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釜石での防災教育の実践から、防災教育においては、その「姿勢」をいかに形成するかが重要ということを解説している。
また、その「姿勢」を貫くためには家族や共同体における相互信頼が必要という指摘も興味深い。
片田先生の目指すところは、「災害ごときで人が死ぬことがないようにする」ということ。今回の釜石での小中学生の活躍は素晴らしいが、それでも全員を助けられなかったと反省する片田先生の言葉は重い。
本の内容と比較すると、帯の「生存率99.8%」という強調は非常に残念。この本の本質を見失わせ、全体としての価値を落としている印象を受ける。
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なんとなく、復興計画を考える際に、これで人が死なないようになるのかという視点が薄いような気がしている。
職場の本屋でなんとなく買った本は、釜石市の小中学校で防災教育をしていて、生存率99.8%を実現した片田先生の講演録だった。
やはり、先生がいうように、被災した方々を支援することと同時に、これからは災害で人が死なないようにどうするのかという観点が復興計画には大事だと思う。
(1)例えば、浸水深2mで一応盛り土高さとか居住可能地域を決めているが、現実には、浸水深2mでも人はなくなっている。2mというのは目安であって、今回の津波で浸水した地域は、避難訓練などの避難の方法をセットで考えるべき。
(2)逆に言えば、人が死なないということでは、片田先生の防災教育が功を奏したように、徹底的に避難意識を住民の方々が強く持つのであれば、無理して浸水深2mの盛り土にこだわらなくてもいいはずだろう。
(3)また、片田先生も田老町の大防潮堤がかえって住民の避難行動を抑制して犠牲をまねいた可能性を指摘しているが(p40)、ハードの防潮堤とか盛り土の整備というのは、一定の確率での対応をしただけで万全ではなく、一人一人の住民の防災意識、避難意識が第一であることにはかわりないことを繰り返し理解してもらう必要がある。
その他、片田先生は、いざというときには行政の避難勧告や命令などがでている、でていないにかかわらず、自分で避難活動を開始する、あるいはしないことを判断すべきことを指摘している。(p211)
今、復興計画はハードが中心になっているが、本当は、ハードよりも住民の避難意識、「津波てんでんこ」の意識が大事だと思う。ハードができて、住民がかえって津波がきても安心して避難しなくなることの方がずっと危険だ。
そういう基本的な方針を自分もきちんともっておきたい。
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心に残ったところのメモ。
■想定にとらわれるな。
ハザードマップも、浸水予測地域も、想定によるもの。災害は想定通りに起こるとは限らない。
■自分の命をどうやって守るかを自分で考える。
逃げろと言われるまで逃げないのはおかしい。
災害時に助けてもらう事を期待するのもおかしい。
どうやったら自分と家族を守れるのか、という視点で用意するしかない。
■避難シミュレーションの活用
情報伝達の時間と、避難の意思決定の時間がある。
しかし、情報はちゃんと伝わるとは限らない。時間もかかる。
迷っていては、間に合わない事が有る。
発災から意思決定まで20分なのか、10分なのか、0分なのか。
シミュレーションを見せるとただちに逃げる事が重要なのが皆に伝わる。
■脅しはダメ。
恐怖は忘れるようにできている。おびえながら生きていくことはできない。
■絶対に逃げるから、と親に伝える。
親は自分を迎えに来る。そうすると津波にのまれてしまう。大丈夫、自分はちゃんと逃げるから、逃げて、と理解してもらう。
■誰ならできるのか。
誰が助けてくれるべきなのかではなく、誰ならできるのか、何ができるのかを考える。
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最近読んだ防災関係の本では一番よかった。ただ単に防災に関する知識が書いてあるだけでなく、いまの日本が抱える防災の問題点・それに対する著者の考えがしっかりと書かれている。
とくに「行政に依存した日本の防災」については納得。
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仕事で環境防災学部を知る上で環境防災を理解しようと思って読みました。生きる上で大切なのは十分分かるがあとはこの知識をどうビジネスに繋げるか
