紙の本
傷痕(キズアト)という名の。
2012/01/18 20:21
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
少女を描かせたら、この人の右に出る者はいないんじゃないかと思う。
少女、それも「人生にけっして弱みを見せない」「いつだって”勝ってる”ふりして、歯を出してニカニカと笑ってみせる」少女を。
しかもここに出てくる少女の1人の名は「傷痕ーキズアトー」だ。
なんと勝気で、同情を寄せ付けない名前か、と思う。
それにしてもなぜ、キング・オブ・ポップを題材に選んだのだろう?
かのMJを日本に置き換えた設定で、私たちの知る彼のスキャンダルそのものに、かなり近い。
孤独と言えば陳腐になってしまう。復讐についての物語なのかもしれない、と思う。
ここに出てくる「復讐ーベンデッター」(これもいい名だ)という名の少女のことではなく、「この世で最大の、そして永遠のスーパースターこと、神さまーーに対する、いちばんの復讐」についての。
(読書家の著者のことだ、「優雅な生活が最高の復讐である」(カルヴィン・トムキンズ)もたぶん読まれてますよね。)
相変わらず、比喩は弾丸のように冴えている。
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キングオブポップという言葉が出てくるように、MJがモデルとなっているのだが、彼にまつわる逸話をそのまま使っているためか、そのまま引きずられて物語部分が薄まってしまった印象。残念。
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この国が20世紀に産み落とした偉大なるポップスターがとつぜん死んだ夜、報道が世界中を黒い光のように飛びまわった。彼は51歳で、娘らしき、11歳の子どもが一人残された。彼女がどうやって、誰から生を受けたのか、誰も知らなかった。凄腕のイエロー・ジャーナリズムさえも、決定的な真実を捕まえることができないままだった。娘の名前は、傷痕。多くの人が彼について語り、その真相に迫ろうとする。偉大すぎるスターの真の姿とは?そして彼が世界に遺したものとは?―。
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舞台は日本であり、登場人物ももちろん日本人であるが、どこをどう見てもマイケル・ジャクソンである。だが、そうとわかって読んでもなお、これはまぎれもなく著者の世界なのである。我国が誇るキング・オブ・ポップの弾け輝く一生と、併せ持つ寂しさ哀しさが胸に迫る。突然どこからか現れた彼の娘・傷痕も、彼と二人だけのときの委ね切った子どもらしさと、表に晒されるときの痛々しさが裏腹で切ない。彼亡きあとの傷痕のしあわせを祈らずにはいられない。強すぎる光の一歩外がいちばん深い闇であるような寂しい印象が強く胸に残る一冊である。
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この国が20世紀に産み落とした偉大なるポップスターがとつぜん死んだ夜、報道が世界中を黒い光のように飛びまわった。彼は51歳で、娘らしき、11歳の子どもが一人残された。彼女がどうやって、誰から生を受けたのか、誰も知らなかった。凄腕のイエロー・ジャーナリズムさえも、決定的な真実を捕まえることができないままだった。娘の名前は、傷痕。多くの人が彼について語り、その真相に迫ろうとする。偉大すぎるスターの真の姿とは?そして彼が世界に遺したものとは?―。娘は木の仮面をかぶっていた。
娘の出生は謎のまま。示談金を得た家族はバラバラ。元Vシネマ
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これまでの桜庭一樹さんの作品は「家族」を内側から見るような印象を受けましたが、今回は外側から「家族」の輪郭をそっとなぞるような感じでした。
敢えてキング・オブ・ポップの人となりや傷痕との関係、復讐を始めとする少女との事件について言及していないのでしょうが、そこは桜庭さんならではの種明かしをしてほしかったです。
『ばらばら死体の夜』よりは面白かったです。
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キング・オブ・ポップの人生について、事実と虚構が交錯するお話。
特に最後のほうは本当にただ切なくて、胸が詰まって涙が出た。
彼は幸せだったろうか。
どうしてあんな終りが来てしまったのか。
でも、彼は家族を得て、そこで得た安らぎの時間を持てたことはすごくよかったんだろうな。
彼の音楽を愛した1人として、この本が読めて良かったと思います。
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桜庭一樹の作品は、これ程つまらないものだっただろうか。…読みながら、そして読み終えた印象としても残ったのはその一言。
それは読者の私の価値観や嗜好が変わったのか、或いは彼女の作品がマンネリ化しているのか。それでも直木賞以前に出された作品の数々と較べると、“作者の楽しさ”が見当らない、「書く事を楽しんではいない」という感じが強い。マンネリ化を防ぐ為に施された“工夫”が、人為的で違和感しか感じさせない。
登場人物の名前を極力伏せるのは、神秘性や謎めいた雰囲気を醸し出す材料として優れているとは思う。
