投稿元:
レビューを見る
当たり前のように感じていた生活や考え方にアメリカ式が染み込んでいることに驚いた。
それが全部悪いとは思わないけれど、ちょっと見方を変えなきゃな、と思わせてくれた本。
こっちと日本で参勤交代とかサバティカルな生活は理想だなあ。
ラオスは少し憧れるけど、今の私に石油なしの生活が耐えられるかな...
投稿元:
レビューを見る
建築においても、いかに頭の中が、経済に支配されているか考えさせられる。郊外一戸建、分譲マンションetc。
サラリーマン的発想では思い切った建物や、長い視点での都市計画はできない。
実体験として、“わかり”ながらみながら物事をすすめることの大切さ、逆に頭の中だけ、パソコンの中だけで仕事する怖さがわかる。
ユートピアは危険としながらも、大きな夢があるからこそ、現場という複雑でやっかいなものと折り合いをつけてゆく、勇気と活力が与えられる。
この本は、住まうことにも多様性や、流動性がもっと許容する社会があってよいといってくれている気がする。
投稿元:
レビューを見る
養老孟司さんと建築家隈健吾さんの対談。
おふたりは、栄光学園の先輩後輩という共通点あり。
栄光学園は、カトリック系イエスズ会が経営する中高一貫校。
イエスズ会の理念は、現場主義。(ルターらの宗教革命=近代的個人主義を宗教に導入した、に対し、現場主義を貫いた)
現場主義は、まず肉体を重視する。強靭な肉体を持ち、過酷な現場で生き抜くことが使命。
二人に共通しているのはその精神がベースにあること。
そして現場主義の大前提は大きな夢。それがあるから現場に立ち向かうのである。
P30 この震災を機にそういったところも義をンして、現実的な着地点を見つけたいですよね。ところが、震災後すぐは、どうしても議論が過激なところに行ってしまう。例えば市街地は全部、高台に作り直せ、とか。一律になんとかしろ、という方向に振れがちなんです。そのことに僕は危うさを感じますね。関東大震災後の異常な心理が、日本人を太平洋戦争まで駆り立てたということを、養老先生が池田清彦先生との対談でお話になっていましたが、まさしく今も震災後の特別な心理みたいなものが極端な方に振れています。僕たちはもともと非常に不安定な国土に住んでいる。だからこそ、「だましだまし」の手法を磨いていくしかないんだけど。
P31 建築の法規もそうだけど、被災地の再建法も一律というのは、おかしいですよね。
P48 高層マンションに関していえば「人口圧力設計」の観点から最適なのかどうかを別にして、地面から切り離されている高層ビルで、子供はどう育つのか、そのあたりは懸念を持ちますね。
P58 エドワード・ホール(アメリカの文化人類学者)という人が『かくれた次元』という本を書きましたが、あの本は文化によって空間の間隔がどのぐらい違うかについて、まともに議論したもののの一つですよね。
P62 都市計画には一種の運動神経が必要で、ある時期にやったことが、後で効いてくる。一度、タイミングを逃したら、後でカバーすることは絶望的に難しくなります。
P62 もっとも効率良く道路面積を最小化すると、数学的にはそうなります
でもその最小化というのは、実は本当の意味での合理性じゃないわけです
土地の価値がそれで全部均一化されちゃって、結局、値段だって一緒に下がってしまいますから。
近視的な発想だよ。
P68 一番手前のところ、表面的なところhしか分からないから、そこしか考えようとしない。「だましだまし」とは違いますよ。因果関係で考える習慣がないんですよ。そうすると、大きなシステムの問題というのは、いつも置いてけぼりを食っちゃう。第二章で人口圧力設計が大事だと僕は言いましたけど、日本はこれから人間が減っていく方向になると思うんですね。上手に減らしていく、と全員が決めれば、都市計画はずいぶん楽になっていきますよ。
<ベネッツィアのてすりをつける>
P75サラリーマンは「現場がない人」です。
そうなんですサラリーマンには現場がないというのはすごく大事な指摘です。~~~いろいろと面白い建物もできたし、建築も��化たりえた。でも、今の現場所長は全員、完全にサラリーマン化するという方針になっている。現場単体で赤字を出したら、もう出世はできなくなるんです。だから建築から文化がどんどん消えていきます。