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防災関係に携わる者としては、もっともっと早く読んでおきたかった。
読んで本当に為になった。
土木や防災に関わる人だけではなく、本当に様々な人に一読してほしいし、それだけの価値がある本ではないか、と感じた。
新書にありがちな、専門用語のオンパレードで、読み疲れするような感じもないし、読みやすい。
この本から得た教訓を日々の生活に生かしていきたい。
また、片田先生が海岸や津波を専門としていることもあり、その分野についてももっともっと勉強したいと思わせられてしまった。
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「人が死なない防災」というタイトルがとても良いな、と思いました。
論文の題材に防災教育を選んだので読んだのですが、この本を通して著者である片田先生の考えには感銘を受け、私も誰も死ぬことのない防災のあり方について深く考えさせられました。
いかに大きな災害で町が全壊しても、命さえあれば何とかなるんじゃないかと思います。そういう意味で、命を守ることが最も大事であり、今回の震災の反省を活かして、早急に新しい防災教育に取り組んでいくことが求められているのではないかと思います。
本に関しては、この片田先生が考えた防災教育は釜石以外でも無条件に可能なのだろうか、ということが少し気になりました。
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行政を頼らない「内発的な自助」の考え方を子供に叩きこむことの重要性を説いている.釜石市で津波から子供たちを守った実例は非常に貴重であり、自助の考え方を広めていく必要があると痛感した.
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いろいろな意味で目からうろこの防災のあり方。
まず、自分が率先避難者として命を守ること。
行政やマスコミ、情報依存体質にならないこと。
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・「この次の津波がきたとき、君たちはきっと逃げるだろう。でも、君たちのお父さんやお母さんはどうすると思う?」
子どもたちの顔が、一斉に曇ります。なぜかわかりますか。
「お父さんやお母さんは、僕を迎えにくると思う」
迎えに来るとどうなるか、というところに子どもたちの思いは及ぶわけです。そこで私は、不安そうな子どもたちにこう語りかけます。
「今日、家に帰ったら、お父さんとお母さんに『僕は絶対に避難するから、お父さん、お母さんも必ず避難してね』と伝えなさい。お父さんやお母さんは、君たちが逃げることを信用してくれないと、迎えに来てしまう。だから『僕は絶対に逃げるから』と信じてもらうまで言うんだよ」
・土砂災害の情報は当たらない。2007年に全国で人的・家屋被害が出た84カ所のうち、次善に避難勧告が出たのはたった3カ所。
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人間は元来逃げない。最初に届いたリスク情報を無視する。
あらゆる災害は想定外。
防災は防御の目標を置くこと。
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・自然災害は想定を超えるから災害となるのだが、想定を際限なく上げることが防災の本質ではない。そんな財源がどこにもないし現実的ではない。
・”想定外だったから”でも、”想定が甘かったから”でもなく、”想定にとらわれすぎていた”ことが問題。(→「これだけ巨大な防潮堤があれば安心」「ハザードマップでうちは色のついていない地域だから大丈夫。」といった固定観念。)
・人間は嫌な情報・予想したくないことには眼を向けたがらない・自分の死を直視できないという習性がある(→「煙の匂いもしないから大丈夫だろう」「非常ベルが鳴ってもみんな逃げていないし」「わかっちゃいるけどできない」といった正当化の偏見・集団同調・認知不協和)。まずは、”避難しない自分を正当化し、心の平静を保とうとする自分自身”を理解することが備えへの第一歩。
・防災における行政の過保護⇔市民の過剰な行政依存という問題。行政の発表する情報に自らの命を委ねている、あるいは行政が動き出すまで自分では動かないという主体性のなさが問題。発災したその瞬間の命からがらの緊急避難(エバキュエーション)のタイミングはみな個人個人で状況・条件が違うので自分で判断しなくてはならない。自分の命を守れるのは自分しかいないということ。