しかし、そればかりに拘っているあまり読後感の充たされた感じや、呑み込み切れない「何か」が残る事もなく、印象付かずに霧となって消えてしまう。最早、誰を引き立て何を語りたいのかすら、この作品を手掛けた「目的」がまるで見当らない。そんな印象ばかりが残った。
これと云って印象に残ったエピソードや言葉もなく、ぼんやりと、読み進めるのを苦に思わない「魅力」を僅かに感じただけだった。
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マイケル・ジャクソンが日本人だったら…みたいな話です
桜庭さんマイケル・ジャクソン好きだったのかなあ……
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MJへのオマージュ。
大人にならなければならなかった、大人になどなれなかった。
表紙がすこしにがて。
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マイケル・ジャクソンの桜庭一樹ver物語。
と言いきってしまうには惜しいような。
復讐ちゃんのお話がいちばんらしくて好き。
やっぱり砂糖菓子の少女を書かせたらピカイチ。流石。
久しぶりにあの頃、少女だった頃に戻れた気がした。
桜庭さんがすべてだったあの頃の私に。
角砂糖や金平糖みたいに綺麗なお話だった。
いつもより痛さが少ないから、余計に不思議で硝子細工だった。
美しいなあ。どうしようもなく儚いなあ。
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この国が20世紀に産み落とした偉大なるポップスターがとつぜん死んだ夜、報道が世界中を黒い光のように飛びまわった。彼は51歳で、娘らしき、11歳の子どもが一人残された。彼女がどうやって、誰から生を受けたのか、誰も知らなかった。凄腕のイエロー・ジャーナリズムさえも、決定的な真実を捕まえることができないままだった。娘の名前は、傷痕。多くの人が彼について語り、その真相に迫ろうとする。偉大すぎるスターの真の姿とは?そして彼が世界に遺したものとは?―(amazonより抜粋)
キング・オブ・ポップといえば「あの人」を思い出しますが、その日本バージョンといえばいいのでしょうか。
架空編といえばいいのでしょうか。
題材は本物。
文章は物語。
という感じです。
桜庭さんの文章は大好きです。
今回も大好きなんですが、なんかこう独自の世界で突っ走った感じがします。
キング・オブ・ポップの話なんですが、真相は当たり前ですが闇の中。
それゆえにスッキリ感がないのが残念。
ただ一つの物語としてはしっとりとした感じです。
でも最後まであまり好きじゃなかったです。
きっと入り込めなかったんだと思います。
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スターの突然の死をきっかけに、彼についてを語り始める人たち。
こういう構成って、視点が変わって揺らいでいく過程が面白いもの。
彼は、だれが語ってもスーパースター。
もっと疑わせて推測させて堂々めぐりをさせてほしい。
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この国が20世紀に産み落とした偉大なるポップスターがとつぜん死んだ夜、報道が世界中を黒い光のように飛びまわった。彼は51歳で、娘らしき、11歳の子どもが一人残された。彼女がどうやって、誰から生を受けたのか、誰も知らなかった。凄腕のイエロー・ジャーナリズムさえも、決定的な真実を捕まえることができないままだった。娘の名前は、傷痕。多くの人が彼について語り、その真相に迫ろうとする。偉大すぎるスターの真の姿とは?そして彼が世界に遺したものとは?―。
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世紀のスーパー・スター、キング・オブ・ポップが死んだ。たったひとり、「傷痕」と名付けられた娘を残して・・・
読んでいて涙が出てきました。うしなわれたものがどれほど大切で、多くの人の心をゆさぶってきたのか、というテーマが、実際にいた人間に重ねて描かれていく。その書き方が、おそろしくあたたかくて、きらきらしてて、のどがつまりそう。
わたしの知っているマイケル・ジャクソンはもう奇行を始めたころで、どちらかというと薄気味が悪いという印象しかもっていなかったのだけれど、彼の死後あふれる音楽に、ビデオに、目が釘付けになった。これが世界を震わせたスーパー・スターの姿なのかと、驚いたままテレビにかじりついていた。きらきら。光り物で飾り立てた輝きじゃなくて、本人の中からあふれでるエネルギーのきらきらが、すごくって。こんなものを青春に吸って吐いて過ごしていた大人たちはうらやましいとも思った。
個人的にはパパラッチさんの息子の言った「お父さんの大好きな人が死んじゃったよ」という言葉が大好き。正の感情でも負の感情でも、つよくて濃い感情がぎっしりつまった話でした。
彼が死んだとき、あるアメリカ人が「My hero was gone.」と言っていたのだけれど、その言葉がいつまでもひっかかってとれない。
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”キング・オブ・ポップ”と”傷痕”という存在が概念と人物の間を行ったりきたりしていて、それははじめ著者の迷いなのかとも思ったけれど、あるいはそうではなく彼という人間が本当に“時代”そのものであり、逆説的に、”うねり”とはいつも実に人間的な姿をしているのだと言われたような気がする。