紙の本
神道を学ぶ上での端緒
2023/04/20 07:24
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投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は「神道とは何か」という問いに、通史的な回答をしたものである。中世を専門とする著者故に、中心は中世の話題であり、近現代の神道については語られておらず、この本一冊で神道について網羅できるものではない。ここにある神道の歴史を見るだけでは、理解が深まったのか、さらなる混沌を垣間見たのか決めがたいものがある。難しい、との印象ばかり深まった気もする。その並々ならぬ複雑な来歴と、仏教等の他宗教との絡み合いについて知ることができ、神道を学ぶ上での端緒となったとは言えよう。
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かなりボリュームがあって一度読んでも理解できてない…
これは僕の基礎知識の無さが問題なんだが。
評価は4や5でもいいと思うんだけど、上記の理由でとりあえず3。
内容的の充実度は4以上で全く問題無いと思います。
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「とは何か」シリーズの最新。といっても、内容はどっちかっていうと「何か」というより「どうやってこうなったか」というものなので(つまり歴史の話)ご注意を。
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伊藤聡『神道とは何か』中公新書、読了。日本的霊性への安易な礼賛と国家主義の温床への嫌悪という固定観念以前の神道の歩みを概観する一冊。「日本固有の民俗信仰」という単純な説明に還元できない性格を紹介する、副題の通り「神と仏の日本史」。交流を通し後天的に形成される経緯が分かりやすい。
神社信仰と神仏習合の関係が興味深い。神社信仰は元々氏族や地域単位の慣例化した祭礼の反復。そこには「個人的願望の祈願は存在せず」。ところが本地垂迹説の進展・神仏習合の結果、「神社に対しても個人的祈願を行うような傾向が出てくる」。伊藤聡『神道とは何か』中公新書、2012年、69頁。
興味深いもう一つは、キリシタン批判の吉田神道から受洗者がでているという話題(知りませんでした。吉田兼右の甥・清原枝賢、さらにその娘(伊与局)が入信、伊与局が細川ガラシャを信仰に導くことになる。伊藤聡『神道とは何か』、253-254頁。
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神道の入門的内容を扱った本を読みたくて、新書だし、タイトル的に入門書っぽい本書を手に取った。
しかし、入門編としては難解すぎた。
いきなり時系列で細かい話が出てきて、多すぎる年号や人物名や宗派を意識に留めておけない。
ほとんど斜め読みしてしまったので★1つを付けるのは忍びないけれども、入門書としては間違いなく★一つ。
もっと神道に対する興味が湧いて、本書を読めるレベルになった時には再読するかもしれないし、評価も変えるかもしれない。
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『本の紹介 - 神道とは何か』
「神仏習合の視点から、中世を中心に古代から近世に至る神道の形成過程を丹念にたどり、日本の宗教文化総体のなかでとらえ直す」
『奈緒の日記』
あけましておめでとうございます。
今日は2013年1月7日 月曜日
高校初出勤、そう、初出でございます。
パソコンを開いて、このページを開きましたら花マークが33個付いていました。
ありがとうございます。
どんな方が花マークをつけて下さっているのかわからないのですが、ありがとうございます。
嬉しいものですね。
今回は10連休で、始まる前は長い休みだと思っていたのですが、今こうして出てきますと、アッという間でした。
このアッという間に、司書宅ではそれまで3匹だった猫が、また野良猫を保護してしまい、4匹になってしまいました。
当分は、動物病院通いが続きます。
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神道の成り立ちを古代より追う一冊。
純粋に歴史を追うパートは馴染みのない人名や著作が
数多く列挙されやや辛くもあったが、
巻末へ進むに連れ、固有なるものへの必要性や憧れから
構築、体系化さされた「神道」が現れる流れは面白さを感じた。
また人物信仰や国土観について記載されたパートは
それ一つとしても興味深い。
明治維新期以降の神道については触れる程度であるため、注意が必要。
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「日本<固有>の民族宗教」と言われる神道の形成を、中世を中心に古代から近世まで通史的に解説した書。日本における神祇信仰が仏教などの諸思想の影響を受けて展開し、やがて「神道」という独立した宗教へなっていく過程を詳細に論じる。
本書は「神道」が古代からの一貫した形の宗教ではないことを前提として、神仏習合華やかりし中世の神道説を中心に論じ、その多様な言説の帰結として「神道」が形成されたとしている。即ち、著者は中世神道説における神観の変遷(<祀るー祀られる>神から心・神一体の<内なる神>へ)を重視し、そうした思想が仏教の影響の中で生じたこと、またそうした言説を体系化した吉田神道の成立を以って(独立した宗教としての)「神道」が誕生したと論じる。
本著で語られる中世の神信仰・言説は神仏習合のみならず、人神信仰、国土観、中世神話など多岐にわたっており、中世の神言説を一望できるものとなっている。また、本書のメインはあくまでも中世神道説であるが、古代の神祇信仰や仏教伝来後の神仏観、近世における神道説などにも紙幅を割いており、上代から近世国学までの神道史としても大いに参考になる。ボリュームがとてもあり、また人名や書名が多数登場するので初学者には辛いかもしれないが、中世を中心とした神道の姿を概観するにはうってつけの書と言えるだろう。