<骨ぐらいは折ってみた方がよろしい>
P83 現代人は感覚が鈍いですから、自分の感覚が鈍いということに気が着かない区ぐらい、鈍いんです。だから身体が甘受している情報を、意識の方が無視してコンピューターを信用したりするんだよね。それは大きく言うと、このsh会を覆う「システム問題」と一緒です。あるものを形作る非常に複雑な要素を頭が無視している、身体と意識の乖離は、医者をやっているとよく分かりますよ。死にそうになっていたって、気が付かない人がいるんだから。
意識というのが、あることは拾うけど、あることは拾わないようになってきている。しかも現代生活をしているとどんどん鈍くなっちゃうんです。
P95プライバシーを守るために家を作るんじゃなくて、家は公共の空間なんです。20世紀はプライバシーを考えすぎて、家というものが貧しくなりましたね。家こそが実はパブリックスペースだったということは、僕にとって大発見でした。
P157代替エネルギーを使ったって同じことだろうって。僕は何度も言っているんです。
冷静に考えると、結局、石油異常にいいのはないんですよ。だからこそ、人は何でこんなにエネルギーを使うのか、その問題を考えるべきです。その答えも僕流にはあるんですけれど。
それは人間の意識ですよ。冷暖房を例に取ると、普通、人は寒いから暖かくして、暑いんだから冷やすんだと考えるわけ、これは機能論と言われますが、でも、本当はそうじゃないんです。人が冷暖房を使う理由をよくよく詰めて考えてみると、気温一定という秩序を意識が要求しているからなんです。人は暑くても寒くてもエネルギーを使っている。それを気温を言って比したいから、そういう秩序を求めている。
その秩序を20世紀にどうやって手に入れたかというと、石油という分子をバラバラにして、無秩序を増やしたからです。秩序には、エントロピーという無秩序が付いてきて、それでもってつじつまを合わせています。都会で暮らしている人間は、頭で秩序を作り、秩序を要求しますが、それには必ず無秩序が伴うことを自学した方がいい。そのためには、自分たちが要求しているのは秩序だということに、まず気が付いてもらわないといけない。で、次に秩序ってそんなに望ましいものなのか、ということを考えてもらわなきゃいけない。
投稿元:
レビューを見る
二人の対談が純粋に面白かった。
震災以前は、建築は津波に対してはノーマークだったのには驚いたが、100パーセント安全なんてものはないから、「だましだまし」やるというやり方が、きっと一番必要な姿勢なのだろう。
国策としての都市計画も大切かもしれないが、個々人が気持ちよく生活できる環境というのが何よりも大切だ。戦後の都市計画が、環境をダメにしたのであれば、これからはもう少し長い目で、企業も国も考えてほしい。
建築、解剖学に著者なりの共通点があったのも興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
養老先生と隈健吾さんが文化について語りあう本。
基本的には、3.11以後に建築について考えるという内容だけど、そこから話は進展して、文化の話やエネルギー問題まで飛躍して行く。確かに、日本が誇る文化人が会話しているのだなという感じ(対話形式で進みます)。日本的なものこそ、日本人が住まいを考える上で大切だし、合っているという帰結。Americanizedされてばかりの時代を見直さなければならない。
自分自身が衣食住で言えば「住」に関係する仕事にいる分、関心は高くなっていると思う。どう住まうかというのは難しい問題ないだけに継続してアンテナをはっていきたい。きっかけとしてはいい本だった。
新宿紀伊国屋で購入。SBLで使おうかと思ったけど、やめた。
投稿元:
レビューを見る
・大御所二人の対談だが、思ったよりくだけた内容。学術的なものではない。
・隈さんが養老さんに気を使っている雰囲気が随所にあり。予定調和すぎてつまらなくなっている。
・全編「だましだまし」という共通のテーマで流れを作っている。
・隈さんはコルビュジエを批判しているような口調だったが、最後に海にちかい小さな小屋に住み、溺死したことに共感していたのはどうなのだろう?
