくるない』という本に入っているらしい)を今度読んでみたいと思った。
個人的には、うしろの座談会のほうがおもしろかったけど、第1部のばなな×斎藤学の対談では、母になって母の見方は変わってきたか?というところが、印象にのこった。
▼学 母親になってから、ご自分のお母さんに対する見方は変わってきたりした?
ばなな 変わりましたね。やっぱり、体が弱いのは大変だっただろうな、と思います。私が母に抱いていたほとんどのマイナス要素は、性格のせいではなく、常にしんどいという体の弱さから来ていたんだということが分かって、ものすごく許せるようになりました。それは、ただ年齢を重ねているだけでは分からなかったことですね。物理的に、座ったり、立ったりするのもしんどかったんだろうな、とか。子ども心に、「なんでもっと私のために動いてくれないんだろう」と思っていたのが、解消されましたね。
子どもを産まなくても分かったことってあると思うんですけど、自分が一歩も動けないときに、あらぬところで子どもにオシッコされたりするときに、立ち上がる力が、うちの母は体が弱いからなかったんだ、と思いました。そういうふうに、体で分かるから、悪いことしたな、とは思いませんけど、「ああ、そうだったんだ」と腑に落ちることはとてもあります。やっぱり、大人になるって素晴らしいことで、だんだん親の関係の構造が見えてくるというか、「自分には関係ないこと」として見られるようになりますからね。(p.65)
私の場合は、母はえらく頑丈な人で、私は「からだがよわい」と言われていた子どもだったから(入院したり、病院通いもあったし、体育全面禁止だった頃もあった)、こういうばななの回想を読むと、母は、自分とちがってひよわな子どもを、どう思ってたんかなと考えたりした。
第2部は、中村うさぎ、内田春菊、倉田真由美の3人と斎藤学との座談会で、この後半は斎藤の患者たちも質疑に加わって、治療ミーティングのようになっている。いろんな母がいて、いろんな娘がいるんやなーと思う。そういうことは大人になっていけばだんだん分かってくるが、子どもの頃には「自分ちの親」以外はなかなか見えてこないから、それで苦しいこともあるしなと思った。
斎藤はこう言い、
▼ 「お母さん」のことを考えてる人っていうのは、「お母さん」で悩んでいる人だと思う。(p.119)
くらたまはこう言う。
▼「尊敬」という言葉を親に対して使う人がけっこういますが、その気持ちが分かったことは一度もないですね。(p.125)
子どもを育てることについて、この国がど��いう扱いをしているか、春菊の指摘がスルドイ。
▼春菊 私は少し前に、「ベビーシッター費が仕事上の経費で落ちない」っていうのを知って。それで、追徴課税をえらいとられたことがあったんです。それは、預ける費用も国が認めてくれないってことじゃないですか。「預けて仕事をするな」っていわれてるんだと思うんですけども。保育園代も多分落ちないんじゃないかと。(くらたまに)落ちます?
くらたま 落ちないと思います。
春菊 落ちないですよね。「それは個人的なこと」って言われるんですよ。「私のベビーシッターの人は、アシスタントや仕事全般、手伝ったりしてくれてます」って言ったんですけど。それでも「領収書がベビーシッター会社の領収書なので認めません」って言われたんですね。(pp.146-147)
おしゃべりの効用、情報交換の効用について、春菊が、「共依存」を防ぐ効果があると思うと語っているところも印象的だった。
▼なんか、共依存で成り立ってる男女って、男がとんでもない欲求を出してるのに、女がそれをずーっとかなえてるって、私にはおもえて。「えー、フツーそんなじゃないよね!?」って言い合える仲間がいれば、そういうふうにはならないような気がする…。(p.157)
うさぎもそれに同調。
▼殴る男の特徴って、女と自分を密室化する。でも、ホストもやる。…やっぱりそうやって、「囲い込む」ってことで、情報を遮断するっていう…。あと、親しい女友だちと「切らせたり」するよね。(pp.157-158)
「切らせる」「囲い込む」というところは、殴る男というより、性別問わず自分のほしいままに力を振るい、ハラスメントをやっている人に通じるところやなと思う。おしゃべりや情報交換は、そういうハラスメントにやられてしまってる人にとって、ものすごく大事やとつくづく思う。
巻末には、石内都が「母のゆくえ」という小文を寄せていて、「あとがき」では、斎藤学が「母は多様化したほうが良い」と書いていて、私はふと、母がもし元気で今も生きていたら、それはそれでちょっときつかったかもしれへんなーと思ったりした。
(8/14了)
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後半の第二部は実際の講演会を下敷きにしているらしいが、せっかくの個性的なゲストたちが、ちっとも生きていない。
精神科医の先生の話はおっと思わせられる部分もあるけれど、前後の話に脈絡がなく、あちこち飛んでは戻るを繰り返している印象。
1対1の対談形式の方がまだ分かり易かったと思う。
タイトルも各章のサブタイトルも、微妙に合ってない。空々しい帯のアオリや、冒頭部分の引用も。
編集者の「こういう本にしたい」という意図と、実際の中身にズレがあるのでは。考えすぎ?
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親子関係の対談物。特に母子の話が中心。
個性的な作家さんと精神科医の先生の話で興味深く読みました。共依存の話も多くさばさばした雰囲気で書いてあるけれど話はとても濃いです。育児の目標は親子ともども自律だと思いました。
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・・・何が言いたかったのかよくわからず。
母の多様化はちょっとは理解できたけど。初期のよしもとさんとの対談は必要なのであろうか。