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神道教説の生成過程は、神仏習合的な両部・伊勢神道を経て、吉田神道で離仏独立し、神儒の垂加神道や国粋的復古神道へと展開していく近世以降がダイナミックで面白いと思うのだが、著者の関心が中世にあるので、近世の記述が少ないのが残念。また、さすが中公新書的難しさにより、全体の流れが捉えにくいのが難点か。大学で専門的に勉強する人向けかな。
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廃仏毀釈とは何だったのか、そもそもにおいて、
神道とはいったい何なのか、それを知りたくて本書を手に取った。
学術的記述ではあるものの、史料を紐解きながら、
時系列で丹念に洗い出されており、理解は進みやすい。
伊勢神宮の神官たちと仏教の関わり合いがたいへん興味深かった。
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平成26年6月ごろ読む
感想文ノートを見つけたので、令和元年9月記入
神道とは、日本の神々への信頼あるいは、信仰を有する生き方である。
神道の起源は、創始者、経典もないため、特定できない。
しかし、日本民族が出現したと同時、、日本的な考え方。
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神仏習合が起きた経緯は諸説ある。
仏教が他の宗教の神様や信仰と融合する柔軟性を持っていた
「民衆の願いを叶える救済や、民衆を救う救済」という大乗仏教の性格は日本の民間・朝廷で信仰されていた神様への信仰と合致した
などがある。
明治政府により、一部の国学者の主導のもと、外来の宗教である仏教は国教にはふさわしくないとして、それまで特権を持っていた仏教関係者の財産や土地を剥奪していった。(そもそも、江戸時代以前には神社の中に寺院があったり、明確に区別されてなかった。)
その目的としては、国家単位で統一した宗教を作り、国を強めること、徳川の影響を捨て去ることだった。
明治元年の神仏判然令により、廃仏毀釈が進められる。しかし、多くの反発もあり神道の国境化自体上手く行かなかったが、神道自体を宗教の埒外に置く神道非宗教説が台頭する。
神道は上代から現代に至るまで使われてきたわけではなく、多くは中世、近世になって起こった。
古代においては、人間の外部にあって祀る―祀られるという関係で存在していた神々を、中世では、内なる神として自分たちの心の内部に見出し、道徳的主宰者と見なすようになった。
仏教から独立した宗教として神道が見えるようになるのは、吉田神道の登場からである。その後仏教的要素を取り払ったところに「固有」なる神道が見いだせると信じたが、両者は不可分であった。その後は神仏分離、廃仏毀釈によって民族宗教としての「固有」なる神道が達成されたが、現代の神道も、本質は仏教との交流があることに変わりはない。
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古代から近世にいたるまでの神道の歴史をコンパクトに解説している本です。
しばしば日本民族に固有の信仰として語られる神道ですが、そのような枠組み自体が近世の国学のなかで形成されたものであり、それに先立つ両部神道や伊勢神道をはぐくんだ中世の神仏習合的状況が、現代にまでつらなる神道のありかたを規定していると著者は主張します。そうした立場に立って、本書では「固有」や「不変」ではなく、「変容」する宗教として神道を位置づける試みがなされています。
その後、吉田神道や垂加神道による神道の体系化の試みがおこなわれ、国学者たちによって神道に「固有」の教義が求められるようになったプロセスについて、完結に叙述されています。
教科書的なスタイルで神道にまつわる歴史的な事実についての説明がつづくので、ややとっつきにくい印象はありますが、宗教学的ないし民俗学的なアプローチとは異なり歴史的なアプローチにもとづく神道の入門書として、充実した内容の本だと思いました。
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生まれ育った町に日本でも有数の規模の神社があったり、ちょっと足を伸ばせば有名な神社にいけたりしたこともあってなんの疑問もなく初詣などのお参りをしてきたが、ふとそもそも神社とはなんであって神道とはどういう宗教なのか、という疑問が湧いたためちょうど相応しいタイトルの作品があったので手にとってみた。わかったことがいくつかあった、まずは神、という言葉が問題ではないかと。つまり一神教の絶対的な存在である「神」と日本の神道における「神」はかなり異なっている、ということ。また基本的には江戸の後期に至るまで仏教のおかげで存在し得たものである、ということがよくわかった。遠藤周作がその作品において日本人はなんでも自分たちに都合よく作り変えてしまう、というようなことを言っていて自分も賛同していたのだが神道が仏教の要素をうまく取り入れて生き延びてきた経緯をこうしてみてみると日本人の作り変える力というよりは仏教の融通無碍さが際立っているように思う。面白いのは神道に於いても釈迦が最上位にいて日本のいろいろな神は日本人に仏教を教えるために仏が姿を変えているのだ、としているところであっさり自分たちの神々を外来の宗教の下位に入れて取り込んでしまっている。廃仏毀釈はいわばその反動ということらしい。日本は神国であるというのも辺境国家であるので仏がそのままでは教えが伝わらないので様々な神に姿を変えて人々を導いているのだ、といういわば劣った国、のようなニュアンスがあったらしい、というところも興味深い。現在の仏教的な要素を排した神道は太古からあったものではなく中世から近世つまり室町時代から江戸時代にかけて様々な言説が出た結果、なんとなく成立したようなものらしい。だからといってくだらないとか意味がないという気は毛頭ないが成り立ちや背景事情を抑えておくことは無駄ではないという気がした。非常に面白かった。
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神道を中心に据えて、古代から近代までを解りやすく網羅した本。細々な神社のなりたちというよりは、神道という宗教の背景にあった歴史の流れを解説したもので、現在に続いている神道の古来というものが、再構築されたものであることが丁寧に説明されている。歴史そのものというよりは、歴史の背景に言及した本といえるかもしれない。