投稿元:
レビューを見る
与太話である。インテリが自宅のリビングでくつろいだ感じ。
サラリーマンは全否定され、日本はダメで、石油塗れの現代にドロップキック、でも…
隈健吾のあとがきだけ読めば十分。
投稿元:
レビューを見る
養老さんと隈さんの対談をまとめた一冊。震災を受けてこの手の題材は多数出版されているなか、この二人の対談に興味があり、一読。
震災、エネルギー問題から、都市計画、高層マンション、経済問題まで様々な事柄が「住まう」という視点から語られている。
対談形式なので読みやすく、共感し、学ぶことが多い。
特に自分自身が最近考える住宅の私有という感覚についての考察がよかった。(とは言え、私有を問題視している隈さんがスーパーハイスペックの住宅、間違いなくエネルギー依存している住宅を作っているんだからそこは切り離していいのかという疑問はある)
投稿元:
レビューを見る
コンクリートではなく、木造で都市計画を考えたら、もっと面白くなる。
理屈を超えた一種の泥臭い経験とのバランス。
人間はなぜこんなにエネルギーを使うのかを考えるべき。
いろいろ考えさせられる内容でした。
投稿元:
レビューを見る
平易な会話という形を取っているが、建築という視点から近代の科学至上主義への懐疑というかわれわれが自然に対する謙虚さを失っていることを指摘している。
隈研吾さんのあとがきではカトリック論(反宗教革命論)に及んでおり、これも面白い。
お二人にはこの対談の続きとして日本のカトリックの最高権威のお一人、森一弘司教も交えた宗教論をやって頂きたいとも思う(同窓3人になってしまうが(笑))
投稿元:
レビューを見る
どの場所に対してもカンペキな建築というのは、そもそもムリ。だからと言って諦めるのではなくて施主とデベロッパーがアイデアを出しながら納得できるものを建てることは可能。しかし今の分業制の建築方法では、責任の所在がどこにあるのか不透明で誰が何を求めた建築物なのかがよくわからない。
(隈)津波から命を守る建築物といったら「地下」シェルター。土地の上の建物で地震にも津波からも逃れられるカンペキなものを求めるから問題が難しくなる。
だったら「だましだまし」の思想で、とりあえず津波から命を守るために「地下」に逃げ込める設備を作る。津波の表面は波の力が強いけれども、下はわりと弱い。
・ユートピア主義→どんな災害にも耐えうる理想的な建物を!
・現場主義→「だましだまし」やっていくなかで最適な建物を!
ユートピア主義+現場主義=最適解
・システム問題→あるものを形作る非常に複雑な要素をアタマが無視している。
(養)システム問題を避けるためには「参勤交代」のような、地方と都市の人間の入れ替わりが必要
投稿元:
レビューを見る
「バカの壁」の養老孟司氏と建築家隈健吾氏の対談集です。
普通のおっさん的風貌の隈氏にはいつも親近感を感じますが、建築家ですので当然建築や都市計画への思考は深く、そこに養老氏の思考と絡まれば、単なる住まいや住み方のテーマから一気に飛躍しそうでなかなかしない感じがとても読みやすかったです。
隈氏の建築家としての個性があまり出てこないのは養老氏の懐の深さだと感じました。
大規模建築を独り歩きさせず、人目線から建築を見つめ直す視点は、その前提として、人間的な思考を繰り返してこそ得られるものだと感じました。
あまり専門的になり過ぎず、難しい言葉も少ないので一気読みできました。
投稿元:
レビューを見る
震災後の対談は一部のようだけど、
震災を経て加筆修正されて問題が鮮明になったようだ。
考え方、視線の変え方、刺激のたくさんある本。
建築家は土地の問題から離されている、
コンクリートは信頼の上に成り立っている建築、
全国一律で進もうとするところからくる歪み、
サラリーマン感覚という頭の域を出ない怖さ、
コンピューターで計算できる形へ修正されていく自分のアイディア、
etc.etc...
時間がかかっても、
個別の事象に現場で体で対応していくことが、
復興に向けた一番の解決策なのだと思う。
投稿元:
レビューを見る
負ける、だましだまし、というあたりがキーワードの、まさにこの二人らしい展開です。モンゴルのパオの中が公共空間、外がプライバシーの守られる場、という視点。それはそこでは当たり前でも、日本では驚くのです。そうした発想が、日本のヘイソクカンを打ち破れるかなと期待します。もちろん養老氏の参勤交代論で締め。
投稿元:
レビューを見る
建築って結構アバウトなんですね。気が軽くなりました。
現場主義、原理主義じゃなくて、というのに共感。
あと、カトリックの学校って、やっぱりいいのかな。娘にきちんと教育を受けさせよう。