・行政だって被災者。自然の猛威に対して「誰がやるべきか」という議論は不毛。できないものはできない。「誰ならできるのか」という観点に立つことが重要。
・自然の恵みに近づくほど、自然の大きな振る舞いにも付き合わなければならない。海でも山でも平地でも、どこにいっても100%の安全なんてない。
・帰宅困難など防災の問題ではない。生き残った人たちが自宅に帰れず困ったというだけであって3日もあれば解決する。
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東日本大震災の前から、防災のニュースなどを聞いていて、何か違和感を感じることが多かったのだが、その違和感の正体を、この本が明らかにしてくれたように思う。結局、「自分の命は自分で守る」しかないのだ。災害が起こったら行政が何とかすべきだとか、行政がなんとかしてくれなかったときは、行政の責任を追及すべきだとか、東日本大震災から3年、また元の木阿弥になってはいないか。あの大災害からの教訓を、自らの生活にきちんと反映していかなければならないと強く思った。
3月11日、あの日の釜石の子供たちの行動が詳細に記述されている箇所には、本当に言葉が出ない。経験している人たちにしかわからない重みがすごく詰まってる。夫や子供にも読ませようと思う。
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[ 内容 ]
小中学生の生存率、九九.八%(学校管理下では一〇〇%)。
東日本大震災で大津波に襲われた岩手県釜石市で、子どもたちはなぜ命を守ることができたのか。
そこには、震災前から地道に積み重ねられてきた、画期的な「防災教育」の効果があった。
本書では、二〇〇四年から釜石市の危機管理アドバイザーを務めてきた著者が、主体的な避難行動を可能にした「防災教育」のノウハウを余すところなく公開するとともに、いつ災害に襲われるかわからない私たちすべてが知っておかなくてはならない「生き残るための指針」を提起する。
[ 目次 ]
第1章 人が死なない防災―東日本大震災を踏まえて(「安全な場所」はどこにもない;釜石市の子どもたちの主体的行動に学ぶ ほか)
第2章 津波を知って、津波に備える―釜石高校講演録(二〇一〇年七月二日)(津波への備えは、釜石に住むための作法;インド洋津波の惨状 ほか)
第3章 なぜ、人は避難しないのか?(災害は社会的な概念;笑顔と歓声のある被災地 ほか)
第4章 求められる内発的な自助・共助―水害避難を事例に(避難勧告が出せない事例;「全市民への避難勧告」は妥当か? ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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東日本大震災の大津波で、釜石ではほとんど小中学生が犠牲にならなかったのは、彼らが自分たちで避難をきちんとしたからだ――、という実績をもとにして、防災教育や防災情報、ひいては防災というものについて市民一人一人が抱くべき考え方を説く。
東日本大震災直前に釜石で高校生らに講演された記録なども含まれていて、貴重だし、示唆に富む。
1.想定にとらわれるな
2.最善を尽くせ
3.率先避難者たれ
これを片田氏は「避難の三原則」として示す。
例えば1について。ハザードマップはあくまで明治三陸地震のときの実績にすぎず、前提の異なる外力になると当然に結果は変わるということ。今回の震災では「想定外」という言葉がやり玉にあげられて久しいが、ここでいう「想定」とはあくまで「防災行政上の目標」にすぎず、それにとらわれず、できることをすべてやる(例えば、一般的な避難所に安堵せずもっと高い所へ、など)ということ。
ただし最後に、土砂災害・水害のこととなると、この三原則はやや事情が異なるということが示されている。すなわち、避難所にむかおうとしない方がよいケースがあるということ(「豪雨の時は雷が多く、懐中電灯がいらないほど」というたとえも、臨場感があってよい)。
いずれにしても、行政主体でのこれまでの防災対応からの意識改革は必要そうだ。ゲリラ豪雨による中小河川の出水に、避難勧告は間に合わないし、サイレンとかだって作動しない可能性もある。また行政運営上、「全市への避難勧告」をせざるを得ないこともあり得る。
むしろ、地域での自助意識を、高めていくべきなのだ。